第2章 ソルダ・アルヴァニク/イェタ・アルヴァニク 中編
ガチャッ。
魚人族、いや海王族のソルダが、小屋の戸を開けて戻ってきた。
人間達への助力を終え、帰宅したのだ。
「・・・・・・・・・・アイツは帰ってないのか。」
そう言いつつソルダは、水晶を削ったときに出た大量の粉末を処理し始めた。
二日二晩削り続けて、それをずっと放置していたから、文字通り”山のように”なっている。
ソルダが掻き集めた大量の粉末をクズカゴに突っ込んだその時、再び戸の開く音がした。
「おぉ、兄者。出来上がったのだなアレが。」
呑気なことを言いながらモリを担いで入ってきたのは、もう一人の海王族。
つい先程、川で少年を救ったイェタ・アルヴァニクである。
ケマイアの町に住まう海王族兄弟の片割れだ。
そんな弟にソルダは半分呆れ顔で、
「”おぉ”じゃない、”おぉ”じゃ。何で今日はこんなに帰りが遅かった?」
「何か不便でもあったのか?」
「いや、別に不便は無いが。ただ、人間達が助けてくれと言ってきたのでな。私が行ってきた。」
「別に良いじゃないか、兄者。」
「コレを丁度作り終わったところだったからな。」
竜を彫刻した水晶玉を抱えながらソルダが言う。
「しかし、これが作業の真っ最中だったら?集中力が一気に失せるじゃないか。お前がいれば客が来ても対応してくれるから集中していられるが、私自身でまともに会話するならば、そうもいかんだろうが?」
「終わったことを責めるな、兄者よ。今度からは遅くならんように注意する。」
「頼むぞ・・・・・・・かと言って、人間達に嫌な顔をするのも御免だからな。」
「まぁ、その気持ちは分かる。・・・・・・・・・・つくづく兄者は芸術家肌だな。」
今度はイェタの方が呆れたような顔で言った。
「集中力を乱されたくないだけだ。何かを作るのには”感じ”というものが必要なんだ。そいつは、一度でも集中を解いてしまえば、二度と戻ってこないからな。」
「・・・・・・・・・俺が漁をするときの見切りのようなものか?ほら、兄者。昼の分だ。」
そう言ってイェタは、担いでいたモリから大きめの魚を一匹外すとソルダに差し出した。
ソルダは、両手で抱えていた水晶玉を脇の台座にそっと戻すと、弟の採ってきた魚を受け取って、早速その腹にかぶりついた。
どうやら生の方が好みらしい。
「ほむ、ほむ。やふぁりほ前が採ってくる魚はひつも美味いな。ヒェタ。」
「兄者・・・・・・・・・頼むから、喰いながら喋らないでくれ。何言ってるのかさっぱり分からん。」
「ぁんだ、せっかく人が褒めているのに・・・・・・。もう一匹くれ。」
「やれやれ。」
苦笑しつつ、兄に二匹目の魚を手渡すイェタ。
まぁ、芸術家なんて大体こんなものである。
「・・・・・・そうひえば、イェタ。ほ前、何で今日あ遅ふぁったんだ?」
「”何で遅かったか?”で良いのか、兄者?それなら、川で溺れている子供を助けたんだ。」
「なんだ、ふぉれならふぉうと先に言えば良はったのに。」
「兄者こそ、腹を立てるなら話を聞いてからにしてくれ。・・・・・それと兄者。いい加減にしてくれ。」
ゴクッと口に含んだものを飲み込む音がして、ソルダが少し苦しそうな顔をした。
しばらくして、今度はちょっとバツの悪そうな顔をした。
「ははは・・・・・・・許せ、弟よ。」
「・・・・・・・・・・・・・・ったく。」
「にしても、人間というのはつくづく不便なものだな。水中で息ができんとは。子供とは言え、”溺れる”という状態が未だにどうも理解できんよ。」
「確かにな。違う種族だから、当たり前といえば当たり前だが・・・・。」
そう言いつつイェタも、魚を口に運び始めた。
「・・・・・・・それにしても兄者。」
「む?」
「我らは少し恵まれすぎてはいないか?こんな安穏とした暮らしをして。」
「手に入れた平安だ。大切にしようじゃないか。」
「しかし・・・・・・。東に住む同志は、洞窟に隠れ住んでいるからなぁ・・・・・。」
ソルダが、ちょっと気にした風でイェタと目を合わせた。
「アヴィシアニ家の長兄のことか・・・・・・・・・・・・・・?」
* * * * * * *
場所は変わって、ケマイアの市内。ゼノの家。
他所の家と比べて、比較的広めな居間の中。
ゼノの前には、メガネをかけたいかにもインテリ風な青年が向かって椅子に座っていた。
