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外伝 天王教徒の一日 原理主義者 後編【アークローヴの貴族 バイル・ラオ・シディナスの場合】

 深くて薄暗く、長大な渓谷の内部に巨大都市が広がっている。

 そそり立つ断崖の、ところどころに刻み込まれた溝には人や馬車が見え隠れする。

 その眼下には古めかしい街並みが幾重にも広がり、その上に巨大な航空機がゆっくりと進んでいき影を落とすその様は、”騎士の国”とも呼ばれるこの大国に相応しい威厳を醸し出している。


 オーディム大陸中部、神聖アークローヴ皇国。

 その首都アルタニカの中層部に聳え立つ巨大な尖塔は、この国の政治を司る執政機関・アークローヴ中央評議会の議場を擁している。


 ”王宮地区”に指定されたその区域の奥。

 長く続いた庭園部分を渡り終え、正面玄関を潜り抜けた直後のその空間には、宮殿に入ってから初めての”室内”に当たる広大なロビーが広がっている。

 床面積が800平方ミルトはあろうかというその長方形の部屋の壁には、それぞれ同じぐらいの間隔を置いて15個ほどの、ドアのないアーチ状出入り口がぽっかりとその口をあけている。


 全ての出入り口の両脇の壁に設置され、鈍く尖った面を上に向けて燭台の上に鎮座しているクリスタル状の物体は、国産の神魔石を利用した小型灯火装置だ。

 今は昼間なので光を失っているが、これが夕方以降になると、魔力を糧にやわらかいオレンジ色の光を発するようになって室内を照らすことになる。

 また天井部にも、一回り大きいサイズのものがシャンデリアの如く多数吊り下がっていた。

 これらの照明装置が働いているおかげで、王宮内は夜でも常に一定の明るさを保っていられる。

 それは王宮が王宮であることを示し表す神聖美麗な装飾であると同時に、建物内を行き来する政治家たちへの安全配慮でもあった。



 ガチャン、という金属製の何かを動かす音がして、その後すぐに、多数ある出入り口の中のひとつから、ロビーへぞろぞろと人が溢れ出して来た。

 続いてひとつ奥の別の出入り口からも、同じように大勢の人間が流れ出てくる。

 アークローヴ中央評議会を構成する180名の元老議員たちである。

 どの人物も一様に羽織った純白のローブをたなびかせながら、心なしか急くように歩きつつ、隣り近所の議員たちと談笑などしている。

 その日の議論が順調に進行でもしたのだろうか。

 どの顔も、大分上機嫌なご様子である。そんな中に。

 たった一人。何故か異常に不機嫌そうな顔をした男がいた。

 やや小柄で丸っこい眼鏡をかけ、頭髪は頭部の中央ラインだけがやたら薄くなっていて、頭頂部から見て左右両端にかろうじて頭髪が残っている。ハゲ具合が中途半端だ。

 いっそスキンヘッドにすればよいものを―――というのは流石にお節介か。


 その目は細く、口は真一文字に結ばれている。鼻の下にはチョビヒゲが生えている。

 小柄なためか他の評議員よりも歩く速度が遅く、ソレを補うためなのか、やたらとせかせか足を動かしている。

 その様子が、心なしか他の議員たちに距離を置こうとしているような感じを与える。

 着ているのは他の議員と同じ純白のローブであるのに、彼だけが余計な黒いオーラを纏っているかのように暗い雰囲気である。

 なんというか。失礼な言い方だが、正直言って友達がとても少なそうな印象を受ける。

 だがもちろん、彼が不機嫌に見えるのはその所為ではない。

 そんな子供染みた理由ではないのだ。

 紹介が遅れたが彼の名は、バイル・ラオ・シディナス。

 アークローヴ中央評議会に参加する貴族系議員の一人である。



 議場の出口から少し離れた場所までたどり着くと、バイルはそこで初めて足を止めた。

 ふぅ、とちょっとだけ息をつく。

 その時バイルの背後で、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 彼がさっと振り返ると、出口の脇のところで議員二人が笑顔で話し合っている。

 一人は貴族系で、もう一人は平民系だ。


 アークローヴの議会は全180名のうち、貴族と平民がそれぞれ半数ずつで構成されている。

 華のある文化を受け継ぎ、伝統ある家系に代々生きてきた貴族出身者と、”町”に生き、労働によって国の根幹を支えてきた平民出身者と。

 その両者の声が届くからこそ、ここアークローヴは成り立ってきたと言える。

 どちらか一方が極端に重視されすぎたり、軽視されすぎたりすることが無いのである。

 もちろん建国から数千年の歴史の中でそのバランスが崩れかけたことがただの一度も無かったと言えば嘘になるのだが、この国は、その度になんとかして互いの調和を保ち、理解しあおうという努力を繰り返してきた。


