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「お父さんおはよー」
「ああおはよう」
欠伸をしながら挨拶をすれば、父は新聞を読みながら同じように挨拶してくれる。近くにいた母が魔法を駆使しつつ、テーブルに朝食を並べながら呆れたようなため息を吐く。
「アスカも貴方も、家ならまだしも外じゃやるんじゃないわよ。うちはもう一般庶民じゃないんだから」
「はあい」
「わかってるよ」
そう、これは正真正銘一般庶民だった前世の記憶ではない、成り上がりといえどめでたく貴族の仲間入りを果たした現在の記憶だ。
貴族、といってもそうなったのは私が8歳の頃で比較的ごく最近だ。それまでは外国でちょっと一山当てたいと移住してきた一般庶民の一家だったため、いきなり貴族らしく、だなんて私だけでなく両親にだって不可能な話だ。マイホームこそ陛下が貴族の仲間入りのお祝いにと、城みたいな屋敷をいただいたが(王族怖い)、正直使ってる部屋は5分の1にも満たないし、使用人だって自分の家に他人がいるなんて落ち着かないという、家族全員の意見の一致で一人も雇っていない。
贅沢といったら社交界に着ていく一張羅(といってもみんな持っていて3着程度)と私の学校、あとはこの馬鹿でかい家を維持するために母が買ったお掃除魔法グッズだろうか。10体が同時に動くルンパもどきは圧巻ものだ。
「あ、お父さん、例の福祉施設からお礼の手紙きてるよ」
「あら貴方、また寄付したの?」
「だって大金持ち続けてるの怖いし」
「もう、もっと見栄張りなさいよ」
「ところでお母さん、今月もサロン開くの?」
「だって開かなければそれはそれで文句言われるんですもの。貴族にとっては仕事の一環なんですって。一応見栄えが悪くない程度には予算は抑えるわ」
「それ、男爵夫人の台詞じゃないよ」
「ところでアスカ、ご友人との関係はどうなんだ?」
「なんだかんだで仲良くしてもらってるよ。たまに今流行りのドレスやら社交ダンスやらで話題についていきにくいけど」
「貴族令嬢の端くれが言うことじゃないぞ?」
「………うちの家族って貴族には向かないわね」
まったくだ。
「……っていうことが今朝あってね」
「ふ…ふふ、ふふふっ、父さんも母さんも相変わらずね」
そんな前世の庶民臭さが染み付いた我が家の会話を話すと、朔姉はころころと楽しそうに笑った。あ、なんかこっち見てるイケメンが顔赤らめた。すごいな朔姉、笑うだけで赤面させるとか少女漫画かよ。乙女ゲームだった。
「家事とか全部母さんがやってるの?」
「うん、私も手伝うよ。流石にサロンだの夜会だの主催すれば臨時で使用人雇うけど」
でも前世とちがって大量の家事の魔法グッズに、手荒れ知らずの物凄く効く魔法薬があるので昔よりずっと楽そうだ。
「当たり前でしょう、男爵夫人が窓拭きしてるなんてバレたら卒倒ものよ」
「いざって時は、私たちの母国では家庭のことを行うのは女の勤めであり身分は関係ないってことで通すらしいよ」
異国ならではのカルチャーショックって便利だ。私の言葉に朔姉は変わらないわねえ、とため息を吐いたが、その顔はどこか楽しそうだ。
「ローゼリア」
しかし次の瞬間、楽しげな笑顔は一瞬にして不愉快そうな表情に変わった。
何事かと、私は低い声で朔姉を呼ぶその声の持ち主に目を向ける。
私よりわずかに色素の薄い肩にかかるかかからないかの黒髪に、グレーの切れ長の瞳。はっきりした目鼻立ちに私は首を傾げた。あれ、イケメンだ、と。
基本的に朔姉はイケメン好きだ。まあ多少その愛情表現は屈折しているが、それでも一般女子のそれよりわかりやすいほどにはイケメン好きだ。であるのに、何故彼女は、虫螻でも見たような表情を浮かべるのだろうか。
「…何のご用でしょう、殿下」
「お前は僕の婚約者だぞ?レイモンド、またはレイと呼べ」
