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火炎龍と王子様  作者: ソル&グロス
第五章 東の果ての国ジャポネス
23/34

23 青龍 Aquabit

 筏がやっとやっと通れる入り口。天井は結構高かった。そして、そこら中に貼り付いているコウモリ。小さなコウモリの目が無数に爛々と輝いている。


「やっぱあまり気持ちいいもんじゃねぇな。って言うか…コウモリは不味いぞ。きっと」


「コウモリ不味いかな?ちょっと筋っぽくて、ステーキみたいなジューシーさはないけど…肉は肉だよ?」


苦笑いをしつつオールを漕いでいると、やがて岸辺が表れた。上陸し、筏を引き上げておく。帰りも、もしかしたら乗る事になるかもしれない。ソルの傷が治るのと、龍の姿に戻れるのは…また別問題。とにかく、薬草を手に入れないと。まるでスキップするかのように歩くソルを窘める。


「おいおい、そんなにはしゃぐな。足元暗いんだから…気をつけろよ」


ここまでくれば、何としてもソルの傷を治す。そしてこのブルーロズを伝説ではなく、容易く手に入れられるようになれば。医者として、これ以上の望みはそうそうない。そんな思いを知ってか知らずか、ソルは爛々と光るコウモリの目に興味津々である。待ってろよ…と舌なめずりして、岩肌にへばりつく無数の目を眺めた。


「ぅあっ!」


コウモリを気にして上ばかり見ながら跳ねるように歩いていたソルは、バランスを崩してグロスに寄りかかる。言わんこっちゃない、と嗜められ膨れっ面でしょんぼり俯く。下を向くと、そこに可愛い青い花を見つけた。


「グロス、青いお花咲いてるよ?」


「なにっ!?どこだっ!?どこっっ!?!?」


洞窟の脇にひっそりと咲く一輪の花。その青い花こそブルーロズだった。しかし、一本だけだ。この一本を抜く訳にはいかない。それでも、これでグロスは確信した。この洞窟のどこかに、ブルーロズが群生していると。


「ソルっ!やっぱりあるぞっっ!奥だっ!もっと奥だっっ!」


更に奥へと進んで行くと、緩やかな上り坂。そしてその坂を上がりきったところで二人が目にしたのは…まるでクレーターのようにポコンと凹んだ窪地に群生する…一面の青。群生している伝説の薬草…ブルーロズ。


「ソル…やったよ…。俺達…とうとう見つけたんだ…」


「グロスなら、きっと成し遂げるって信じてました」


ソルは膝を突き、恭しく礼をとる。でも我慢できなくて、グロスにぎゅぅっと抱きついた。その喜びは涙さえ溢れさせる。グロスの大きな手が、ソルの頭をゆっくりと撫でる。


「やったね。本当に来られた。これがブルーロズ…綺麗だね。眺めてるだけで幸せ…」


小さな花に顔を近づけるとその香りを嗅ぐ。澄み切った空のような、鮮やかな青。甘い芳香…少し頭がクラクラした。振り返り、グロスを見上げながら訊ねる。


「これ、どうやって薬にするの?」


「花びらは煎じて飲む。葉茎は磨り潰して軟膏にするんだ。これだけあれば…」


一株抜こうと手を差し出した時、低く太い声が聞こえた。「人間ご時が…その花を手にするでないっ!」と。いや、聞こえてきた訳じゃない。脳裏に響いてきたのだ。


「だっっ…誰だっっ!?」


伸ばしかけたグロスの手がぴたりと止まる。声が聞こえてきた方…いや何かに誘われるように、洞窟の奥へと視線を投げると、そこには青く爛々と光る何か…。まるで何かの眼のようだ。そう、この青い目こそがこの薬草を伝説として守り抜いてきた守り神。水神とも伝えられた青龍…アクアビット。その雄々しく怒りに満ちた眼がグロスを射抜いた。


「この花を目にしたからには…お前らは生きて帰さんっ!」


青く光る二つの眼。その下に開いた青い口から、まるで稲妻のような斬撃が放たれた。次の刹那、グロスは横っ飛びでソルを庇う。二人抱き合ったまま、斜面をゴロゴロと転げて落ちた。