 その甲斐あってかアークローヴ国内では、目立った市民反乱や暴動と言ったものがこの400年間一度も起きていなかった。

 それは神聖アークローヴ皇国が持つ、ひとつの『誇り』でもあるとも言ってよい。

 逆に言えば、ここまで貴族と平民の仲がよい国家というのも珍しいのである。


「―――はっはっは、それは実に楽しげな若者ですな?」

「でしょう?彼のような考え方の人物には、なかなか出くわさない。まだ20歳なのに、あれだけ野心的とは・・・・・・・・というわけで今夜、お連れします。是非一度・・・・・」

「ああ、私も是非会ってみたい。楽しみにしておりますぞ。では、自由酒場で!」

「自由酒場で!」


 出身の違う二人の議員はそう言って互いに確認すると、笑顔で手を振って別れた。

 『自由酒場』というのは王宮地区から少し離れたところにある、数百年もの歴史を持つ国営の社交施設のことである。

 そこでは貴族も平民も、身分の垣根を越えて”一人の人間”として飲み交わす事が出来る。

 人によってはアークローヴ市民制度の象徴とも言われており、貴族と平民双方を『市民』として括って差別することのない扱い方が、単なる行政上の区分には止まっていないことを示している。


 だが、そんな喜ばしい光景を目の当たりにしても。

 バイルだけは、抱く想いが違った。

 自分の背後で楽しげな会話をしていた二人を見て、彼は忌々しく思っていたのだ。

 彼から見れば、今この世界は重大なる危機に瀕していたのである。

 それを一刻も早く打開すべく尽力するのがアークローヴ元老議員としての責務であるのに。

 そのことを忘れて酒盛りに現を抜かすとは、誇り高き天王の子としてあるまじき行為だと思っていた。

 そうやってバイルは、一人で彼らを軽蔑する。

 そう・・・・・・彼にとっては神が授けてくださった世界であるこの世界――ヴィクシオンは、今、この瞬間も、貪欲なる魚人の脅威にさらされていたのである。



* * * * * *



 古めかしい市街に影を落としながら進んでいく、巨大な飛行船が目の前にある。

 そこは、アルタニカ渓谷で最も標高が高い位置のひとつであった。

 王宮をはじめとする壮大な街並みがその眼下に広がっており、また顔を上げてみれば、その向こうにはアルタニカ国際空港が見える。

 飛行船用と航空機用とそれぞれの専用エリアを連結する巨大アーチ橋があり、その近傍を常に、大小さまざまな種類の飛行機が離発着を繰り返している。


 それらを一望できる位置に、大きい窓ガラスの多数はめられた、二階建ての長方形の建物が建っていた。

 崖の近くに建っているその建物は形状・素材などどれをとっても眼下の渓谷に広がる街並みとは明らかに不釣合いで、向こう側に広がっている空港と同じく、いかにも”最近作られたもの”であることが分かる。

