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侍と蜥蜴  作者: へび
3/11

古の神

「えっと…まずは、さっきも言ったように、俺はここから遠い北の村で神をやってた。お前さんの言うとおり俺はこの一帯のイスラナ教や世界中に広まってるキトク教の神じゃない。もちろんイスラナ教やキトク教の母体であるユディナ教の神でもない。

 俺はずっと昔、それこそただの蜥蜴だった。けど何があったのか、普通の蜥蜴よりもめちゃくちゃ長生きして、色々あってもっと強い存在になったんだ」

「随分と淡泊な説明だな」

 ぽつりと返した春之助の言葉に蜥蜴もどきは器用に頬を膨らませた。

「だってここら辺を詳しく話したらマジでどえらい長さになるもん。端折れる所は端折ってかないといけないだろ。で、強くなったら体もでかくなって、足腰しっかりして、背中に翼とか生えたんだよね。一番でっかい時の俺ってお前さんを縦に七八人重ねたくらいの身長だったんだよ。でっかいだろ。それで空とか飛んだの。飛べるようになった頃はすごく楽しかったなぁ」

「怪物になったというわけか」

「夢の無い言い方すんなよ。まぁそんな感じだけど。それで毎日楽しく過ごしてたんだけど、ある時通りがかった人間の村が雪崩に巻き込まれて壊滅してんのを見つけたんだ。あ、所で雪崩って知ってる?つーかむしろ雪って知ってる?」

「知っている。俺の故郷も一年の半分が雪で覆われていた」

 春之助の返答に蜥蜴もどきは「ほう」と感嘆の声を漏らした。

「そりゃ奇遇だな」

「ああ」

「だからお前が俺の結晶壊せたのかな?」

「それを判断するためにも先を話せ」

 春之助がくいと顎で促すと、蜥蜴もどきはへいへい、と返事をして先を続けた。

「その村があんまりにも可哀想だったから、俺はその村に降りたんだよね。その時の俺の姿は今よりももっとこう…格好良くて、偉大な感じで、おっきくてさ。首の後ろから尻尾の先まで馬の鬣みたいな感じで炎が噴き出してる感じだったの」

「物の怪か」

「……もうモノノケでもいいや。で、その火で村人あっためて、食料なんかもないから近くの山で俺が熊とか鹿とか狩ってきてね。俺は生でも食べられるけど人間は生肉を食えないから火を噴いて焼いてやってさ。それでなんとか村人達は命を繋いで村は再興できたの」

「善を為したというわけか」

「そういうこと。別に褒められたくてやったわけじゃなかったんだけど、感謝されたのは嬉しかったよ」

 蜥蜴もどきが大きな口の端を上げてにこりと笑う。彼が先ほどから浮かべている邪気の無い笑みに、春之助は眉間に皺を寄せて厳つい顔を作りつつ、しかし「こいつは警戒するだけ無駄な生き物なのではないか」と思い始めていた。

「それでね、嬉しかったし村は全快ってほどでもなかったから、俺はそのままその村に居着いた。村は山の裾の所にあって、俺は彼等の村が見下ろせる山のてっぺんに住むことにしたんだ。ちょうど良い洞窟もあったから住んでて快適だったし、村人達は優しいし、何年も律儀に感謝の祭とかしてくれた。それで、何年くらい後だったかなぁ。そこら辺忘れたんだけど、ある時から俺は村の人達から『神様』って言われるようになってたんだ」

「ほう。蜥蜴が崇められ神になったというわけか」

「そういうこと。すごいだろ」

「ああ」

 それはすごいと素直に思う。故に素直に頷くと、蜥蜴もどきは春之助の反応に満足そうに頷き笑った。

 しかしその笑み長くは続かなかった。続ける言葉を見つけると、蜥蜴もどきの表情は暗く沈んだ悲しそうな笑みに変わってしまった。

「でもな。神様なんて言われてるとそう何度も人の前に出て行くわけにはいかなくなったし、何よりでっかい俺をみて村人達が怖がるから俺は人間達の前に姿を現さなくなった。そうして、気づいたら山から人里まで下りていけなくなったんだ。物理的にじゃなく、心理的にね」

 それは蜥蜴もどきにとってとても悲しいことだったのだろう。過去を語る声は語り続けるうちに跳ねるような元気さを失っていった。その語りの変化は過去に起こった蜥蜴もどきの周囲の変化を、時を超えて春之助に体感させていた。

