序章 三年前の悲劇・後編
ディアゴを浜辺に離し、自宅の前まで歩いてきたところだった。
今まさに家に入ろうとするアレストスを、男がひとり呼び止めた。
「うぉい、アレストス!」
近所に住む中年の村人だった。
「ああ、パータさん。こんばんは。」
パータと呼ばれた男は、非常に急いでいるようだった。
走ってきたのか、息を切らしている。
「アレストス、お前、村長見かけなかったか?」
「村長?いや、今日は見てないですけど・・・・・・。」
パータはガックリ来たような表情になった。
いや、走ってきたせいで、既に疲れた表情ではあったが。
「そうか・・・・・。」
「何かあったんですか?」
「いや・・・・・・・。村長と会いたがってる連中がいてさ。なんだかガラの悪い感じなんだけど。」
「そういえばこの間から、村長の家に誰か来てましたね。」
「そういうわけで、探してるんだ。まあ、知らないなら仕方ねえな。じゃ、また!」
そう言ってパータは、すぐに走り去っていった。
アレストスは少し怪訝に思ったが、それ以上は気にすることも無く、自宅の戸を開いた。
* * * * * *
「ただいま。」
引き戸を後ろ手に閉めると、アレストスは土間に上がった。
帰宅した息子を母親が迎えた。
料理の真っ最中だったのか、長いお玉を手に持っている。
「あら、おかえり。遅かったじゃない。」
「ん。気が付いたらこんな時間に・・・・・・・。」
突然、母親がからかう様な笑みを浮かべた。
「あら・・・・・・?もしかして、またミラちゃんと一緒にいたのかな?」
「別に・・・・・・。」
「またまた照れちゃってー。いいわね、青春ねー。」
「・・・・・・・・・・・。」
アレストスは黙って背中の道具を下ろし、座敷に座って履き物を脱いだ。
いつもこれだ。
自分がミラと一緒だったと知ると、大抵後で、楽しそうにからかってくる。
本人に悪意はないが、あんまり頻繁にやってくるので、最近では無視を決め込んでいる。
まあ、母親とは得てしてそういうものなのかも知れないが・・・・・。
アレストスはそのまま自室に戻ろうとして、ふと立ち止まった。
「そういえば親父は?今朝から咳き込んでたけど、治まった?」
すぐに、母が真顔になった。
「ああ、父さんなら大丈夫。昼には治まったわ。」
アレストスはホッとした。
「そうか、なら良いんだけど・・・・・。」
アレストスの父親はここ数年、ほとんど寝たきりになっていた。
年の所為かどうかは分からないが、ともかく農作業が出来る体ではなくなってしまっていた。
一家の中でアレストスだけが働いているのも、この為である。
母親も、家事全般をこなすのに手一杯で、とても農作業までは手が回らなかった。
その分はアレストスが、ディアゴと共に稼いでまかなっているのだが。
かつては呑気に鼻歌など歌いながら畑を耕していた父が、自由に歩き回ることすら出来なくなってしまったその姿は、とても痛々しかった。
* * * * * *
「大丈夫か、親父?」
アレストスは父の寝床の傍らにしゃがみ込み、話しかけた。
父親が虚ろな目を開けて、息子の方を向いた。
「ああ・・・・・・・アレストス。」
「親父・・・・・大丈夫か?」
父親が、少し力を入れた様子で上半身を起こした。
アレストスがすぐさま支えの手を入れる。
「大丈夫だ・・・・・・・風邪なんてのはどんな健康でも・・・・・ゴホッゲホッ。」
「大丈夫じゃねえだろ、どう見ても。」
父親の背中をさすりながら、アレストスが言う。
「ゲホッ・・・・・いや、気にするな、気にするな・・・・」
「気になるよ。」
アレストスの父は無性に強がりだった。
どうやら昔からの性格らしく、あまり人に甘えられない性質らしい。
その性格の一部はアレストスにも受け継がれているのだが、それにしても強がりすぎだった。
実際、体にガタが来たにも関わらず、それこそ立ち上がれなくなる直前まで仕事に行こうとしていた。周囲が止めても聞かず、寝床から自力で立ち上がれなくなってやっと諦めたぐらいだ。
本当に、強がりで、頑固な父である。
* * * * * *
囲炉裏を囲み、母と息子が食事を取っていた。
