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第3章 ブラン・アミフス 後編

 金属同士をぶつけるような音が連続した後、一寸鈍い音がして、大人の手の平ほどもある土気色の岩石の塊が岩棚から剥がれ落ちた。

 落下しそうになるソレを、真下でテトロの両手が受け止める。

 用意はしていたものの急に手に重みがかかったので、「うおっ?」とか言ったりしている。

 テトロはそのまま、持った岩石を足元にゆっくりと置いた。

 ブランもすぐさまハンマーとタガネを傍に置くと、掘り出したソレに目を向ける。


 それから、両手でその岩石を掴むと、軽く力を籠めて二つに割る。

 割れた岩石の間から、さらさらと土気色の粒子がこぼれ落ちた。

 ブランが軽く息をつき、手の甲で額をぬぐう。一仕事終えた後のお約束だ。

 手元の岩石を見ながらテトロが言った。



「なんか、これを岩石って言われてもピンと来ねぇな」

「まぁ・・・・・・・元々泥の固まって出来たモノだからね。粒子も細かいし」

「ふぅん・・・・・・・」

「やっぱこの辺は、昔は水の底だったんだなぁ。どんな”人間”が住めるんだか・・・・・」



 そう言ってブランは今しがた掘っていた地層のある、高い崖を見つめた。


 ブランとテトロが掘っていたのは、5500年前のものと推測される泥岩の地層であった。

 邪魔者のナティがカムベアスによって連れ去られた後、ブランは落ち着いて傍にあった泥岩層の記録をとると、そこを掘り始めた。

 もちろん、何かが出ることを期待していたわけではない。

 その日の目的は、いつもとは違う時代の地層を掘ってみること。

 だから言うなれば、最初の作業はブランにとって一種のウォーミングアップであった。

 粒子の細かな泥岩層は、削りだすのが最も楽だからである。


 準備運動を終えたブランは、その日の”本題”を考え始めた。

 違う地層を掘るなら掘るで、一体どの時代の地層を選べばいいのか。

 今までブランの掘っていた5500年前の地層は、この廃鉱の入り口付近に露出している地層の中では、最も低い位置に存在している。

 つまり、これ以上古い時代の地層は現在の装備では掘りようがない。

 それらはすべて地下に埋まっているからである。

 だが、より最近の地層を掘るといっても、それらは逆にもっと高い位置にある。

 掘ろうと考えたのはいいが、まずは手の届くところにその地層が露出している場所を、見つけなくてはならないのだ。そうでなくては発掘も何も出来はしない。


 さっきナティがいた辺りに上がっていけば、あるいは可能か?

 そういえばアイツ、結局あの後どうなったんだろうか・・・・・・・・・・・・・・。

 と、そう考えた瞬間、ブランの中で再びあの声が響き始めた。



(どうもこうもあるか? 見捨てやがって、お前は最低な奴だな)

「・・・・・・・・・知るか。勝手に付きまとって来たんだから、自業自得だろ」

(もしアイツが死んだら、責任取れるのかねぇ。お前、自分のしたこと分かってるか?)

「僕に助ける義務があったか? アレだけの仕打ちを繰り返しておいて―――」

(―――言い訳かぁ? ますます最低な奴だな)



 ブランは、イライラした。何故あんな奴の心配などしなくてはならないのだ。

 結果ナティがどうなろうと、ブランには完璧に自業自得としか思えなかった。

 少なくともあの男は、今までずっとブランのことを傷つけ続けてきたのだから。

 そんな人間相手に助けを出すほどブランは甘くは無かった。

 またおそらくソレは、世間一般の人間が示す、ごく普通の反応だっただろう。

 同じ状況に置かれて助ける人間の方が稀有なハズである。


 だが、たとえソレが”普通の反応”であっても。

 他の人間なら特別に責められるようなことではなかったとしても。

 ブランだけは例外だった。示したのが”普通の反応”であっても激しく非難された。

 ブランだけは、何をしても卑怯で矮小な人間でなければいけなかった。

 ワガママで幼稚な人間という烙印を押されねばならなかった。

 ブランを否定するであろう”誰か”の存在を常に意識しなければならなかった。

 ブランは、自分に自信を持つことを決して許されなかった。


 そうして考え込んでいる間に、また頭の中で声が響いた。



(信じることが怖けりゃ、天王にすがってみたらどうだ? ”勝利”を授けてくださるだろうよ)

