北の村へ
春之助がいる砂漠の町からノルヴェスに向かうにはいくつかの方法がある。春之助が結局アグドゥバから受けた要人護送の依頼を遂行するために選択したのは、そのうちの一つ、大怪鳥ガイチョウに乗って山越えをするというものだった。
大怪鳥ガイチョウとは、東の世界一の大国『中ツ国』の森林地帯に生息する巨大な鳥の名前である。その姿は、純粋に形だけみれば鷲によく似ている。その足は飛び上がる時にかなりの速度の助走を必要とするために非常に強靱で、人間なら大人一人を簡単に蹴り殺せる程。その身体能力が相応しい程に凶暴で、滅多に人に慣れることがない。しかし慣らすことができた数少ない個体は、現在唯一といっていい空路を可能にする存在として有名であった。
航空交通手段として扱える希少個体は常駐できる場所も限られている。春之助は砂漠の町から駱駝に乗り、ガイチョウの居る町に向かった。そこで防寒具の類を買い込み、目玉が飛び出る程の料金を払ってガイチョウに乗り、飛び立つためだ。
アグドゥバの用意した書類を見せると、なんと春之助達は町についてすぐにガイチョウに乗ることができた。基本的に仕事はのんびりやるために準備の類はものすごく遅いのがこの辺りの常識なのだが、アグドゥバの名前にはその常識を打ち破る力があるらしい。支払能力に裏付けされた大きな権力の活動音を聞いた春之助は多少その事実に呆れすらしながらも、朝餉の時間のすぐ後にガイチョウに乗り込み、飛び立った。
「ガルルルゥゥゥウウウウウウアアアアア!!!」
「随分と元気な個体だな」
「ハハッお客さん余裕ですね!」
ガイチョウの乗り方は基本的に馬と同じである。翼の根元に足をかけて乗り、翼を挟んだ背中の上にある鞍に腰を下ろす。ただし鐙はガイチョウの翼の動きを阻害しないために足場を作られているのみで、指示の類をここから出すことはできない。代わりに使うのは首に厳重に巻き付けられている手綱だ。
春之助が操縦者の後ろで動物の毛皮をふんだんに使った防寒具に首を埋めながら発した言葉に、砂漠の民とは違う顔立ちの操縦者は面白いものでも見たように叫んだ。乗っているガイチョウの鳴き声と風切り音にかき消されないように声を張り上げる彼は、砂漠の民よりも春之助に近い、東洋風の顔立ちをしている。歳の頃は春之助と同じか、それよりも少し若い位だろう。
「仕事柄危険には慣れている」
「氷水晶の仲買人ってそんな危険な仕事なんですか?」
「氷水晶は雪の中に生まれる。採取の最中に雪崩に遭うこともある」
「あー雪崩は怖いですよね!」
「雪崩に比べればこれくらいどうということはない」
「あははっお客さん度胸あるし怪鳥乗りに向いてるんじゃないですか?食いっぱぐれたらうちに来たらいいですよ!」
「考えておく」
操縦者は春之助の言葉に快活に笑うと、機嫌よく手綱を振るい、時々腰に下げた袋の中から生肉を取り出して与えながらガイチョウの首を空に向けた。黒い翼が大きく羽ばたき、目の前にあったはずのメロソ山脈を瞬く間に越えてしまう。急な加速で発生した後ろに引き戻す力に対抗しながら春之助が眼下を見ると、豆粒のように小さな点の集まりが真白の雪に包まれた山の中に出来た茶色の道を進んでいくのが見えた。
「あれは陸路の商隊ですね!今の季節の山越えは大変ですから、あの分じゃあと一月はかかかな?あっもしかしてお客さんと同じ氷水晶の商人さんですかね?」
「同業者か。ならば急ごう」
「了解ッス!」
春之助の言葉に操縦者は大きく頷き、手綱を大きく振った。するとガイチョウは操縦者の巧みな手綱さばきで複雑な山の気流を見事に乗り越え、普通は二ヶ月かかる北の国への道のりをたった半日で済ませてしまった。
「またのご利用をお待ちしておりますー!」
「金が貯まったら考えよう」
