第1章 アレストス・レベリウス 後編
レスカ夫婦の経営するその宿の扉が、バーンと音を立てて開かれた。
店内のほぼ全員が入り口に目をやった。
アレストスの部屋の戸にあの文章が書かれてから。
二日目の朝だった。
「おぉ、ちょいと失礼するぜぇ。レベリウスって野郎はいるかいよ、えぇ?」
「へへへ・・・・・・・・・・」
明らかにガラの悪そうな男が二人、店内に押し入ってきたのだ。
わざとらしい、ニタニタ笑いを浮かべている。
男の片方は、近くのテーブルから勝手にコップを取り上げると、一気に中身を飲み干した。
そしてまたすぐに、先を進む相棒を追っていった。
突然入ってきた二名を、店の客達はあっけにとられて見ていた。
ただし。
客達の共通認識は。
『(―こいつら、見るからに客じゃねぇな―)』
客と呼ぶにはあまりにも唐突で、横暴な登場の仕方だった。
「おう、お前知らね?無視か?無視か?無視なのかい?・・・・・・おいおい冷てえなぁ?」
そう言って先頭切って入ってきた男の方は、頭頂部の禿げた客の頭をくりくり撫で回して訳のわからぬことを言い、好き勝手に客の食事をつまんでは口に運んでいく。
絡まれた客達も、下手に反論してマズイことにはなりたくないので何も言わず、目を背け、さっさと出て行ってくれないかと思いつつ黙々と食事を口に運んでいる。
「おう?おかしいねぇ・・・・・・。ここの宿に泊まってるって聞いたんだがねぇ?」
「出てきてもらえませんかねー、レベリウスの旦那ぁ?ここにいるんだろう?」
「隠れたって無駄なんですよー、旦那ー?調べはついてんですよー。」
「それとも怖くなっちゃったんですかー。黙ってたら分かりませんよー?」
「僕達の雇い主がねー、旦那のせいで迷惑してるってんですよー、何とかなりませんかねー。」
「土竜はみんなのものですよー。一人でいっぱい獲ったらいけないんですよー。」
「あと、嘘もついたらいけないんですよー、オーディヴァングに家族が殺されたなんてねー。」
「嘘をついたらいけないってお母さんから教わりませんでしたかー。」
「おいおい、相棒。それ言っちゃいけねえよ。可哀想だぜ。」
「あー、そうでしたっけー。そうだねー、みんな死んじゃったんだもんねー!!」
「プーッヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「ブヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「ヒャヒャヒャ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・おい、いい加減出て来いや!!」
「こちとら忙しいんじゃぞ!さっさと顔見せんかい腰抜けがぁ!?」
「いるのは分かっとんぞ!自分で蒔いた種じゃろが?落とし前つけんかいコラー!」
「人としての責任果たせやぁ、臆病モンがー!!」
実際、いた。
丁度その朝は、カウンターで食事を取っていた。
アレストスは店内を背にする形で座っていたので、チンピラ共に気づかれなかったのだ。
いや、あるいは・・・・・・・。
その場にいると知った上でワザとらしい会話をしたのかもしれないが。
アレストスは、先程からずっとカウンターの奥を見つめていた。
そこに宿の主人、レスカがいたからだ。
名乗り出ようとしたが、ずっとレスカに目で静止されていた。
「(―名乗り出るな。出る必要は無い―)」
レスカは必死に視線と手振りで、アレストスのことを止めていた。
しかし、ずっとこのままと言うわけにも行かない。
これ以上店内に居座るようであれば、彼自身が名乗り出なければならない。
「まだ出てこんのか?隠れん坊も大概にしようやー。」
そう言って男の一人が、店の床に唾を吐く。
アレストスは、黙っていた。
これまでにもコソコソと嫌がらせはあった。
が、しかし。ここまで露骨に営業妨害に来たことはなかった。
と、そのときレスカがカウンターから出て、チンピラ共に近づいていった。
カウンターの出口付近に座っていた客がそれに気が付き止めようとしたが、無駄だった。
「・・・・・・申し訳ないんだがね。」
レスカが言った。
「アンタらが探してるモンはここにはおらんよ。他を当たってもらえんかね?」
「・・・・・・・・そうはいかねえよ。調べはついてんだ、爺さん。」
「おらんものはおらん。店の中でつばを吐くような輩は出て行って―」
「すっこんでろ、このボケジジイ!!」
そう言ってチンピラは、あろうことかレスカの腹を蹴りつけた。
齢六十近くの小さな体が、背中から思い切りカウンターに叩きつけられた。
「あぅっ・・・・・・」
『!!』
その衝撃で、食器が何枚か床に落ちて割れた。
その瞬間。
アレストスの中の理性が、飛んだ。
ガンッ!