「・・・・・ふざけんな。僕が人間不審になったのは一体誰の所為だ、誰の?」

(お前に勇気が無いだけだろ? この臆病者。じゃあテトロや館長も嘘ついてるんだな?)

「彼らは嘘はつかないよ。絶対にね。分かるから」

(あれ、根拠は? 嘘ついてない根拠は? 人の心なんて分からねえだろ?)

「もういい加減にしろ。うるさいんだよ、いつもいつも・・・・・!」


「―――おいブラン、どうした。さっきから何を一人で喋ってる?」



 声をかけられてブランは、ハッと顔を上げた。

 気がつけばテトロが怪訝な表情で自分を見つめている。

 いつの間にか、考え込んで上の空になってしまっていたらしい。また悪い癖が出た。

 毎度とはいえ、友人が隣で下を向いてボソボソ言ってたら、そりゃ気味が悪いだろう。

 ブランは慌てて、返事をした。



「あー・・・・・・ごめん、テトロ。なに?」

「・・・・・・アレだけどさ。あの白い地層。アレって、前に来たときは無かったよな?」

「え、白い地層?」



 ブランは素っ頓狂な声を上げて、テトロの指差した方向の崖を見た。

 様々な種類の地層で構成された、崖の表面の縞模様。

 ブランが普段掘っている、5500年前の泥岩層は地面から4ミルトほどの高さに見える。

 そうか、とブランは納得した。あちらの崖は他のよりも比較的、古い時代の地層が露出していたのだ。今まですっかり見落としていた。

 ブランはしまったと頭を抱えると同時に、遠目にテトロの言った”白い地層”を探した。

 そうして目を凝らしてみると、確かに崖の根元のあたりに、崖下の大地から0.3ミルトほど露出しただけの白い帯が見えた。

 なるほど、アレがそうか。


 と、そう思ったまさにその時。

 ブランの頭の中に、一瞬で、”ある閃き”が浮かんだ。

 それはある意味直感的なものだったが、同時に経験に裏打ちされた”根拠のある勘”だった。

 少なくとも4年ちょっと発掘作業を繰り返してきたブランにとって、地層の外観から堆積した年代を類推することは、さほど難しくなかった。

 今ブランが見ている崖の表面には、いくつもの縞模様がある。

 例の泥岩層がある位置から数えても、地面までおよそ九つの地層が見える。

 各地層は約50年ごとのサイクルで別の種類に変化している。と、いうことはつまり・・・・・・。

 そこまで考えたとき、ブランは思わずその崖に向かって走っていっていた。

 ブランの突然の行動に、背後でテトロが目を丸くしている。



「なんだなんだ? 一体何がどうしたと・・・・・・・」

「テトロ、そこにある道具全部持って、こっちに来て! 凄いかもしれない!」

「おおぅ?」



 テトロが奇妙な声を上げると同時にブランの指示に従って、発掘道具一式をかき集める。

 それから慌ててブランの後を追い、向かい側の崖の下に駆けていった。


 崖下で白い地層に駆け寄ったブランは、一種の興奮状態にあった。

 先程までの不安などまるで嘘のように、今ではドキドキと胸が高鳴っている。

 先の展開の読めない物語を読んでいるときだって、中々こうはならない。

 それだけ今ブランが直面しているものは、素晴らしい存在かもしれないのだった。

 ふと背後を振り返ると、つい今しがたブランの指示を受けたテトロがハンマーや保存用の袋など道具一式をバッグに放り込み、急いでブランの後を追ってくるところだった。ブランは思わず声をかける。



