外伝 天王教徒の一日 原理主義者 前編【サンディゴナの牧師 アルフェディスの場合】
爽やかな朝。端的に言い表せば、そんな具合であった。
澄み切ってひんやりした空気の中、海岸に打ち寄せる小さな波の繰り返しだけがその漁村を覆っている静けさを時折かき消していた。
何の変哲も無い、平々凡々とした朝の訪れ。平和とはこういう光景を言うのだろうか。
サンディスト大陸西部、サンディゴナ西海岸の漁村ザムシア。
ヴィクシオンの裏海洋に面する、一見すると普通すぎる村はまたその日も、いつもと何ら変わらぬ一日を迎えようとしていた。
そんな平和そうに見える村の中ほどにいくと、”ある建物”が見えた。
そしてその途端に、その場に妙な雰囲気が漂い始める。
ある種、異様な雰囲気。違和感と呼んでも差し支えない。
どう異様かと言えば、周囲の建物全てが木造・平屋建ての民家であるにも拘らず、たった一軒建っているだけの”その建物”だけは明らかに石造り。
建物上部の塔の頂上までの高さも、目測だけで周囲の民家の数倍はある。
さらに塔の尖った部分が始まるちょうど根元のところ、入り口の上端より、更に5,6ミルトほど上がった辺りにアーチ上の空洞がぽっかりと開いている。
今にもそこから何かが飛び出してきそうだ。
建物の正面についている入り口も、アーチ状の構造を持った木造の”巨大な門”。
端的に言えば、浮いているのである。漁村の景観におおよそ似つかわしくない。
だが実は、この建物自体はヴィクシオン全体で見れば、ごくありふれた存在であった。
何故ならばそれを建てた集団というのは、現在世界的な勢力を誇る宗教団体だからだ。
そう―――この建物を建てたのは、何を隠そう天王教。
これはその教会、『天教殿』だったのである。比較的小さめではあったが。
そしてその天教殿の中では既に、起き出した信徒達による朝の祈りが行われていた。
多数の椅子が並べられた”聖堂”の内部には十数人の信徒が立ち並び、手を組み、目をつむり、押し黙って天の神々への祈りを捧げている。
彼らは住み込みの信徒だった。教会内の部屋で寝起きし、食事をし、そして祈る。
それも同じ部屋で同じ時間帯に。
起きる時間と眠る時間は決められていた。寝坊や夜更かしなど決して許されはしない。
これが一般人からすると結構な苦行に感じられるものなのだが、意外にも、彼ら自身はさほどの苦痛には思わないのであった。
何せ神に仕えているのだ。ヴィクシオンの過去と、現在と、未来のために。
教会内の規則は厳しくはあったが、同時に、彼らにそれほどの生き甲斐を感じさせるものは無かったのだ。
それが多分、彼らにとって一番の原動力ともなっているのであろう。
その証拠に、目を閉じ祈っている信徒達の表情は、心なしか爽やかである。
そして、そんな信徒達の前に堂々と立ち壇上に構えているのは、この教会で最高の地位と名誉を有する天王教の牧師。
つるりと禿げ上がった頭に、齢六十近いわりにいやにシワの少ない顔。
厳しそうな表情で目をつぶり、他の信徒たちと同じく天王への祈りを捧げている。
彼の名は、アルフェディス。
洗礼の日、天王より与えられた偉大な名前であった。
* * * * * *
「マリク、僧衣が曲がっておるぞ・・・・・・・・・・・・・しっかり着なさい。エヴィナ、何度も言うようだが”天王の鐘”を磨くときは隅まで丁寧に、やるのだぞ。」
アルフェディスが、弟子に当たる信徒たちに指図している。
指示された信徒たちも、文句も言わず黙々と作業をこなしていく。
朝の祈りを終えた後、彼ら天教殿の僧侶たちはまず狭い食堂で一同に介し、そこで一般信者からの寄付によって用意された食事を口にした。
メニューはもちろん、質素なものだ。
ブレッダ粉を煉って焼いたパンの薄い一切れに、雌のビブークから搾った母乳。
祭事などの際には多少豪華なレシピが用いられることもあるが、それらも実質、量だけが少々増え、ぜいたく品を入れないようにした精進料理であった。
天王に仕える者として、贅沢な暮らしなど出来ようハズもないのだ。
その後使った食器を片付けると、とうとう教会の内と外の手入れが始められる。