「そしたらさ。俺の居た山だって登山道があるようななだらかな山じゃなくてさ。登るのは結構危険な山だから段々と人間達が俺の住処まで来て祭をすることもなくなって、人間は風みたいな早さで生まれて死んでいって……」

 蜥蜴もどきの言葉が小さくなっていく。春之助の目を見ていたはずの金色の目は、己の語る言葉に引きずり込まれ、いつの間にか自身の過去をみつめていた。




 蜥蜴もどきが正確な年月を話さなかったから、少し補足をしよう。彼の穏やかだが少々寂しい日々に最初の変化の一撃があったのは、春之助と蜥蜴もどきが面と向かって話している時代から数えて五百年と少々前の、ある穏やかな春の日だった。

 その日、蜥蜴もどきのいる山の麓に黒い不思議な服を着た数人の男達がやってきた。彼等は煌びやかな装飾品を村人達に見せ、自分達がいかに恵まれている存在かを切々と村人達に語ってみせた。

 自分達はある神を信じ、その神に尽くして心と体の平穏を得ている。

 その神を信じれば、貴方達も私たちのように幸せになれる。

 だから一緒に同じ神を信じましょう。崇めましょう。

 彼等は蜜のように甘く、綿のように柔らかく暖かい言葉を持って村の中に入っていった。

 蜥蜴もどきが村を救ったのは遙かな過去の話であり、それを直接知っている者は遙か昔に亡くなっていた。決して大地が肥えているわけでも、何か特産があるわけでもなかった村が彼等の教えに染まるのに、そう長い時間は掛からなかった。蜥蜴もどきの善行への感謝を捧げる祭は数年でおざなりになり、そしてそのままあっけなく自然消滅した。

蜥蜴もどきを神と祀らなくなるのと平行して、人間達は山の長老達ともいえる大木達を伐採し、麓の一番目立つ所に村から浮いた派手な雰囲気の建物を作った。窓には色の付いたガラスを嵌め、一番広い部屋には横に長い椅子をいくつも置いた。蜥蜴もどきが時折山から伺うと、村人達は数日ごとにその建物に集まり、自分ではない誰かに祈りを捧げていた。

別に崇められたいわけじゃない。けれど忘れられても気にしないというわけでもない。

白い切り口を晒す切り株に大きなかぎ爪の生えた手を置いて撫でながら、当時の蜥蜴もどきは静かに痛む胸を抱えた。新しい教えが数十年かけて村に染みていくのを見ながら、彼はそれでも村人達の平穏な日々を願った。彼の助けた村人の曾孫の曾孫の息子がその孫を抱きつつ午後の陽光に微睡むほどの時を経ても、彼は初めて村を助けた時と同じ気持ちで村人達の平和を願い、大過なく彼等が一日を終えて眠ることを誰よりも喜んだ。

気がつけば、彼にとってその村は、何にも代えがたき宝になっていた。

村人達の笑顔は、何を犠牲にしても彼が望むものになっていた。その思いは受け取られることが無かったとしても、奪われることの無いはずの思いだった。山の中で、空の上から、じっと思うだけならば、誰の邪魔にもならない。何の罪にもなりはしない。だから、思うだけ、願うだけの存在になっていた彼は、本当ならば穏やかに今も村の側に有り続けられたはずだった。

だが、彼を神として村の側に残しておく事を。

彼がそこにいるという、ただそれだけのことさえも。

黒い不思議な服を着た者達は、許さなかった。



「あの日は長く続いた吹雪がようやく収まった気持ちのいい晴れの日だった。空気は冷たかったけど、日向にいると日光が気持ち良くて昼寝にはぴったりな日でさ。昼寝しすぎて夜寝れなくなった俺は洞窟の中でごろごろしてたんだ。そしたらさ、真夜中に山が急に煩くなったんだ。何かなぁって思って姿を消してこっそり洞窟から出て空から山を見たら、村人がみんなして松明持って、雪で歩きにくくなってる中、山に何本かあった俺の洞窟に続く獣道を歩いてきてた」



 その様子を見て、蜥蜴もどきははじめ驚いたが、すぐに嬉しくなった。

また村人が自分の所に来てくれた。ずっと忘れられていたけれど来てくれた。いや、忘れていたんじゃなくて色々と都合が悪くてずっと来られなかっただけかもしれない。時間ができたからみんな来たのかもしれない。暢気にそんなことを考えて尻尾を振っていた。洞窟の中で待っているのももどかしく、嬉しさを発散させるように洞窟の外に出て、蜥蜴もどきは翼を広げて夜空に躍り上がった。