朝に飛び立ったので、着いた時刻はは夕方である。メロソ山脈を越えたユフラ川の支流の岸にあるガイチョウ乗り場で操縦者と別れた春之助は、その晩宿を取った。一人なら多少の無理をして移動を続けられるのだが、同行者が居るのでそうもいかない。
宿の受付嬢に料金を支払い、近くの市場で適当に食料を見繕ってきた春之助は部屋に戻った。簡素な木製の扉を開いた先にあるのはアグドゥバの屋敷の部屋とは比べものにならないほど簡素な部屋だ。その中で、春之助の同行者は寝台の上でぐったりとしていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ問題無い……」
「吐くなら厠に行け」
「吐かねぇよ」
むくりと起きたホムラが、赤い顔を器用に青くしながら答える。だが、寝台の隣にある椅子に座った春之助が干し肉を小さく裂いたものをホムラの前に置くと、ホムラはそれに大きく食らいついた。
「食欲があるならそうらしいな」
「おうともよ。っていうかさ、お前さらっと嘘つける人間だったんだな」
「は?」
唐突な話題の転換に春之助が聞き返す。ホムラは尻尾で寝台をたたき、口いっぱいの干し肉を飲み込んだ後「商人ってやつ」と答えた。
「あの乗り手に氷水晶の商人だなんて言ってたじゃん」
「そのことか」
アグドゥバとの相談で、春之助はノルヴェスに氷水晶の商人として訪れることにしていた。アグドゥバの屋敷の氷水晶がそろそろ使用期限を迎えて使えなくなりそうなので、良質な水晶を求めて村に来たという設定だ。護送対象を村から連れ出すにしても、まずは村に入らなければならない。ノルヴェスは辺境の村ということで観光目的の旅行者も少ないが、北の国の例にもれず、採掘できる氷水晶を買いに来る者がたまにいるらしい。アグドゥバはそこに目をつけたのだった。
「お前さん、嘘つくの苦手そうじゃん」
「仕事のためならどうということはない」
己にとって重要でもなんでもないことを偽るなど、なんの呵責も覚えはしない。だから息をするように偽りを吐ける。視線を口に運ぶ物に固定して淡々と食事をしながら、春之助はそんなような内容のことをぽつぽつと語った。
ホムラは金の目でじっと春之助を見つめながら一口水を飲み、口を湿らせて言った。
「ハルノスケって俺に秘密にしてる…というか、言ってないこといっぱいあるよな」
「それはお前もだろう」
口の端を引き上げ、敢えて嫌味な笑みを浮かべながら春之助が返す。
「俺が結構訳ありなのはもう話したから、そんな顔されても痛くもかゆくもないぞ」
「とぼけるな。ノルヴェスはお前のいた北方の村なのだろう」
春之助が発言の後ろにさらりと推測を付け加えてホムラに放ると、それはどうやら図星だったらしくホムラはウッと肉を喉に詰まらせた。だがそれをなんとか飲み込んで息を整えると、ホムラは何でもないことのように声色を装った。
「ばれてたならそう言ってくれればいーのにさー。ハルノスケってば意地悪ぅ」
「屋敷で話していた時に、村の名が出た瞬間俺の袖から顔を出したろう」
「それでわかるってハルノスケすげーなーあははー」
「下手な演技は止めろ。見苦しい」
千切ったパンを口にしながら春之助はホムラの中身のない笑い声を斬り捨てた。見苦しいの一言で必死の繕いを斬り捨てられたホムラは数秒の間ぱくぱく口を動かしてさらに何かを言おうとしたが、春之助の態度を見てそれを諦め、深いため息を吐いて頭を振った。
「そうだよ…ノルヴェスって俺の村だよ」
「別に隠すことでもなかろうに。付け加えると、これからお前のことを気に掛ける暇はないぞ」
「別にいいよ。いいけどさ、俺の心の整理がつかないの!ちょっと位待ってくれてもいいじゃん…」
膨れて、ホムラがぷいと顔を背ける。人間よりは感情を読み取りにくい爬虫類の顔には戸惑いの色が表れていた。背けられた金色の目がゆらゆら揺れている様はまるで、木枯らしに吹かれ、行く先もわからず踊らされる銀杏の葉のようである。