出された茶をすすっている。
「いやぁ・・・・・・・・やっぱりいいね。故郷で飲む茶ってのは。」
「いいのは茶だけじゃねえだろ?サンディゴノスの町はごみごみしてるだろうし・・・・・。」
「あぁ。静かでいいね。向こうは町中うるさくって仕方ない。」
「ま、久々に帰ってきたんだ。ゆっくりしてくといい。」
ゼノと会話しているこの青年は、何を隠そう町で唯一の大学生、アイヴァー・ラングである。
ゼノの従兄弟に当たり、《サンディゴノス国立経済産業大学》に通っている。
普段の彼は、サンディゴノス市内の大学近くの宿舎に下宿しているが、実家に負担をかけ過ぎないよう、新聞配達の仕事をして学費の一部を賄ったりもしている。
流通情報学を学び、ケマイアの町がより発展するような食品流通・販売の形を探求している。
海産物は、いかに鮮度を保持したままソレを消費地まで輸送できるかで売れ方が変化する。
その品の良さをどのようにアピールするかも重要である。
それらの方法論を、アイヴァーは首都の大学へ行って学んでいるのだ。
ケマイアの町では大学、それも首都圏の学校へ進学するなんて異例中の異例であったが、彼の学ぼうとしていることが結果的には町の発展にも繋がると分かり、さほど反発を受けることは無かった。
本来ならば、進学よりも家督を継ぐのが当たり前だったからである。
「そういや、ゼノ。」
アイヴァーが思い出したように言った。
「アルヴァニクさんとこはなんとも無いか?」
「ああ、今日も助けてもらった。あの二人がどうかしたのか・・・・・・。」
「いや、それがなぁ・・・・・。」
アイヴァーは、ちょっと言い難いといった表情をした。
それから少し声を落とした。
「・・・・・・・・・・・天王教の。原理主義の連中のことでさ。」
原理主義と聞いた途端、ゼノが、すぐに合点がいったような顔つきになった。
「ぁぁ~・・・・・・。なるほどね。それで、アルヴァニクさんたちのことか。」
「うん。それでこの間、酷ぇもんを見かけてさ。」
話に興味を持ったらしい。ゼノが身を乗り出してきた。
アイヴァーもそれを見て、続ける。
「”特劇”って知ってるか?」
「”とくげき”?・・・・・・・・・聞いたことあるような無いような・・・・・・・・。」
「『海底二万ミルトから来た火竜』ってのは?」
「あぁ、アレか!? 確か、真っ黒な竜が襲ってくるっつー劇だろ?シャイアじいさんが昔観たとか言ってたやつ。」
「そうそう、ソレ。よく覚えてるじゃないか。」
『特劇』とは、神聖アークローヴ皇国で生まれた、特殊効果を活用する演劇である。
薄く張った布に影絵を投影し、煙を焚き、光を瞬かせて幻想的な場面を作り出す。
『ヒストロード・ヴィクシオニス』や『天海戦記』に記された内容を元に、神話の再現を試みる劇もあれば、原典が存在しない独自創作路線のものも存在する。
愛好家によると、”あえて魔術を使わない”のにこだわるのがミソだという。
ちなみに『海底二万ミルトから来た火竜』は後者の作品で、海底に隠れ棲んでいた太古の巨竜が帝都・アルタニカへ上陸してくる、という内容である。
初めて演じられたのは50年以上も前の作品であるが、再上演は未だに行われ続け、演出家 トゥブラー・ヤウェイジーの代表作として知られている。本作から影響を受けた作品も数多く存在するらしい。
「んで、その特劇がどうかしたのか?」
ゼノはアイヴァーに尋ねた。
「サンディゴノスにも劇場がある。こいつが、その特劇の宣伝広告なんだけどな。」
そう言ってアイヴァーは、苦い顔で、何枚かの広告を手提げから取り出した。
たぶん、配達する新聞に掲載依頼の来たものだろう。
そこには法衣を着た、どうやら天王教の神父らしい人物が。
その隣には、全身を甲冑で包んだ神話の騎士らしい人物が。
そしてその奥には、いかにも凶悪といった顔付きの巨大な海王族の姿が描かれている。
劇の題名がでかでかと。
『天王の勇者達』
ゼノは、その小さな広告をピラッと裏返して、解説とあらすじを探した。
『天王の勇者達』
―偉大なる天王の大冒険活劇―
・解説・
鬼才 スカー・セロ・ラヴィーザが放つ空前絶後の大冒険活劇!神話の狭間に活躍した、偉大なる天の神々の真実を描き出す。自身も天王教の熱心な信者であるスカー氏。本作の見どころは、終盤の魚人族と神々との最終決戦。一体いかなる世界を、彼は我々に見せてくれるのだろうか。