「馬鹿だよなぁ。今思えば…あの時の俺は、あれだ、ずっと男にほったらかしにされてたのに、気まぐれに思い出して連絡もらって浮かれた女の子みたいだった。まさにあんな感じでうきうきしてた。どうしようもなく嬉しかった」

 蜥蜴もどきは辛そうに言葉を紡いだ。布団の上で項垂れる赤い体を撫でようと無意識に春之助の手が動く。しかし蜥蜴もどきの視界に入る前に春之助は拳を作り、手を止めた。

「いつの世も…想う側はそのようなものだろう」

 それでも、蜥蜴もどきの姿があまりに辛そうで、苦しそうで。春之助は言葉を探しながら、低い声で呟いた。いつの間にか、春之助にとって彼は慰めるほどの義理はなくとも、その辛い姿を見過ごせるほど関係の無い存在では無くなっていた。

「想う間は長く辛くとも、一度報われれば待った時間はひとまとめに過去になる」

「へぇ。お前さんもそういう経験あるの?」

「俺のことはいい。続きを話せ」

「ケチだなぁ。まぁいいけどさ…」



 しかし洞穴についた村人達の目は蜥蜴もどきの彼等の目とは違った。彼等は洞穴の入口にある、彼等の先祖が蜥蜴もどきのために作った祭壇を、まるで悪魔の生け贄を捧げるための祭壇でも見るような目で見、持って来た道具達で狂ったように破壊した。そしてそれを先導していたのは、ずっと昔に村に来た黒服の男達と同じ服を纏った人間達だった。

 彼等は松明を手に叫んだ。

「皆の者! 悪魔を逃してはならぬ! 見つけて屠り村を救うのだ!!」

(悪魔?)

 蜥蜴もどきは星星の光と戯れながら首を傾げた。村を長年見つめ続けてきた彼は今までそんなものが村に入る所など見たことがなかった。そんなものがいる気配も村にはない。

(何かの勘違いではないのか?)

 戸惑う思考の答えは、村人達が勝手に出してくれていた。黒服の人間の先導に呼応して彼等が壊しているものは何だ。悪魔よ去れと叫びながら彼等が焼き尽くそうとしているものは何だ。

 嘘だろう、と呟く声は風に攫われ何処かへと流れていった。

 ただ見守っていた間に、何故自分が悪魔と呼ばれなければならないのだ。



「何だかんだで俺はずっと村人と接触してなかったからな。何か思い違いをしてるんじゃないかって思って急いで空から降りてきて村人達の前に着地したんだ」

「そ……」

 それは一番やってはいけない行動だったのではないか。

春之助は蜥蜴もどきにそう言いそうになって、しかし言葉を飲み込んだ。蜥蜴もどきの全身から放たれる後悔の念が、春之助にその指摘が不要なことを教えていた。



 姿を消すのを止めて天から降りてきた蜥蜴もどきは、村人達を押しつぶさないように翼を羽ばたかせてふわりと着地した。さらに、なるべく怖がらせないように頭を下げて人間達に視線を合わせて、爬虫類の顔にがんばって笑顔を浮かべて村人たちに微笑んだ。

 彼の努力は健気なものだった。しかし、人間を一飲みできそうなほど巨大な怪物が首を下げて自分達を見つめ、さらに歯を見せてきたら、誰だって頭に浮かべるのは喰われるという本能的な恐怖だけだ。

 夜を切り裂くような村人達の悲鳴と飛んでくる武器が、精一杯の笑みを浮かべた蜥蜴もどきの体に刺さった。武器の類は鋼鉄よりも固くなっていた鱗が難なくはじき返したが、蜥蜴もどきは向けられた恐怖と殺意の刃で的確に心臓を貫かれた。

「死ね悪魔あああああああ!!!」

 恐怖と憎悪に染まった村人達の声が、黒服の人間達の煽る声が、蜥蜴もどきの心を引き裂いた。

「皆の者力を合わせよ! この悪魔を倒せば村の大地は病より蘇るだろう!」

(どういうことだ)

 飛んでくる槍を反射的に腕を振って弾きながら、彼は戸惑った。

「大地は肥え、楽園となるだろう!」

(あの土地は元々痩せているんだ。楽園なんてもんじゃない。彼等は何を言っている)

 この世に生きる誰よりも長く村の土地を見てきた蜥蜴もどきに間違いはない。

(あの土地が肥えていたことなどない。あり得たことが無いことを、その不在を、何故人間達は自分のせいにする?)

