15 海賊 Pirate
「ぷはぁっ!」
どうやら生き延びたようだ。海面に顔が出た時、船はずいぶんと先まで進み視界から外れつつある。目を閉じたままのソルはぐったりしている。荷物を入れたカバンが浮袋の代わりになったようだ。捕まっていられるものがあるだけで、かなり精神的には楽。だが、このままではいずれ溺れてしまうだろう
「ソルっ!大丈夫か?ソルっっ!何とかしないと…なんとか…」
どれくらい漂流していただろう?いつの間にか気を失っていたらしい。眩しい太陽の光に照らされ、気が付けば甲板の上に寝かされていた。急に体を起こすと、頭がズキズキする。海水を大量に飲んでしまったせいかもしれない。
「ソルっ!ソルはどこだっ!」
きょろきょろとあたりを見回し、隣にソルがいるのを確認して一安心。だが次の瞬間に気付いた。そんな二人を見つめる好奇に溢れた六つの瞳がある事を。
「おぅ、起きたか。お前ら、大丈夫か?」
二人を覗き込む顔が三つ。麦わら帽子を被った男、やけに鼻が高いゴーグル男、そして…ピンクのシルクハットからにょっきり角を出した毛むくじゃらの男。というよりは、何かの動物みたいだが。
ソルの耳にも人の声が聞こえた気がする…と言うか、うるさいくらい賑やかなここは…ぴくん、と瞼か動くと「あ、生きてるぞー」とやけに可愛らしい声が聞こえた。
「グロス?グロス?」
意識がはっきり戻った瞬間に飛び起きて周りをキョロキョロ。自分を心配そうに見ているグロスと目が合うと、安心感で脱力しもう一度甲板に倒れこんだ。嬉しそうにグロスの手を握ると、頬擦りする。
「良かった。グロス、生きてた。ん?でもここ…どこ?」
「おい、お前…大丈夫か?」
可愛らしい声で呼び掛けられ、見ればなんだかよく解らない毛むくじゃらがしゃべっている。ピンクの帽子をかぶって…角も生えているみたいだけど…タヌキかな?
「あ…マスター?しゃべるタヌキがいるよ」
「バカヤロー!俺はタヌキじゃねぇっ!トナカイだっ!」
マストの先端には黒い髑髏の海賊旗。まさか海賊船に命を救われるなんて思ってもいなかった。が…クルーはあまり海賊っぽくない。強い個性は感じられるが、その割にはやけに穏やかな雰囲気だ。
「お前ら、なんでこんなところで泳いでたんだ?」
別に好きで泳いでいた訳じゃない。船に乗っていて襲われ、逃げ出して来た…と簡単に伝える。麦わら帽子をかぶった船長は気さくで、どうやら東の大陸まで乗せていってくれるらしい。ソルは毛むくじゃらのシルクハットとやたら気が合うようで、何やら楽しそうにじゃれついている。
「マスターもお医者なの。ねぇ、このしゃべるトナカイって船医なんだって。すごいね」
「何言ってんだよこの野郎…褒められたって、嬉しくなんかねぇぞぉ…」
誉めれば小さな毛むくじゃらの表情はぐにゃぐにゃになる。二人で一室ではあるが、船室の一つを宛がわれ、ベッドに休む事も許してくれた。本当に気のいい海賊のようだ。まだ漂流の消耗も癒えていない今は、体力を回復させるために休んでおいた方がいいだろう。グロスをベッドに寝かせ、自分はソファーに横になり小さく呟く。
「海に入った時は、死ぬかと思ったけど…またグロスが隣にいて良かった」
大きな帆が風を受けて膨らみ、船は東へと進む。まさに順風満帆。煙草を吸いながらの調理にはちょっと閉口したが、船のコックが作った料理の味は文句のつけようがなかった。それにしても、大食い船長にはびっくりだ。自分を凌ぐ大食いなんて、生まれて初めて見た感動。しかも、食べた分だけ体がボールのように膨らむし。
「おるぁっ!ちょりゃっ!なんのっ!まだまだっ!」
緑色の毬藻頭の男は二刀流。さらに一本腰に差しているって事は…三刀流か?二人の手合わせを、ほのぼのと眺めるクルー達。考古学者は甲板の片隅で本を読み耽っていた。
「おめぇ…なかなかやるじゃねーか」
「お主もなかなかの凄腕だ。海賊にしておくのはもったいない」
二本の刀を鞘にしまった毬藻頭が呟く。軽く汗を拭い、長剣を背中の鞘に納めた。共に剣士なら、言葉を交わさなくても伝わるものがある。乾いた喉を持ってきてもらったラム酒で潤した。ソルは相変わらず毛むくじゃらと戯れている。
「ふはははっ!おーいっ、おかわりっ!私のマスターはすごく飲んでも酔わないのだー」
突然に響く大笑い。そこには目の座ったトナカイと元龍がいた。二人でこっそり飲み比べをしていたらしい。普段は酒にあまり執着しないトナカイも「飲めないの?」と聞くと、負けず嫌い根性を出してきた様子。
その姿に麦わら船長は大笑いし、コックは秘蔵酒が減った事を嘆き、考古学者はため息をついた。
