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現在の私は可愛らしいお嬢様方に囲まれて、お茶会中である。
薔薇のアーチに囲まれた褪せない白の椅子やテーブル。日の光を浴びて水滴がきらきらと光る、真ん中に設置された豪奢な噴水。見るからに高そうなティーセットと、上品に笑うお嬢様方…基、生徒会親衛隊の先輩たち。つまり以前百合姉を呼び出していた人たちである。
彼女らとお話するアリッサ様も、先輩方が私を誘いに来た時は私に『貴女何をなさったの』と目で訴えてきた。ドン引きされるようなことはしました。ついでに呼び出された理由は「てめえきもいんだよ調子のんな」とかの体育館裏集合なアレかと思ったらまさかのお茶会へのご招待だ。疑って申し訳ない。
あんなことがあったのだが、何故か彼女らは私に好意的に接してくださる。やはり朔姉の紋所パワーか。
「ですがアスカ様のような方が、どうしてあの平民と仲がよろしいんですの?」
そう笑顔で言ったのは、あの時シンデレラよろしく靴が脱げた先輩である。
綺麗な笑顔だけれど、あの平民、とはどう聞いても悪意を感じる。…っていうか私も元平民なんだけどな。
「……ええと、リノア先輩の転校初日に図書室はどこかと尋ねられたので案内して、その時に仲良くなりました」
嘘です。前世で姉妹だったからです。ただし朔姉の時と同様にこれを言ったらどんなにどん引きされるかわかったものじゃないために黙っておく。
「アスカ様はお優しいですものね」
「身分に捕らわれない博愛精神、素敵ですわ」
ほう、と頬を赤らめる先輩方に顔が引きつる。図書室まで道案内しただけでそれなの?お金持ち怖い。
心臓がドキドキとうるさいがままに曖昧に笑って、思わず問いかけた。
「………リノア先輩のことを、やはりよく思っていないのですか?」
「ああ…だって、ねえ?」
「……ええ」
お互いに目配せしながら眉を寄せて頷き合う彼女らに、やっぱりな、と半ば諦めながら納得する。
恐らく彼女らが百合姉を気に食わないのは、彼女の身分だけが理由ではないのだろう。
なんせ百合姉はそのモテッぷりに比例して、女子受けは大層悪い。
その可愛らしさに対する嫉妬だなんだというのも理由の一つだろうが、百合姉個人にも問題があった。
まず、百合姉の可愛らしい動作やリアクションは、基本的に女子受けが悪い。『作っている感満載』だとかよく言われていた。女子のぶりっこへの嫌悪感はなかなかのものである。
次に、百合姉の女子への態度である。男子にはにこにこと愛想良く振る舞うが、女子にはつっけんどん。可愛いと評判の女子にはいじめこそしないが、嫌悪を示すことすらあった。
あまりにも酷い有り様に一度注意したこともある。が、
『?飛鳥以外の女子に好かれたいだなんて思ってないもの。っていうか必要も感じないし』
……きょとん、とした表情で不思議そうに答える百合姉には、正直頭痛を覚えた。
いや、ね?普通嫌でしょ?女子を敵に回すとか嫌でしょ?怖いでしょ?っていうか、やっぱり友達はほしいでしょ?
という言い分に、百合姉は勝ち誇った愛らしい笑顔で言う。
『別に?男の子が守ってくれるし、こんなに愛されてるならわざわざ女に好かれる必要はないわ』
この言葉に百合姉と私ではレベルも価値観も桁外れにちがうのだな、と認識し、それ以上の説得は諦めた。朔姉にこっそり慰めてもらったのはいい思い出である。
「……クラスの殿方はあの方に夢中で……」
「あの方も殿方にはいつも愛想がよくて……かと思えば私たち女性には素っ気ないのです」
「優しくしようとしたメイリー様に『私に取り入っても男子は貴女なんて相手しないわよ』っておっしゃったらしいですし」
「まあっ」
「信じられませんわ!」
……百合姉……貴女ってお人は……。
いや、最後のものはただの噂かもしれない。けど、百合姉には申し訳ないが、彼女の性格を考えると言いそうな気がする。うちの元姉が申し訳ない。
「あ、ごらんになって…!」
一人の先輩の言葉に顔をあげれば、薔薇のアーチの先には遊び人と言われている会計に頬にキスを受ける百合姉がいた。顔を真っ赤にしながら怒った表情を浮かべるものの、その顔はどこか嬉しそうである。
いやあああ!きゃああ!と怒りなのか絶望なのかわからない悲鳴をあげる先輩方の中、私とアリッサ様は顔を見合わせて、こっそりため息を吐いた。……え、なんでこんな女子が集まる場所の数メートル先でやるの。いや、百合姉はわざとなんだろうけど。『羨ましいでしょ?』って目線が一瞬こっちに向いたし。だけど男の方も何やってんの?いいの?むしろ噂になりたくてやったとか?だとしたら策士である。大変申し訳無いが、私は遊園地なんかでキスしてるカップルを見ると舌打ちをするぐらいには心が狭いので、TPO弁えろや兄ちゃん、と身分を弁えずに思わず心の声を零したのは許していただきたい。
もうフォローとか無理ゲーじゃないですかやだー、となっている私。アリッサ様は多分、一騒動起きる可能性がこれでまた一層高まったことを危惧しているのだろう。平穏を願うアリッサ様まじ聖母。