「くそっ…。こいつが伝説の理由か…。まさか、龍の守り神がいたとはな」


グロスの腕を無言でほどくと、青い宝石のような眼を鋭く睨む。背後にグロスを庇うように両手を広げ一歩前に出ると、ソルは赤い瞳に怒気を孕ませて青龍と対峙した。


いきなり攻撃とは…龍の誇りもないのか?邪なモノと善の見極めくらいつかぬのか?愚かな!」


人間になってから、グロスと歩き始めてから初めて見せる本気の怒り。同族の行動への失望に、赤い瞳がギラギラと輝き、バチバチと火花を放ちながら青い眼とぶつかる。


「我が主に触れる事は許さぬ。人間は愚かで欲深いが、全てがそうではない」


「主だと?小娘風情が何を言う…人間の分際で」


ソルは火炎龍だ。だが、今は少女の姿になっている。青龍にはそれが見抜けないようだ。それはある意味当然だけど、この状況ではまるっきり勝算がない。ソルは勇敢にもグロスを庇うように前に立ちはだかり、少女らしからぬ形相で青龍を睨みつけた。もちろん、青龍がそれに動じるはずもない。再び青い斬撃が放たれ、二人に襲い掛かる。

ソルは背後にグロスを庇いながら青龍をにらみ続けているが、さっきから胸の飾りが熱い。ルビーが拍動している気がする。と言うより、エネルギーをくれているというか…。負ける気が全くしないのは、自分が主を護る者であると同時に、主に守られてきた日々が自信になっているから。このルビーは主と歩いてきた日々の象徴。ルビーを握りしめると、青龍を改めて睨む。その眼は笑ってさえいた。


「我ら龍の眼は善悪を見極める。力に確信が持てぬのか?この花を守っているのであろう?守るものが有るなら、自分の力を知れ!容易く攻撃など愚の極み!そんな愚かな龍に負ける訳にはいかない!」


小さな少女の体は、怒りの所以か熱を帯びている。一声悲鳴のように叫ぶと、胸元のルビーから火柱が上がった。火柱は意思を持ったように渦巻きながら青い龍に向かっていく。


「なっっ…なにっ!?」


ルビーが一際激しく輝き、ソルの叫びと共に燃え盛る火柱となって青龍に襲い掛かる。斬撃と火柱が青い花畑の上で激突した。互いに一歩も引かず火花を散らしていたが、少しずつ押し始める赤い火柱。ニヤリと余裕の表情を浮かべたソル。その笑みに背中を押されたように、火柱が斬撃を打ち砕いて青龍に襲い掛かった。


「バ…バカなっ!貴様っ…何者だっ!?」


火柱の衝撃を受けながらも倒れたりはしない。鋭い眼光を発しながら問いかけた。目の前の少女にただならない気配を感じたのだろう。それにしても、まさかソルにこんな力があったなんて。そして、胸元のルビーにも。


「我は火炎の一族。人間は我をソルフレアと呼ぶ。人間によって毒を射たれ死を待つ身であったが、主に救われここに生きている」


ザッ…と両腕を持ち上げると、青龍を囲むように火炎の壁が現れた。炎に閉じ込めた形だ。


「我ら龍は本来、無益な殺しはしなかったはずではないのか?我が主の剣に撃たれたくなくば、頭を垂れよ。ポルタスの正当なる王の子だ」


寂しさを含んだ口調。きっとこの青龍にもこうなってしまった理由はあるのだろう。


「我ら?…ソルフレア…だと?」


青龍はソルを睨む。鋭い視線が向けられるが、ソルは全く動じない。凛々しく立ち向かう少女を、グロスは頼もしく思いながら見つめた。


「なぜここにいるっ!?お前は西の大陸の山中で朽ち果てたと聞いたぞ」


動揺の表情を浮かべたのは、むしろ青龍の方だった。人間だと思っていた少女が「自分は龍」と言い出せば、戸惑うのも無理からぬ事。だが、あの火柱の威力を見れば…納得するしかないのだろう。