信徒の半分は室内の掃除を担当する。
堂内にある数十の椅子を拭き、入り口と祭壇のホコリを払い、安息日に使う鐘を磨き上げる。
そして、もう半分の信徒たちは外に出る。
窓を磨き、入り口までの石段を掃き、ついでに教会前の路上まで掃除する。
アルフェディス自身は、それら全ての作業を見回って落ち度がないかチェックし、その他こまごまとした事を弟子らに指示していくのだ。
そのうちに日が昇ってきて、次第に往来を行き来する人が現れはじめるが、
信徒たちは彼らへの挨拶も欠かさない。天王教徒か否かを問わずに。
笑顔で、爽やかに挨拶するのだ。
実際この教会自体は、サンディストの一地方にある小さな支部に過ぎない。
だが日々これと接して生活しているザムシアの人々からすれば、彼らは天王教を代表しているも同じなのだ。
天王の意思を受けた者の一人として、市民との友好は第一に考えなければいけない。
彼らの行動ひとつが、天王教への印象自体を大きく変えてしまう可能性だってあるのだ。
だから人々へは常に謙虚に、感謝と愛情を持って接する。
横柄な態度など持ってのほかなのだ。
もちろんその辺りは、教会の指導役であるアルフェディスがよく言って聞かせていた。
アルフェディス自身も、ザムシアの人々からはよく慕われていた。
信徒か否かによらず、教会を訪れてくる市民の相談ごとには積極的に応じていたからだ。
場合によっては弟子の何人かを、市民の手助けに向かわせることもあった。
別に下心はない、つもりだ。
ヴィクシオンを導く者の一人として単純に人々を助けられればいいと思っている、つもりだ。
だからアルフェディス率いる天王教の教団は、ザムシアの人々からは極めて友好的に受け止められていた。
とてもイイ人たちだと。
そう、確かに彼らは基本的にイイ人たちなのだ。”あること”が起こらないうちは。
* * * * * *
「うわっ、ひでぇ!」
ザムシアの港に集まった漁師の一人が思わずそう言った。
その日の昼ごろ、潮の香香るザムシアの港に百人近くの市民が集まってきていた。
ディピオーラ洋上へと遠洋漁業に出かけていったハズの町の漁船が、およそ二週間ぶりに港に戻ってきたからだった。
群集の三割ぐらいは、戻ってきた船の乗員の家族たちだ。
だが当の船はといえば、それこそ思わず声を上げずに入られないほどの破損ぶりだった。
本当にボロボロになっていたのだ。帰ってこれたのが不思議なぐらいに。
ディピオーラへ遠洋漁業に出ていたその中型漁船は、住民たちの記憶では、わずか数ヶ月前に新調されたばかりのものであったハズだった。
ところが今の状態はどうだろう。
船体を覆っていたメッキの殆どは剥げ落ちてしまって、鉄の素体が剥き出しになって錆び付いている。船体各所についていた艤装も無くなっている。
船首に取り付けられていた長いポールは途中で折れ曲がって、そこからサンディゴナの国旗が半分破けた状態で垂れ下がっている。
何より目を引くのは、錆び付いた船体に刻まれた、まるで何かに引き裂かれたかのように見える一直線の三本の傷だ。
爪あとのようにも見える。幸い貫通はしていないようだったが、一体どうやったら、船にこんな傷を負わせられるのだろうか。
ディピオーラに生息する海竜・ケムルヴィアでさえ、このサイズの船は襲わないハズなのに。
何が起こったのか得体が知れず、みな一様に不安に駆られた表情で見守る中、何人かの男たちが縄梯子をかけて足掛かりにし、調査をすべく船内へと乗り込んでいった。
そしてそれが、彼らに残酷すぎる真実を突きつけることになるのだった。
数十分後。ザムシアの港には、女子供の悲痛な叫び声が響き渡っていた。
無理もない・・・・・・僅かな望みをかけて無事を祈っていたところに、5人もの船員が息絶えた状態で運び出されてきたのだから。
しかもその全員が妻子持ちだったというのだから、人々の絶望は察するに余りある。
もちろん、愛する夫や父親が亡くなったということが第一の要因にはある。
だがそれと同時に、残された妻子のこれからの生活のことも考える必要があるのだ。
漁師の父親という一家の働き手を失ってしまって、このままいくと、端的に言えばその家族は路頭に迷うことになり兼ねないのだ。