「急げ、急げ!」

「だから、何なんだよ? なんか凄いものでもあったのか?」

「大アリだよ! テトロお前、もしかすると大手柄かもしれないぞ」

「おお、本当か? して、その白い地層は」



 追いついてきたテトロにそう言われてブランは、思わず唾を飲み込んだ。

 それから、右手の中指でくいっと眼鏡を押し上げると、件の”白い地層”を見つめる。

 ブランは静かに、しかし興奮を抑えた様子で話し始めた。



「・・・・・・・『神話層』かもしれない」

「しんわそー・・・・・・ってなんだソレは? 美味いのか?」



 テトロの冗談を無視して、ブランは続けた。



「ヴィクシオン地質学最大の謎・・・・・・・・・創世神話に『天王と海王の戦争』ってのがあるのは知ってるだろ?6000年前の、世界が滅亡したって言われてる最終戦争」

「そりゃ、そのぐらいは俺だって」

「この地層・・・・・・・『神話層』は、その丁度6000年前の地層なんだよ。しかも、見てのとおり灰のように真っ白で、何故かこの地層より昔の時代からは文明の痕跡が一切見つからない。正しく、こいつは最終戦争の痕跡なんだよ」

「あれ? でもアレって結局は伝説・・・・・・・」

「そうだよ? だからこそ、不思議なんじゃないか。本当だった可能性があるなんて」



 テトロは、嬉々として語るブランの様子に呆気に取られると同時に、これで良いんだな、とそう思った。ブランという人間は、基本的にはこれで。

 その時ブランが、ふと『神話層』の表面に視線をやった。

 それにつられてテトロも見る。ブランが、地層にぐっと顔を近づけた。

 しばらくしてから、ブランが声を潜めて言った。



「これ・・・・・・・・・・・一体何なんだろう?」

「どれどれ?」



 テトロが一緒になって顔を近づけ、地層の表面を眺めようとした。

 ブランが見つめている先にあったのはテトロの親指ほどの大きさの、三角形の物体だった。

 それは真っ白な地層の表面にぽこっと浮き出ている。

 どうやら『神話層』の中に、何かが埋まっているらしかった。

 テトロは、すぐ隣のブランの方を見た。出来るだけ慎重に言葉を選ぶ。



「ブラン、これって・・・・・・・」

「掘ってみよう」



 ブランは即座に言った。なんだか、その目が輝いている。



「ただの石ころだっていい。神話層から何かを掘り出すなんて、それだけでワクワクする!」


挿絵(By みてみん)


* * * * * *



 同じ日の夕方。ブランの自宅。

 東の山あいから降り注ぐ夕日がその小さな家屋の表面を朱色に染め、西側に面する壁に真っ黒な影を落としこんでいる。

 二階の、ブランの私室の窓は閉まっていた。カーテンもぴったりと閉じられている。

 その奥の薄暗い室内で、ブランが一人で机に向かっていた。



「まいった・・・・・・・・何なんだよコレは?」



 そう言って頭を抱えるブランの脇には、青色の布で丁寧に包まれた”何か”が置かれている。

 その日の昼間、『神話層』と思しき地層から掘り出したあの物体だった。

 最初、どんな些細なものでも掘り出せるだけで嬉しい、などと言っていたのに。

 掘り出し終わってみれば、それはブランの予想を遥かに上回る物品であった。

 一言で言えば、人工物を見つけてしまったのである。



 そんなことか、などと言ってはいけない。ブラン自身がテトロに説明していたように、『神話層』とは文明の痕跡が発見されないことで有名なのである。

 もし本当に人工物を発見したのであれば、それは史上稀に見る大発見だろう。

 だが、こんな呆気ない形で果たして本当に良いのだろうか?