「無益な殺しをするのは人間の方ではないか。お前らも儂を殺してこの花を奪いに来たのだろう?いいか、よく聞け。儂の目が青いうちは…絶対に許さんっっ!」


「西の山の深い洞窟に潜み、人間を憎んで恨んで…心はその時一度死んだ」


ソルは深い溜息を吐いた。青龍を見ていると、かつての自分を思い出す。憐れみの眼差しを青龍に向けると、無防備にも後ろを向いて髪を上げ背中の傷を露にする。


「見えるか?我が身を蝕む毒だ。今も痛みを与え放っておけば全身にまわって…やがては死ぬ。この男は人間の敵であるはずの龍を治療し、自らも追われる身でありながら私を護ってここまで来た。この傷を治すために。私は傷が癒えたら、この男を王位につける守護龍となる事を誓ったのだ!」


ソルはグロリアスを見る。にこり、と笑った。そして再び青龍の方を向き、手を差し伸べる。


怖がらなくても大丈夫だ。我が主はお優しい故、守っているものを蹂躙したりはしない。我が主を傷付けぬ限り、私はなにもしない。龍の誇りにかけて約束する」


張り詰めた空気の中、長い沈黙が続いた。ソルは変わらずに青龍を見つめている。火炎龍だと解っていても、甘えたり懐いたりしている姿を見れば「ごく普通の女の子」だとも思えるが…こんなに強い一面があったなんて。驚いたり感心したり。いつの間にかこんな頼もしく成長していたなんて、グロスは改めて実感した。


「そうか…。そんな人間が…いるなんてな…」


青龍は大きく広げていた翼をたたみ、首を垂れた。もう刺々しい殺気は感じられない。グロスはソルの肩を軽く叩き、前に進み出て、


「青龍…ソルの傷を治すのには、この花に頼るしかないのだ。俺達はお前を傷つけたりしない。頼む…この薬草を少しだけ分けて欲しい」


青龍の纏う雰囲気が温和になった事を感じると、ソルは火の壁を消した…と同時に膝から崩れ落ちた。ギリギリの体力と精神力で対峙していたものの、青龍が力は勝ったはず。なんとしても護らなくてはいけないと守護の力が覚醒したのだろうか。


「グロス、アクアは元々はとても優しい水の龍。恵みの水で人間に豊穣を与えてきたの。人間はその感謝を忘れて水をせき止め、汚した。その事は忘れちゃダメだよ?国を導く時に思い出してね」


主の手を握ると、眼を閉じた。そのまま気を失ってしまったらしい。


「男よ、好きなだけ使え。火炎龍の手当てをしてやるがいい」


脱力し寄りかかってくるソルを抱き止め、その場にそっと寝かせた時…青龍が脳裏に語り掛けてきた。任せておけ…と早速ブルーロズを数本摘み、磨り潰し軟膏を作り始める。今日一日ずいぶん無理をさせてしまったせいか、背中の痣はいつもより大きくクッキリと浮かび上がってきていた。いつもの通り、小さく切開して膿を絞り始める)


「青龍よ…確かに人間は一族に牙を剥いたかもしれない。だが俺は…共存できる世界を作りたいのだ。そのためには…どうしてもソルの力を借りなくてはいけない。ソルの力が俺には必要なのだ。青龍なら…解ってもらえると思うが」


「んんっ!」


久し振りの背中の激痛に、手放しかけたソルの意識が戻ってきた。暴れたせいでいつもより悪化した傷は、大きく腫れて膿も多い。


「あぅぅ…痛いよぉ…。グロス、優しくやってね?アクアに、グロスは優しいって言っちゃったんだから」


ついさっきまで青龍を眼光鋭く睨んでた目に涙をたっぷり溜めて、悲鳴を上げる姿は滑稽だったのか青龍も微笑んだ気配。ついに青龍が笑い出した。


「ソルフレア、この男はいい主なのだな?」


「アクアに負けず、慈悲の心を知ってる。グロスを王にしたいの」


 グロスはソルの患部に軟膏を塗り込み、包帯を巻く。汲んできた水をソルに沸かしてもらい、ブルーロズを煎じた。薄く青くなった湯をゆっくりと飲ませる。やがて効果が出てくるだろう。