大事な働き手を5人も失ってしまって、これからどうやって食っていけばいいか分からない。
そういう意味での嘆きでもあったのである。
そうでなくとも、こういう小さな町の住民たちというのはそもそも連帯感が大きい。
だから、直接の家族ではない人たちの間でも、同情の涙が流されていたのだった。
そんな絶望に覆われたさなか、調査をやっていた男たちの中の一人が船内から出て戻ってきて、船外で待っていた別の男たちに報告に駆け寄ってきた。
その顔は、耐え難いほどの苦しみと怒りに歪んでいる。
「駄目だ・・・・・・・滅茶苦茶にやられてる。艦橋も船室も水浸しだ。」
「何だってこんな目にあったんだ? 海もまだ嵐の来る時期じゃねえよな?」
「そいつは生き残った奴に聞くしかねえが・・・・・でも仮に嵐にやられたとして、それでもこいつは酷すぎるぜ。風雨をいくら浴びたって鉄製の船体が裂けるか、普通?」
「だよなぁ、ルパートが奮発して買ったやつだってのに・・・・・・」
そう言って男の一人が、傷だらけの船体に目を向ける。
嵐などの自然現象は確かに、時にすさまじい猛威を振るう。だが、それでも限度はある。
何十年も利用してきて老朽化していたというならば話は別だが、数ヶ月前に進水したばっかりの新造船が雨や風如きで引き裂かれるハズはない。
と、そのとき、それまで船内を調べていた別の男一人が甲板上に飛び出てきて、船を取り囲んで泣いたり喚いたりしていた群衆に向かって叫んだ。
「おい! まだ生きてるのがいたぞ! 全部で3人!!」
要点だけを伝える簡潔な、男の報告。
だがその言葉を聞いた途端、それまで泣き叫ぶだけだった人々の間から、少なからず喜びと安堵の声が聞こえてきはじめた。
たった三人ではあるものの、僅かでも生きて帰ってきてくれた者たちがいるという事実に、被害者の家族として、また同じ町の仲間として、確かな喜びを感じているのだった。
報告をした男はというと、すぐさま自分の役割は済んだとばかりに踵を返し、再び船内へと駆け戻っていった。生きていたならば、すぐ船外に運び出してやらねばなるまい。
* * * * * *
しばらくして傷ついた船内から、3名の生存者たちが順に担ぎ出されてきた。
担架に乗せられ運ばれていく男たちを脇目にしつつ、先ほど3名の生存報告をしていた半そでにハチマキの漁師の元に、報告を聞こうと最初と同じ男たちが集まっている。
「これで全員か?」
ハチマキの男に向かって、仲間の一人が尋ねる。
「ああ、船中調べたが、もういねえな。しかし8人中5人も死んでるとは・・・・・・・」
「―――おい、ちょっと待て。8人ってこたねえだろ。出港したとき、こいつにはルパートも含めて全部で10人乗ってたハズだぞ。残りの2人は?」
「じゅう・・・・・・・・は!? 10人だって!?」
「残りの2人はどうしたんだよ、しっかりしろよ!」
「馬鹿野郎、俺に怒鳴ったって分かるワケねぇだろっ!」
気が立っているためか漁師たちも知らぬ間に語調が荒くなり、思わず揉めそうになる。
そのとき、彼らの脇を通り過ぎようとしていた担架の上から声がした。
「あいつらに・・・・・・・やられた・・・・・・・・」
集まっていた男たちが咄嗟にそちらを振り向くと、3名の生存者のうち、最後の一人である人物が担架の上で必死にこちら側を向き、声を振り絞っていた。
大破した船の持ち主、ルパートその人である。
「ルパート、生きてたのか! 良かった!」
「待ってろよ、すぐに美味いもん食わせてやっからな?」
「あいつらに・・・・・・・・やられた・・・・・・・・」
ルパートは、ただひたすらその言葉を繰り返すだけだった。
飢えと渇きでのどがガラガラで、息をするのも辛いといった様子であるにも拘らず、何とか力を振り絞って自分の遭遇した出来事を伝えようとしている。
渇き、というと一瞬なんだか不自然なようにも感じられるが、間違ってはいない。
海にあるのはあくまでも塩水なのだ。飲むのは不可能だ。
雨でも降れば真水は得られるが、生憎この六日間は最低の晴れ模様続きだった。
