孵った卵と子猫たち
とうとう本格的な冬が来た。
といっても、そんなに寒くはならないのだが。
ただ、魔物の分布は変化するし、世界が変容する以前は雪がほとんど降らない地方だったはずなのに二年連続でそれなりに雪が降っている。
なんというか、気候もわかりやすく変化しているのかなあと考えたりもする。
まあ、他の地方がどうなっているのか確認してみないことには断言は出来ないけど。
ともあれ、そんな冬のある日、俺が猫小屋のコタツでまったりしているとき、それは起きた。
何が起きたかと言うと、いきなり所持品欄から勝手に『竜の卵』が出てきたのだ。
「うーむ……出てきたってことは、もうすぐ孵るってことか?」
しまおうとしても所持品欄に入らないので、俺は仕方なくあぐらをかいて卵を抱えている。
卵が出てきた時に驚いて声を上げてしまったので、いま猫小屋にはシロクロコンビとリリーが来ていた。
猫も含め、みんな興味津々といった様子で卵を見つめている。
ちなみに卵はスイカくらいの大きさだ。ダチョウの卵より大きい感じ?
竜の子供が孵ったら、猫と同じくらいのサイズだろうか。
赤ちゃん竜というと、ファンタジーものではいくつかパターンが有る。
一つは犬みたいに毛が生えてるタイプ、一つはデフォルメされた人形のようなタイプ、一つは単純に小さいドラゴンタイプ、一つは出世魚のように成長によって徐々に形態が変わるタイプ。
俺が思いつく限りでは、こんな感じだったと思うが……はてさて、この子はどういう姿で生まれてくるのだろうか。
「あ、孵ったら餌あげないといけないんじゃない?」
「そういえばそうだな……何食べるんだろう?」
リリーの一言で、俺は大事な事を忘れていたと気づいた。
しかし、どんな子が生まれてくるか分からないため、何を用意すれば良いのかも分からない。
「うーん……ミルクとか?」
「哺乳動物じゃないだろうから、どうかなあ……」
色々と考えてみたが、当然ながら答えは出なかったので、リリーに色んな種類の食材を用意してもらうことにした。
生肉、生野菜、牛乳、お粥、こんな感じだ。
……特殊な食材しか食べれない、なんてことが無いように祈ろう。
◇
それから一時間ほど、俺たちは卵の様子を確認し続けた。
たまに俺がなでたり、シロとクロがなでたり、リリーがなでたり、猫が匂いを嗅いで体を擦り付けたり……そんな感じで過ごしていたわけだが、ついに卵が動き始めた。
「う、動いた!」
「お、おう。なんか、がんばってる感じ?」
卵は俺の膝の上で断続的に動いている。おそらく中から出ようとしているんだろう。
「あ、桶とお湯を用意しておこう」
産湯って感じでキレイにしてやるべし。
ということで、即興で石の桶を作って浅めにお湯を張る。
「あっ!」
リリーの声が上がり、卵にヒビが入ってきたことに気づいた。
再び、猫、人、ウサギ、エルフの注目が集まる。
時折パキッというヒビの広がる音が聞こえ、否応なしに緊張感が高まってゆく。
「がんばれ……!」
リリーなど、両手を握りしめて真剣な表情で声援を送っている。
まあ、俺も気持ちは同じだけどね。
手伝ってやりたくもなるが……自分で殻を破るのが大事なんて話を聞いた気もするので、卵をなでながら本人の頑張りを期待するのみだ。
不思議なもので、卵を手に入れた当初は少し不安に思ったりもしたが今はもう何の心配もしていない。
これだけ多くの者が見守ってくれているのだから、きっと良い子が生まれてくるだろう。
そうして見守ることしばし、ついに殻の一部を破って前足が出てきた。
その前足は肉食動物――いや、サイズ的に猫の前足のように見える形で毛が生えている。
観察している間にも殻はドンドンひび割れ欠け、両の前足、鼻面と現れた。
……なんか鼻の感じも猫っぽい。口元のモフッとした感じとかひげの生え方とか完全に猫だ。
竜じゃなくて猫なの? と混乱していると、卵にひときわ大きなヒビが走り、その隙間を押し広げて竜? の子供が上半身を乗り出した。
「やった! ……ねこ?」
リリーの言葉の通り、パッと見た限りでは完全に猫だ。
「ミャー!」
おっと、ぼんやりしていると猫竜? が鳴き始めた。まだ目も開いていないし、介助が必要だろう。
ということで卵の殻の上から抱き上げ、桶に溜めたぬるま湯に浸けて体を洗ってやる。
ミャーミャー鳴く子猫竜を掌で支えつつ、卵の粘膜? を丁寧に落としていく。キレイになるにつれ、ぺったりしていた毛並みが湯の中でフワフワ踊るようになり、子猫竜も気持ちよさそうな鳴き声に変化した。
なんというか「ミャー!」から「ミャウ」に変わった感じ。
「よし、綺麗になったかな」
体中くまなく洗い終え、リリーが用意してくれたタオルの上に子猫竜を移動。ドライヤーの魔法で、撫でるように体毛を乾燥させてゆく。
