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第2章 ソルダ・アルヴァニク/イェタ・アルヴァニク 前編

 小川のせせらぎが聞こえてくる。


 町の外れの小さな川の淵。

 兄弟と思しき男の子二人が、水浴びをして遊んでいた。


 親は、見当たらない。


「にーちゃん、見て見てー」

「ジュド、お前随分泳げるようになったんだな!」


 弟の方が素っ裸で、兄の前で泳いで見せている。

 はしゃぐ二人は、まだ四歳と五歳である。

 兄の方も負けじと泳ごうとしたが、じゃばじゃばと水中に突っ込んでいったところで。


「あ。」


 自分が、上下とも服を着たままなのを思い出した。

 あまり服を濡らしては、母親に叱られる。

 ついこの間も、河原で水をかけあって下着をずぶ濡れにし、大目玉を喰らったばかりなのだ。


「ちょっと待ってろー。」


 そう言って兄の方は、服を脱ごうと、一旦河原に戻り始めた。


「にーちゃん、母ちゃん怖いんだー」

「うるせーよー」


 弟に茶化されながらも服を脱ぎ、乾いた石の上に放っていく兄。

 兄に構わず、ばちゃばちゃ水を叩いて川の中ごろを泳ぎまわる弟。


 この弟、泳げるようになってよほど嬉しいのか、次第に兄から離れた所まで行くようになった。


「おーい、にーちゃーん!」

「あ、ジュド!そんな遠くに行くなよー。危ないぞー!」


 小さいながらも、兄である。

 ちゃんと弟の心配をしている。

 この川。さほど速くは無いが、幼児が遊ぶのであればそれなりに注意も必要である。

 泳げるということは、ある程度の深さはあるということなのだ。


 ところが兄の心配をよそに、弟の方はどんどん遠くへ泳いでいく。

 そしてもう一度、兄を呼んで驚かせようとしたその時。


「っ痛・・・・・・。」


 足が攣った。

 あまりにも痛くて、水を掻いていた足の片方が思わず止まる。

 体を浮かせていた力が消え、一気に体が水中へ沈む。

 反射的に足を石につこうとするが、底は深い。少年の足も短い。


 足がつけずに、目の辺りまで水に沈んだ。

 その途端に、口や鼻から水がどっと流れ込んでくる。

 意図せずに大量の水を飲んでしまい、パニックに陥る少年。


「あば・・・・・・・ぉぼ・・・・・にーちゃ・・・・・・!にー・・・・・」


 慌ててもがけばもがくほど、よりいっそう水を飲んでしまって、苦しくなっていく。

 力を抜いて浮く、などという対処は、四歳の少年には思いつかない。




 兄の方はと言えば、ようやく服を脱いで川に入ろうとしたところ、弟の姿がない。

 慌てて辺りを見回すと、先程とはずっと離れた位置にその姿を見つけた。

 ――溺れている。


「ジュド・・・・・・・・ジュドーッ!!」


 兄は叫び、慌ててそちらへ駆け寄っていった。

 ところが弟の方はずっともがき続けていて、次第に遠くへと流されていく。


 まずい、このままでは――――溺死する!