仲間の一人が、ルパートの声を何とか聞き取ろうと耳を近づけた。
「ルパート、悪いがもう一回頼む・・・・・・今なんていった?」
「あいつらに・・・・・・・・・・あいつらにやられた・・・・・・・・・」
「あいつら? あいつらって何のことだ? 船に何があったんだ?」
「ロディナン・・・・・・・・セルヴィア・・・・・・・あいつらに連れて行かれた・・・・・・・・」
聞いていた男たちの表情が、さっと凍りついた。
ロディナンとセルヴィアとは、船内に見つからなかった二人の名前である。
本当に、船に何があったというのだろう。男たちは、ますますルパートの声に耳をそばだてた。
「夜・・・・・・・甲板にいたら・・・・・・・いきなり・・・・・・・・・・」
* * * * * *
「つまり、魚人族に襲われたというのですな? その船が」
椅子に腰掛け、それまで黙って話を聞いていたアルフェディスが口を開いた。
そこは、天教殿の中だった。ザムシアに場違いに建っている、天王教の教会。
その中の、信者の相談などに使われる聖堂横の小さな個室。
その部屋の中央に置かれた椅子にアルフェディスが座り、木製の机を挟んで反対側に、港で船を調べていた漁師たちの中心にいた、リーダー格の男が身を乗り出して座っている。
その表情は、今にも沸騰寸前といった具合だ。
彼の背後には他の漁師たちも立ち並んでいるが、いずれの表情も極めて険しい。
彼らがアルフェディスに語ったところによれば、二週間前にディピオーラ洋上へと遠洋漁業に出かけたザムシアの漁船が今日の昼に突然、港に戻ってきた。
新品だったはずの船は、異常なくらい滅茶苦茶に破壊された状態。
船内に乗り込んでいた漁師10人のうち5人は死亡、2人は行方不明。
そして船の所有者でもある生存者の一人の証言が正しければ、出港の五日後、深夜に漁船を襲撃してきたのはかの悪名高き魚人族の一団だったというのである。
不意をつく形で襲ってきて魚網を切り裂き、舵輪を破壊し、船員を魔術のような力で攻撃してきた。
そうしてたった数分の間にクルーの殆どが負傷させられ、もし機関室までがやられていたとしたら、船は帰ってもこれなかっただろうという。
そのことを語る生存者の一人は心の底から怯えたように話していたと、アルフェディスの元へと来たザムシアの漁師たちは、唇をかみ締めて言った。
今にも叫びだしそうな相談者たちの顔を見て、アルフェディスは更に尋ねた。
「その・・・・・・・行方不明の二人というのは?」
「それが・・・・・・・・・・・」
男は、ちょっと躊躇うように俯いてから、再び顔を上げて言った。
「魚人族に捕まって、海に引きずり込まれたとか・・・・・・・」
「なるほどな・・・・・・・・・おぞましい、魚人どものやりそうなことだわ」
アルフェディスが吐き捨てるように言う。漁師たちの表情は、心底辛そうであった。
「たった3人しか生き残れなかったなんて・・・・・・・・」
「残念だが、2人に減っちまった」
その声に、その場に集まった者たちが部屋のドアの方を見ると、生存者の看病についていたハズの漁師の一人が入ってきていた。
彼は静かに、そして悔しそうに言った。
「ルパートが、死んだ」
ドン、と机を叩く音。リーダーの男がこぶしを握り締め、怒りにぎりぎりと歯軋りしている。
アルフェディスは、その様子をじっと見つめている。男が、彼に向かって言った。
その目には、凄まじい憎悪の炎が宿っている。
「牧師さん、もう我慢の限界だ」
「ああ・・・・・今回だけじゃねえ。昔から、何度も何度も苦しめられてきた。もうたくさんだ!」
「ケマイアの連中だ、やつらが裏で手を引いてるに違いねえ!!」
「そうだ! そうに決まってる!!」
「今こそ奴らに、俺たちの怒りを思い知らせてやれ!!」
そうだそうだ、と同意の声で部屋中が盛り上がり始める。
ここ十数年、ディピオーラ洋上での海賊被害は増加の傾向にあった。
漁業にその生活の多くを頼るサンディゴナ西岸の住民たちにとって、ソレを僅かでも妨害されるというのは死活問題である。
ザムシアも例外ではない。
ところが国内で一箇所だけ、その問題で蚊帳の外にいる町があった。