 目的が第一であって、あまり景観に気を使ってはいないようだ。

 尤も周囲には他に見るべきものが多すぎて、こんな建物には誰も目を向けないだろうが・・・・。


 この建物の名は『アルタニカ魔導科学研究所』。

 その名の通りヴィクシオンの根幹を成す『魔導科学』について研究する機関であり、アークローヴ国内では最も盛んに研究が行われている場のひとつでもある。

 そしてその建物の玄関の前に、一人の男が立っていた。

 男は元老議員であることを示す純白のローブを羽織っており、背はやや低く、頭髪は中央のラインだけが薄く禿げかかっている。

 そう、誰あろう、かのバイル・ラオ・シディナスだった。

 彼がその場で立って待っていると、やがて建物内から足音がしてきて、白衣を着た男性が出てきた。彼も眼鏡をかけている――ただし背は高いが。

 辺りをきょろきょろ見回していた彼は足元に視線をやって、そこに立っていたバイルに漸く目をとめると、嬉しそうな表情をして言った。


「―――ああ、お待ちしてましたよ」


 その言葉を聞き、バイルがにっと笑った。

 それが彼が、その日になってから初めて見せた笑顔だった。

 ・・・・・・・いや、別に誰かが見たがっているという訳でもないだろうが。



* * * * * *



「研究は進んでおるかな?」

「ええ、それはもう、お陰様で・・・・・・・・・」


 建物内の廊下をバイルがつかつかと進んでいき、その後ろに先ほどの白衣の男が続いている。

 どうやらここの所長らしいが、それにしてもバイルに対していやに丁寧である。


 入館してから二つほどドアの前を通り過ぎ、廊下の突き当りを右に曲がると、そこに金属製のドアがあるので所長の男性がそれを押し開ける。

 開けたドアの向こうには、同じく白衣を着た6、7名の男女が立っていた。

 開いたドアからバイルが先に入っていき、続いて所長の男性が入室する。

 全員、部屋の中央に置かれたケースを眺めていて、時折手元の表に何か書き込んだり、部屋の奥へ移動して機械の出力を調整したりしているが、所長の男とバイルが側を通ったときは、そちらに気がついて一礼したりしている。

 所長の腰の低い態度といい、元老議員ということを差し引いてもバイルはここでは何か特別な存在であるらしい。


「・・・・・・・・それで、分かったのか?これの正体は」


 研究員たちが観察しているケースの表面に手を触れながら、バイルが言う。

 彼らが視線を注ぐのは、テーブル上の透明なガラス箱の内部。

 その中央に大人のこぶし大ぐらいで、深い青色をした鉱物が置かれている。

 見た目は大分汚れていて、楕円形の球体がところどころ欠けているようだ。

 この物体に、ガラスケースの外側から伸びる何本ものコードが繋がれており、部屋の奥に置かれた機器へと様々な情報が集められている。


「残念ながら、神魔晶ではないようでした。・・・・・詳しくは向こうで説明しますが、計測した限りヴィクシウムの純度は一般的な神魔石と大差ありませんし、付着物の分析からも、これがごく最近の物体だということが示されています」