握っていた器を、カウンターに叩きつける様に置いた。
その音を聞いてチンピラや客達がアレストスの方を振り返った。
「表に、出ろ。」
それだけ言うと、アレストスは食堂を横切って入り口へ向かった。
チンピラ共のニヤニヤ笑いが、ますます強くなった。
互いに顔を見合すと、彼の後を追うように入り口へ向かっていった。
突然の蛮行を受けたレスカは、既に店内の他の客達によって介抱されていた。
* * * * * *
アレストスが、路上で二名のチンピラと対峙していた。
あまり距離はない。
その周囲では、店内から心配して見に来た者、たまたま通りかかった者、騒ぎを聞きつけた近くの家に住む者などが、大きな円を描いて遠巻きに見つめていた。
要するに野次馬である。
もっとも、野次を飛ばせる雰囲気でもなかったが。
「・・・・・・おぅおぅ、旦那さんよぉ。元はと言やー、お前が出てこねーのが悪いんだろ?」
「逆恨みはいけねえぜ?こんなことになったのも、全部自分のせいなんだからな。」
「・・・・・・・・・かもな。」
チンピラ共の超論理に、アレストスはぼそりと呟いた。
「ボヒャヒャヒャヒャヒャ。認めた!認めちゃったよ!!」
「悪い子にはお仕置きしまちょー!!」
「ボヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」
ピーチクパーチク勝手に騒ぎ続けるチンピラ共は、のしのしとアレストスに近づいてきた。
が、眼前まで近寄ったところで、異変に気づいて立ち止まった。
チンピラ共の表情が僅かにこわばった。
アレストスが、極端に無表情なのである。
恐怖どころか、嘲りも余裕も、怒りすら現れていない。
「ぅ・・・・・ぐ・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・のヤロウ・・・・・・・・・余裕ぶちかましてんじゃねーっ!!」
そう叫んでチンピラの一人が、力任せに殴りかかった。
次の瞬間、チンピラの天地がひっくり返った。
「!!?」
多分、何も理解できなかったに違いない。
そのまま一回転して。
チンピラのでかい図体は、路上に叩きつけられた。
「あぼぉ!?」
「やりやがったな、テメエェェェェェェ!」
相棒をやられて逆上したもう一人が、これまた力任せに掴みかかってきた。
が、やはりかわされた。
それどころか、後ろに回ったアレストスに背中を蹴飛ばされ、つんのめって土に口づけした。
「うぉぇぇ・・・・」
「うおおおおおおおお!!」
先程投げられた一人が、起き上がってきた。
今度は首を絞めようと思ったのか、開いた手を前に突き出し、低姿勢で突っ込んできた。
「フン。」
「あらっ!?」
体を横に逸らした標的に足を引っ掛けられ、そのままの速度で地面をスライディングする。
「ックショウ・・・・・ナメんじゃねーっ!!」
そう叫んで体勢を立て直し、がむしゃらに殴りかかってくるチンピラ。
が、その拳は一発とて当たらない。
アレストスに楽々とかわされ続けている。
「・・・・・・こんなのが怖かったらなぁ・・・・・・・・」
「!?」
「猟竜なんか出来ねえだろうがあああああああああ!!」
その顔面にアレストスの拳がめり込み。
次の瞬間、チンピラの体は吹っ飛んでいった。
ドサッと音がして、その巨体が路上に落ちた。
ぴくぴくと痙攣していた。
「うおぉ・・・・・・・おおお・・・・・・・・・・ぉぉ・・・・・・」
そのとき背後で、ずっと地面に倒れたままだったチンピラの片割れが、ゆっくり起き上がった。