 その時だった。


 流される弟を必死で追っていた兄の視界に、奇妙なものが飛び込んできた。


「・・・・・・・・!!?」


 ヒレだった。


 青い大きな魚のヒレのようなものが、川の向こう側からすーっと。

 流される弟に接近してくるのである。


 そして、そのヒレが、溺れる弟の真横を通ったとき。


 それに引っ張られるように、弟の体が後ろ向きに川の中を進み始めた。

 そう――実際にそのヒレの主は、幼児の体を脇に抱えて泳いでいたのだ。


 ザバァッ。


 兄の目の前まで来たそのヒレの真下の水が、一気に押し上げられた。

 そこから出てきたのは。


 小さな弟の体を抱きかかえた人間・・・・・・・いや、人間と良く似てはいるが。

 全身を青色のウロコとヒレで覆われた、異形の存在だった。




 その者は、胸元に抱きかかえた弟の胸を軽く何度か叩いた。

 途端に、少年の口から水が吐き出され、ゲホゲホとむせ返った。

 兄の方はといえば、目の前で突然起こった救出劇に驚き、ぽかーんとしている。

 無事を確認したその者は、自分の足元で突っ立っている小さな兄の目の前に屈みこむと、弟をそっとその腕から腕へ移動させた。


「・・・・・・・・・・・気をつけなさい。」


 一言だけ、そう言うと、再び水の中に戻っていった。

 スイーと泳ぎ去っていくその姿を、咽込み続ける小さな弟を抱えた兄は、いつまでも呆気にとられて見ていた。



* * * * * * *



「・・・・・・・・駄目だ! こりゃ、完全に足を挫いちまってるよ。」


 男の声が響いた。

 町への出入り口付近。

 道のど真ん中で、黒っぽい大きな動物が座り込んでフゥフゥ喘いでいた。

 その周囲で、がたいの良い漁師達が数名、苦い表情を浮かべている。

 動物の後方には傾いた荷台と、そこから散乱したたくさんの魚とが道を塞いでいた。


「くそぉ・・・・・・こんな中途半端なところで。」

「俺らで持ち上がるかな?」

「無理だろう。この人数でボマドを持ち上げんのは・・・・・。」


 ボマド――道の真ん中に座り込んでいる大きめの動物のことである。

 このボマド。一匹だけで1ボドム、地球換算で1トン近くもある。

 僅か数名の人間では、漁師の腕力でも持ち上げるのは難事である。

 ましてや、動かすとなると・・・・・・・・。


「参ったなぁ・・・・・・・・。」


 その時、その場にいた一人が思いついたように、


「・・・・・・ソルダさんかイェタさんを呼べねえかな。こっから近いぜ。」

「ん? ああ、それがいいかもな。」

「この時間帯じゃ、ソルダさんしかいないんじゃねえか。来てもらって大丈夫なのか?」


 一人が、心配そうに言う。


「俺たちよりはよっぽど力あるだろ。あの人ひとりだけだって・・・・・。」

「いや、そういうことじゃなくて。」


 その男は続けた。


「あの人いっつもなんか作ってるだろ?あんまり邪魔しないほうがいいんじゃ・・・・。」

「うん・・・・・・いや・・・・・それは確かに・・・・・・・・・・。」

「他に方法あるか?」

「む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「ゼノ、どう思うよ?」


 そう言ってその男は、右の傍に立つ別の男に尋ねる。

 問いかけられたゼノと言う男は、まだ少し考えていたが、すぐさま結論を出して、


「ああ、俺が頼みに行ってくるよ。お前らは・・・・・・・・」



* * * * * * *



 小さな窓から、やわらかい日光が入り込んでいる。

 その光の下、一人の大柄な男があぐらを掻いて座り込んでいた。

 この男もまた、全身を青いウロコに覆われていた。


 耳の後ろから突き出たヒレに、たらーりと汗が流れる。

 よほど集中しているのだろう。奇妙なほど小屋の中は静かだ。


 手元に抱えた大きめの水晶玉の表面を、なにやら先の細いもので削っている。

 そこにはなんと、海竜が彫られていた。

 つまり・・・・・・・水晶玉に竜を彫刻しているのである。それもかなり細密な。



 慎重に。慎重に。僅かな力加減の差でも、命取りになる。


 カリ・・・・・・・・・・・・・カリ・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・。


「・・・・・・・・うむっ。」


 どうやら完成したらしい。

 その男の肩の力が抜け、一気に安堵の表情となる。

 そして、あらかじめ用意していたらしい木製の台座を横から引っ張り出すと、その上に作品を静かに乗せた。


 竜の彫刻された大きめの水晶玉。


 そこに。 窓から差し込む日光が当たり、美しく輝く。


 男にあるのは。 やり遂げた達成感と。 何事も起こらなかった安堵感。




 男は静かに立ち上がり、青いウロコに覆われたその腕を天井に引き上げ、大きく伸びをした。

 その時、突然小屋の入り口を叩く音がした。

 男は、そちらを振り返った。外から呼ぶ声がする。


「アルヴァニクさん、ゼノです。ちょっとお願いしたいことがあるんですが・・・・・」


 男はのそのそとそちらに近づいていくと、きしむ戸を押し開いた。

 戸の外の一段低い位置に、見覚えのある町の男が立っていった。


「どうも、ソルダさん。」

「む。お前か。今日は何の用だ?弟はおらんが・・・・・。」

「あぁ、やっぱり、何かやってる最中でした?」

「いいや。今しがた終わったところだ。何か困り事でもあったか?」

「すぐそこの道で、魚積んだボマドが足挫いちゃって・・・・・・・・。」