それが、ザムシアより南方の港町、ケマイアであった。
この町の人々もザムシア同様、古くから漁業で生計を立ててきた町である。にも拘らず、この十年間、魚人族による海賊行為に晒されたという話が一件も聞こえてこない。
それどころか、その魚人族を町に住まわせているという噂まである。
海賊被害で年々生活の困窮してくるザムシアの人々にとってみれば、これは聞き捨てならないことだった。
もちろんこの状況は、単なる偶然の産物である。
ケマイアは漁村とはいえ、もともとは沖合いに出張る遠洋漁業よりも、浅瀬で実地される沿岸漁業のほうが盛んな土地なのである。
ケマイア近辺の海上に海流などの関係上、他所よりも魚の多数集まる海域があるためだ。
その性質上、陸地から遠く離れた場所での活動が行われる機会自体が少なく、必然的に海賊被害にも遭いにくい。そういう土地柄なのである。
だが、ザムシアの人々にとって、そんな事情は知ったことではない。
何より、家族が死に、友人が死に、生活が困窮していく一方であるのに。
自分たちが不幸に遭い続けているというのに。近隣のある町だけが無関係でいる。
自分たちだけが不幸でいる。そんなことは許せないのだ。
自分たちばかりが不幸に遭うなんて不条理だから。
だからソレがたとえ偶然であっても強引にでも説明付けようとする。
そう思わなければ到底、自分たちの身に訪れた不幸を受け入れられないから。
例えば”誰かの陰謀だ”とすれば、その相手に不幸の責任を問える。
ソレは無意識のうちに発動する、理不尽な目に遭い続けた人間の自己防衛反応なのだ。
そしてザムシアの場合、その対象はケマイアだった。
他の誰かを憎むというのは、自分の不幸を慰めるには一番手っ取り早い方法なのだ。
実際この状況は、アルフェディスにとっては実に好都合であったに違いない。
天王教徒である彼の魚人族への憎しみは、彼と接した市民の殆どに認知されていたが、”魚人族理解”が広がり始めた昨今においても奇異の目で見られたことはなかった。
ヴィクシオンの他の土地以上に、”魚人族を憎むには充分な背景”がザムシアには出来上がっていたからだった。
魚人族を殺せ、ケマイアに乗り込め、自分たちの怒りを思い知らせてやれ、と。
次第に部屋の中の空気は熱を帯び、留まるところを知らず盛り上がっていく。
ところがその時、アルフェディスが意外なことを口にした。
「やめたほうが、賢明でしょうな」
驚いたのは漁師たちだった。この町で、アルフェディスらの価値観を知らない者などいない。
自分たち以上に魚人族を憎んでいるはずの彼ならば、当然自分たちに賛同してくれると思っていたのに。
漁師たちは口々に叫びつつ、アルフェディスに詰め寄った。
「何故なんです? 貴方だって魚人族が憎いのでしょう!?」
「気持ちは分かるが、今行動を起こしても仕方がないということだ・・・・・。貴方がただって知っているはずだ。道義は必ずしも、法に準拠しているとは限らない。今報復に出るというならばそれも良いが、ハッキリ言って無駄死にですぞ?その場の怒りに任せて突っ込んで、そのまま逮捕されて、果たして亡くなった方々が浮かばれますかな?」
「だけども・・・・・・!」
「貴方がたの怒りはもっともなものだ・・・・・私だって吐き気がするような気分だ。だが、だからと言ってヤケになって貴方がたまで捕まったら、それこそ残された家族はどうなります?今度こそ魚人どもの思う壺ではないのですか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「世界は今、魚人の恐ろしさを忘れようとしている。だから現状では君たちの行動も理解されずに終わるだろう。世界が真に魚人の恐ろしさを思い出すその日まで」
そう言ってアルフェディスは、立ち上がった。
「待つのだ。待って、その時が来たらはじめて、正義のために立ち上がるのだ。家族のため、友人のために。その日までは、私が貴方がたの怒りを預かろう」
「うっ・・・・・・・・・・・」
気がつけば、漁師たちは涙していた。ぐっとこぶしを握り締め、壁を殴りつけた者もいる。