その手には携行型の刃物が握られている。
「死ねえーっ!!」
ドムッ。
「はぶっ」
鈍い音がした次の瞬間、チンピラの片割れは地面に押さえつけられ、呻いていた。
上から圧し掛かる巨大な重圧に耐え切れずに。
「ぁぐうぅぅ・・・・・・・・。」
ディアゴだった。
どうやって主人の危機を察知したのやら、戦っている間に町中に入ってきたらしい。
その証拠に、ディアゴの後方だけ野次馬が退けている。
いくら図体のでかい人間でも、ヴォーンツの足の力にかなう奴などいない。
「・・・・・・・・・・・!」
アレストスも、背後に迫っていた危険に初めて気が付き。
それを押さえつけている相棒を見やった。
「・・・・・・・・・ありがとよ、ディアゴ。」
『ブルルルルッ。』
蒼くて大きな生き物が、嬉しそうに鼻を鳴らした。
* * * * * *
その夜。
アレストスは、ディアゴと共に町の外にいた。
つい先程、レスカ夫婦の宿屋を強引に出てきたのだ。
あんなことの後でも夫婦はアレストスを引きとめようとしてくれたが、
彼はそういう訳にいかなかった。
事情を知る人間が庇ってくれたため、幸いアレストスは役人には捕まらずに済んだ。
だが、こんな騒ぎを何度も引き起こす訳にはいかない。
今日のような露骨な営業妨害がこれからも続くのであれば、自分が宿に居続けるのは迷惑でしかないだろう。
ここまで来るともはや、夫婦の厚意に甘えていられる場合ではなかった。
「・・・・・・・・・・この辺かな。」
アレストスは、傍らのディアゴに向かって呟いた。
相手が手段を選ばなくなった現状、自分が何処に泊まろうとも迷惑がかかる。
ならばいっそ開き直って野宿でもするしかない。
まあ、ディアゴと常に一緒にいられると考えれば、多少マシだったかもしれないが。
アレストスはディアゴの背中の荷物の中から古い寝袋を取り出すと、ところどころに雑草の生えた地面の上に放った。
ディアゴも足を折り、ゆっくりとその場に腰を下ろした。
「・・・・・・・・・・あの宿を出てきたのか?」
不意にした声の方へアレストスはとっさに身構えた。
ひげ面の壮年の男が、視線の先に立っていた。
「・・・・・・・・・なんだアンタは?」
「そう身構えるな、敵じゃない。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうだかな。」
アレストスは男から目を離さないまま、その場にゆっくり立ち上がった。
確かに男は、完全にと言っていいほど無防備な体勢だった。
「町でお前の話を聞いて回った。随分と、苦労をしたそうじゃないか?」
「アンタに何が分かるんだよ。」
「少なくとも私が聞いた限りでは、お前に責任は無いな。」
「責任ならあるさ。・・・・・レスカさんとこに散々迷惑をかけちまったからな。」
「自覚があるだけ良い。・・・・・・・・それよりも、レベリウスよ。」
「なんだ?」
「真実を・・・・・・・・・・・・知りたくはないか・・・・・・・?お前の村の。」
そう言った瞬間、アレストスが男の胸倉を掴んでいた。
男のポケットから、小さな手帳が土の上にポトリと落ちた。
「・・・・・・・・喧嘩っ早いな?」
「ああ・・・・・・お前らのせいでそうなっちまったよ。真実だと?ふざけるんじゃねえよ。そう言って俺の関心を、オーディヴァングから逸らそうとばっかりしやがって。」
「何のことだ?」
「とぼけんじゃねえっ!テメエ、神竜教のまわしモンだろが!?」
「話をする前から決め付けるな、たわけが!私を殴るのは話の後にしろっ。」