「なんだ・・・・・・そんなことか?いや、私も少し運動したかったんだ。丁度良い。」

「手伝ってもらえますかね?」

「無論だ。」


 そう言うと、男――ソルダと呼ばれたその人物は小屋の外に飛び降りた。



* * * * * * *



「いやー、助かりました、ソルダさん。」

「気にするな、少し時間が出来たから手伝ったまでだ。」


 そう話すソルダの背後の厩舎には、路上で立ち上がれなくなっていた先程のボマドがいた。

 他の漁師達と協力して、ここまで運んできたのだ。


 と、言っても、主にボマドを担いでいたのはソルダ一人である。

 他の漁師数名は、両脇から補助的にボマドの体を支えていただけだ。


 何せ動物だから引きずるわけにも行かず、下から誰かが支えなければならなかったのだが。

 海王族であるソルダの腕力を持ってして、それを担ったのである。

 滅多に外出しないソルダでさえも、周囲にいた漁師達の二倍以上の力はあった。



 ――というか、そのぐらいの力を持たなければ、危険だったのである。

 一匹分がやたらと重いから、半端な力で持ち上げれば、支えきれずに上から押しつぶされる危険もあった。



「では、私は帰らせてもらうよ。」

「ええ。ありがとう御座いました、ソルダさん。」

「礼には及ばん。・・・・・それにしても、弟はどこに行った?まったく帰りが遅い・・・・・・・。」


 ソルダは、そんな事をブツブツ呟きながら、去っていった。






 誰もが平然と受けて入れているこの光景。


 本来ならば、ヴィクシオン全体で見れば実に奇妙な光景であった。


 なぜならば。


 海王族、一般に”魚人族”と蔑称される彼らが。


 全身を青いウロコに包まれ、ところどころにヒレを生やした彼らが。


 人間達と何の抵抗も無く交流しているなど、ほとんどありえないことであったから。




 天王教の経典にて”海に棲む者たち”とされ、中でも特に原理主義者から敵視され。


 何の因果も無い人間達からも、一般には理由も無く蔑まれる彼らであったから。


 かつては、憲法にその存在否定を明記する国家まで存在したのだ。




 そう。ここは、サンディゴナ国の北西。ケマイアの町。

 唯一の、人間と海王族が共存する町。






* * * * * * *




 ―八年前―




 ドバアァァァン!!


「たっ、助けてくれ~っ!」


 バシャアァァァァン!


「ひいぃぃぃぃ・・・・・・」



 漁師達は怯えていた。船の舵が壊れてしまって、逃げることが出来ないのだ。

 船の周囲を、大きな波を立てながら水竜 《ケムルヴィア》が泳ぎ回っていた。


挿絵(By みてみん)


 フシュウウウッ。


 興奮しているようだった。

 大人の個体ほど大きくは無いが、荒々しいうなり声を上げながら、船を翻弄している。

 遠く離れた浜辺では、騒ぎを聞いて駆けつけた町民たちが大勢集まってきていた。


「おい、どうすんだよ!?このままじゃ・・・・・!」

「くそ・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「なんだってこんなところに水竜がいるんだ!!?」

「知るか、俺が聞きてえよ!」


 とにかく、パニック状態である。


「そうだ・・・・・・・・・魚だ、港から魚をありったけ持って来い!!」

「何だって!?」

「エサで誘き寄せれば、船から離れるかもしれねえ。」

「わ・・・・・・・わかった!!」


 そう言って何人かの漁師達が、大慌てで浜辺沿いを走っていった。


 ――が、間に合うかどうか。


 漁船を攻撃するケムルヴィアは、異常に興奮していた。

 おそらくは、釣具を引っ掛けでもして刺激してしまったのだろう。


 ドシャァァン!!


「うわっ!?」


 もはや一刻の猶予も無い。猛烈な勢いで漁船が破壊されていっているのだ。

 もし水中に投げ出されてしまえば――――間違いなくケムルヴィアの餌食である。命はない。



「・・・・・・・・・・仕方ねえ、俺が行く!」

「ゼノ、何言ってんだ!?」

「見殺しにするわけにはいかねえ・・・・・・船の上から、一撃で仕留める!」


 そう言ってゼノは、先程まで自分が使っていた一本の大きな銛を抱えたまま、近くに打ち上げられているボロ船に向かって走っていった。

 周囲の人々が、慌てて止めようとした。

 気持ちは分かるが明らかに無茶だ、と。



 迷っている暇は無い。

 こうしているうちにも海上では船の限界が近づいているのだ。

 何もしないよりは、出来るだけのことをやった方がいい。


 そうでなければ。


 何も変えることは出来ないから。


 ゼノが、人々の制止を振り切って船に乗り込もうとしたその時だった。

 突然、誰かが海上に揺られる船の向こう側を指差して叫んだ。


「お、おい・・・・・・・・・・・アレはなんだ?」


 ゼノは声を聞いてさっと後ろを振り返り、そしてすぐさま海の方を見やった。

 今もなお攻撃を受け続ける船の向こう側。

 自分達のいる浜辺の延長線上の、海沿いに出来た森林の方角。


 そちら側から海上の船を目掛けて、蒼色の”何か”が猛烈な勢いで向かってくる。

 その”何か”は、遠目には人間ぐらいの大きさに見えた。

 水しぶきは殆ど立っていなかったが、時折見える蒼色のヒレが正体を示唆していた。


「まさか・・・・・もう一匹!?」


 いや、ソレは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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