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イエローブースター  作者: 綾沢 深乃
「第8章 奇跡の重さについて」

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33/34

「第8章 奇跡の重さについて」 (3)

(3)

 心地良い睡眠から目が覚めた巧は悠木と別れた。

 外に出るとすっかり夜空になっていた。帰り始めた時はまだ夕方だったのに、この時期の夕方は短いと時の流れをあらためて感じる。

 一人になった巧は特に寄り道せず、真っ直ぐ家に帰った。

 自宅に着くと、鍵を開けて中に入る。家の中は外と同じで暗い。両親はまだ帰っていないようだ。玄関を抜けて自室に入り、ヒーターのスイッチを入れて、制服を脱ぎ部屋着に着替える。

 その間、心は夜の湖のように穏やかだった。今朝とは正反対の心境でこの部屋にいる事を不思議に思えてしまう。部屋着に着替えた巧はリビングへ行き、台所にある電気ケトルのスイッチを入れる。

 湯を沸かしている間、戸棚からドリップバッグコーヒーとマグカップを取り出して、準備する。湧いたお湯を開いたペーパードリップへ入れていく。

 トポトポという優しい音とコーヒーの良い香りが台所からリビングへ広がっていく。出来上がったコーヒーを持ち、自室へと戻った。

 デスクに座り、そっとマグカップに口を付ける。

 温かくてほんのりと苦い風味が口の中に広がっていく。

「ふぅ」

 離した口からは、コーヒーの風味が漏れて部屋中に伸びていく。

 デスクにコーヒーを置いた巧は、上を向いて目を瞑った。そうして今日一日の出来事を回想する。

 壁掛け時計の音だけが聞こえる空間でずっと目を瞑っている巧。やがて、赤ん坊が目を覚ますように静かに瞼を上げた。

「よし」

 瞼を上げた巧は、再びマグカップに口を付けてコーヒーを少々飲むと、デスクに置いていた携帯電話を手に取った。アドレス帳を開いて榎本へ電話をかける。彼女は、三コール目で出た。

「思ったより早かったね」

 榎本の電話の向こうからは何も音が聞こえない。まるで深海にいるのではと思わせる程静かだった。

「どれだけ時間をかけても結論は変わらないので」

「そっか。じゃあ聞かせてもらおうかな。巧君の出した答えを」


「俺は、イエローブースターで自分のこれまでの奇跡を全て消します」


 考えが声になり、口から出て部屋の空気を振動させる。それがハッキリと分かった。携帯電話の向こうにいる榎本がすぅーっと息を吸う。

「あの時言った通り、私はどんな答えを君が出しても反対しない。なぜなら、それは君だけの答えだから。だけどごめんね。これだけは聞かせて」

「何でもどうぞ」

 余裕と不安が混ざったように聞こえる榎本に巧は若干の余裕を持って、彼女の質問に応じる。

「後悔はしない?」

「ええ。しません」

 巧は榎本の質問に迷いなく答える。電話口で話しているから、相手の顔は見えないのに、つい頷いてしまう。その事を向こうに気付かれないよう軽く咳払いをしてから、理由を説明し始めた。

「俺だけが犠牲になるのなら、この間の別れ際に使ってました。だけど、俺の奇跡に関わった人に影響が出たらって思うと出来ませんでした」

「じゃあどうして、今はそれが出来るの?」

「会ったんです。ルーズリーフに書いてあった××に」

「えっ!? 本当にっ!?」

 巧の告白に榎本は声を大にして驚く。彼女がこれ程素直に驚く姿を見たのは初めてだった。何だか素を見られたような気がして、自然と頬が緩む。

「会えたのは本当に偶然なんです。イエローブースターは使っていません。彼は四回目のイエローブースターでどうなったかを教えてくれました。正直、最良の結果とは言えません。それでも彼はお礼を言ってくれたんです」

 数時間前、悠木と話していた事を榎本に伝える。

 駅のホームでの会話を頭に浮かべながら、説明を続けた。

「長い話の後、彼は迷っている背中を押してくれました。俺が何に迷っているかなんて話していない。それなのに大丈夫だって言ってくれたんです。彼と再び出会えた事は奇跡でした。イエローブースターなしの本当の奇跡です」

「うん、そうだね」

 巧の強い言葉に携帯電話の向こうの榎本は同意する。

「その奇跡に会えたから、俺はもう迷いません。今度は、新城さんを奇跡に頼らなくても助けたいんです」

 そう話した巧に榎本はすぐには返事をせず、二人の間に沈黙が流れた。

 携帯電話の向こうで彼女の息を吸う音が聞こえた。

「あの時と同じだね」

「あの時?」

 巧の問いに榎本は「うん」っと答える。

「君と初めて会った日、イエローブースターを使わず、自分の力で四つ葉のクローバーを見つけた時と同じ。電話だから顔が見れないけど、きっと私一番好きな顔をしてくれてるよね」

「そう言われると照れますよ」

 電話越しでも頬が赤くなる。目の前に榎本がいなくて良かったと思った。

「巧君はあの頃から大きく成長してる。この間は君にイエローブースターを教えたのは失敗だったかも知れないって言ったけど、そんな事はなかった。失敗なんかじゃない、成功。それも大成功だった」

 他ならぬ榎本に言われると、誰も知らない自分の苦労を知ってもらえた気がして思わず涙腺が緩みそうになる。本当に電話越しで良かったと思いつつ、鼻を強く啜って涙の気配を消した。