 大発見というからにはもっともっと高名な人物が、より大規模な準備をした上で成功させるべきではないのだろうか?

 自分のような人間が歴史を塗り替える発見をするなんて、許されることなのだろうか?


 まず最初に疑ったのは、それが本当に『神話層』なのかということだった。

 自身ありげにテトロに解説したブランだったが、あの時はまだ確証を持たなかったのだ。

 そこで埋蔵物と共に、その周囲の地層を採取して持ち帰った。

 その正体を確かめる打ってつけの方法があったからである。



「ふぅ・・・・・・・・・・・」



 ブランは軽くため息をつきながら、件の白い粉末をひとつまみだけ摘み上げた。

 それからその粉末を、目の前に置いた小さなビーカーに投下する。

 ビーカーの中には何やら半透明の液体が入っている。

 そしてその、灰のように真っ白な地層の一部が液体の中に溶け込んだ途端、何の前触れも無くその液体が青白い光を発し始めた。

 狭くて薄暗い部屋の中が、ビーカーから発せられる光で神秘的に照らし出される。

 ブランは、再びため息をついた。


 これこそが、あの白い地層が『神話層』である何よりの証拠だった。

 『ブロム溶液』というのが目の前のビーカーに入っている液体の名であったが。

 実はこの液体、魔力に反応して淡い燐光を発する性質があるのだ。

 喩えるなら”魔力検知薬”とでも呼べばいいシロモノである。


 では何故、そのブロム溶液が反応するからといって、例の真っ白な灰が『神話層』のものだと断定できるのか?

 簡単な話だ。『神話層』の灰に魔力を蓄積する成分が多く含まれているからである。

 資源化できるほどのレベルではないにせよ、基本的に『神話層』は、他の地層と比べて格段に多くの魔力を含有しているのである。

 ある意味このことが、『神話層』を他とは一線を画した存在にしていると同時に、”古代の魔術戦争”を想起させ、神話に説得力を与える役割を果たしていた。

 「神話の魔力を封じた灰」と呼ばれることすらあるのだ。


 ブランは、この”実験”をもう6回も繰り返していたのだった。

 たぶん今回のこれは、自分の馬鹿な勘違いに過ぎなかったのだと信じて。

 しかし何度、白い灰を溶液に溶かしたとて、結果は同じだった。

 青白い燐光がブランやその周りの本棚を照らし、一層彼の不安を煽るだけである。

 途方に暮れたブランは再び布を取り、その下に現れた発掘物を見つめた。



 それは、淵のギザギザとした三角形の物体だった。

 一見すると竜族の歯のようにも見えるが、鈍く透き通った外観がそれを否定する。

 だが何よりそれが人工物であると主張していたのは、表面に描かれた絵である。

 それはケムルヴィアのような海竜にも似た形をしており、しかしそれを描いたと思われる塗料の色は紛れもなく赤であった。

 少なくともこの紋様の存在は、この物体が天然物であることを強く否定していた。

 自然に形成されたというにしては、余りにも出来すぎていた。

 明らかに誰かが作ったものである。



「でも、誰が・・・・・・・・・・?」



 ブランは一人ごちた。そう、ソレが一番の問題なのである。

 もし人工物なら、これを作った”誰か”が6000年前にいたということなのだが。

 では果たしてその”誰か”とは一体誰なのか?