「………ごめんなさいね、アリッサ様。なんだか不安にさせることに巻き込んでしまって」
「アスカ様のせいではありませんわ」
そう言ってたおやかに微笑むアリッサ様は眩しすぎて直視できない。
皆様、本当にうちの姉が申し訳ない。………逆ハーなんてしゃらくさい!って程の本命が百合姉にできれば全部解決なんだけどな……しばらく無理なのかな……。
お茶会が終わり、どっと疲れた暗い気持ちで帰りの馬車が来るまでの時間を潰すために校舎を一人歩く。勉強するには時間もないし、図書室に行く気分でもない。
「う……ふ…ぅ……」
階段下で抑えるようなしゃくり声が聞こえて、思わず足を止める。下を覗けば、女子生徒がうずくまって顔を覆って泣いていた。
前世で中学だか高校だかに似たような展開の怪談話があったような気がするが、そんなことより女の子……しかも名門貴族のお嬢様お坊ちゃまが集うこの学校で、廊下に座り込んで泣いているという衝撃の方が大きい。
階段を下りてぽん、と軽く肩を叩いた。
びくり、と線の細い肩が跳ねるので、私は目線を合わせるようにしゃがみこみ、ポケットから取り出したハンカチを差し出した。
「不躾にすみません。如何なされたのかと心配になりまして…」
「あ……」
顔を上げたのは、菫の色をした大きな瞳を持つ可愛らしい人だった。肩までの赤毛は少々乱れており、余程精神的に堪えていたのだな、と初対面ながらに理解した。
「…よろしければ少し、お話しませんか?」
そんな言葉で、うっかり我が家にお持ち帰りしてきた次第である。
最初は遠慮していたものの、「そのお顔ではご家族が心配されますよ」との言葉でなんとか承諾してくれた。――ちょっと誑かしてる気分でいたたまれないけど。
「オギノ様……ですよね」
彼女がようやく口を開いたのは、私の部屋に辿り着いてからだ。
最初の遠慮する言葉からずっと無言で、馬車の中で誘拐犯の気分を味わったのだが、今の発言や雰囲気から敵意や警戒心、怒りは見られないことに安心した。
「ああ、ご存知いただけていましたか」
「有名ですから」
そうして弱々しく笑う彼女の目元はほんの少し赤い。有名、という言葉にまた朔姉の紋所現象か…と遠い目をするのを忘れるくらいには痛々しい姿だ。
「申し遅れました、私はメイリー・ラットウィルと申します」
メイリー。
その名はたしかお茶会で聞いた。たしか百合姉が失礼なことを言った女子生徒の名前、だったはず。
どっと溢れる冷や汗を感じ、それを誤魔化す為に紅茶を一口飲む。手が震えてカップの中の紅茶に波紋が広がったがそんなの知ったこっちゃない。
……だが考えてみろ私。こんな大きな学校だ、メイリーさんなんて名前の生徒はあちこちにいるかもしれないし、そもそもあの噂自体本当かどうかわかんないのに……。
「……最近転入された特待生のリノア・トランド様をご存知ですか?」
はいアウトー。
口端から吐血する顔文字な気分で私はにっこりと笑って頷いた。
「お噂はかねがね…」
「そ、うですわよね……あの方は賢くて愛らしい方ですもの」
儚げに微笑むラットウィル先輩は本当に苦しそうで、その表情が余計に私に罪悪感を持たせる。
「………殿方は皆、彼女に夢中ですわ。この学園で絶対的な権力と支持を得ている生徒会の皆様も、それから一般の生徒も…それから、私の婚約者の方も」
ぎゅ、と彼女の華奢な手が品のいい黒地のドレスのような制服を握りしめる。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は決して嫉妬に駆られてリノア様に害を為そうと思ったわけではないのです。本当に、新しい場所での生活は慣れないだろうから私にできることがあるならお力になりたいと思っただけでした。……ですが、リノア様は私におっしゃいました。『私に取り入っても彼らは貴女に靡かない』と……私は……自分でも気付かないうちに、そんな浅はかな気持ちを抱いていたのか、と、そう思ったら…情けなくて…これではあの方に見限られても当然だ、と、」
そう言って笑う彼女の大きな瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
慌ててそれを拭う彼女に、私は無言でタオルを手渡せば「ごめんなさい」と震えた声で謝る。
「こっちこそごめんなさい」
「え?」
「いえ。……もしよろしければ、このまま我が家に泊まっていかれませんか?」
「で、ですが」
「余計なお世話であることはわかっております。ですが弱り切った可憐な女性を放っておくことはできません」
「…まあ」
まだ涙を浮かべながらも、先輩はくすりと笑う。私が男性ならば是非ともお近づきになりたいほどには愛らしい笑顔だ。
「……両親に連絡して許可を伺いますわ」
「ええ、お願いします」
そう言って彼女は魔法道具の一種である、前世で言うところの携帯電話を取り出し、家族に連絡を繋げた。
……これは流石に笑って見逃すことはできないかもしれない。
私はひっそりと頭を抱えながら、その姿を見つめた。