しかし、春之助はそんなホムラを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。
「愚かな。何に整理を付ける必要があるというのだ」
「だって村にいる人達は俺のことを…」
「何年前の話だ、それは。深く考えず、里帰りとでも思えばよかろう」
「里帰りっておま…」
「悩むだけくだらないということだ」
パンの入っていた袋を几帳面にたたみ直し、部屋の隅に置いてあったゴミ箱に放って片付ける。両膝に手を置いて立ち上がった春之助はそのまま水場で歯磨きを済ませると寝間着に着替えて寝台に潜り込んだ。二日目で春之助の行動がわかってきたらしいホムラは春之助に押しつぶされる前に枕の横に移動し、丸くなった。肩まで毛布を被った春之助が手を伸ばし、寝台の横にあるランプを消す。
「先ほども言ったが、明日からはノルヴェスに向かうのに山をこえる。何があるかわからぬ、今日はゆっくり休め」
「あーだこーだ考えてないで早く寝ろってこと?」
「そういうことだ」
明りが消えた真暗の世界で、カーテンを引いた窓の隙間から冷たい月光が漏れてくる。砂漠の夜よりも厳しい寒さが満ちる闇の中、わずかな月光をためた金色の瞳が小さく煌めく。ホムラはそれだけ言ってさっさと目を閉じた春之助の顔を何か考えるようにしばらくの間見つめていたが、やがて小さく笑うと同じように毛布をかぶって眠りについた。
次の日。起きて早々簡単な食事を済ませ、春之助とホムラは馬を借りてノルヴェスに向かった。地図を広げ、時折道を確認しながら新雪の積もった雪道を進む。ガイチョウの降り立った町からノルヴェスに向かうには山を二つ越えなければならないと地図にあったが、地図を作った後に作られたらしい簡素な道があったので春之助はそちらの道を選んで馬を進ませた。
「地図を無視していいのか?」
袂の中から首を出し、ホムラが春之助に聞く。変温動物である蜥蜴の姿をしているホムラには袂の中は寒すぎるはずなのにケロッとしているのは、やはり彼が単純に見た目通りのひ弱な存在なわけではないからなのだろう。春之助が戯れにホムラの首に巻いた白い包帯がマフラーに見えなくもなかったが、防寒具というよりはファッションの一種に見えるような巻き方をしているだけなので、やはりホムラ自身が暖かいのかもしれない。
「この地図自体が十年前に作られたものだからな」
「信用度は微妙に低いってことか」
「そういうことだ」
そうは言っても、十年で山の形や村の位置まで変わったりはしない。まっさらな雪の上に足跡を刻みながら、山を大きく迂回する道を辿る。視界の殆どが白に覆い尽くされた退屈な道中、ホムラは彼等が迂回する山の、さらに先にうっすらと見える山を指して、あれが昔の自分の住処だと説明した。春之助達が行く道からは見えないが、山頂には祠があったこと、そこから眺める雪に埋まった村を見るのが好きだったこと、たまに雪崩になる前にあちこちの雪を溶かして回ったりしたこと。ぽつりぽつりとぶつ切りに、だが耐えること無く説明と昔話を続けるホムラの声には、懐かしさと切なさが混在する複雑な感情が滲み出ていた。
そして、ガイチョウの町を出て三日後の昼。彼等は漸く村の入口に辿り着いた。陸の孤島という表現がよく似合うノルヴェスは、春之助達が着いた村の入口以外は全て山に囲まれている。そこ以外に村への入口は無い。来た道に厚く積もった新雪に足跡の類が無く、途中半分雪に埋もれた倒木があったこと等から、春之助はこの村には暫く外界からの客がないのだなと判断した。入口から村を挟んで反対側にある山の中腹より少し下辺りに、山を覆う雪の白色から浮いている茶色の大きな建物が確認できる。春之助の目はその建物の上に立てられている十字架を視認できた。十字架はキトク教の象徴だ。おそらくあの建物はキトク教の教会だろうな、と春之助は心の中で呟いた。
「閉鎖的な村だな」
「地形も悪いしね」