ちろちろと燃える火の光が、二人の顔に影を作っている。
アレストスはただ無言で掻っ込んでいた。
ビュウゥゥゥゥ・・・・・。
屋外から聞こえてくる強い風の音。
古びた家の木材がギシギシ軋み、窓枠がカタカタ鳴る。
「・・・・・・・・・・。」
母が、天井を少し心配そうな様子で見上げた。
「この家、大丈夫かしらねえ・・・・。最近軋んでばかっりだし・・・・。」
「来年あたりには崩れるんじゃないか?」
汁を啜りながら、アレストスが言う。
「まあ、建て直すとなったら一苦労だろうけどさ。」
「あんた今度、上に登って天井とか修理して頂戴よ。屋根を引っぺがされたら溜まらないわ。」
「・・・・まあ、父さんのこともあるしね。」
「そうよ。雨風に晒されたら、それこそ体に悪いもの。」
「雨はほとんど来ねえけどな。」
そう言ってアレストスは、自分の脇の、大分ボロボロになった柱を見やった。
「・・・・・どっちかって言うと、柱を先に補強するのが良いかもな。たぶん芯が腐ってきてるよ。」
「そうねえ・・・・・。あ、そうだアレストス。」
母が、思い出したように言う。
「なに?」
「今年はディアゴ・・・・・何処に隠しておく?家に入れるわけにも行かないでしょ。」
「ああ、それは俺も考えてた。まだ見つからないんだけどね。」
「早めに見つけたほうが良いわよ。今回の嵐はちょっと早めに来てるみたいだから。」
「ミラも、場所が無いか探してくれてるってよ。」
「あら・・・・良かったじゃない。」
母がまたも、楽しそうに言った。
「大切にしなさいよ、ああいう娘は・・・・・・・。」
「別にそういうんじゃぁ・・・・・。」
「・・・・・・真剣に付き合ってるなら、そろそろ結婚も考えてあげなさい。」
「ブホッ。」
アレストスが思いっきりむせ込んだ。
「エホッゲホッ・・・・・。け・・・・・けっこ・・・・なに、何だって!?」
「あんた達だってもう子供じゃないんだから・・・・・。成人してから一年以上経ってるじゃない。」
・・・・・・ちなみにサンディゴナでの成人年齢は18歳である。
「いや、そりゃそうだけど・・・・。」
「それなら私も父さんも賛成だし、向こうだってミラちゃん独りじゃない。」
「そんな勝手な・・・・。」
「あんたがどんな否定したってね、ミラちゃんと仲良くしてるのは、村中が知ってるんだから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ミラの両親が早くに他界し、今もたった一人で暮らしていることは、案外知られていない。
もしかしたら、女一人であるが故に。
周囲に弱さを見せない娘に育ったのかもしれない。
ミラ・ウィレオは。
「つっても俺・・・・・ディアゴいないと何にも出来ねーし・・・・。」
「そりゃあね、確かにミラちゃんは村一番の弓使いだけどね。」
母は、使い終えたお椀を盆に乗せながら言った。
「何も無理して背伸びする必要は無いじゃない。今のあんたを好いてくれてるんだから。」
そう言って、母は盆を持って立ち上がると、台所に去っていった。
後には火がパチパチ爆ぜる音と、なんだか複雑な表情をしているアレストスだけが残された。
「・・・・・・・・・そうもいかねーんだよな。」
ボソッと呟いた。
* * * * * *
アレストスは布団を敷くと、ドサッと寝転がった。
(結婚ねえ・・・・・・・・・。)
視界に広がるのは、小汚い自室の天井のみ。
ただ、静かに、思考する。
「・・・・・・・・・・・。」
アレストスにも自尊心はある。
いくらミラが、今の自分を好いてくれているのでも。
せめて何か、彼女に勝てるものを持ちたい。
ディアゴに頼らずとも、自分自身の力で為しえる事を。
・・・・・・・。
考えているうちに、強い眠気が襲ってきた。
それに任せるままに、アレストスは思考を止めた。
また、明日考えよう。
ゴオオォォォォォ・・・・・・・・・。
風が唸っている。
アレストスは、眠りに落ちた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ドオオオオオオオオン!!!
