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外伝 神竜教徒の一日 前編【ベリアの漁師の妻 ローラ・ラングバルトの場合】

 ピィピィピィピィ・・・・・・・・・。


 やわらかい日差しが入り始めた港町・ベリアの民家が連なった人工の尾根の上に、夜明けを告げる小鳥―――ユーギスの声が響き渡っていく。

 夏場のうだる様な暑さでさえも、このひと時だけは穏やかな音と共に和らぐ。

 鳥達の発した天然の目覚まし音は小汚い家々の間をすり抜けていくと、しっかりと閉じられた窓に開いた僅かばかりの隙間を通過し、その女性の耳元へと伝わっていった。

 早朝を告げるいつもの音が耳に入った途端、彼女はぱっと目を見開く。

 被っていたたった一枚の薄い布団を押し退けると、さっさと上半身を起こすその女性。

 彼女は一言も発さず起き上がり、黙々と布団を畳んで部屋の隅に片付けると、すぐさま寝巻きから家事に取り掛かるときの服装に着替えた後、台所へと直行した。

 そこで、棚から石でできた半透明の小さな器を取り出すと、別の棚から取り出した鉄製の壺の蓋を開けて中に入れ、器を聖水でいっぱいに満たす。

 何せ神に奉げるものなのだ・・・・・・・。


 器が水でいっぱいになると、今度はそれを手にしたまま、屋内の別の部屋へと移動する。

 彼女が静々と入っていって正座した部屋のその奥には、やけにゴテゴテした形状の石像が置いてある。

 濃い灰色で、鋭い爪を供えた長い腕が六本。大きく広げられた翼と長く湾曲した一本の尾。

 そして何より、かっと見開かれた目をその先端に持つ、角が生えた蛇のような形状の頭部。

 窓の隙間から差し込む光を浴びて暗闇に照らし出されているが、神々しいというよりはむしろ禍々しいといった雰囲気だ。

 これがオーディヴァングなのだと言っても誰も信じようとはしないだろう。

 何せ、本物よりもかなりデザインが誇張されている。


 ところが像の前で正座した彼女はというと、手にした器を像の足元に納めたかと思うと、一歩像から後退し、目をつぶるとおもむろに手を合わせて拝み始めたのだ。

 そう、一見すれば禍々しい怪物のような存在でしかないソレも、彼女にとっては敬うべき対象であるのだ。彼女は神竜教徒なのだ。


 しばらくして、彼女が目を開けた。

 その日の朝一番の祈りは終わった。次は昼だ。

 ちなみに彼女が願ったことというのは、”竜の加護”である。

 破壊神シヴァナとその子孫の化身たるオーディヴァングは、”悪”と”罪”を破壊する。

 だが敬虔な”竜の民”には特別に守りを与え、その日降りかかるであろう”不幸”と”障害”をも破壊する。その加護を願うため、彼女は祈っているのだ。

 夫が、息子が、その日一日を安全で平穏に過ごせますようにと。

 それが、妻であり母である彼女の――――ローラ・ラングバルトの責務であるのだ。

 祈りを終えたローラは、ゆっくり像の前から立ち上がると、ホコリを立てないように静かに部屋を出て行った。

 加護を願った、だから竜王がお守りくださる・・・・・・・・ローラはそう信じていた。

 導師さまがそう言っていたのだから。


 ・・・・・・・・・・少し前の言葉は撤回しよう。

 たとえ一般人から見て、彼らの伏し拝むソレがオーディヴァングとは思えないものでも、問題は無いのだ。如何に誇張され、実物とかけ離れてしまったデザインであっても。

 実物がどうであれ、彼らにとってはソレがオーディヴァングなのだ。



* * * * * *



 包丁で食材を刻む音がする。祈りを終えた後、ローラは朝食を作り始めたのだ。

 一家の命を預かる亭主のため、妻たるもの、夫より先に起床し家事に勤しまなくてはならない。ソレは妻としての義務であると同時に、神竜教徒としての義務でもある。

 妻は夫を、夫は妻を。

 互いに労わり合えというのがシヴァナの言葉であり、導師たるマハムの教えなのだ。


「・・・・・・・おはよう。」

「あら、おはよう、あなた。」


 しばらくして起き出して来た夫に、にこやかに挨拶するローラ。

 家族のコミュニケーションは欠かしてはならない。

 ちゃっちゃと食材を刻み続けるローラの背後で、夫が竜像の安置されている部屋に入っていく音が聞こえた。

 一番最初は妻でなくてはならないが、朝起きたら一家の誰であれ、必ず竜王の加護を願う。

 きっとそのうち子供達も起き出してくるが、彼らももちろん例外ではない。

 幼い子供にも、しっかりと竜の魂を実践させていかねばならない。

 ローラは必要な野菜を刻み終えると、火にかけていた鍋の中に放り込み始めた。



* * * * * *



 二階のベランダから干した家族の布団をぽんぽんと手ではたき、シワを伸ばす。

 夫と二人の子供をそれぞれ送り出した後、ローラはいつも通り家事に勤しんでいた。

 もう間も無く昼だが、昼間のうちにやるべき家事はこれでもう終わる。

 ホコリを払われた一家の布団が、夏の暖かな・・・・・というか暑い日差しを浴びて、じんわりと温まり始めている。

 その温もりを感じつつ、嗚呼、とローラは感じ入った。

 この平穏な日々こそ、竜王のご加護のお陰。竜の魂を実践してきた功徳。

 竜像を目の前にしてではないが、ローラは静かに自分たち家族を見守り続けてくれる唯一絶対の破壊神へ対して感謝の祈りを奉げた。この日々があるのも、全てシヴァナ様がお守りくださっているお陰なのだ。

 ローラはしばし一人感動に浸った後、目を開けて、既に昼であることに今更ながら気が付き、時間に遅れてはならないと慌てて室内へと戻って身支度を整えはじめた。

 これからすぐ、竜の教えを受けにいくのだから、感動に浸っている余り遅れたりなどしたら本末転倒である。



* * * * * *



 ローラは、ベリア市内の道路を中心街へと向かって歩いていた。

 身支度を整えて、ついさっき家を出てきたところなのである。

 彼女の目指している場所は、商人を中心とした富裕層が多く住む、市内の中心街だ。

 その中に、かつてはベリアで最も裕福な商人の一人だった人物の自宅で、現在では神竜教の本部ともなっている邸宅が置かれているからだ。

 正確にはその邸宅の敷地内にある、オーディヴァングこと破壊神シヴァナを祀った寺。

 その場所でこれから、教徒による一日二回の集会が開かれる。

 信心深いローラは、週に一度はそれに参加していたのだった。

 何度も来ているうちに慣れてしまったが、最初のうちは、そういった富裕層の邸宅が立ち並ぶ地区に入っていくのにはかなりの抵抗が要った。

 自分達とは明らかに生きる世界の違う人々の住んでいる場所であるし、それこそ教えを受けにいくのでもない限り、そんなところに入っていける理由などあるハズも無かったからである。