「あれ?剣の試合やめたの?マスターはねぇ、私は剣を持っちゃいけないって言うの。ずるいよね」
ソルの呂律は相当怪しい。意気投合したトナカイ相手に実に楽しそうだ。
「その薬草の事なら、俺も聞いた事があるぞ」
毛むくじゃらの船医は本棚から一冊の図鑑を取り出して見せてくれた。グロリアスは話に聞いていただけで、絵を見るのは初めて。これはかなりありがたかった。
「どうしても、手に入れたいんだ。俺はこいつを治してやりたくてね」
「俺もその薬草、欲しいんだ。いつか探しに行ければ…って思ってた」
「俺達が必ず見つけるさ。そしたら…少し譲るよ。この船のみんなは、俺達の命の恩人だからな」
ソルの背中を見た船医は、小さく頷く。さすがにソルの正体が龍である事は見抜けないようだけど、背中の痣の深刻さは理解したようだ。とりとめのない話は、ラム酒と共にいつまでも続いた。ソルはグロリアスの肩に頭を預け、いつの間にか寝息を立てている。あれだけ飲み過ぎるな…って言ったのに。あとでたっぷり、膿を搾り取ってやろう。
「んー…。痛たたっ…」
ソルは頭を抱えて目を覚ます。地面が揺れる、と思ったら船だったっけ。揺れてても別に不思議じゃないのか。キョロキョロとグロスを探すと、目の奥に怒ってるような雰囲気が…。その視線を受け止めきれず、しょんぼりと俯いて、
「あの…ですねぇ。仲良くなって、秘蔵だよって勧められて…すみません。コックさんに謝ってきます。なんなら甲板のお掃除とかします!」
ずっと洞穴の中に一人でいたのだ。多少の事は止むをえまい。ソルのラム酒を我慢させる事に、グロスはそれほど神経質になっている訳ではなかった。ただ、深酒をすれば傷には良くない訳で。後で苦しむのはソル自身なのだから。
「そうだな。明日、二人でお礼の掃除をしよう。夕方には港に着くだろうし。それまでの間な。とりあえず、今日は寝ようか」
「なんで?グロスもお掃除するの?王の子なのに?」
目を丸くして主を見る。掃除の仕方なんてわかるのだろうか?王の子なのに、掃除とか、した事あるのだろうか?
船医の部屋を出た。奥の方に用意された部屋に戻り、風呂に入る。この船はお風呂が気持ちいいよと、オレンジ色の髪の航海士が教えてくれていた。客船では一緒には入れなかったが、この船なら大丈夫だろうか?
「あのね、グロス。この船も男と女とお風呂は違うの?」
「風呂は一つだって言ってた。譲り合って男女を分けているんだと。ソル、先に入って来て良…」
譲り合っているというよりは、女性上位のカーストが存在するようだ。クルーのみんなに先を譲り、その順番が巡ってくる。先に入れと言われたソルは思いっきり目を潤ませ、何かを伝えようと動く唇。グロスは苦笑いを浮かべながら、伸ばした右手でソルの頭を撫でて、
「解った解った。一緒に入ってやるから。髪も洗ってやるから。その代り…みんなには内緒だからな」
その一言で、ソルは嬉しそうに入浴の準備をし、グロスの手を引いて浴室まで連れていく。別々の入浴を経験しても、はやりはいれるなら一緒に入りたいのだろう。もちろん、その後は例の儀式が待っているわけだが。
「お風呂が一つなのは、いい船だね!」
一緒に入浴できると聞いて、笑顔を隠しきれない。内緒、とは言うものの、クルー達は「あいつら二人で風呂に入っていったぞ。何やってんだ?」とヒソヒソ。先に誰かが使ったため、浴室は湯気と石鹸の香りが立ち込めている。
「グロスとお風呂、久し振りだね」
たった一日の男女別風呂は、楽しかったけれど心細くてリラックスは出来なかった。今日はリラックス出来そう。ソルは何の躊躇いもなく服を脱ぎ捨て、浴室に飛び込んだ。
丁寧にソルの体と髪を洗い、自分の体も洗い、二人で湯船に浸かる。クルー達は苦笑いをしていたようだが、これはこれでいいのだ。丸い窓からは星空が見える。城での入浴も豪勢でよかったけれど、この風呂もなかなかの絶品だ。程よく体が温まったところで、船室に戻る。
「さて…、ソル。始めようか」
ソルがホカホカの体で寛いでいると、グロスは医療道具を並べている。にやにやしながらメスとガーゼを手に取り、ちょっと体を固くしているソルを見下ろして。ラム酒を飲んでいる時は考えが及びもしなかったのかもしれないが、その儀式は欠かすわけにはいかないのだ。さっきまでの鼻歌でも歌い出しそうな楽しげな雰囲気は一転して、ガックリと肩を落とす。
「解ってるよ」
しこたま飲んだから自分でもかなり腫れてるのが解る。今日の処置は痛むだろう。ソルは迷いを振りきるようにくるりと後ろを向くと、グロスに背を向けた。