突然の凄まじい衝撃と共に、アレストスの体は宙に浮いた。
「!!?」
一瞬で目が冷めた。
全く同じ瞬間に、入り口側の部屋の壁が粉々に吹っ飛び、彼の顔目掛けて粉塵を飛ばした。
アレストスは思わず顔を覆った。
間を空けずに二度目の衝撃が襲ってきた。
消え去った壁の向こうから、激しい閃光が走った。
同時に彼の体は、背後にあるもう一方の壁に叩きつけられた。
痛みを感じる間もないままに、支えを失った天井が落ちてきた。
アレストスの意識が、途切れた。
粉塵がもうもうと舞い上がる。
アレストスは、全身を襲う痛みに呻いた。
「ぐ・・・・・・・何なんだ一体・・・・・!?」
その身を起こそうとしたとき、アレストスは違和感を感じた。
右足が動かない。
よく見ると、天井の鴨居の一本が折れ、自分の右足を強く圧迫している。
「・・・・・・・のヤロォ!!」
アレストスは力任せに、動く左足でその鴨居の残骸を何度も蹴り飛ばした。
数度目の蹴りで、残骸の間に少しだけ隙間が開いた。
アレストスはその隙間を利用し、体をねじって右足を引っ張り出した。
長い間血が通っていなかったのか、しばらく感覚が無かった。
* * * * * *
悪夢のような光景が、そこに広がっていた。
かつて自宅だった木材の塊から抜け出したアレストスは、その上に上って村中を見渡した。
何一つ、まともな形のものは残っていなかった。
見渡す限り、崩れた農家しか無い。
道の脇に植わっていたたくさんの樹木も倒れてしまっている。
そして、その所々から立ち上る火の手。
「!!」
突然アレストスは、母と父がこの場所にいたことに気が付いた。
そして慌てて瓦礫の上から降りると、倒壊した自宅の周囲を回った。
「お袋!・・・・・・親父ーっ!」
散乱する木材をどかし、開いた隙間の中を覗き込んでは二人を呼んだ。
しかし、何の返事も返ってこなかった。
何度かそれを繰り返した後。
その訳が分かった。
二人とも、死んでいたのだ。
二人の寝ていた部屋があった場所を、柱や家具の位置から探り出した時。
父も。 母も。 息をしていなかった。
それが分かったとき。
アレストスはへなへなと崩れ落ちた。
しばらくして。
もうひとり、大切な人間がいることを思い出した。
ミラだ。
そして、立ち上がると。 廃墟と化した村の中を、一気に走り出した。
「ミラーッ!・・・・・・ミラーッ!!」
この間も、アレストスの目に映るのは、ただ、ただ、農家の潰れた残骸だけだった。
しかも、その半分以上が燃えていた。
風が強く吹くため、周囲にどんどん延焼しているようだった。
だがこんな時間に、囲炉裏を点けっぱなしにしておく家など、あるわけが無い。
では何故?
そのとき。
燃え上がるひとつの農家の向こう側に、何かの影がうごめいているのが見えた。
「なんだ・・・・・・・!?」
アレストスはゆっくりと近づいていった。
燃えさかる農家の柱。
その光に照らし出されたのは、いくつもの目を光らせた巨大な竜だった。
竜は、前かがみになっていた。
アレストスの接近を察知したのか、突然、肩越しにこちらの方を睨みつけてきた。
ゴルルルルル・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・!!」
アレストスは、立ち往生した。
根源的な恐怖を揺さぶる、その眼光を浴びて。
竜は、しばしアレストスを見つめていた。
そして不意に天を向くと、
ギャオオオオォォォォォォン!!
咆哮した。
その凄まじい声に、アレストスは思わず耳を覆った。
竜の翼が勢いよく開かれ、同じだけの速度でぶわっと振り下ろされる。
強い風圧がアレストスを押した。
倒されないよう踏ん張っていると、竜が空高く羽ばたいていくのが見えた。
ソレは、そのまましばらく滞空すると、海岸沿いを何処かへと飛び去っていってしまった。
アレストスはしばし、呆然としていた。
たった今目の前で見たものが信じられなかった。
「まさか・・・・・・・アイツが?」
そして、我に返って気が付いた。
自分は既に、ミラの家の目の前にいる。
正確には”今までミラの家だった場所”だが。
ここも倒壊し、木材の塊と化していた。
「おいミラ・・・・・。ミラッ!!」
アレストスは大声で、ミラの名を叫んだ。
せめて、彼女さえ生きていてくれれば。
しらみつぶしに探そうと、倒壊した家屋の裏に回りこんだ。
そこに、地に投げ出された人間の、腕らしいものが見えた。
「!!」
アレストスは直感した。
あれは、ミラだ。
彼は慌ててそこに駆け寄っていった。
「ミラーッ!!」
大切な人物の、安否を確かめようとした。
「ミラ!ミ・・・・・・・・・・・。」
彼の目に飛び込んできたのは。
肩から脇腹までを一直線に切り裂かれて血溜まりを作る。
探していた少女の亡骸だった。
「・・・・・・・・ぁ・・・・・・・ぁ・・・・・・・ぁ・・・・あ・・・・・・!」
次の瞬間。
燃え上がる村の残骸に、絶叫が木霊した。