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イエローブースター  作者: 綾沢 深乃
「第5章 どうしようもない事」

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20/34

「第5章 どうしようもない事」 (4)

(4)

 駅から走って帰った巧は、家に帰ると手も洗わず部屋に飛び込んだ。

 電気を点けて部屋を明るくする。

 走って帰って来たのでエアコンを点けなくても、体が温まっていた。

 通学カバンを捨てるように肩から外して、床に落としてイスに座る。

 そして、デスクの引き出しに視線を合わせた。

 自分のデスクなのに変に緊張してしまう。

 右手を上げて、数時間前に彼女が言っていた言葉を正確に思い出す。

 もし例えば、あの時捨てたはずのルーズリーフが実は机の引き出しに入っていたら。

 言われた通りの事を思い浮かべて、巧は右手を振り下ろした。

「イエローブースター」

 

 全ての音が一瞬、聞こえなくなった。

 

「……ふう」

 胸に溜まっていた息を纏めて吐き出す。急に室内が寒く感じたのでベッドに転がっているエアコンのスイッチを入れた。

 リモコンに反応してエアコンが起動し、暖かい風が噴出される。

 部屋のBGMが風の音になったところで、巧は先ほど振り下ろした右手をデスクの引き出しに掛けた。そして、慎重に開ける。

 もう使わなくなった筆箱や、転校した学校のクラスメイトが書いてくれたメッセージカードの封筒の上に見慣れないルーズリーフが置いてあった。

「これだ」

 最後に引き出しを開けたのは、昨夜。

 その時には絶対に無かったルーズルーフは丁寧に四つ折りにされて、その存在を強く示すように引き出しの中央に置かれている。

 巧は壊れ物を扱うかのように丁寧な動作で取り、ゆっくりと開いた。

「うわっ」

 思わず声が出てしまう。

 ルーズルーフには細かい文字でビッシリと一人の女子について書かれていた。外見、声、仕草から始まりクラスでの立ち位置。自分との関係まであり、とにかく書けるものは何でも書いた印象を受けた。

 背筋がぞくっとした。それは内容だけではない。筆跡が自分の字だからである。毎日、学校で書いているのだ、間違いようがない。

 自分の筆跡で書かれた一人の女子についての説明。

 これはもしかして、忘れていた方が良かったのではないか。

 微かにそんな感想を持ちつつ、巧は彼女に教えてもらった二つ目のイエローブースターを実行する事にした。

 もし例えば、そのルーズリーフの子は、自分が忘れてしまった大切な人だったら。

 半信半疑な気持ちでそれを浮かべて、右手を振り下ろした。

「イエローブースター」


 また全ての音が一瞬、聞こえなくなった。


 一気に巧の脳に膨大な情報が流れ込んでくる。

 それは視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感全てを刺激して、直接脳に流れ込んできた。

 二時間映画十本を一気に十秒に圧縮して観たような感覚。

 十秒前と後では、世界が変わっているとハッキリと認識出来てしまう。

 巧は持っていたルーズリーフから手を離す。ルーズリーフは重力に沿ってヒラヒラと舞い地面に落下した。

 机に両手を着いて、体重を預ける事で立ち上がろうとする。だが、足腰に力が入らず、そのまま横のベッドに崩れ落ちた。

 ボフっという音が部屋に響く。制服のままベッドに横になるような真似。いつもならしない。しかし今だけは、それを許してしまえる程の疲労に襲われていた。体を上に向けると毎朝、見ている白い天井が視界に広がる。

 余計な物が見えない分、こちらの方がまだ気が楽だ。

 でも、そう思ったのもほんの一瞬だった。

 目に映る白い天井が水に滲んでいったのである。

 最初、どうしてそうなった分からなかったが、数秒して理解出来た。

 そうか、俺が泣いているから滲んでるんだ。

 それから涙が落ち着くまで、三分を要した。

 今日一番の深呼吸をして、体内の空気を循環させる。

 心の中で十秒をカウント。カウントが終わってから、体を起こした。

 油断をすると深呼吸をして落ち着かせたはずの涙がまた湧きそうになる。

 新城沙代。自分が忘れてしまった彼女。

 ペン回しのやり方を聞いてきたそれまで話した事のないクラスメイト。

 いつも誰かと話していてクラスの中心人物だと思っていた彼女は、実は皆から心ない陰口をずっと言われていた。

 本人はそれを知っても尚、その状況を受け入れて、笑顔で毎朝教室に入る。

 だけど、受け入れた事が形容し難いガスを生み、心を埋めていく。

 彼女が実践したガスを消す方法。二回は止める事が出来た。けれど、三回目は止められなかった。

 全ての出来事を一気に思い出す。

 あの笑顔や澄んだ声を少しでも頭に浮かべると、トリガーとなって我慢出来ず際限なく涙が溢れてくる。

 頭を振ってそれを押さえ込むと巧は、ポケットから携帯電話を取り出す。

 最後の一つは、その時になったら自然に分かる。

 確かにその通りだった。

 もし例えば、デタラメにかけた携帯電話番号が、彼女に繋がったら。

 今日使える最後の一回。それを迷わず巧は使った。

「イエローブースター」

 