尊大に鼻で笑うその姿にとりあえず頭は下げておく。やばい、どっかで見たと思ったら第三王子だわこの人。めっちゃ忘れてた。
幸運にも特に突っ込まれず、私をいないもののように扱うその態度に安心した。
「…レイモンド殿下。それで、何のご用でしょうか?」
顔を下げたままなのでわからないが、朔姉の苛立った声に絶対零度の視線を向けていることは手に取るようにわかる。
「…ふん、まったく跳ねっ返りな女だ。まあ、そこがいいんだが…明日の夜会のことは知っているか?」
「ええ、僭越ながら明日はレイモンド殿下のパートナーを務めさせていただきます」
「俺に似合う女などお前くらいだからな」
「ご冗談を」
……頭下げてるから顔は見えないけど、なんだろうかこの温度差。その後もレイモンド殿下は朔姉に甘い言葉をかけ続けた。朔姉の美貌やら校内での成績やらを誉めたり、あまり夜会でいつも以上に美しい姿で来ると悪い虫が寄ってくるから心配だの。よくもまあすらすらと言えるな、王族ぱねえとか思い始めた辺りで、殿下の声が遠のいた。
「…もういいわよ」
朔姉の言葉にようやく頭を上げる。周りには私と朔姉しかいない。
「あーびっくりした」
「ごめんなさいね。あの馬鹿のせいで」
労うように私の頭を撫でる朔姉は、射殺さんがばかりに殿下の立ち去った方向を睨み付ける。
尋常じゃない恨みに、私は思わずストレートに聞いてしまった。
「朔姉、殿下のこと嫌いなの?」
「嫌いね」
しかし、その答えは私の質問以上に包み隠さないものだった。驚いて瞬きを繰り返す私に、舌打ちをする朔姉。完全に悪役顔である。
「攻略キャラなのよあいつ」
「え、ってことは、」
「そう、後に私を捨てて、ヒロインの尻を追っかける愚かな男」
なるほど、と私は頷く。未来で自分に難癖つけて一方的に別れを切り出す浮気野郎なぞ、優しくできるわけがない。――そうでなくとも朔姉ってああいう俺様系嫌いそうだよね、尽くしてくれる系の方が好きそう。
しかし、納得する私の思考を読み取ったかのように、朔姉は首を左右に振った。
「言っておくけどローゼリアが捨てられたのは自業自得なところもあるのよ」
「……え、そうなの?」
「貴女…あんなに私が勧めたのに…」
じと、と睨まれてゴメンナサイ、と謝る。
いやだって買って放置しちゃったゲームいっぱいあったんだよ…。あとこの世界がファンタジーなのも私がロクに情報を得てない原因の一つだ。姉二人が一生懸命語ってくれたのだが――ほら、ファンタジーってちょっと世界観が特殊だから人伝に聞くには理解に限界があるっていうか……いや本当にごめんなさい、だから睨まないで朔姉。
「……ローゼリアは婚約者に近づく身の程をわきまえないヒロインを牽制するためにいじめたのよ」
「いじめ」
「ええ」
「たしかに良くないね。…それが殿下にバレて婚約破棄されたの?」
「そうよ」
なるほど、いじめ。それはよろしくない。前世の世界でも重要視された問題だったし、その被害者が命を絶つことだってあるのだ。
だがしかし、私の疑問は別のところにあったりする。
「……ヒロインやローゼリアの前に、殿下が問題な気がする」
ぴしり、と朔姉が固まった。悪いことを言っただろうか?と首を傾げると、どうして?と静かに問われた。
「いやだって、婚約者がいる身分で貴族のあれそれをよく理解してない可能性のある平民の女の子と必要以上に仲良くしてるって問題じゃない?っていうかヒロインを好きになった時点でやんわりお断りすべきだし、いじめが最終局面に突入してようやく対応取る、しかも、それが下手すると色んな方面に迷惑かかるかもしれない婚約破棄って………どうなんだろう」
いや、ゲームにグチグチ言うなってのはわかるよ?そんなのRPGの町探索で主人公に「泥棒すんな!」ってマジ切れするようなもんだから、目を瞑ってイケメンとの恋愛を楽しむってのもわかるよ?