 そうこうしているうちに、目的の邸宅の前に到着した。

 相変わらず大きな門だ。非常に広い敷地、遥か向こうまで続いている柵。

 門からまっすぐ続いている道を進めばそのまま所有人の邸宅へと繋がっているが、ローラが行きたいのはそこではない。

 邸宅へと続く道から右に分岐した道の向こうにある、これまた大きめの寺。

 邸宅の所有者が、私財を投げ打って自らの敷地内に建立した、竜王のための寺。

 ヴァンガディロ大寺院である。

 東西に60ミルト、南北に40ミルト、てっぺんの尖塔までの高さは80ミルト近くある。

 ベリア市内でも屈指の大型建造物である。

 何度見てもこの壮大さには圧倒された。

 ローラが寺院の大きさに見とれていると、寺とは逆の方向から邸宅の使用人がやってきて、彼女のために門を開錠した。

 使用人に一礼すると、ローラは邸宅の敷地内へと足を踏み入れた。



* * * * * *



 使用人の丁寧な導きに従って、ローラは寺院内部へと入っていた。

 正面の入り口で靴を脱いで揃えると、そこから右の通路へ入っていき、寺院内で最も小さな部屋に案内される。

 小さいといっても実際は数十人を一度に収容できるだけのスペースがあり、少人数による集会を行うとき、使われるのがその部屋なのだ。

 他にある大きいサイズの部屋は、基本的に100人以上が参加する集会にしか使われない。

 ちなみに寺院内で最大の部屋は、寺院の二階をまるごと使った『竜王の間』で、400人以上を一度に収容できる大規模な空間となっている。


 ローラが戸を開け中に入ると、既に30人ほどの信徒が集まっており、互いに近況の報告などをして談笑していた。

 男は殆ど出払っているためか、室内に集まっている信者はほぼ全員が女性であった。

 礼儀正しく正座し、互いの労苦を労いあいながらも、厳正な場所であるためか極力大声を出さないように注意し、話し続けている。

 ローラはその中に知り合いの主婦を見つけると、側まで歩いていってその場に正座した。

 そして部屋の一番奥に置いてある全高4ミルトほどの竜像に手を合わせ、礼を示す。

 その像はこの寺院内では最も小さいサイズのものだが、それでもローラら一般信者の自宅に置かれているものよりも、遥かに大きい。

 ちなみに最大のものは、先述した『竜王の間』に置かれている竜像で、なんと全高10ミルト近くある。

 姿かたちこそやたら誇張されてはいるものの、サイズに限って言えばおそらく実物に近いだろう。


「・・・・・・・・・・モリアさん、ご無沙汰してます。」

「あらぁ、どうもこんにちは、ローラさん。」

「ここのところ暑いですねぇ。」

「そうですねぇ。例年のこととはいえホントうんざりしてしまいますわ。」

「でもその分、主人と息子の布団の乾きがよくって・・・・・・・・」


 とまぁこんな具合で、会った側から如何にもオバちゃんな会話を繰り広げる。

 社交辞令も混じっているとはいえ、おほほと笑うその姿は正にテンプレート。

 またの名をステレオタイプとも言う。

 しかし互いに屈託が無いのも、ある意味では神竜教徒であるためだとも言えた。

 何せこの場に集まっている全ての人間は、自らと同じ教えを乞うためにやってきた、いわば”同志”なのである。近親間が沸くのもムリは無い。

 互いに信ずるものが同じであれば、自然と会話も華が咲くだろう。

 そのとき、モリアと呼ばれた女性の方が、ローラに言った。


「そういえばローラさん、聞きました? ハルさんのこと・・・・・・・・。」

「いいえ、ハルさんがどうかしました?」

「あの方、とうとう明後日に、ジルヴァングへお出かけになるそうですよ。」