「そうか・・・・・・・・・・」


 所長の話を聞いたバイルは、大分残念そうな顔をしていた。

 議会の出入り口で見せていたのとはまた違うが、かなり人間味ある表情である。

 わくわくして待っていたものがとんだ期待外れで、一気にガッカリさせられたときの子供のような表情だ。

 しかし所長のほうは、それほど落ち込んでいる風でもないのであった。


「ですが、多少分かったこともありました。今回はそのこともお話したかったんですよ。あ、立ち話もなんですので、とりあえず、こちらの部屋へどうぞ」


 そう言ってバイルを誘導する所長。

 二人は研究員たちの後ろを通り過ぎると、そのまま研究室の奥の扉から、その向こうにある応接間へと入っていった。

 と、二人がいなくなったところで、ソレまで黙っていた研究員の一人が、隣にいた別の研究員にひそひそ話しかけた。


「・・・・・・・・おい。おい、誰だあのおっさん」

「なんだお前、知らないのか? 元老議員のバイル・ラオ・シディナスで―――」

「違う違う、そういうことを聞いてるんじゃなくてよ。どうして所長があんな丁寧なんだ、っていう・・・・・・・・・」

「ああ、そのことか・・・・・ってソレも知らないのかよ。いいか、よく覚えとけ。あの人がな、ウチのスポンサーなんだよ」

「え!? よもやこんな研究所に金出す奴がいたとはね・・・・・・物好きな野郎だ」

「自分で言ってどうすんだよ。つか、その金でメシ食ってんだぞ俺たちは」


 彼らの会話にあったとおり・・・・・・・・・・。

 バイルはここ、『アルタニカ魔導科学研究所』を支援する代表的人物であった。


 彼らの会話の内容についてもう少し詳しく説明しておくと、そもそもこの研究所は、アークローヴのとある科学者によって設立された私設の研究機関であった。

 国内で魔導科学を研究する場といえば政府直属の皇立魔術学会がメジャーであったが、そちらではある理由から研究上の制約が大きく、扱えない部門も少なくなかった。


 別に、設備が整っていないわけではないのだ。

 むしろ部屋や機器などの単純な設備投資に限って言えば、国内最大級と言っても過言ではない規模を有しているだろう。

 ・・・・・・・だがそれは、政府直属だからこそ可能となっていることである。

 問題はその点なのだ。政府直属ゆえ、その研究費が国庫から捻出されている。

 つまり国民の税金を使っていることになるわけで、必然的に、そこで優先されるのは国家の利益に繋がる研究である。

 例えば、より高純度な神魔石の生産法とか。あるいは新型魔術の開発とか。


 実益に繋がらないと思われる研究は、あまり歓迎されないのである。

 そしてここ、アルタニカ魔導科学研究所で行われているものはまさにソレだった。

 『神魔晶の研究』

 『”天王の方舟”探査計画』

 この研究所がやっているのは、そんな内容ばかりであった。

 創設者は当初、皇立魔術学会で前者をやろうとしたがアッサリ却下されたという。

 「実在する根拠の無いもののため、予算を割くわけにはいかない」

 それが学会側の言い分であった。

 ”天王が建てた国”と言われるまでに創世神話の影響が根強いアークローヴであったが、やはり政治の上では、『神話は神話』と割り切ってしまう部分もあるらしい。


 これが今から二、三百年前のことであったなら、あるいは可能だったかもしれない。

 実際、建国初期のアークローヴでは各地方の伝説などを元に調査隊を結成し、”鋼の竜神兵”=ディゴネイドの探索が行われた公的記録も残っている。

 また現在でも、アークローヴ憲法に政教分離を明文化する法は無かった。


 だが天王教が国教という訳でもなく、また時代の変遷と共に、天王族を信奉する市民も以前ほど多数派ではなくなってきていた。

 その傾向は特に、貴族より平民層に顕著に見られた。

 そんな風潮の中で、国家予算で神話の遺物を探索しようなどと提案したところで、その案がすんなり受け入れられるハズも無かった。

 やはりどう足掻いても、時代は変わるものだということである。

 尤もバイルの抱く不満の一端は、そういう部分にあったワケだが・・・・・・・・・・。


 いずれにせよこの研究所にいる限りは、そういった研究に手を出すことも可能だった。

 たとえソレが憶測に基づく研究や調査であろうとも。

 出資者が許容する限りは、如何なる内容であろうとも許されるのだ。

 まぁ、逆の見方をすれば出資者の意向に沿わせないと彼らも危ないのだが。

 この研究所が解明したがっている内容に限っては、その心配も皆無だった。



* * * * * *



「本当にアレは、神魔晶では無かったのか?」

「間違いありません。谷底で見つかったのは、おそらく輸送中のものが何かの弾みで落下したのだと考えられます。なにより、本物の新魔晶であれば、ヴィクシウムの純度がもっとずっと高いはずですから」

「むぅ・・・・・・・・」


 バイルが諦めきれずに再度、例の青い鉱物の正体を尋ねていた。


 数日前にアルタニカ郊外の谷底で見つかった正体不明の球体は、当初、その汚れ具合や発見場所などからアルタニカ魔導科学研究所内部では、神話に記述される伝説のエネルギー結晶『神魔晶』ではないかと騒ぎになっていた。

 古代の遺物にロマンを求める彼らのような人間からすれば、そんな、人間が普通入り込まないような場所に近代文明の産物が見つかるだけで、すぐさまそれはオーパーツの発見かと期待を高めるものである。


 もちろん、科学的分析を行えば真偽はすぐに判明するものなのであるが。

 期待値が先行している彼らのような人間は、大抵事実関係が明確にならないうちに歴史的発見だと騒ぎ立て、その後世間の失笑を買うというのが典型的なパターンである。

 まぁ今回は、そうでもなかったようだが。


「・・・・・・・ところで、所長。さっき言っていた、新発見というのは?」

「え? ああ、まあ別に、新発見というほどのことでも無いのですがね・・・・・・」


 バイルが期待に胸を躍らせて聞いてきたので、所長はちょっと遠慮気味になる。

 こういう話は大体、期待しすぎると後でガッカリする羽目になる。

 谷底に落ちた神魔石を、神魔晶かと勘違いしたように。

 所長は言った。


「バイル氏は、人間が引き出せる魔力量に限界があることをご存知ですか?」


「多少、聞いた記憶はある。たしか人間の体格ではどれほど優れた魔術師であっても、流れ込む魔力がある一定の量を超すと肉体が耐え切れずに破壊され、命を落とすとか・・・・・・・・・・・・」


 バイルが、記憶の糸をまさぐりながら言った。


「人間に限らずあらゆる物質は、流せる魔力の量に限界を持っていますからね・・・・。限界を超えてエネルギーを流そうと無理をすれば、最後には発熱し、下手をすれば爆発事故にも繋がります。・・・・・・この上限が一番高いのが、ヴィクシウムですな」