 全ての音が一瞬、聞こえなくなった。

 

 こんなに連続で使うのは、あの時以来だと繋がった携帯電話のコール音を聞きながら、そう思った。

 三回のコールで彼女は出た。

「はい」

「あの、俺」

「分かってるよ。最後の一回のイエローブースターを使ったんだね?」

「使いました」

「そうか、やっぱりそうなっちゃったか」

 電話口から聞こえるその声には諦めの感情が含まれていた。巧は携帯電話を耳に当てたまま床に落ちていたルーズリーフを手に取る。本来、重さなんて感じないくらい軽いはずなのに酷く重かった。

「最初から全部知ってたんですか?」

「全部って訳じゃないけどね。大体は知ってるよ」

「じゃあ知っていたのに、車内では何も教えてくれなかったんですか?」

 知っていたと言われて、つい反射的にそう口が動いた。彼女は返答に三秒程要してから答える。

「ズルい? まあ確かにそう思うかも知れない。でもね、何もかも誰かが教えてくれるなんてあり得ないんじゃない? 自分の人生なんだから」

「だとしても、——」

 少しくらいは助けてくれてもいいじゃないですか。

 そう言おうとした巧に彼女は声を被せた。

「君には普通の人間にはない特別な力がある。本来、それを持たない人間は、君よりも同等、又は大きい苦難を自身の力で乗り越えている。その一つ一つの積み重ねを経験と言うんだ。イエローブースターがある分、君にはアドバンテージがある。少し意地悪されたくらいで文句を言っちゃいけないな」

 普通の人間にはない特別な力。イエローブースター。

 そこを突かれたら、もう巧には何も言えない。

「あなたは何者なんですか? いや、そもそもイエローブースターって何ですか? どうして俺にそれを与えたんですか? だって……」

「そんなに一気に聞かれても答えられないよ。そうだね。一度、その辺りも含めて話さないといけない。だけど、流石に電話では難しいかな」

「なら、今すぐ会いましょう」

 電話では難しいなら、直接会えばいい。

 解決策を見つけた巧は、すぐさまそう提案する。

 しかし、その提案は一蹴された。

「ダメ。今の君は疲れて切って許容量をとっくに超えている。そんな君と話をしても意味がない」

「だったらっ!」

 今すぐ会わないと言うのなら、無理にでも。そう思って右手を振り下ろそうとするが、今日の回数がもう限界になっている事に気付き手が空中で止まる。

 事実に気付いた巧が黙っていると、電話の向こうの彼女は話を続ける。

「ほらっ。イエローブースターの回数も分からなくなってる。それぐらい疲れてるの。今日はゆっくり休みなさい。一生会わないとは言ってないんだから」

「いつ会えますか。明日ならいいですか?」

「明日? 明日って金曜日じゃない。学校は?」

「明日は創立記念日で学校は休みです」

 咄嗟に嘘をつく。

 そんな都合良く明日が休みなはずがない。誰でも分かる馬鹿みたいな嘘。彼女には見抜かれているに決まっている。それでも、巧は突き通す。

 しばしの沈黙が生まれた。

「分かった。では明日会いましょう。待ち合わせ場所は今日会った横断歩道。時間はそうね……午前中で、十時ぐらいがいいかな」

「十時ですね? 分かりました」

 あんな強引な嘘が通じたとは、にわかには信じられないが、とにかく会える事になった。

 イエローブースターを使わずに口だけで約束をこぎ着けたのだから、ある意味では奇跡と言える。

「明日会うって約束したんだから、今夜はもう寝なさい。君が最優先でしなければいけない事は、休息だからね」

「はい、すぐに寝ます」

「もうっ。自分の願いが叶った途端、素直になるんだから」

 彼女が小さく笑う。

 実際、彼女の言う通りで、どう返したらいいか迷っていると「じゃあ、今日はココまで」っと彼女の方から言った。

 案外、相手も同様の事を考えていたのかも知れない。

 それに救われたと感じて「ええ、そうですね」っと彼女に同意した。

「お休みなさい。明日はよろしくお願いします」

「はい、お休みなさい。こちらこそ、よろしくね」

 最後に挨拶を交わして、巧は携帯電話を切った。

 ツーツーツーっと規則正しい電子音が聞こえる。

 耳から携帯電話を離して遠ざけると、再びベッドに倒れ込んだ。

「確かに、疲れてるみたいだ……」

 白い天井に向かってそう漏らす。

 今頃になって初めて分かる自分の疲労度。彼女の言う通り、無理して会っても良い結果は得られなかっただろう。

 あらためてこちらを全て見透かされた事に感心する。同時に咄嗟についてしまった嘘が棘となって心に刺さった。

 明日会ったらまず謝るところから。

 彼女に会って最初にやる事を決めると巧の意識は抵抗なく沈んでいった。



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