01 序章 Prolog
とある大陸の、西の果てにある小国…ボルタス王国。人口は十万人にも満たない。隣国との県境に標高の高い山脈を持ち、眼前には青い海が広がる。豊かな土壌は多くの農作物を育み、国の中央を流れる綺麗な川が海に注いでいた。
平和主義者の国王の下、皆が笑顔を絶やさず穏やかに暮らしていた。隣国との関係も良好で、軍隊は組織されているものの…戦争などとは無縁の自警隊。銃刀を所持するような事もなく、むしろ公共工事の人工に駆り出される事の方が多いような。小さいけれど平和で豊かな国、それがボルタス王国。
かつてこの王国は龍の加護の元にあったと言う伝説が語り継がれていた。ボルタス王家の紋章は龍を象ったもの。魔法使いでもあり医者でもあった国で一番の長老がその姿を見た事があったらしいが、その長老も去年亡くなってしまった。それでもこの小さい平和な国も守った龍の伝説は、子々孫々、国の隅々まで語り継がれている。
そんな王家の後継者となる男、王子の名はグロリアス。若干の十九歳であるが両親と従者、そして国民からの寵愛を受けて成長してきた後継者である。身の丈は二メートルにも届こうかという長身。熊をも倒せそうな筋肉に包まれた巨漢。聡明な頭脳を持ち、恵まれた体格を活かした剣術は国内に右に出る者はいない。まさに文武両道。それでいて三つ年下の病弱な妹、メアリーを可愛がる優しい一面もあった。妹の病気を治してやりたい一心で長老から医学と治療魔法を学んでいたが、長老から学んだスキルだけでは妹を完治させる事は叶っていない。それが今のグロリアスの唯一の悩みであった。
ボルタス王国は誰もが笑顔で過ごす、穏やかで平和な国だった。
そう、このクーデターが起こるまでは。
ニーチェス・ゴルドバは古くから王族に仕えるゴルドバ家の当主でボルタス王国の大臣。ブクブクと醜く太った彼は、いつも下種な笑みを口元に浮かべている。何を考えているのか全然解らない。ただ頭脳だけは優秀で、平和主義者の国王に対して常に軍隊強化の必要性を訴えていた。国王はあくまで平和主義を貫き、その点に関してはニーチェスの意見を聞き入れない。
業を煮やしたニーチェスはついに国王を手にかけた。国王だけではない、王妃までも。あの時に放たれた数発の乾いた銃声をグロリアスは今でも忘れてはいない。次はお前の番だと向けられた銃口を思わず払いのけ
「この造反者をとらえろっ!」
そう叫んだ瞬間、家臣達の銃口が自分に向けられているのを知る。どうしてだか解らない。皆が我が父、ボルタス国王を支持していた訳ではなかったのか?いつから…いつからこの王宮に反乱分子が生まれていたのか、解らない。いくら考えても解らない。解っているのは…ここから逃げないと命が危ないという事だ。
メアリーを連れて逃げよう。宮殿の二階にあるメアリーの部屋に向かうと、そこにはすでにニーチェスの手下がぞろぞろと押しかけてきている。家臣に剣を向けるのは本意ではないが、ここは四の五の言ってられない。背中から長剣を抜き切りかかった。グロリアスの剣捌きは、この国の者なら誰もが知っている。その覇気に臆した兵隊達の隙を突いて部屋に飛び込んだ…が、部屋の中ではすでにニーチェスがメアリーに銃口を向けている。
「ふざけるなっ!メアリーを手にかけたら、ただじゃ置かないぞっ!」
「手にかけるもんか。この女は…儂の妃にする。儂がこの国の王になるのだ」
「貴様っっ!」
次の瞬間、メアリーに向けられていた銃口がグロリアスに牙を剥く。放たれた銃弾はグロリアスの左肩をかすめた。薄っすらと血がにじむ。
「お兄様っ!」
「必ず戻るっ!必ずお前を助けに来るからなっっ!」
メアリーの悲痛な叫びが響き渡る。このままではダメだ。体勢を立て直さないと、メアリー一人救えない。次の瞬間グロリアスは駆け出し、大きなガラス戸をぶち破る。大きく蹴り出し、その身を躍らせた。ここは二階だぞ?いや、関係ない。この屈強な体躯と窓下に生垣があるから。案の定擦り傷を負った程度でグロリアスは走り出した。どこへ?そんな事を考えている余裕はない。とにかく逃げなくては。足は自然と山の中へと向かう。そうだ、隣国リップランドに行けば。国境を越えリップランドの王に事情を話せば、旧知の仲の王はきっと力になってくれる。わずかに見出した希望を胸に、グロリアスは走る、走る、走る。
「くそっ…しつこい連中だ。冗談じゃねぇ…殺されてたまるかっ!」
屈強な体格に似合わない速度で走るグロリアス。だがかつての部下だった騎馬隊が、今はニーチェスの家臣となって追いかけてくる。 グロリアスは懸命に走り、国境に近い山道を逸れ、獣道を突き進んだ。木々の小枝が屈強な身体に鞭を打つ。痣ができ、血が滲んではいたが、騎馬隊はそのまま山道を隣国へと向かって行った。
「ここまでくれば…馬では追って来れまい…」
とは言え、足を止めたりはしない。道なき道を駆け上がった。馬の蹄の音が遠ざかっていくのを感じながらも、懸命に走る。無我夢中で走っていたら…突然、足元にあったはずの獣道が消えた。
「うわぁぁぁぁぁぁっっっ!!! 」
どれくらい気を失っていただろう。ふと我に返ると、そこは薄暗い洞窟。素手では登れないような高い高いところに、ぽっかりと穴が開いていて…そこから空が見えた。どうやら滑落してしまったらしい。
「ここは…どこだ?いったい…」
暗闇に目が慣れてくると、言い知れぬ恐怖と怪しげな気配を感じる。背中に携えた長剣に手を掛け、ゆっくりと振り返った。