でも生憎その世界に生まれてしまった以上、ゲームだから、と割り切ってしまうことはできないわけで。
あと、今の話聞いて、たとえ姉二人に勧められてやったとして、殿下ルートは楽しめないと思った。
「そこまでする程好きならいじめが起きる前にヒロイン助けろって思うし、それができないなら諦めて身を引いて悪役令嬢で妥協すべきだと思う。その方が平和で幸せじゃないかな」
「……飛鳥」
「うん?」
「無理矢理勧めてごめんなさい」
「え、なに、どうしたの」
「だって貴女、何度やったって誰ともくっつかないハッピーエンドの【商人として大出世エンド】しかいかないと思うから」
「そんなルートもあるんだ」
朔姉の話によると【騎士団入団エンド】、【モブと結婚して庶民の専業主婦エンド】、【一流シェフエンド】【魔法学者エンド】etcらしい。なにそれ面白そう、やっときゃよかった。
「…話は戻すけど、別に殿下が私を捨てる未来を知っているから嫌ってるわけじゃないのよ。むしろそうしてもらうことで私の物語が紡げるのだから」
「はあ、…ならなんで?」
「…………ゲームのローゼリアは周囲に対してカリスマ性を発揮すると同時に酷く厳しくもあったわ。それは殿下に対しても変わらずで、常に理想の高い姿をよく求めていた」
姉の話に私は頷く。ローゼリアっていじめはしたけど、男好きな悪女系じゃないんだな。ちょっと意外。
「けど私は話の全てを知ってるし、殿下に何も期待していない。運命に従った動きさえしてくれたらあとは何も望まないのよ」
「はあ、運命」
と書いて原作沿いと読むんですね、とはあえて言わない。
「………だから、初めてお会いした時、殿下に『お前も僕を兄上とちがって出来損ないと思ってるんだろう』って言われて、つい『貴方様の思うがままに生きてください』って言っちゃったのよ」
「………うん」
頷いて続きを促してみても、その先に続く言葉はなく、しばらく無言が続いた。
「……………………ちょろっ!」
「ね!?そうよね!?何よあの男!俺様ぶってるくせにどんだけ安いわけ!?」
うっかり声を荒げた私の両手を握りしめ、珍しく叫び声をあげてくわっと切羽詰まった表情を浮かべる朔姉。
いや不敬罪になることはわかっている。そしてこれは端から聞いたら「いや美談だろ」と突っ込まれるかもしれない。言葉だけなら、そしてその言葉を返した人間が朔姉でなければ、私だって同じように感じただろう。
だがしかし、朔姉である。ぶっちゃけ殿下のことは自分のちゅうにせって…いや最強伝説を生み出すための道具としか思ってなさそうな朔姉だ。……うん、前世の妹としては姉のこういった考えを矯正すべきなんだろうけど、とっくの昔に私の手に負えない域に到達してるので許してほしい。
まあ話は戻すとして、朔姉が陛下にそんな発言をした時の表情は手に取るようにわかる。慈しみ、全てを受け入れるような笑顔―――なんてするわけがない。絶対に鼻で笑った見下した笑顔か憐れみの眼差しか、どうでもよさそうな無表情…いやないな。基本的に自分に酔ってる人だから絶対意味ありげな顔するだろう。ちなみに慈しみ、全てを受け入れるような笑顔は長女の専売特許だ。……まあ、あの人も結構あくが強いけど。
ちょっと想像してみよう。まさに『あんたのことなんか知ったことか』な笑顔を浮かべてその発言をする朔姉。……吃驚するほど恋愛の気配なんてない。すごいな殿下。
しかし。
頭を抱えて愚痴をこぼし続ける朔姉を見て思う。
この世界はゲームの世界だが、必ずしも原作のままにいくとは限らないし、ここに住む人たちは決められた台詞を喋るプログラムではなく、きちんと感情を持った人間である。そもそも、既に原作は朔姉がそれを変えてしまった。……もし殿下がヒロインを好きにならずに一途に彼女を愛したら、ひょっとして彼女の野望は叶わないんじゃなかろうか。……暴走しやすい人だし可哀想だから黙っておこう。