「・・・・・そういえば一度、魔術学会でもボヤ騒ぎがあったな」

「しかし、最も重要なのは」


 所長は続けた。


「物質の耐久度異常に、ソレを扱う生物の、精神力です」


「精神力?」

「危険を顧みなければ、限界を超えて魔力を流すことも理論的には可能と言われています。しかしその場合、正確に魔術が発動できるかは疑問です。何故なら魔術を使うには、取り込んだ魔力の流れを使用者の意志で操らなければいけないからです」

「ふむ」

「魔力から得られるエネルギーは、莫大なものです。魔術を使う場合はそれら全てを制御し、望む形へと変換してやらなければいけない。神魔晶が実在するとして、もしその正体が通説どおり”ヴィクシウム

の純度を極限まで高めた神魔石の一種”だった場合・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「我々がそれを再現するには、ほぼ間違いなく精霊の力を借りることになるでしょう」


 所長はそこまで一気に言ってしまってから、一端息をついた。

 バイルが驚いた表情をして黙っている。


「精霊の力・・・・・・・・か」

「というか、そうでなければ不可能なのです。神魔晶にどれほど巨大な魔力を封印したところで、人間レベルの生物ではどうやっても制御しきれない。機械の力を借りても同じことです。その点、精霊ならば膨大な魔力を一度に制御可能ですし、だからこそ『契約』が必要な魔術も存在します。まぁ、」


 そこで所長は言葉を切り、バイルに気を遣ってこう付け加えた。


「あるいは天王族が、精霊並みの精神力を有していたのかも知れませんが」


 それを聞いてバイルが、再びニッと笑った。


「きっと、その両方だ」

「は?」

「偉大なる天王が、魔力を制御できなかったなどとは考えにくい。それに、聖典にも書かれているだろう? 『精霊と天王は友であった』と」

「え? ああ、まぁそれは・・・・・・・」

「何より、」


 バイルはことさら語尾を強調し、机に身を乗り出してきて言った。


「制御不能な神魔晶の話・・・それが確かなら、聖典にある天王の都を消し去った爆発も納得がいくというもの。魚人どものことだ・・・偉大な神の道具を使おうとしたが醜くて精霊の力を借りられず、暴走させたんだろう。・・・いや、そうに決まっている。魚人族はそういう連中だ」