・物語・
神々《天王》は世界を統治した。しかし、全てが終わったわけではなかった。神々に背き、世界に恐怖と混沌を望む野蛮な種族《魚人族》が活動を続けていたのだ。神々は、世界に平和をもたらすため、今、魚人族討伐の旅に向かう・・・・・。
・出演・
●ヤヌス・クローサー ●ピクト・パルファント ●ローラ・ヴァイル
●ゼルルラン・ランバード ●マフィ・ランバード
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ゼノは黙りこくった。
アイヴァーは、彼の手元から広告を引き抜くと、再び手提げの中に戻した。
そして、しばらくして言った。
「こういうのが平気で上演されてるんだ。」
「なるほど・・・・・・・・ね。」
「”魚人族”って蔑称を堂々と使ってやがる。たぶん、意図的にやってんだろうな。」
「蔑称なのを知らないだけってのは無いのか?」
「たぶん。”神々に背く”だの”野蛮”だのと、天王教の教義がてんこ盛りだからな。」
「思想宣伝・・・・・・・・・・・か。」
「別に何を信仰したってな、文句を言う権利は無いんだけどさ。こんなあからさまな差別表現しねえだろうよ。普通の感覚なら。しかも、だ・・・・・・・・・・。」
アイヴァーは更に続けた。
「俺の大学の友達に特劇が大好きな奴がいてよ。そいつから聞いた話だと、”人間と海王族の友情”を題材にした劇が、どっか別の劇団で進んでたらしいんだわ。でもその劇・・・・・・・・結局どうなったと思う?」
「どうなったんだ?」
「・・・・・・・上演できなかったんだよ。訳分かんねぇ言いがかりつけられて。」
「えぇ?」
「劇が公開される前からさ、やれ”売族奴の宣伝劇”だの、”人間じゃない奴が演出した”だのと新聞に投書した奴がいたらしくてよ。ああ、俺の配ってる新聞じゃないぜ。原理主義に偏った別の社のな。」
「ひでぇな。」
「演出家も抗議したらしいんだよ、『実際の劇を観てから批判しろ』ってな。」
「それでも駄目だったのか?」
「あぁ。劇が公開される数日前になってから、その劇場の前で・・・・・・・・・・・・・。立て札持った連中が、どっから集まったんだか知らないけど大勢ひしめき合って、出入り口占領してギャーギャー喚き続けたらしい。」
「おいおい・・・・・・・・・・・・・・・。」
「もうほとんど営業妨害だぜ。結局、劇場壊されてもたまらねえからって、諦めたらしい。」
「過激だなぁ・・・・・・。自分達が正義だとでも思ってんのかね?」
「自分らの思想は、世界の大法則なんだろ。連中に言わせりゃ、自分達に反論する奴は”人間じゃない”んだとさ。」
ゼノが、もうお手上げといった表情になった。
「俺の感覚じゃ到底理解できねぇな。さぞかし迷惑なんだろうな、そいつら。」
「・・・・・むしろ迷惑してるのは、身内らしいけどな。」
「へ?」
ゼノが、ティクロンにつままれたような表情になった。
「俺にこの話を教えてくれた奴が言うにはさ、このことで一番迷惑してるのは、誰よりも天王教の信者だって言うんだよ。」
「えぇ?何でだよ?」
「原理主義が滅茶苦茶やってるお陰で、天王教全体がそういう集団だって誤解されるらしい。実際、原理主義の連中なんて少数派なのにさ。俺の友達にも天王教はいるんだけどさ、そいつ、原理主義でもなんでもないし。原理主義がピーチクパーチクうるさい所為で、みんなが皆、変な目で見られるんだってさ。」
「・・・・・・なーるほど。」
* * * * * * *
コンコン。
小屋の戸が鳴った。
魚を三匹平らげたばかりのイェタが、後ろを振り返った。
『イェタさんいますかー?』
女の子の声だ。
ソルダが、魚の骨をかじりながらちょっと戸の方を見やった。
「呼んでいるぞ、弟よ。」
「言わずとも知っている、兄者よ。」
呑気な会話を交わしつつ、イェタが戸を開けて出る。
戸の前に、8歳ぐらいの小さな女の子がちょこんと立っていた。
何か小さな白いものを、その手に持っている。
「おや?」
「イェタさん、弟達を助けてくれてありがとーございました。」
「ん?君はあの子達のお姉さんなのかい?」
「はい!リーサです!弟達に代わってお礼に来ました!」