蜥蜴もどきは戸惑い、混乱した。

「悪魔を殺せ! 悪魔を殺せ!! 村のために、子達のために、悪魔を殺せ!!!」

(俺は何もしていない! あの土地は元々ああいう土地なんだ! 村人は皆それを知って…)

 知っているはず。

 心の中で叫んだ言葉で、蜥蜴もどきは気がついた。

 長い長い時が経ち、村の過去を正確に知る者は皆死んでいなくなっていた。

知らない過去は美化されて、この土地が遙かな昔は豊潤な大地だったと伝えられていたとしたら。それが痩せた不毛の地に変えられて今があるとされていたら。

 『土地を悪くした』のが、遙か昔にこの地に飛来した蜥蜴もどきだとされていたら。

(ま…まさか…いや…)

 頭の中に生まれた恐ろしい想像を、蜥蜴もどきの頭の中の別の誰かが必死に否定しようとする。けれど現実はその否定を完膚無きまでに叩き潰してきた。

「この悪魔! 緑を返せ! 水を返せ!! 神の名の下に地獄に帰れ!!!」

 もしそう過去が改変されていたら、それを伝えたのは、そういう過去を捏造したのは、この村が変わってしまったのは、誰が来たからか。

 必死に思考した蜥蜴もどきの金の目が、村人達の中にいる黒服の人間達を捕らえる。彼等の色素の薄い目の中に、蜥蜴もどきは薪の隙間で燃えるような小さな狂気の炎を見た。

その炎から、蜥蜴もどきは彼等の意図を悟った。

 彼等の信じる神を村人にも信じさせるため、つまり信者を増やすために黒服の人間達は村に来た。しかし村には彼等の神ではない神が先にいた。

 だから彼等は時間をかけて歴史を、過去を改竄し、蜥蜴もどきを神から悪しきものにしたてあげた。蜥蜴もどきの神としての地位を排除するための土台を固めた。元々いる神を悪しきものにして、それを排除して新しい神を信じさせるために。

 悪しきものを排除した英雄として、新しい神を祀るために。

もっと信者を増やすために。

「我らが父なる神の名において命じる! 地獄に帰れ、大地を汚す炎の悪魔よ!」

 黒服の人間の中で一番恰幅のよい人間が耳障りな甲高い声で叫ぶ。それと同時にその男が手に持っていた赤い何かが煌めき、飛び出して蜥蜴もどきを押しつぶすようにして飲み込んだ。

 全身の骨を砕くような痛みに蜥蜴もどきは怖がらせまいとずっと抑えていた声を解き放った。村人達が思い込んでいることは違うと、自分は悪魔なんかじゃないと叫んだ。痛みに恐怖し苦しむ感覚を、人と同じ言葉をもって悲鳴として解き放った、はずだった。

 だが、長い長い時が、彼の口から人間と会話するための言葉を奪っていた。人と同じ悲鳴の代わりに彼の鋭い牙が並ぶ口から飛び出したのは、空と大地を震わせる巨大な咆吼だけだった。

 そしてその咆吼ごと、黒服の人間達が持っていた何かは蜥蜴もどきをその中に封じてしまったのだった。



「あの結晶は俺みたいな存在を閉じ込めるための、何かそういう道具の一種だったんだと思う。それで自力では出れなくて、お前さんがたたき壊してくれたから出られたんだよね。

以上こういう事情で俺はお前さんに感謝してて、そんでだから元神だってわけさ」

 はいおしまい、と、湿っぽくなった空気を吹き飛ばすように蜥蜴もどきはわざと声を明るくして話を終わらせた。ついでにぴょんと布団の塔から飛び降り、刀を跨がないようにして春之助の膝の上に飛び乗った。春之助は蜥蜴もどきの物語に飲まれ反応が遅れたが、刀を掴む前に蜥蜴もどきが移動を止めたのでなんとなく空いている手で蜥蜴もどきの背中を撫でてみた。

