第2章 沈黙の神-その6
洗面所で顔を洗って居間に戻ると、間咲正樹がお茶を入れ直し栗羊羹を用意していた。
泣かせたお詫び、ということだろう。花水木はありがたくご馳走になった。
「それで、お友達の方はどうなんだ?」
「あ、はい。今日もこの後、行くんですけど」
花水木が伊賀海栗の様子を話して聞かせると、間咲正樹は「ふむ」とあごに手を当てた。
「素人判断でどうこうできる状態じゃなさそうだな。医者に診てもらったらどうだ?」
「俺もそう思います。だけど事情があるみたいで」
「ふうむ」
それなら、と間咲正樹が部屋の隅にある棚から一枚の名刺を取り出した。
「この人に相談してみろ」
名刺には「精神科医 きしかわ せひろ」と書かれていた。
「知り合いですか?」
「山の嘱託医してる人だよ。年に一度の健康診断で会ってるだろ?」
「あー……あの、やたらとイケメンのジイさんですか」
黒縁メガネに白髪で髭を生やした、スラリとダンディな超イケメンの老医師だ。有名なフライドチキン店の創業者に似ているので、花水木は心の中で「美形カーネル」と呼んでいる。「きしかわ せひろ」が本名らしい。
「山の嘱託医してるぐらいだ。秘密厳守の、信頼ができる人だよ」
「わかりました、今日会ったときに、話してみます」
「なんならここへ連れてきてもいいぞ。話ぐらいは聞いてやれる。携帯で話してもいいし」
「いや……俺、携帯持ってないし」
「なんだ、支給してもらえなかったのか?」
「渡されたの、がま口財布に五日分の滞在費だけっす」
「そりゃ不便だな」
待ってろ、と言って間咲正樹は部屋を出て行き、しばらくして古いガラケーと小豆色の巾着袋を持って戻ってきた。
「古いが、これ貸してやるよ」
「マジっすか? ありがたいっす!」
「それから、これも使え」
「巾着っすか?」
「お前、見た目女の子だからな。こういう小物入れ持っとけば、より完璧だ」
「はあ……そういうもんすか?」
巾着袋にはすでに何かが入っていた。開けてみると、ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチ、そして扇子が入っていた。
「扇子……」
花水木はちらりと間咲正樹を見た。
「ん、なんだ?」
「あ、いえ……なんでもないです」
考え過ぎか、と花水木は首を振り、巾着を閉じた。
「あとこれもな。お守り代わりだ」
間咲正樹が懐から出したのは、小さな独鈷杵だった。かなり使い込まれた古いもので、手のひらに乗る大きさでありながら、ズシリとした重さを感じた。
「でも俺、悪霊の調伏なんてできないっすよ?」
「できてたまるか。真言宗なんだと思ってやがる。お守りだよ、いいから持ってけ」
「はあ……それじゃ、遠慮なく」
ポン、と壁の時計が一つ鳴った。
「うわ、もう十時半!?」
時計を確認し、花水木は声を上げた。
お茶の一杯ですぐ辞するつもりだったが、色々あって長居してしまった。午前中に伊賀海栗のアパートへ行くつもりだったが、今からではお昼を過ぎてしまうかもしれない。
「すいません、俺、そろそろ行きます」
「おう。お友達によろしくな」
慌ただしい訪問で、ちょっとアレなこともあったが、来てよかった、と花水木は思った。
「次は、もうちょっと、しっかりして来ます」
「がんばれよ。ま、やっぱダメだった時は俺が養ってやるからな。遠慮せず嫁に来い♪」
「……何が何でも、修行に励んでレベルアップしてみせます」