1話 外への希望
一章
ー綺麗な光だった。はるか広がる棚田の向こうに無機質な街の灯りがみえた。本当はそんな真っ当な光ではなかったのかもしれない、だが自分はあそこに行ってみたいと思った。とても、とても強く思った。
しかし、数歩となりで同じ光を写しているはずの彼女の目は、少し虚ろだった。
甲高いチャイムの音で目が覚める。
短い休み時間の間で、随分と昔の夢を見てしまったらしい。
目覚めた和也が辺りを見ると、ガヤガヤと他の生徒たちが席についているところだった。
廊下には、せわしなく生徒が移動している姿が確認できる。
そしてその全てが見知った顔であるのが妙に気に食わなく感じ、さっと視線を前に向ける。
ここ何年かずっと、毎日必ず一度は感じる嫌悪感。
普通、ほんの廊下で確認しただけの人間全てを知っているなんてことはありえないんじゃないだろうか。
だが和也の学校ではその例外に当てはまってしまう。
学年は2クラスしか存在しなく、そのうえ教室も約20人で構成されているのだから。
ほんの40人ちょっとの学年。100人にも届かない全校生徒。4桁が遠い総人口。それが和也の暮らす高校であり、村であり、世界であった。
「おい和也、また昼寝かよ。この授業は中テストあるぞ?予習したのか?」
教科担当の講師が現れないのをいいことに、前の席の小原英二が振り向き声をかけてくる。
「....。多少はやった。」
少し苦い顔をしてしまったらしい。英二がニンマリ笑いながら
「その顔は恵ちゃんか。羨ましいなぁこの野郎。」
英二が小突こうとしてくるのを、呆れながら躱す。
そう、昨日わざわざ部屋に入ってきてまで中テストの存在を言ってきたのだ。
「これで補修してるところでも見られると後がうるさいんだよ。」
英二は不満そうな顔をしていたが、ようやく担当教師がドアを開けたので、渋々前を向く。
髪の少ない教師の聞き慣れた声をよそに、和也は自分の隣の空席に目を向け、顔を伏せた。
中テストは無事合格した。
帰り道の山道から下を見下ろすと和也の通っている高校があり、無駄に広いグラウンドに不釣り合いのメンバーで走り込みをしている野球部の連中が見える。
失礼極まりないが、よくもまぁ無駄なことをと思ってしまう。何度数えても9人いないのだ。
「頑張ってるねー。今度最後の大会があるんだってさ。」
声がした方を振り返ると、和也と同じようにグラウンドをみながら自転車を押す前田恵がいた。
「人数足りないだろ。いったいどうやって試合するんだよ。また誰か暇なやつを借りるつもりなのか。」
グラウンドの傍観をやめて歩を進めると、小走りしながら恵が追いついてきた。2人が横に並ぶ。
「そうするしかないじゃない。私は試合みにいくつもりだし今回は期待してるよ?和也も一緒に行こうよ。」
恵が真っ直ぐな目線を向けながら言う。和也はこの真っ直ぐすぎる目線が少し苦手だ。こういう目をするときの恵の誘いや欲求は、比較的乾いた心の持ち主の和也には眩しすぎる。
「やだよ....。せいぜい外野にボールがいかないように祈っとく。」
そんな誘いを和也は躊躇なく断る。そんな話をしているうちに家にたどり着いた。
山の中腹にある木造建築の古い、古い家。
俺と恵はそのまま家の中にはいる。
「ただいま。」
2人して言うと、おかえりと穏やかな叔母さんの声が返ってきた。いつもなら出迎えてくれることが多いのだが、今日は姿を見せない。
おそらく洗濯をしてるのだろう。恵も同じことを思ったらしく、そのまま階段を登って行った。
まったくよくできた女の子だ。
和也は荷物を置いて和室に向かった。和室の隅にある古びた仏壇に座り、2つの遺影を確認してから目を閉じる。
この2人は和也自身の両親らしい。らしい、というのは和也がまだほんの子供のころに土砂崩れで他界したのだ。和也は写真以外で両親の顔をみた記憶がないし、声も憶えていない。和也は天涯孤独の身であった。
「別に親がいないことで今更悲しむことは何もないだろ。」
和也がぽつりと呟く。しかし、血縁がいないことが、和也のある夢を助長していることは確かだ。
二階の一部屋が和也の部屋として割り当てられている。物心ついた時にはもうこの前田家で生活していたので詳しいことはわからないが、両親が死んだとき、和也の父と仲が良かった恵の父が引き取ってくれたらしい。
和也が机で今日の課題を片付けていると、ドアがノックされた。
「和也、今日も枡爺のとこにいくの?」
和也の部屋の向かいの部屋で生活している恵の声だった。
「あぁ、夕飯を食べたらいこうと思ってる。」