「は、はぁ・・・・・・まぁ・・・・・・いや・・・・・・バイル氏の仰るとおりですな」


 所長は苦笑いしながらも、適当に話を合わせることにした。


 バイルにとって魚人族は諸悪の根源である。

 この地上にある不幸も悪事も、全ては魚人族の仕業となる。

 そのことに、所長は大分前から気がついていた。

 何故ならどんな話をしていても、ふたこと目には魚人族を蔑む台詞が入ってくるからだ。


 所長は天王教徒という訳でもなかったし、格別魚人族に敵意は抱いていなかった。

 だが実際、あちこちで起きる海賊事件のことは耳にするし、何より余計なことをして、バイルの機嫌を損ねたくはなかったのだ。

 下らないことでスポンサーを失ってはならない、研究さえ出来ればいい。

 そんな所長にとって、バイルの思想などは正直どうでもいいことであった。



* * * * * *



 『エルセムダの楽園』

 天空の彼方にあるとされる神々の都は、天王教徒たるバイルにとって人生最大の憧れであった。

 死することでしか辿り着けないとされるその場所に、いずれ全ての人民を率いて帰還する。

 それがバイル最大の目標であり、使命でもあると考えていた。


 自分が天王教徒であることを意識したのは、十五の時であった。

 それまでは特に、大した自覚は無かったのだが。

 その年のある日、地元の教会に行っていつも通り牧師の説法を聞いているうちに。

 自分たちが世界に平和をもたらした神々の子孫であると聞いて。

 何故か急に、猛烈な名誉と使命感が湧き上がってきたのを記憶している。

 何がキッカケだったのかは未だによく分からないが。

 確かに自分はそのときから、”天王教徒である”ことを誇りに思うようになっていた。

 そしてその想いは、日増しに強くなっていた。

 限界を知らずに膨らみ続けていったのだ。

 天王族への崇拝も。それに比例するかのように、魚人族への憎悪も。



 アークローヴ貴族層に、いわゆる原理主義者は少ないとされている。

 その文化と神話との関係度を考えると少々意外な気がしないでもないが、実際この理由は、それこそ”文化と一体化しているから”に相違なかった。


 言ってみれば彼らにとって、天王教とは生活そのものなのである。

 例えば生まれたときには洗礼を受け、少し成長すれば教会へと赴く。

 牧師たちの説法を聞きながら育った子供はいつの間にか、”神”の存在を全ての前提とした価値観・世界観を作り上げる。

 そしてそれは信仰する、しない以前の問題である。

 何故だかは分からなくとも、ただ何となく、そういう世界なのだと認識しているのだ。


 宗教の影響は、強くなりすぎるとかえって『宗教』としての意識が薄れる。

 なぜならばソレを”生活の一部”として育ってきた子供などは、”信仰心”を意識しないまま”神”の存在をすり込まれているからだ。

 だから”神”の存在自体は一事実として肯定しても、”魚人を憎め”という教義自体はそこまで意識はしないのだ。


 もちろん、意識しないからこそ『よく分からないが嫌いだ』などという人間も出る。

 だがよく分からないからこそ、『何故憎むか分からない』人間もいる。

 無意識のうちに宗教が信仰されているということは、いつの間にかこういった複雑怪奇な矛盾現象を引き起こしてしまうのだ。



 そして一番問題なのは。

 そういう”無意識のうちに信仰していた”人間が、ある時から突然、意識した教義に忠実になりだして、原理主義者と化す場合である。

 こうなってしまった場合、彼らは厄介だ。

 何故ならば、理由も無いまま信じ込んだ教義は、彼らにとっては「考えるまでも無い」ものになってしまうからだ。


 そう、バイルもそういう人間だった。

 本人が意識しているかは不明だったが、彼にとって天王族の正義は”絶対”である。

 そして、魚人族とはすなわち悪である。


 「魚人族と交流した」という話を聞くたびに彼は吐き気がする思いだったし、天王への恩義を忘れて酒盛りに興じる連中は見るに耐えなかった。

 神話時代に天王族が拠点とし、また国家を建てたのがこのアークローヴの原型である。


 聖典ヒストロード=ヴィクシオニス―――いわゆる『天王言行録』が書かれ、広まりだしたのもここオーディム大陸の、現アークローヴ近傍が初とされている。

 その誇り高き文化と血筋を今まで受け継いでおきながら天王に尽くそうとしない人間を見るたびに、バイルは腸が煮えくり返る思いであった。


 元々、彼が政治家となったのは天王の意志を少しでも実行していくためであったが、その目的には現在、余りにも多くの壁が立ちふさがっていた。

 バイルからすれば、天王の子孫としてアークローヴには世界を統治する義務がある。

 場合によっては武力行使も辞さぬ形で。

 アークローヴにはその資格があると考えていたし、なにより神の意思に従っている以上、自分たちの行動は世界の如何なる法よりも優先されるべきだからである。


 その思想を否定する論理は、バイルには『詭弁を弄する行為』にしか映らないし、自分たちの正当性は「自明の理」であり「考えるまでも無い」ことなのである。

 しかし未だ、その思想を理解できる賢い人間には出会わなかった。



* * * * * *



 夜。アルタニカ国際空港。

 純白のローブを暗闇の中ではためかせ、バイルは航空機に搭乗しようとしていた。

 これよりサンディスト大陸に飛び、魚人族撲滅を目指すハイアド共和国の政治家、ジラファス・シドナーと会見するためである。

 ハイアド共和国と言えば、名君ハイアド七世が処刑されてから43年になる。

 「時代錯誤」との風当たりが強い中で頑なに正義を貫くジラファスの姿に、以前からバイルは深い感銘を受けていた。

 彼と会見を終えた後は、更にアクィエル大陸にも飛ぶ予定だ。


 すべては天王の―――いや。

 ヴィクシオンに住む全ての民のための行動だったのである。

 この世界に、真の平和と安らぎを呼び戻すために。

 誇り高き天王の子として。


 バイルは己の目的を反芻した後、ふと背後の暗闇を振り返った。

 高原の上に広がる街並みから、その勢いを示す黄色の光が見え隠れしている。

 その光の方向から時折寒風が吹き付けてきては、バイルの頬を撫でた。

 その光景を見たバイルは、しばしの間立ち尽くした。

 その間はどんな意味があったのか。

 しばらくして思い直したバイルはさっとローブを翻すと、航空機へと乗り込んだ。

 純白の布のすそがドアの内側へと吸い込まれていったと同時にドアが閉まり、彼は長い航路の始まりへと向かっていった。

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