04 配給 Distribution
高い高い穴から差し込む太陽の光が眩しくて、グロリアスはふと目を覚ます。龍はまだ眠っているのか…瞼は閉じられたまま。起こさないようにそっと、ゆっくりと鱗伝いに登っていく。一方龍もその気配に気づき目を覚ました。もぞもぞと自分の上を這い上がって来ては、昨日の傷口を観察している男の様子を伺いながらまた全身を緊張させた。龍も龍とて、少しでも邪悪な気配を感じたら、いくら助けてもらった恩義があるとは言え攻撃を仕掛けてしまうだろう。そんな自分を抑えるように、静かに呼吸をつめて観察している。パチリと目を開き、昨日は警告したくても動かなかった尻尾を鞭のようにピシリと打ち付け、気力の充実した双眸でじっと男を見つめる。
グロリアスがマントを除けると、若干の腫れが見えるものの傷口は綺麗に塞がっていた。超人的な治癒力…まあ、龍であるが故なのだろうが。腫れが退くにはもう少しかかりそうだが、時間の流れが解決するだろう。
「人の子よ。お前のお陰で我の傷は癒えたようだ。しかし、命を救った事を後悔するやもしれんぞ?お前の目の前に居る我は龍だ」
「腹…減ったな」
警戒心ガチガチの龍が問いかけたタイミングで、男のお腹が鳴った。ここで笑ってしまっては恐ろしい龍としての自分の沽券にかかわる。必死で重々しい雰囲気を作りながら問いた。
「何も食べていないのか?」
「いろいろあって…昨日から何も」
腹の虫が悲鳴を上げ、グロリアスは今更の事のように空腹を自覚する。脳裏に問いかける龍の声に、苦笑いで答えた。あたりを見回してみるが…腹を満たせるようなものは見当たらない。龍は…どうなのだろう?飲まず食わずで大丈夫なはずもないし、かと言って空腹を感じているようにも見えない。と言うか、目を閉じたままじっとしているから判断のしようがない。
一昨日の夜、突然起きたクーデター。国王と王妃は無残にも暗殺された。 せめて妹を連れ出したいと奔走したが、 すでにクーデター主犯の大臣の手の中にいて。後ろ髪を引かれる思いで逃走するしかなかった。零れる涙が止まらない。 それを拭う余裕もなく走る、走る、走るしかない。 食事など…できるはずもなかった。
「それにしても…龍の生命力ってのは凄いな。人知の域を遥かに超えてる」
大地の気と清らかな水の気、そして太陽の光があれば、龍は数十年くらいなら冬眠状態で生きる事はできる。天寿を全うすれば千年もの間その名を馳せた龍も存在した。ただそれは冬眠状態であって、空を舞ったり炎を操るための力は求める事は出来ない。まだ少しは力も残っていようか、この人間を乗せてこの牢獄のような洞窟から出られようか。男が言外に滲ませた苦労を思って、自分でも意外な事に男の背中を鼻先で撫でる。
己の体が快方に向かっているのは、龍自身も良く解っているようだ。 ならば少しでも栄養を取らないと。 龍が何を食べるかなんて想像もつかないが…あれば何か食べるだろう。 とにかく…腹が減っては戦はできぬ。そして、傷ついた体を癒す事も。グロリアスはゆっくりと立ち上がり、背中に長剣を携えると…ゆっくりと歩き出した。
「何か…腹の足しになるものを探してくる。お前はそこで待っていろ」
男が立ち上がりどこかに行こうとしているらしい。寂しい…と久し振りの感情に動揺しながら大きな翼を畳むと、ゆらゆらと立ち上がり男の後をついていく。本人はこっそり着いていっているつもり。ズルズルと尻尾を引きずる音を立てている事にも気づかず、男が一歩足を進めれば、龍もヒョコリと動く。
「何してるんだっ!下手に動くと…傷口が開くぞ!お前はおとなしくしていろ。第一…お前が後ろからついてきたら、狩りなんかできないだろ?」
怒鳴るように始まった台詞も、最後は苦笑いで終わる。任せておけ…とでも言うように、小さく手を振って再び歩き出した。怒鳴られて拗ねた龍は翼の中に顔を埋めた。ちょっとついて歩いただけなのに、ちっちゃな人間のくせに。あんなに怒るなんて。我は竜だ。なのに、あんな鼻息でも吹き飛ばせるような小さな男に怒られるなんて。そして素直に従うなんて。どうかしてる…と苦笑いをしたような。
あの龍は、どこから入ったのだろうか?人一人がようやっと歩けるほどだから…あの龍が抜けるのは無理だ。そんな洞窟がどこまで行っても暗く続いている。
「それにしても…どっちに行ったらいいんだろうなぁ?とにかく…何か食えるものを見つけないと」
