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 全ては自分の勘違い。そう思い込むことにした裕はリビングに入るなり制服を脱ぎ捨て、ソファーにどっかり座り込んだ。午後四時、雨のせいかリビングは薄暗い。明かりを付けないまま座ったことを後悔しつつ、テレビをつけると刑事ドラマ『バディ』の再放送がちょうど始まったところだった。数年は前のものだったが、裕はその話を覚えていた――ファンだから。気を紛らすには丁度いいと、そこから一時間ほどは再放送を見ていた。


「ふぅ! 面白かった。まだ早いけど雨戸閉めちゃいまっか、閉めまっか~」


 裕は完全な一人になると独り言が増え、斜め上のテンションを発揮するタイプだった。


「今日も今日とて京香だよ。本当天使だよなぁ」


 裕は自分ですら聞くに耐えないはずの独り言を乱射しながら黙々と制服を片付け、夕飯の支度に取り掛かった。


「めんどくさいからオムライスでいいか。オイルをひいて米入れて、ケチャップリン。あ、先ささみだった」


 一人茶番を繰り広げる裕は、見事に氏家さんの怪談を忘れることに成功していた。一方、オムライスは微妙な出来になる。パンチが足りない。微妙な味は微妙な気持ちを連れてくるものだ。そこで裕はスプーン片手に、冷蔵庫から好物のちくわを取り出した。「これよな」とかぶりつこうとした時、再び恐怖がカムバックした。


「食うのかい?」


 裕は驚いて手を止めた。声がちくわから聞こえたように思い、ちくわを口元から離し凝視した。

 すると、竹輪の輪の中から黒く小さい手らしきものが伸びた。


「うおっ!」


 とっさに竹輪をほっぽりなげた。まな板にぺチリと落ちる。竹輪から頭っぽいものも覗いた。虫ではない、人の頭部のような……。裕は混乱して叫んだ。


「なんだこれ!!」

「さっきも会ったじゃないかぁ」


 すると竹輪より小さかった頭がグワっと人間の身長よりも大きくなり、裕なんて簡単に丸飲みしてしまうような口が開いた。汚れた人間の歯、よだれの垂れる舌、そして臭い吐息が迫ってくる……!


「い・た・だ・き・ま・す」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 裕はスプーンを投げつけた。スプーンを投げ込まれた口が「あが?」と上げて怯んだ隙に、裕は床を這いずりながら全力で逃げた。が、その移動速度は本人の想像以上に遅い。絶望しながら振り向いた。


「……あれ? い、いない……」


 もうそこには何もいない。ただのキッチンがあった。と、裕が笑い出した。


「ハ、ハハ……。風邪でも引いたかな……? な、情けないな」


 尋常ではない冷や汗が体中から溢れていた。裕は立ち上がり水を飲もうと水道を見た。そして、やつの充血した目と目が合ってしまった。水道横の空の牛乳瓶の中からじっと裕を見つめるそれは、全身が真っ黒で顔だけが白い仮面を付けているようだった。ただし、顔の仮面には充血した両目と口以外のあらゆるパーツが無い。

 口がニヤッと笑みを浮かべた。


「ああああああああああ」


 裕の自分を騙す努力もここが限界だった。逃げ出したもののどこへいけばいいか分からず、ソファーに張り付いた。

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。よし落ち着いた。落ち着いたぞ。なんだあれ、京香の言ってたウジ虫さんかまじか! 空洞、空洞だな。空洞? 竹輪も空洞扱いなのか!? なんでもありなのか?)

 ショートしかけている頭で考えを巡らせていた裕はふと、机の上のシャープペンシルが目に入った。


(朝、母さん芯が無いって言ってたような……!)


 緊張が走る。さすがに大丈夫か? と期待したが気味の悪い顔がひょっこり出てきてしまった。また大きな口が開き、裕を丸飲みしようと迫る。人生で一番顔を蒼くしながら必死で逃げて、ガチィン! と歯を思いっきりかみ合わせた音が全身に響いた。裕はほんの数センチでなんとか生きていた。

「ザンネン」

 それは目の前でぼぅっと消えていった。

 

「ハァ、ハァ。よ、よし。間合いがわかってきたぞ。京香は確か、そうだ! 空洞を覗いた人が襲われるって言ってたな、なら!」

 裕はその場で目を閉じた。


(見なけりゃいいんだ! 勝ッた……俺の勝ちだぁあああ!!! ざまぁみろ!!!)


 この作戦は功を奏した。空洞を見ないことで襲われなくなった。そのままねむりたいと思った裕だったが、恐怖が体に染みついてとても眠れたものではなかった。



 そこから一時間が経過した。

 裕の体感ではもっとずっと長いが。体を硬直させたまま、目を閉じて一時間。裕にはある問題が急浮上していた。ぶるっと体を震わせて、「トイレ」と漏らした――声を。大小欲張りコースが大名行列でやってくる。裕は目を瞑ったまま、記憶と手の感覚を頼りにトイレを目指した。それ自体はさほど大変ではなかった。

 束の間の天国から戻った裕に次の問題が起きる。トイレットペーパーが切れていた。人としての尊厳を保ちたい裕はこれも手探りで交換した。しかし、そこで使い終わったトイレットペーパーの芯を落としてしまった。


 うっかりだ、本当にうっかり目を開けてしまった。ずっと目を閉じていたから、しばらく現実離れした現実から逃げおおせていたから、心に油断が生まれていたのだ。


 裕の目には、ドアの前に転がるトイレットペーパーの芯がしっかりと捉えられていた。


 次の瞬間にはあんぐりと開いた大きな口が裕に向かっていた。



「イッヒヒヒヒ…………」


 もはや覚悟も恐怖も絶望も諦めもない。頭の中は空洞になった。

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