 そう思って、何の気なしに足元に積まれた本の山に目をやったとき。

 ブランは突然、あることを思い出した。

 慌てて椅子から降りると、そこにあった本を取り上げ、片っ端から開いてみる。

 人工物を掘り出したという衝撃ですっかり忘れてしまっていたが。

 先日買った本に、そういえば”赤い海竜”が載っていたことを思い出したのである。

 何の本だったかは忘れたが、確かに何処かに載っていた。


 そう思ってグリーデンで最近買ったばかりの本を次々開いては、ページをめくっている。

 イラストや写真の載っているページだけを特定して、探して。

 そして何分もかかって調べつくした本の中の、とある一冊の挿絵に。



「あった・・・・・・・・・!」



 同時にブランは、驚愕に目を見開いていた。

 それは海王族に関する研究書だったのだ。その、『文化』に関するページに。

 この本の著者が海で遭難し海王族に助けられたときに目にした、彼らのほぼ全員が腕にしていたという入れ墨。

 そういう説明文と共に紹介されていた、その入れ墨のイラスト。

 それはまさにブランが発見した物体に描かれていたものと同様の紋様だった。

 そう――――赤い海竜の紋章である。

 著者によると、この”赤い海竜”は海王族にとって特別の意味を持つものだという。

 詳細は分からないが、つまりは海王族のシンボルらしいというのだ。

 と、いうことは・・・・・・・・・・・・・。



「まさか・・・・・・・もしかしてこれ、『海王の導魔矢』か!? いや、まさか」



 ブランが思わず口にしたその名前。

 『海王の導魔矢』――”ディピナーカ”とは、すなわち魔術の矢のことである。

 文字通り、魔術を付与して放つことが出来たといわれる伝説の矢じりで、神話においては海王が天王の力を盗み取って作り出した武器とされる。

 もちろんソレは、単なる伝説上の存在だと考えられていた。

 が、今ブランの目の前にあるその物品は。

 明らかに『海王の導魔矢』と呼んでもいいような条件を揃えていた。

 特にその形状は、言われてみれば弓矢の矢じりにそっくりである。



 下手をすると、ブランが発見したものはただの文化遺産ではなかった。

 それこそ神話の古代戦争を証明する物品かもしれないのだった。

 なんというか、ブラン本人が一番信じられなかった。

 もしかすると凄いものを発見したのではないかという大きな期待と、ソレと同時に湧き上がってくる、自分の実力への疑問。

 自分みたいな人間がそんな突然、大発見をするなんてことが果たしてあり得るのだろうか?

 十中八九、あり得ないことだった。

 よしんば何かを掘り当てたのだとしても、こんな大層な物品なワケが無いのだ。

 ならば、そもそも何故あんなところに埋まっているのか?


 知らない間にブランは、笑っていた。自分の発見を否定するために。

 どれだけ証拠が揃っていようとも、あり得ないと言ったらあり得ないのだ。


 それから突然、猛烈な不安感が襲ってきた。

 もし万が一にも、自分の発見したものが本物の『海王の導魔矢』だったら?

 そうしたら、一体どうなるんだろう、と。

 そしてその答えは、考える前にブランの中の声が教えてくれた。



(天王万歳!だな。なにせ、天王族は実在した訳だからなぁ)


「うるさい黙れ。なんでそうなる? 研究と信仰は関係ないって毎回毎回・・・・・・」

(はぁ? 批判する資格がお前にあるのか? 天王の子のお前が。今のお前があるのは誰のお陰だ? 何もかも、天王の――――)