やっと洞窟の外に出たグロリアスは一日中山の中を駆け回り、やっとやっと獲物を仕留めて洞窟の奥の龍のところまで戻ってくる。龍がぶつぶつと呟く文句が浮かんでは消え、浮かんでは消えをしているうちに、男が龍の元へ戻ってきた。天井から降ってくるような奴だから、またドジを踏んだのか…と、片眼だけパチリと開けると、大きな猪が目に飛び込んできたよたよたと千鳥足になりながらも、その背中の長剣は飾りではないのだ。
龍は最後に食べ物を口にしたのが、もうどのくらい前なのか思い出せない。鼻腔をくすぐる血の匂いに思わず喉が鳴る。せがむように地面に爪をカリカリと立てたが、これでは完全に飼い慣らされているじゃないか。龍は己を情けなく感じる。
「なんのつもりだ、人の子。我が腹を満たして、己が喰われぬようにしているのか?」
「痩せ我慢をするな、待ってろ。いま切り分けてやる。まぁ…こんな少しじゃ、お前の腹は膨れないだろうが…」
背中に背負うほどの大きな猪も、龍ならばきっと丸呑み一口だろう。龍の前にゴロリと猪を置くと、ナイフで猪を捌き始める。グロリアスが食べたい分だけ切り分ければ、残りは龍の分だ。これがどれほどの栄養補給になるかは解らないが、何も口にできなかった今までのことを考えれば、たいそうなご馳走であることに違いない。
「お前…ソルフレアだろ?」
ニヤリと笑みを浮かべたグロリアスが問いかければ、龍は一瞬たじろいだような。やっぱり…と納得の表情のグロリアス。龍の前にゴロリと猪を置くと、ナイフで猪を捌き始める。王子の頃であれば、剥いだ皮を敷物にしたり剥製にしたり…などと考えた事だろう。しかし、今のグロリアスは空腹を満たす事しか考えていなかった。どうせ喰らいついたりはしないだろう…タカをくくっていた訳じゃない。もちろん、まともに戦って勝てるとも思っていない。むしろ、感じていたのは…予感。いまははっきり解らないけれど、この龍なら共に生きていける。そんな魂の繋がりのようなものを。
「お前は伝説の火炎龍だろ?俺の生まれた国では…誰もが知っている話だ。俺も小さい頃から、何度も聞かされたもんだ。俺を食ったところで…お前の腹は膨れまい。それより…お前の身体はまだ完治していない。その間は俺が必要なはずだ」
「知っていたか、人の子。ソルフレア…我を恐れた人間がつけた呼び名だ」
「火炎龍なら…こいつを焼けるか?生で食うよりは、美味いと思うんだが」
灼熱の炎を操り人々を震え上がらせた紅い龍は男の脳裏に語る。紅い龍に乗る事を夢見たハンターは数え切れないほどいたが、その多くの足を萎えさせ、隻腕にし、視力を奪い、絶望のどん底に叩き落したが、自ら人の命を奪う事はなかった。怒りで壮大な火柱を上げて村を焼いてしまった事もあるが、それは村人がみんな逃げたのを見届けてからだった、と言い訳をする。
男は自分を目の前にして震える事も泣く事もせず、もちろん殺気すら立てず、肉を切り分ける男を不思議そうに見つめた。肉を自分に突きだし、焼けと命じてくる人間の胆力に感心するばかりだ。確かに完全に傷が治って、元のように羽ばたくには、この男の力が必要なのかもしれない。
グルルと喉を鳴らして、喉の奥で炎が生まれる気配に龍は満足した。足元の地面に小さな炎を落としてみると、懐かしい熱と閃光が現れる。巨大な猪も皮を綺麗に剥いで取り去れば、それはまさに牡丹肉の塊。脂身も赤身も、火炎龍の溜息によって実に美味しそうにローストされた。これで塩胡椒があれば…贅沢な食卓になったに違いない。
「物足りないかもしれないが…今日の獲物はこれだけだ。我慢してくれ。どうだ?量は少ないが…なかなかイケるじゃないか」
グロリアスがナイフでざっくりと切り分けた肉を龍の口に放り込む。そして自分用に切り分けた肉に喰らいついた。美味い。味付けもしてない、ただ炙っただけの牡丹肉がこれほどに美味しいとは。王宮では味わう事のできなかった経験である。どちらかといえばウエルダン寄りの、しかし噛むと肉汁が染み出てくる。再びナイフで切り分けた大きめの肉塊を、龍の口の中に投げ入れた。あむん…、と放り込まれる肉を龍は素直に食す。
龍は焼かなくてもいいけど、この人間が焼いた方がいいんだよ、と言えばそうなのかも知れない。本当に久し振りに孤独が癒され、傷も痛くない。そして食事をし、龍はご機嫌に見えた。美味しそうに肉に喰らいつく人間を満足げに見て、そんなに喜ぶなら…と、火の勢いをさらに強めてみる。思ったより強く炎が上がり、自分でも驚いて翼をはためかせた。