「どうだ?背中に痛みや痒みはないか?」


「痛くない。切る時は痛いけど…」


時折声を掛けながら、丹念に処置を施す。不思議そうに見つめていた青龍に、照れくさそうな笑みを浮かべながら、


「俺は…医者だ。この薬草の事は前から聞いていたよ。この薬草が世界中に広まれば…命を救われる人も多かろうにな…」


青龍の呟きは、あれから聞こえてこない。グロスの手元をじっと見つめていた。痣が消えるまでに何日かかるだろうか。しばらくはここに滞在する事になるだろう。その間に、青龍と意思疎通ができるようになったら…そんな事をぼんやりと考えながら、ふぅ…と小さく息をつく。

遂に手にした伝説の薬を施されてやや緊張の面持ち。その緊張をほぐそうとするかのように、青龍が問いかけて来た。


「そもそも…ソルフレアが何で人間になっているのだ?」


「私も解らないの。グロスと離れたくないって思ったら、こうなってたの」


「人間の足で…上手く歩けたか?」


「最初は変な感じだったよ。膝の使い方わからなかったし、足首が弱くてよく転んだ。でもすぐ慣れるよー。それよりね、人間はご飯が美味しいの。アクアもお花もって一緒に来たら食べさせてあげるよぉ。ラム酒ね、甘い火の味だけど…たくさん飲むと頭痛くなるから二杯までなの」


「…酒?」


「そう、いろんなの飲んだよ。って、私達すごーく食糧難なの!森には生き物いないし、グロスはコウモリ嫌いみたいだし。何か食べる物ある?」


久し振りの同族との会話に、ソルはご機嫌のようだ。嬉しそうに喋り、もう友達感覚のようにも見える。つい先ほどまで、あれほど怒りに満ちた目でにらみ合っていたというのに。


「ここには人間の食えるものなどない。人間を近づかせないためでもあるんだが」


青龍が苦笑いを浮かべたようにも見えた。この国の生態系にそんな事情があった事にも驚きだが、さっそく効果が出始めたソルの背中にも驚かされる。この調子なら、かなり早く回復をするかもしれない…そんな希望が見えてきた。


「体を治すのには、栄養摂取も重要だ。お前は…ちゃんと食え」


バッグの中から最後のパンを取り出し、ソルに手渡す。奮発してハムとバターも付けた。あとは少しの果実が残るばかりだが、今はそれでいい。とりあえず…今夜はここで眠り事になりそうだ。


「半分こ」


不器用にパンを二つに割ると、わずかに大きさに差が出た。ソルは二つの番を眺め、ちょっと考えてから小さい方をグロスに渡す。


「早く治るために、こっちは私がいただきますよー」


久し振りのハム付きパンを、美味しそうに頬張る。そんなソルを、アクアビットとグロスは見つめていた。


「アクアもお花を守ってきたんだろうけど、ここに一人だと寂しいよね…。お花、ここから出しちゃダメなの?アクアが持って出るのでもダメかな?けがや病気の人を救うために、お花を育ててくれたらいいな…なんて思ったんだけど」


半分に割って差し出されたパンを、もう半分を食べ終わったタイミングでソルに差し出す。散々拒み続けたソルに「俺の言う事が聞けないのか?」と凄みを利かせ、無理矢理食べさせた。シュンとしながらもパンを齧るソル。それでいい。今はそれでいいのだ。


「とにかく…今夜はここに寝よう。ソルもおとなしく寝ろよ」


エスペランサに背中を預け、そのまま瞼を閉じる。ソルが隣に来たのは気配で解った。明るくなれば、この島も再び湖の中に沈むはずだが…不思議と不安はなかった。穏やかな青龍の息遣いが聞こえてきていたからかもしれない。

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