本当は夕飯ごと持って行きたいのだが、引き取ってもらっている身でそんな無粋なことはできない。わかったと声をかけ、恵はそのまま階段を降りていった。
やがて恵の父が畑仕事から帰ってくると、夕食の時間だ。前田家の家族とたわいのない話をしながら、和也はいつも通り食事を手早く済ませ、枡爺の家に向かう準備をする。もう五月近いといっても、高度の高い山の夜はさすがに寒い。パーカーの上に一張羅のコートを羽織り、和也は真っ暗な外にでた。
懐中電灯の淡い光を頼りに、和也は村長の家までたどり着いた。この村の長である枡爺の書斎が和也の目的地だ。
裏手のドアから廊下を通り書斎に入ると、無数の本棚が目に入る。目当ての本を探そうとすると、後ろから声をかけられた。
「今日はまたはやいな。儂よりはやくきてもどこになにがあるかわからんだろうに。」
書斎の入り口の半開きだったドアに枡爺がたっていた。再び本棚に目を向け、和也が言う。
「そんなこと言うならもっとはやくきておいてくれよ枡爺。高校卒業まであと1年もないんだ。村をでて外で生活するには圧倒的に知識が足りない。」
和也の言葉には耳を向けず、枡爺は本棚から一冊の本を取り出した。
「お前はそればっかりだな。もちろん儂の前以外では口に出したりしてないんだろうが。」
そう、和也は枡爺の前でのみ躊躇なく夢を吐く。
和也はどんどん過疎が進むこの村からでたかった。
広い田んぼの向こう側に見える町の光に強烈にあこがれてしまった。
和也は高校卒業と共にこの村からでると決めていた。両親を亡くし身寄りのない和也を引き取ってくれた前田家、10年以上の付き合いの友人たち、生まれてから過ごした村の全てを裏切ることになろうとも。
この和也の秘密を知っているのは枡爺を除いてあと1人しかいない。
裏切る未来を裏切られる人たちに告げる勇気はまだ、ない。
「...本当にここをでる気ならいずれ伝えなければならない。もちろんその時にどうなるか儂にはわからん。筋は通せよ、和也。通しきる覚悟がお前にあるんだろうな?」
いつもおちゃらけている枡爺の目は真剣そのもの。
全てを把握している訳ではないが、同期のみんなは卒業後に畑を手伝ったりするのが主のようだ。人が少なくなっている場所でさらに人を外に出す道理はない。
「....」
「その時」のことを想像してみる。笑顔で許される未来は決して見えない。罵られ非難されるイメージはなぜか鮮明だ。だが、和也は言った。
「俺は出るよ枡爺。この10年の間揺らぐことはなかった。」
その言葉を聞いた枡爺はすっと目を閉じて、手に持った本を和也に差し出した。和也が受け取るとずっしり重い。
「前の本は昨日読みきったんだったな。次はそれだ。ずっと言ってるがちゃん考えながら読めよ?いいな?」
知識とは繊維のようなものだ。
一度の読解で得られたものを自分のものとして修め、反芻することでさらにその文章を深く知ることができる。その幾度ない繰り返しの末に心の中に残るものだけが自分の知識として誇れる。
枡爺の持論らしく、いつも和也にそう教え込んだ。
この言葉を完璧に理解しているとは思わないが、ただ読むだけでは付け焼き刃で、表面上のものしか身につかないのはよくわかる。
和也が頷き、本を開けるとどうやら統計や経済関係の本らしい。
かなり詳しく書いてある上に、ページ数も多いので読み切るにはそれなりの時間がかかるだろう。
「やっぱり部屋に持ち帰らせてくれよ...。これ全部ここで読むんなら二週間はかかりそうだ」
和也が苦い顔をして言っても枡爺は首をたてに降らずにニヤッと笑う。
「そんなことさせたら確実に寝不足になるだろうが...。そういう監視の意味もあってここで読ませてるんだ」
本を持ち帰ってしまうと余裕で朝日と鶏の声を迎えそうなことは和也でさえ想像に難くない。
仕方なく黒革作りの高価そうな椅子に腰を下ろした。枡爺の家はこういう骨董品のまがいの上等なものが多い。村長の特権か何かなのだろうかと不思議に思いつつ本を開き、文章を丁寧に読み始めた。
読み始めて10分が経過しようかという時、欠伸をするように枡爺が声を発した。
「そういえば類衣が帰ってくるぞ。」
ガタっ。
和也は危うく椅子から転げ落ちそうになった...いや、実際転げ落ちた。非常に無様な体勢のまま恐る恐る確認をとる。
「...は?類衣....?」
枡爺はニヤッと笑うばかりだった。
読んでくれてありがとうございました。
初投稿で右も左もわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。
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