悔しくて悔しくてたまらない。仇をとってやりたい。でも、それは敵わないのだ。
今動けば自分たちの妻や子を、路頭に迷わすことになるから。その理不尽さ。
その様子を見ながら、アルフェディスが言う。
「だが、せめてもの救いになるならば・・・・・・・・・・・・・・・我々で可能な限り、最高の葬儀を
執り行いましょう。命は戻らないがせめて、無事に楽園へとたどり着けるように・・・・・」
「すまねぇ・・・・・・・・・牧師さん。」
ずっとアルフェディスと話していた、漁師たちのリーダーが涙をこらえながら言った。
「分かってくれんのは、あんただけだ」
「・・・・・・・・・宿命から開放されし者らに、神のご加護があらんことを」
「くぅっ・・・・・・・・・・」
* * * * * *
その晩、ザムシア天教殿の内部は大勢の人々で溢れかえっていた。
愛する家族の死を嘆く者。隣人の死を悼む者。
町に住む多くの者たちが聖堂内の座席へと座り、両手の指を組んで死者の安らかな眠りを祈っている。
その外の教会墓地では、暗闇の中に並べられた八つの棺の中に死者かその遺品が丁寧に収められ、その周囲を特に親しかった者たちが取り囲んで涙に暮れている。
並べられた八つの棺のうち二つは当然だが空っぽだ。
その光景がまた、いっそう悲壮感を煽る。
時折、わーんという子供の激しい泣き声が聞こえてくる。
果たして死というものの意味を理解しているのか、それともその雰囲気に威圧され反射的に泣いているのか、分からないが、とにかく悲惨な光景であった。
「アルファディナよ・・・・・・そなたの博愛によってワルアディナスの子らを舟に乗せ、エルセムダの灯火に従い彼らを楽園へと導きたまえ。宿命から逃れしとき・・・・・」
死者たちを収めた棺の前では教会に暮らす教徒たちが、二列に並んで頭をたれ、その最前列ではアルフェディスが、神妙な面持ちで死者の魂を送る言葉を捧げている。
そしてそのその言葉を、後ろに並ぶ弟子たちが復唱する。
世界を天王の手に取り戻すために失われた、いくつかの尊い命。
祈りの言葉を唱えつつも、アルフェディスは密かに感じていた。
自らのその背後で、来るべき聖戦の日の兵が着実に生み出されていることを。
ザムシアの人々を押し止めたアルフェディスであったが、間違っても魚人族との調和を考えていたわけではなかった。
漁師たちに語ったように、彼は”その日”を待っていたのである。
平和に慣れてしまった現在のヴィクシオンの民衆は、愚かにも天王族への感謝と魚人族への恐怖を忘れてしまっていた。
堕落した天王の子たち。
従って、世界を本来あるべき姿へと戻すには、いずれ”革命”を起こす必要があった。
だが――――アルフェディスには持論があった。
それはすなわち、『無暗な革命は”革命”ではなく”暴動でしかない』というものである。
たとえ道義の上では正当な報復も、法の上では正当とされない。
現に数ヶ月前、アクィエル大陸での大臣暗殺事件を火種とし首都サンディゴノスで発生した『ケマイア市民襲撃事件』でも、報復に足る正当性を有しているハズであったにも拘らず、参加した多くの市民が逮捕されていたのである。
ここまで堕落を極めてしまった以上、真に世界を清浄に帰すには愚かなる人民全てが魚人の恐ろしさに気が付き自ら天王への救いを求めるようにならねばならない。
アルフェディスは世界の変革を―――革命を望んでいたのだ。
だが、堕落しきった現状ではそれすらも敵わない。
真に革命を起こすには、それだけ”期が熟す”まで待たなければならなかったのだ。
さもなくば、民衆を率いてケマイアに攻め込んだは良いが魚人族の逆襲にあって逃げ帰ってきた、サンディゴノス教会の牧師のような醜態を晒しかねないからだった。
魚人族を憎むアルフェディスだが、考え無しに動くほど馬鹿ではなかった。
全てを変革する”その日”に向けて、彼は世界の片隅で動いていたのだった。
価値ある犠牲。
そんな言葉が一瞬アルフェディスの脳裏をよぎったが、間違っても口には出さなかった。
何しろ、自分はザムシア市民にとって”唯一の理解者”だったのだから。
その晩、砂漠を吹く風には微かに涙の匂いが混じっていた。




