第2章 沈黙の神-その7
駅前でタクシーを拾うという花水木を見送ると、間咲正樹はスマホを取り出し、鼻歌交じりに画面をタップした。
連絡を待っていたのだろう、ワンコールで相手が出た。
「どーも、師匠。正樹です」
『やあ、お疲れさん』
電話の相手はかつての師匠、そして花水木の師匠、由房だった。
「花水木に携帯と巾着、渡しましたよ」
『手間とらせたね』
「まったくです。しかもあんなにカワイクしちゃって。あれじゃ目立って仕方ないんじゃないですか?」
『それが狙いだからね』
電話の向こうで由房が笑う。
『山の結界を突破して、辿り着かれてしまった。これ以上隠そうとしても無駄だろうと思ってな』
山の結界。それは俗世と縁を断ち一切のつながりをなくすことで「この世からいなくなる」状態を作り出すことだ。簡単には作り上げられないが、一度できたらそう簡単に突破できるものではない。
だが、花水木を探し当てた何者かは、その結界を突破してのけた。
「で、逆に目立たせようと?」
『和服姿の女性なんて、どうやっても目立つからね。いつの間にか行方不明、なんてことがあっても、どこかで足取りが追えるさ』
「なるほどねえ。それはつまり、かわいい弟子を囮にしたってことで?」
『ふふふ。かわい過ぎてイジメたくなるんだよ』
「わぁーかぁーるぅー♪」
由房の言葉に、間咲正樹は膝を打って同意した。
『ところで、暮伊豆の方はどうだったかね?』
「何とか説得しましたよ」
間咲正樹は眉間にしわを寄せた。今回の電話、本題はこっちだった。
「いやもう、ゴネるゴネる。なんとか山へ行くことは承知してくれましたが、すっげータカられましたよ。うちの寺、破産しちまいますよ」
『それは手間をかけたね。かかった経費はこちらへ請求してくれ。少々上乗せしてくれても構わんよ』
「それはそれは。では遠慮なく」
『それで、暮伊豆は?』
「今朝そっちへ向かいましたから、夜には着くでしょう。あとはそっちで説得してください」
『わかった。助かったよ』
「つーか、暮伊豆呼び出すなんて、そんなヤバイ状況なんですか?」
『さてどうかな。取り越し苦労ならいいと思ってるがね』
しかし山の結界を突破されたのは事実、との言葉に、間咲正樹も「そっすね」とうなずいた。
『多かれ少なかれ、花水木は危ない橋を渡ることになる。バックアップは万全にしておかないとね』
そこでだ、と由房が再び笑った。
『間咲正樹どの、久々に仕事を頼まれてもらえないかね?』
「いやいや、俺はもう一般人なんですけど」
『山を降りて一年も一般人をしているんだ、ストレス溜まっているのだろう?』
「お見通しですか」
やれやれと間咲正樹は頭をかいた。相変わらず相手の弱みを的確に突く人だ。
『それに、君が引き受けてくれないと、うちのかわいい弟子が泣くことになるかもしれない』
「打ちのめされているところに付け込んで、モノにするって手もありますがねえ」
『ひそかに助けていてくれたことに感激し、尊敬の眼差しで見つめられるのもいいと思うが?』
「うっわ、それ最高の二択。ここでセーブして両方のルート攻略してぇー」
由房の笑い声を聞きながら、間咲正樹は心底迷い、しかし即決した。
「ま、いいでしょう。泣き顔はさっき見たし。たまには尊敬の眼差しで見つめられるとしますか」
『助かるよ。遠慮はいらない。いざという時は思い切りやってくれ。後始末はこちらでする』
「りょーかい」
んじゃまあ、久々にやりますか。
間咲正樹は通話を切ると、ニヤリと笑う。
──それは花水木が一度も見たことのない、血に飢えたケダモノの顔だった。