「どう? 俺の波瀾万丈な半生」

「どう、とは」

「面白かっただろ」

「笑える要素は何処にも無かったが」

「そうじゃなくて。興味深いとか、そういう意味の『面白い』だよ」

「そのような意味なら、確かに『面白かった』」

「そっか」

 へら、と蜥蜴もどきが春之助の手の下で笑う。その笑みが心の底からの笑みに見えたので、春之助は不思議に感じ、思わず問うた。

「何故笑う」

「え?」

「確かに『面白かった』が、お前にとっては笑える話ではなかろう。話し終えて笑みを浮かべられるような内容ではなかろう」

 助けた相手の子孫達に、想い続けた人々に裏切られたのだ。その人々を利用しようとした人間達に傷つけられたのだ。それは、話した直後にこれほどあっさりと笑えるようなものなのか。そういう意味を込めて春之助が視線で問うと、蜥蜴もどきは少し考えた後頷いた。

「確かに笑える話じゃないな」

「ならば何故」

「そりゃ、閉じ込められてすぐは全然笑えなかったよ。めちゃくちゃみんなの事恨んだよ。でも今じゃもう昔の話だからさ。俺みたいな、生物の範疇を超えた連中の中には百年も千年も恨み続ける奴がいるけど、俺はそういうの嫌だし。恨んだりするのだって疲れるんだぜ?」

「そうか」

「それにさ」

 剣を握り続けて固くなった春之助の手のひらに気持ちよさそうに頭を擦りつけながら、蜥蜴もどきは言葉を続けた。

「俺は村に行かなくなったって言ったろ?それで村人達が俺のこと誤解するようになったって考えられなくもないし」

「だがそれにつけ込んだのは黒服の人間達だろう」

「そうだけどさぁ、あいつらだって何か事情があったかもしれないだろ」

「事情があるという証明はできなかろう」

「無いっていう証明もできないよな?」

「ぬ…」

 確かにそうだ。蜥蜴もどきの言葉に春之助は反論できなかった。厳密に言えば反論する方法はあったのだが、春之助は知らなかった。蜥蜴もどきが求めたものが「無いことの証明」つまり「悪魔の証明」であり、論戦においてそれを求めることは御法度であることを、知らなかった。

蜥蜴もどきは指の間からまだ納得出来なそうな春之助を見上げつつ、更に言葉を続けた。

「それにさ、俺やっぱり人間って好きだし。恨む、って言ったら、人間が好きで色々助けた俺の行動全部が…無駄とは言わないけど、結構意味無くなっちゃうわけじゃん。それはそれで嫌だし。

まぁ、ごちゃごちゃ言ったけど、なんていうか、一言で言うとあれだ。恨むの疲れたから許した。そんだけだよ」

 簡単だろ? そう言って笑った蜥蜴もどきに、春之助は曖昧に頷いた。確かに蜥蜴もどきの結論は簡潔だ。そして彼の結論は、恨み憎しみで心をすり減らすよりももっと賢く合理的な答えだった。

 理論的な意味では確かに『簡単』だろう。けれど、それは春之助にとって『簡単』なことではなかった。

(確かにこいつは…この蜥蜴もどきは『神』なのだな)

 手酷い裏切りを受け封じられても尚人を好み、彼らを許すという心の広さは、俗世的な価値観しか持たないこの世の生き物の殆どが持ち得ないものだった。

 そして春之助もまた、そんな心の広さは持っていなかった。

(俺はまだ許せていない…)

 蜥蜴もどきが踏まないように気を遣っている刀の鞘に刻まれた龍に目を落とす。鎖国されているはずの国から出た春之助が、唯一持ち出せた価値ある財の刀と脇差。その鞘に刻まれた、竜田の名の中にある『龍』の姿に、もう会うことの叶わない家族の姿を垣間見る。

 誰にも話したことの無い己の過去。何の偶然か、春之助もまた、蜥蜴もどきと同じように宗教のせいで住むところを追われた人間だった。

(俺は…)

普段は心の奥底にしまっている、国を出たきっかけの出来事を思い出す。そのまま蜥蜴もどきの物語に引き込まれ、春之助がらしくもなく暗い思考に沈んで行きかける。そんな春之助の意識を呼び戻したのは、つい数秒前に意図せず春之助の背を暗い思考に押した蜥蜴もどきだった。

「お前さん、大丈夫か?」

「……大丈夫だ」

「……そうか。なら一個聞いていいか」

 誰がどう見ても今の春之助は大丈夫なようには見えないだろう。だが蜥蜴もどきは敢えて追及はせず、真剣な顔で言った。微かな躊躇いも見えるが、金の双眸は真っ直ぐに春之助に向けられていた。