ここまでで分かったことだが、この子には角と翼らしきものがある。
といっても、パッと見てすぐに分かるようなものではなく、短い体毛に隠れるような小さなサイズだ。
つまり『猫みたいな竜』というのが正解なのだろう。
……大きくなったら、どんな姿になるんだろうなあ。毛が抜けたりしたらちょっと嫌かも。できれば可愛い感じのままでいてほしいものだ。
ちなみに大きさは、生後半年くらいの猫程度だ。まだ子猫って感じの時期だね。
しかし生まれた直後にこのサイズってことは、最低でもライオンくらいの大きさにはなりそうだ。
体重の軽い人なら、背に乗ったりできそうだなあ。
「お?」
いろいろ考えながら子猫竜をしっかり乾燥させていると、卵が孵るのを見つめていた群れの中から、一匹の猫が出てきた。
夏の間に子猫を生んでいた三毛猫だ。
その猫は子猫竜の匂いをかぐと、頭をぺろりと舐める。そして、そのまま毛づくろいを始めた。
赤ちゃんの鳴き声に、母性本能を刺激されたのだろうか。
すると子猫竜も何かを感じ取ったのか、俺の手から這い出して三毛猫の方に近づいてゆく。
己に近づいてくる子猫竜に応えるように、その場に横たわる三毛。
そして自然に授乳が始まった。
「わあ……」
血の繋がらないメス猫と子猫竜の様子に、リリーが感心したような声を漏らす。
俺も現実にこういう光景を見るの初めてだったので、少なからぬ感動がある。
猫に限らず、初乳には免疫力を高めるために必要不可欠な要素があるという話だから、この三毛猫がいてくれて助かったねえ。
……まあ、猫でもドラゴンなはずだから、どの程度の影響があるのかは分からないけど。
温かい場面に目を細めていると、三毛の生んだ子猫たちも我慢できなくなったのかトコトコやってきた。
大体、三ヶ月ほどだから、もう足腰もしっかりしているがまだまだ子供だね。
三匹の子猫と子猫竜が押し合いへし合いしながら三毛のおっぱいに吸い付いている姿は、なんとも言えない笑顔を誘う雰囲気だ。
と、気づくとリリーが俺にくっついて左腕を抱いている。……猫たちの姿に当てられたか?
何となく『つい』やってしまったのではないかと思うが……まあ、幸せそうな顔をしているから、水を差すこともあるまい。
俺たちはそのまま、子猫たちの授乳が終わるまで猫たちの姿を眺め続けた。
◇
「こ、この子の名前、考えてあるの?」
授乳が終わったあと、我に返って俺から離れたリリーはごまかすようにそう言う。
「いや、まだだよ。なにせ、どんな子が生まれてくるか分からなかったからね」
卵の状態だと竜の卵としか分からないから、どんな名前が似合うかも不明だったんだよね。色竜なら色にちなんだ名前とかが良いかな、と思っていたのだが。
で、この子猫竜だが、キレイな赤茶色の毛並みをしている。赤というほど赤くなく、茶色というほど茶色くもない絶妙な色合いだ。
……さすがにウサギたちのようにうっかり口に出した名前が設定されてしまうのは避けたいし、色のことは言わない。
しかし、何となくだが、この子はライオンっぽくなりそうな気がする。だから、それにちなんだ名前にしてやりたい。
「あ」
「どうしたの?」
「この子、オスメスどっちだろう?」
子猫の性別はパッと見てどっちか分かりづらい。大きくなれば、ニャンタマの有無ですぐに分かるんだが。
「うーん……。うん、この子はオスね」
「かな?」
子猫たちと一緒に猫団子になって眠る子猫竜の股間を、リリーと二人して確認。見た感じではオスっぽい。
ふむ……。
「レグルス」
「どういう意味があるの?」
俺の口から出た単語に、リリーが疑問を発する。
しし座の一番明るい星で、王という意味がある名だと説明すると、彼女は納得したように頷いた。
「いいんじゃないかしら、レグルス」
「そうかい?」
「ええ、この子は今日からレグルスよ。ねー、レグルス~」
スヤスヤと眠る子猫竜――レグルスをひと撫でし、リリーは彼に猫なで声(猫竜だけに)で語りかける。
当然、レグルスは少し身じろぎするだけで応えないが、なんとなく喜んでいるように思えた。
◇
レグルスのために急遽ケージを作り、猫小屋に設置した。贅沢なことに、何とヒヒイロカネ製だ。
まあ、竜だから滅多なことは無いと思うが、出入り口の段差を転がり落ちたりしないようにね。
それに伴い、俺も猫小屋で寝起きすることに。
母猫ミケ(名前がないと呼びにくいからと、リリーが名付けた)がいるから食事に関する心配はいらないだろうが、念の為だ。
リリーまで、ここで生活すると言い出したが、さすがに嫁入り前の娘さんが男と一緒に寝起きするのはマズかろうと説得して諦めてもらった。