「あらまぁ! ・・・・でも失礼ですけどハルさん、生活の方大分苦労なさってたハズじゃ・・・・。」

「苦難に耐えながら、コツコツと旅費をお貯めになってたそうですよ。」

「あら~、ご立派ですこと。ウチも是非見習わせて頂かなくては・・・・・・・」


 ”ジルヴァング”とは文字通り、オーディム大陸にあるジルヴァング峡谷のことである。

 神聖アークローヴ皇国の領土の南西に位置し、一般に竜王=オーディヴァングの生息地として知られている。

 また歴史家にとっては、かつての「シキド・アークローヴ戦争」時にシキド軍が、実力を甘く見ていた竜王によって蹴散らされ、大敗を喫した場でもあった。

 一般人からすれば単なる危険地帯なだけであるが、オーディヴァングを”神の化身”として崇拝する神竜教徒にとっては、そこは正しく神の住まう聖地としての存在感を持っていた。

 そして時たま、信心深いが故にわざわざ生活を切り詰め、旅費を貯め、大陸を越えて文字通りの”聖地巡礼”に行こうとする信者がいたりするのである。

 ローラたちの話題に上がっていたハルという人物は、あまり生活が豊かでない中でも必死に旅費を貯めた結果巡礼を可能にしたので、その信仰心厚い行動が彼女らを感動させたのであった。


 まぁ、たとえジルヴァング峡谷に行ったところで、実際にオーディヴァングが拝めるかどうかは疑問である。

 彼女らがオーディヴァングに抱いているイメージとは裏腹に、竜王はやたらめったらと空を飛んでいたりはしない。

 それに出会ったら出会ったで襲ってくる可能性だってあるから、どっちかといえば、わざわざ出かけていく彼らには気の毒な話だが、会えない方が良いのかもしれない。


 尤も会えなかったからといって、彼らの信仰に特に問題が起こるわけでもない。

 会えたら会えたで純粋に喜ぶとし、会えなくても、ソレは自分の信仰がまだ足りなかったんだとか何とか、勝手な解釈で自己完結できてしまうため不満の抱きようが無い。

 ある意味でそれは宗教というものが本質的に有する、実に便利な性質でもあった。


 その時突然、部屋の戸がガラッと開かれ、寺院の人間が姿を現した。

 部屋に集まっていた信者たちが一気に静まり返って正面に向き直り、途端に正座をして真剣な表情になる。

 いよいよ導師様による御説法がはじめられるのだ。

 ローラとモリアもすぐに会話を中断し、竜像のある方を向いて正座した。

 室内がシーンと静まり返る。

 そして寺院の人間の後に続き、皆の待ちわびた人物が遂に入室してきた。

 袖の長い茶色の服を纏った四十代後半の男。

 神竜教の教祖にして現在の導師、マハム・ヴァリアーラである。

 その場に集まった信者達が一斉に歓迎と期待の籠った拍手をする。

 拍手をする彼らの目も、同じく期待の色に輝いている。

 マハムは竜像の目の前まで歩いていくと、そこに敷かれた座布団の上にゆっくりと胡坐をかいて座り込んだ。それから右手を軽く挙げて信者達の行動を制すと、一斉に彼らが拍手をやめたのを見て再び手を下げる。


 ローラらは今、マハムの一挙一頭足に注目していた。

 これから彼の口から、偉大なるシヴァナの教えが説かれるのだ。

 今日は一体何のお話をしてくださるのだろうかと期待に満ち満ちている。

 誰も目を逸らそうとはしない。

 全員一様に、真剣な眼差しでマハムのことを見つめている。

 その視線の先で、誇張された姿のオーディヴァング像が光を浴びて、微かにきらめいた。


挿絵(By みてみん)

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