馬に乗ったまま、さくさくと音を立てて村の中に入っていく。しばらくは何もない雪原が続いていたが、そのうちまばらに民家が見えてきた。春之助の故郷にあるのとは全然違う、石造りの建物達だ。大雪の中に埋もれるようにして建っているそれらは、術者の命令を待って蹲り眠り続けるゴーレムのようにも見える。得体の知れない何かを建物から感じた春之助は、粟立つ肌を無意識のうちに摩りながら通りの両脇にある民家から距離を取りつつ住民を捜した。だが。
「おかしい…人が一人もいない、だと?」
「んなアホな」
思わず漏れた呟きに、袂の中からホムラが突っ込んでくる。しかし春之助の言葉通り、見渡す限り人っ子一人見かけない。確かに冬はあまり外に出たくなくなる季節だが、昼時に人の気配すらないのは流石に不自然ではないのか。
春之助は警戒のために手綱を握る手から少し力を抜いた。さらに、いつでも腰に差した刀に手を掛けられるように馬の速度を落として、周囲を注意深く観察しながら進んでみる。すると、警戒を始めてすぐ春之助は「宿屋」と書かれた草臥れた看板の掛かった建物から厚着した人間が出てくるのを見つけた。着ぶくれに加えて上から茶色の毛皮を着ているので、一瞬見ただけでは熊と間違えそうな見た目である。しかし頭には耳の代わりに毛皮で出来た帽子があり、さらに分厚そうな革手袋が握っていたのが小さな金属の鍵だったことから、春之助はそれを人間だと判断した。
「おぉい」
春之助の声に、それが振り返る。帽子とマフラーに挟まれた部分には確かに人の顔があった。色素の薄い肌が、外気に触れて真っ赤になっている。近づけば、その人はどうやら高齢の女性らしかった。皺だらけの顔が呆けたような顔で春之助を見上げて瞬きを繰り返す。
「もうし、そこの人」
「あ、はい」
もう一度呼びかけて馬から下りると、老女はしゃきりと背筋を伸ばして返事をした。春之助が馬から下りながらぐいと顔の下半分を覆っていた布を引き下げたのも背筋を伸ばした理由かもしれない。視線を合わせるために僅かにかがみながら、春之助は老女に挨拶をした。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「拙者は氷水晶の商人だ。この村に良質の水晶があると聞いて参った」
「はぁ。確かに村では氷水晶が取れますが…」
老女が春之助の顔をまじまじと見つめ、格好を注視する。この辺りでは見たことの無い異国の人間だというのは、老いた目でもはっきりとわかるらしい。
「異国の方が、態々来る程のものではないかと…」
「恥ずかしながら、商談に失敗し近隣の村の氷水晶を他の商人に取られてしまったのだ。なんとしても氷水晶を手に入れなければならないと途方に暮れていた所、少し遠いがこの村にならまだ在庫があるのではないかと聞いた故参った次第」
春之助は表情を変えずに真っ赤な嘘をそれらしく吐く。そのあまりの厚顔さに、春之助の袖の中ではホムラが呆れ返って首を振っていた。
「まぁ。それはそれは大変だったでしょう。道なんて無いようなもんですから」
「ああ。道が雪に埋まって大変だった。この村には暫く人は来ていないのか?」
「冬になってからだぁれも来ちゃいませんよ。冬のお客さんとは何年ぶりでしょう」
老女が嬉しそうに笑って言う。しかし、手を合わせた拍子に手の中にある鍵に気づき、途端に陰鬱な表情を浮かべて春之助に哀れむような目を向けてきた。
「なんだ?」
「お客さん…こう言っちゃなんですが、最悪な時期に来てしまいましたね」
「どういうことだ」
馬の手綱を引き寄せ、宿の隣の馬屋に馬を繋ぎながら春之助が聞き返すと、老女は説明しようと口を開いて、しかし何か口にする前に緩く首を振って口を閉じた。
「何なんだ」
「見た方がわかりやすいですよ」
そう言って、老女は軽い荷物を持つだけとなった春之助の手を掴み、村の広場のある方に連れて行った。