俺だって男だからね。いつもは羊でも、狼になってしまう可能性はあるのだ。
まあ、猫小屋で寝起きするだけで、日中はある程度でかけるつもりではあるが。
完全に冬になって魔物の分布も変化しているから、獣人族や小人族の拠点周辺は間引きをしておいたほうがいい。
戦士や若者にはさほど驚異になる魔物はいないと思うが、それでも初見の相手には不覚を取る可能性があるからね。
「おっと」
コタツでぼんやりしていると、ミケの子どもたちがじゃれてきた。
これまではそれなりに人との距離をとっていた子猫たちだが、彼らの一家にレグルスが混じったことで俺が危険な人間ではないと判断したようだ。
元気いっぱいの三匹の子猫を、猫じゃらしで釣ったり、あまがみしてきたところを利用して腹をわしゃわしゃしたりする。子猫たちは猫パンチ猫キックを駆使して大暴れだ。
一方、ミケはレグルスの相手をしてくれている。
まだ目の開いていないレグルスは、一人では何もできないから助かるね。
そして俺はたまにミケのコーミングをする。使うのはお手製の歯の多い櫛で、これはシロとクロの毛の手入れにも使っている逸品だ。柔らかい毛質の猫とウサギに最適。もちろん歯の先はちゃんと丸めてあるので、皮膚を引っ掻いて怪我をさせることもない。
とまあ、そんな平和な日々を過ごして一週間。ついにレグルスの目が開いた。
それと同時に足腰も急激にしっかりし始め、まだよろけはするもののトコトコと歩くようになったのだ。
これには拠点に出入りする女性陣や子どもたちが大喜びで、用もないのに猫小屋に来てはしばらく愛でて帰ってゆく。
獣人族も動物好きなのか、男女問わずちょくちょくやってくる。
リリーも例外ではなく、レグルスが子猫たちと遊んでいるときはコタツにあたりながら幸せそうに眺め、近づいてきたら優しくあやし、眠っているときにはたまになでたりする。
ちなみにレグルスは、ミケ五割、俺三割、リリー二割くらいの割合で居場所を移動する。
母親役のミケはともかく、俺の割合が高いのは親扱いなのか飼い主と分かっているのか……不思議だ。
リリーは単純に最もよく顔を出すから慣れたのだろう。
それにレグルスは人懐っこい質のようで、人が来たらとりあえず近づいてみることも多い。まあ、基本的にはケージ越しだが。
あと、レグルスの成長後のことを考え、猫小屋を拡張し始めた。
どこまで大きくなるかは不明だが、とりあえずゾウが寝られる程度の広さにはしておこうと思う。
何にせよ、娯楽の少ない世界の冬にレグルスという新たな仲間が生まれたことで、多くの人が楽しく過ごせるのは良いことだ。
◇
それから更に一週間、レグルスは体もずいぶん大きくなり、他の子猫と変わらない程度に駆け回れるようになっていた。
それとともにケージは撤去し、小屋の拡張した部分への通路も天井近くのキャットウォークから開通させた。
小屋に出入りする猫は見たところ十匹以上はいるので、屋根のある広いスペースがあって困ることはあるまい。
実際、開通と同時に何匹もの猫が新たな住空間を探索している姿を見たしね。
そこそこ高さのあるキャットタワーも壁に併設してあるので、お気に入りの場所を探してあちこち歩き回る猫たちは中々楽しそうだ。なぜか、白いウサギと黒いウサギも混じってるけど。
――今年の冬は何事もなく過ごせそうだなーなんて考えていたのだが、そんなことはなかった。
東の監視塔――監視砦からクルススが急報を持ってきたのだ。
「ドラゴンだ!」
開口一番、彼の口からは聞きたくない言葉が飛び出した。
だが、耳を塞いだところで意味はない。なにしろ、もう視認できる距離まで飛んできているからだ。
慌てて皆に避難を指示しようと思ったのだが……ドラゴンはものの数秒で拠点手前の草原に着地した。これではもう逃げようもない。
『ホーリードラゴンが現れた!』
そのドラゴンは白く輝く鱗と黄金の瞳を持ち、前回のグリーンドラゴンより二周り以上大きい。
こんな巨竜に攻撃されれば、幾重もの防壁を張り巡らせたこの拠点でも長時間は保たないだろう。
――そうなれば、もう戦って退ける以外に選択肢はない。
「落ち着け、人族の戦士よ。我は戦いに来たのではない」
二度目の対竜戦を覚悟した俺に、白い竜は穏やかな声で語りかけてきた。
これまでも言葉を話す魔物はいたが……さすがに冷静にはなれないな。
とはいえ、敵意が無いと言うのなら、こちらから仕掛ける意味はない。
「……じゃあ、アンタは何をしに来たんだ」
俺は早鐘を打つ心臓を抑えるようにし、なんとか言葉を絞り出す。
「愚かな若竜の出奔を許したことと、その被害を受けたであろう者への謝罪。そして新たな竜の様子を見に来た」
白竜――いや聖竜か――は、少々申し訳なさそうな様子で、そう告げた。