「ははは・・・・・・・・・・・元気な子だね。」
「これ・・・・・・・・・・・・」
そう言って女の子は、手に持っていたものをイェタに差し出した。
それは、魚の骨をヒモで繋いで作った小さな輪だった。
「これは・・・・・・・・・。」
「お礼です!受け取ってください!」
「・・・・・・・・・・・・・分かった。ありがとう。大切にするよ。」
「はい!」
ニッコリ笑うと、女の子はタタタッと階段を下りて、そのまま走り去っていってしまった。
イェタは戸を閉めると、今しがた人間の女の子から貰った小さな贈り物を、しげしげと眺めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「良かったじゃないか、イェタ。すばらしい芸術品だ。」
「兄者・・・・・・・・。」
「真心のこもった品に勝る芸術は無い・・・・・・。大切にすることだな。」
「・・・・・・・・・ああ。そうしよう。」
イェタは、いつまでもその輪を眺めていた。
* * * * * * *
―再び八年前―
海竜に襲われる船目掛けて、蒼いヒレがさーっと接近していく。
人間達も、その存在に気づいていた。
「おい・・・・・・・・・・二匹目が・・・・・・・!!」
絶対絶命。
ところが。
新たに現れたヒレが猛り狂うケムルヴィアの元へ達した途端、突然竜の動きが止まった。
ギ・・・・・・ギィ・・・・・・・。
ケムルヴィアが何か苦しそうな声を上げた。
そしてその場で移動しないまま、バタバタもがき始めた。
「!?」
「どうした?何で動きが止まった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
突然の事態に戸惑う人々。
海上では、バタバタもがき続けるケムルヴィアが、宙返りをかまそうとしていた。
まるで・・・・・・・・・力ずくで何かを振り落とすかのように。
バシャーン!
『あぁっ!!』
人々がいっせいに声を上げた。
水上で宙返ったケムルヴィアの長い尾に、人間のようなものがしがみついていたのである。
それは蒼い肌と、無数のヒレを有していた。
「(―――――海王族!!)」
そう思ったゼノの目先で、再びケムルヴィアが跳ねた。
やはり、蒼い人型のものが水竜の尾にしがみつき、押さえつけようとしている。
そしておそらく――――さらにもう一体。
一体目が向かってきた道筋を、もうひとつのヒレが突っ込んでくるのが見える。
ギギギィィィィ!!
叫ぶケムルヴィアがまた跳ねた。
今度こそ、尾にしがみついていた影が振り払われた。水上に落下する。
ケムルヴィアがそれに襲い掛かろうとする間も無く、再び動きが止まった。
今度はハッキリ姿を表していた。
水上に蒼いヒレとウロコを持った人型の生物―海王族―が立っていた。
ケムルヴィアの尾の中ほどを押さえつけている。
「今だ、イェタ!!」
二体目の海王族がそう叫ぶと同時に、先程振り払われた一体目が海上に現れた。
ケムルヴィアは、自分を抑える力を振り切って一体目に噛み付こうとする。
イェタと呼ばれた一体目が、喰らいついてきたケムルヴィアの頭上へ飛び乗った。
そして、上あごと下あごが開かないよう、両腕で押さえ込みはじめた。
「すげぇ・・・・・・・・・・・・」
海上で繰り広げられる凄まじい戦闘を目にして、ケマイアの人々は呆然としていた。
しかし、ゼノは違った。
明らかにその状況が、二体の海王族に不利であると察していた。
そう・・・・・・・・・・・攻撃力が足りていない。決定的な何かが必要だと。
何か無いものかと周囲を見回してそして・・・・・。
「おぉぉぉぉい!!」
ゼノの叫びに、村人の何人かが振り向いた。
「コレを使えぇぇぇぇぇぇぇ!!」
言うが早いかゼノは手に持っていた自分のモリを、海上で戦う二体の頭上目掛けて投擲した。
二体はそれを、見逃さなかった。
あごを押さえつけていた一体目が、ケムルヴィアの暴れる力の反動で宙に舞った。
飛んできたモリの柄をがっと握り締める。
尾を捕まえていた二体目が、力の限りその尾を後ろに引っ張った。
ケムルヴィアの頭部の位置が、一気に後方に移動する。
重力に任せて、モリを構えた二体目が落下してきた。そして・・・・・・・・・・・・
ドズッ!
水竜の頭上に深々と、モリが突き刺さった。