「あと一つ、気になってる事があるんです」

「何? 何でも答えてあげる」

「イエローブースターを使って奇跡を否定する。そうなると、榎本さんとの関係はどうなってしまうんですか?」

「……イエローブースターが無いと私達の共通点は、一緒に四つ葉のクローバーを探した事だけになる。完全に繋がりが消える訳じゃない。だけど限りなく薄くなる。きっと、互いに相手を忘れるんじゃないかな」

 イエローブースターが消えたら、彼女との繋がりが薄くなるのは当然。

 彼女の話を聞いて巧は納得し、同時に寂しく思う。

 無論、それでイエローブースターの使用を止めはしない。

 それもまた、犠牲の一つなのだから。しかし、どうしたって迷いは生まれる。

 そんな巧の思考を読んでいるのか、榎本は小さく笑った。

「どう? イエローブースターを使うの嫌になってくれた?」

「いいえ。迷うし寂しいけど、そこは止めません」

「そっか、それならしょうがない」

 部屋の窓から見える景色は暗く染まり、遠くにある街の明かりがよく見える。あの明かりのどこかに榎本はいるのだ。一体、どんな気持ちで自分の話を聞いてくれているのだろうか。

「巧君?」

「あっ、いえ。何でもないです」

 考え込んでしまい、榎本が心配そうな声をかけてきた。

 いけない、電話はまだ終わってないのだ。気を引き締めてペースを元に戻す。そして、兼ねてから言おうと思っていた事を話し始めた。 

「この後、忘れちゃうと思うから今言います。本当に色々お世話になりました。四つ葉のクローバーを探すのを手伝ってくれた時から、この前の目を瞑って横断歩道を渡った時まで沢山助けてもらって、心から感謝しています」

「どういたしまして。私も巧君に出会えて、本当に良かったよ」

 互いに礼を言い合うと、また沈黙が生まれた。それが通話の終わり時を意味している事を二人は知っている。先に榎本が口を開いた。

「そろそろ電話切ろうか。またね」

「はい、また」

 訪れる可能性の薄い「また」を言い合って巧は携帯電話を下げた。だが、すぐに「あっ」っと小さな声をあげて、携帯電話を再び耳元へ持ってくる。

 まだ、榎本との電話は切れていなかった。

「言い忘れていました」

「なあに?」

「俺にイエローブースターを教えてくれて、ありがとうございました」

 言えて良かった。今日の電話でこれは必ず言おうと決めていた。途中の会話で危うく忘れそうになったが、ギリギリで思い出せて良かった。

 巧がそう安堵していると、携帯電話の向こうから鼻を啜る音が聞こえた。

「はい、どういたしまして」

「では、今度こそ本当に切りますね」

「うん。またね」

 榎本の返事を聞いて、今度こそ巧は携帯電話を耳元から離して、ボタンを押した。長い夢から目覚めたような、虚無感に襲われる。

「ふぅ」

 口から息を吐いて立ち上がる。右手に持っていた携帯電話はベッドに落とした。窓を開けてベランダへ出る。リビングのベランダは繋がっているので、見える景色も帰った時に見たのと変わらない。ハンガーにかけたダッフルコートを羽織りサンダルに足を入れる。

 一歩歩くだけで冷たい風が体にぶつかってきた。思わず目を瞑る。風が通り過ぎると、巧は夜空に向かって、ゆっくりとした動作で右手を上にした。

 いつもは心の中で言っていたが、最後は声に出して構わないだろう。

「もし例えば、自分の人生にあった奇跡が最初から無かったとしたら?」

 震える口で前提条件を口にする。誰にも見られていない、聞かれないのに何故か落ち着かなかった。

 まだ、心のどこかで次のセリフを言うのを恐れているのだ。

 悪いな。でも、これから頑張るから。

 誰でもない、自分自身にそう謝ってから、巧は右手を振り下ろした。


「イエローブースター」


 奇跡の言葉を唱えた瞬間。

 自分の周りで騒いでいた風もそれに混ざって聞こえる遠い車の走行音も、全て聞こえなくなった。

 その状態が一分続き、周りの音が回復した段階で閉じていた目を開いた。

 まだ、イエローブースターを唱える前の出来事は覚えている。しかしそれは不発ではなく、体に残った残滓があるからだ。今夜、ぐっすり眠って明日になれば、綺麗に消えているだろう。

「さむっ」

 風に負けてしまう声量でそう呟き、巧は自室へ戻る。

 ヒーターの庇護下に入った巧は、体を捻り何か変化がないかを観察する。

 特に目に見えた変化は見られない。両手両足健在だし、クローゼットを開けると見慣れた制服が掛かっている。少なとも学校は同じのようだ。

 取り敢えず明日登校する学校が分かり、安堵のため息を吐き、ベッドに腰を下ろす。案外、何も変らないのではないか。つい、そんな疑問が浮かぶ。

 しかし、時間が経過するにつれてとある変化が生まれた。

 それは体が妙に軽く感じるという事だ。

 立ち上がり軽くジャンプをしてみるが、違和感だけがあって特に跳べている訳ではない。最初、何だと不思議に思っていたが、すぐに気付く。

 そうか。これが奇跡のない状態なのか。

 イエローブースターによって、体に積もっていた目に見えない奇跡が抜け落ちた。だからその分、軽さを感じる。

 言うならば、これは奇跡の重さの跡。

 失くなって初めて分かるその重みにこれまでの感謝をして、巧はベッドに倒れ込んだ。


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