「何だ」

「すんごい今更なんだけどさ」

「さっさと言え」

 蜥蜴もどきがぐずぐずし出した途端、彼を睨むように春之助は眉間に皺を寄せた。蜥蜴もどきはその鋭すぎる視線に思わずといった風に顔を僅かに逸らした。

そうして彼が、躊躇うようにして口にした問いとは。

「お前さん、名前なんてーの?」

「……………………」

 真剣な雰囲気を予想外の所から木っ端微塵に破壊してくる、確かに今更すぎる質問だった。



 あまりに唐突な蜥蜴もどきの質問に春之助は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに脱力し吐息に乗せるようにして「竜田春之助」とだけ応えた。

「タツタハルノスケ?それで名前?長いなぁ」

「違う。姓が竜田、名が春之助だ」

「それならわかる。ハルノスケ、かぁ」

 いいなぁ、と蜥蜴もどきは顔を綻ばせながら口の中で何度も春之助の名を繰り返した。

「いい名だな」

「有り難う」

「俺も名前教えられたらいいんだけどなぁ」

 無理なんだよね、と諦めたように言う蜥蜴もどきに、春之助は首をかしげた。

「どういうことだ?」

「俺は元々ただの蜥蜴だって言ったじゃん。で、さっき神様やってたって言ったじゃん。」

「応」

「蜥蜴の時は名前なんてもらわなかったし、大きくなってからも俺を名で呼ぶ奴なんかいなかった。村に居た頃はただ『神様』って呼ばれれてさ。そういうわけで俺、名前無いんだよ」

「自分で付けてはいけないのか?」

 春之助は親からもらった名が気にくわなくて自分で自分の名前を作った人間を何人か知っていた。名前など、勝手に考えてもいいものではないのか。元服などの儀式に絡めて名前というものの重要性を知ってはいたが、春之助にとって名前とはその程度の価値しかないものだった。

「そういうわけじゃないけど…名前って、誰かからもらうもんじゃねぇの?」

 だがそれは持てる者の感覚だ。蜥蜴もどきは憮然とした顔で言い返した後、ハッとした顔になって己の背を撫でる春之助の手を尻尾で叩いた。

「いいこと考えた!ならさ、ハルノスケが俺に名前をつけてくれよ!」

「何?」

「いいじゃんいいじゃんハルノスケの名前をくれって言ってるわけじゃないんだし!減るもんじゃないし、なんかこー、いい感じの!な!」

「なら、蜥蜴もどき」

「ねーよ」

 春之助が脳内での暫定的な呼び方を言ってみると、蜥蜴もどきは即答で拒否した。

「つかお前さんずっとそういう目で俺を見てたわけ?失礼じゃね?」

「元々蜥蜴だったのだろう。これ以上なく合理的な呼び方だと思うが」

「いや、確かにそうだけどさ。さすがに名前の中にもどきはない」

「確かに」

 名前に『もどき』が入っているのは確かに嬉しくない。春之助は蜥蜴もどきを手の平の上に乗せ、目線の高さまで持ち上げて蜥蜴もどきを真正面からじぃと見つめた。

 初めて見たときと変わらない美しい深紅色の体表を天井の氷水晶の淡い光が照らし、弱く乱反射させている。蜥蜴もどきの呼吸に合わせて体の上で揺れる光は、夜闇の中で赤々と燃える焚き火の炎を思い出させた。両目の金色は、体が炎ならその芯ということになるか。

 春之助は、見つめた目の中に映る姿をそのまま言葉にして呟いた。

「焔」

「ほ?」

「ホムラ。俺の国の言葉で『炎』という意味の言葉だ。お前は炎によく似ているから、この名が似合うだろう」

「炎かぁ。ま、昔は火ィ噴いてたしなー」

 うん、と頷いて蜥蜴もどきは口の中で何度もホムラと呟いた。己の体にその言葉を馴染ませるように。頭の中に刻み込むように。得がたい宝を、宝箱にしまい込む前に念入りに磨くように。

「ホムラ、ホムラ、ホムラ…よし、俺はホムラだ」

「気に入ったか」

「おう!ありがとな!」

 にぱ、と口を開けて蜥蜴もどき改めホムラが笑う。その邪気のない笑顔に、春之助は思わずまた赤い背中を撫でてしまった。

誰かにこうして心穏やかに触れるのは何年ぶりだろう。用心棒として生きてきた十数年の間には無かったな、と頭の中で呟いて、春之助はそのままひんやりとして手触りのいい鱗の感触を飽きるまで堪能したのであった。

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