男は怒鳴った。
「た・・・・・・誰がたわけだこの野郎!?」
「人の話も聞かずに殴りかかるような奴は、あのチンピラ共と変わらんだろうが?」
「ぐっ・・・・・・・・・。」
アレストスの、男の胸倉を掴む手が少し緩んだ。
「お前の気持ちは分かる・・・・・・・・。愛する者を失って、仇を知り、復讐に身を焦がし、そのために嘘つきと罵られる・・・・・・。お前は悪くない。ただ、間が悪かっただけだ。」
「間が悪かった・・・・・・・だと?」
「そうだ。偶然の重なりが、お前の憎しみをオーディヴァングに向けさせた。だが違う、違うのだよ・・・・・・・・・・。真実はそうではないのだ。」
「・・・・・・・・・・・・やっぱり。」
アレストスが、再び男を睨みつけた。
「テメエらは、そういうことしか言わねえじゃねえかよ。」
「・・・・・・・・まずは、オーディヴァングが犯人だという固定観念を捨てろ。」
「俺が嘘付いてるって言いたいのか?」
「いや。お前の目撃談は全面的に真実だろうな。多少の誤解が混じっただけで。」
「誤解?」
アレストスの声に、僅かに怒り以外の色が含まれた。
この男は何なんだ?
しかし、そう簡単にそれを認めることは出来なくて。
「いや・・・・・・・・あのバケモンの筈だ、俺はこの目で見たんだぞ!村中が粉々に吹っ飛んでた上に、そこら中で火事が起こって―」
「オーディヴァングは、火を吐かん。」
男は、さらりと言ってのけた。
アレストスの脳内に、衝撃が走った。
「な・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「お前が話したという目撃談を、町の人間から聞かせてもらったよ。それで確信した。お前の家族を殺したのは、オーディヴァングではない。何故ならオーディムの竜王に、火炎放射の能力は無いからだ。まぁ、おそらくお前を嘘つきと呼ばわる連中でさえ、実物のオーディヴァングなど見たことが無いのだろうがな。私の知る限りでは、そうだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「他にも、左腕が無いとか・・・・・・・・それも真実だろう。私の知る限り、オーディム大陸には、ギナヴァンと言う飛竜が生息している。そいつは、空中戦ならオーディヴァングよりも強い。」
「・・・・・・なるほど。」
「私は、お前の目撃談は全面的に肯定する。レベリウスよ。しかし、だからこそ矛盾が見えたのだ。はじめからお前が嘘をついていると、決め付けてかかっている連中には気づけない矛盾だよ。」
「確かに・・・・・・・・・・神竜教とは関係なさそうだな?」
そこでアレストスは、初めて男の胸倉を掴む手を離した。
「連中の仲間が、オーディヴァングが弱ぇみたいなことを言うわけがねえ。」
アレストスは地面に落ちた男の手帳を取り上げた。
「でも、じゃあ、俺の村を滅茶苦茶にしたのは?俺の家族を・・・・・殺した奴は?」
「これから教えよう。私の知る限り、何もかも全て。」
「・・・・・・・とりあえず、話は聞いてやるよ。あんたを信用するかどうかはそれからだ。」
アレストスは、男の手帳をチラッと見た。
「《エディス・ウォーラ ”海王の城”対策部長》ねぇ・・・・・・。」
「それは、偽名だ。」
それすらも、男はさらりと言ってのけた。
「調査がし易いようにな。本当の名前を教えておこう。私の名は・・・・・・・・・フィディス。政府が設置した、”対ロギア盗賊団特別捜査局”の一員だ。」