「恩着せがましく言うのをやめろ! 天王族なんて、要するに侵略者じゃないかっ!」



 ブランは思わず、叫んでいた。たった一人で。

 今まで何度もそう言ってきた。ブランは天王教徒にはなりたくないのだ。

 でもその”訴え”を誰も聞いてはくれなかった。その必要はないと、”恩”を根拠に断じて。



* * * * * *



 そもそも全ては、父親ノーヴェリアの不在に端を発していた。

 首都グリーデンに出ずっぱりで、まともに帰宅することが出来なかったブランの父。

 母のナディアはブランの教育に不安を抱き、そしてある隣人を頼った。

 そのことが。

 今のブランを激しく苦しめ、傷つけ続けていた。


 確かに”天王教徒の世話になった”のは紛れも無い事実である。

 だがブランはその当時3歳だったのだ。

 世話になるかどうかを自分の意志で選べたハズが無い。

 だがそれでも彼らはお構いなしに、ソレによる”恩”を強調し、返還を要求するのだった。

 ブランが自分の意思で動くことを否定するのだった。

 そんなものは君の慢心だ、傲慢な態度だ、と口々に非難しながら。



 ブランは一般的な水準よりもずっと多くの本を読み、知識を蓄えている自覚がある。

 そして取り込んだ知識は、必ず自分の中で噛み砕いてから利用する。

 ”理解する”とはそういうことだと思っていた。

 だからブランにとって、『結論』だけを押し付けられるのは我慢がならなかった。

 与えられた情報を鵜呑みにするだけというのは、そのプライドが許さなかった。


 ブランを”教育”した大人たちは、よく彼を『未来の宝』と呼んでいた。

 だがその一方で、ブランが自分の頭で判断し意思を表明すると、途端に豹変するのだった。

 嘘で塗り固めた笑顔は剥がれ落ち、エゴが剥き出しになるのだった。

 ブランはあるときから気付いていた。

 自分が『未来の宝』なのは、彼らに従順である間だけなのだと。

 そうでない自分など、彼らにとっては何の価値も無い存在なのだと。


 その証拠に、彼らがブランの疑問に真剣に向き合ってくれることは、無かった。

 彼らが正義だという大前提に反する考え方は、全て否定されたのだ。

 ”一人の人間”として神話を研究したい、というブランの意思を彼らは全力で奪おうとした。

 天王から離れるのは恩人への裏切りであり、同時に自分自身への裏切りだという。

 彼らは、ブランにとっての最大の不幸を避けたいのだそうだ。

 それが『愛』であると彼らは言った。



* * * * * *



(天王教徒への差別だよなぁ、お前のは。ナティと似たようなもんだな)

「僕は事実を言ってるだけだ。あんなのと一緒にするなっ!」

(自覚が無いから差別になるんだろ、海王族がされてるように。 いつも言ってるよな?)



 先程から絶えず響いている頭の中の声が、また再びブランを嘲った。

 そうだ、この声が。この声がいつもブランを不安にさせるのだ。ブランの頭の中で。


 あのナティか、母親か、あるいは世話になった天王教徒か。

 それは何処かに確実に存在する、ブランという人間を否定する”誰か”の声だった。

 反論することは許されなかった。”他者の言葉”だから。

 誰からも否定されるということは、たぶん何もかも自分が間違っているのだろうから。



 神話に憧れる身でありながら天王教の教義に批判的であるのも。

 天王教徒の紹介でトラティオの『天王学院』にいく道を選ばないことも。



 きっと全て、ブランが悪いのだ。自分が傲慢だから孤独になるのだ。

 たとえどれほど怒りが溜まっても、ただのワガママだから、誰も責められないのだ。


 それでも蓄積される怒りは、最後には怪物的な破壊衝動に変わって放出されていた。

 人に怒れないなら、それ以外の何かに叩きつけるしかなかった。

 だがブランの中の”声”は、それすらも許さなかったのだ。

 ソレは、怒ることそれ自体がブランの思い上がりだと蔑んだ。

 誰もいないところで衝動に身を任せるブランを腹黒いと蔑んだ。

 考えれば考えるほどに追い詰められた。いつもいつも、頭がおかしくなりそうだった。

 もう、どうにでもなってしまえばいいと思った。



(人のことは散々言ってるくせに、自分の時だけは例外だと思ってるんだろ? 所詮、その程度なんだよ。天王教を批判する資格なんて、お前には無い)



 いつの間にかブランの胸に、きつく締め付けるような感覚が襲ってきた。

 ブランは思わず胸に手を当てた。激しい動悸がした。


 ”怖い”


 ブランの内を支配しているのはもう、ただひたすらそれだけだった。

 理屈など、何の役にも立つことはなかった。

 ブランを否定するという、ただその一点のみを除いては。

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