賢者の忘れ物
最近どうも文章がダラダラと長くなっている気がしたので、もともと長編ローファンタジー用のプロットだったものをがっつりそぎ落として4000字にまとめました。
なるべく平易な表現にして余計な説明も省きましたが、根底が皮肉たっぷりなストーリーなので子供ウケはしそうにないです。
むかしむかしある国に悪い王様がいました。人々は大変苦しんでいましたが、王様の兵隊たちは強く、とても敵いませんでした。
しかしそこに一人の若者が現れました。賢者様です。賢者様は若いながらもとてもたくさんのことを知っていました。水の枯れた村を訪れて「この岩の下を掘りなさい」と教えると、そこからは水が溢れ出しました。ある病に苦しむ村を訪れて「あの山に生えているこの薬草を煎じて飲ませなさい」と教えると、病はたちまち癒えました。こうして賢者様は国中の人々から尊敬されるようになりました。
しかし、それを面白く思わない人もいました。王様です。
「なんて邪魔なやつだ。国民に尊敬されるのは余だけでいいのだ」
王様は兵隊たちに賢者様を捕えさせようとしましたが、人々が黙っている訳がありません。人々は賢者様を山の中に匿いました。
「賢者様、一緒に王様をやっつけてください」
「王様と戦えば、多くの人が死ぬことになりますよ?」
「構いません。このまま王様の下で生きるのは、死んだも同然のことです」
「そうですか、分かりました」
賢者様は頷くと王様と戦うための準備を始めました。
それを聞いた国中の人々は、一斉に賢者様のもとに集まり始めました。驚いた王様はあちこちの町や村に兵隊を送りました。
「王様に逆らう者は死刑だ!」
兵士たちは人々を脅しましたが、彼らはますます賢者様のもとに駆けつけました。
「ええーい、だったら村ごと焼いてしまえ!」
怒った王様は見せしめのため、ある村の人々を皆殺しにしてその村ごと焼いてしまいました。
「余に逆らうとこうなるのだ!」
人々は王様を尊敬するどころか、ますます嫌いになりました。
一方その知らせを聞いた賢者様は深く悲しみました。
「何ということだろう。ここまでは上手く行っていたのに、最も大切な人を失ってしまうとは」
それを聞いた従者は戸惑いました。賢者様には大変優しくて賢い奥様がいたのです。
「賢者様、大切な人とは誰のことですか? 奥様ならご無事ですよ?」
「私がこれから出会うはずだった女性です。彼女がいなくては、海から侵略して来る海賊たちを倒すことが出来ないのです」
従者はますます戸惑いました。
「王様の他に海賊までやって来るのですか? どうして賢者様はそんなことをご存知なのですか?」
賢者様は従者にこっそりと秘密を打ち明けました。
「本当の私はそれほど賢くないのです。ですがただ1つ、特別なチカラを持っています。それは過去に戻って人生をやり直せるチカラです」
「ええっ!?」
「私にとってこの人生は9999回目なのですよ」
従者は驚きましたが、何しろ賢者様の言うことです。賢者様が何でも知っていたのも、何一つ間違いを犯さなかったのも、これまでの9998回の人生で失敗と成功を経験していたからなのでしょう。
「それでは、もう一度過去に戻れば村の人を助けられるのですか?」
「ええ。ですから私は過去に戻って10000回目の人生を始めます。今度こそ全ての人が幸せに暮らせる国を作るために」
賢者様は呪文を唱えると従者の前からスーっと消えてしまいました。
「ありがとうございます。これで私たちは救われます」
従者は賢者様に感謝しました。これですべての人が救われるのです。
しかし従者がどれだけ待っても何も特別なことは起こりませんでした。焼かれた村に行ってみましたが、その村は焼かれたままでした。国中に王様の兵隊たちがうろうろしていて、相変わらず人々を苦しめています。これでは以前と何も変わりがありません。
従者は困ってしまい、奥様に相談をしました。事情を聞いた奥様は賢者様の秘密の力に驚きました。ですが奥様は喜ぶどころかがっかりしてしまいました。
「奥様、どうして喜ばないのですか? 賢者様が私達を助けて下さるのですよ?」
しかし奥様は首を振りました。
「いいえ、賢者様が助けて下さるのは10000個目の世界の私達です。でもここは9999個目の世界なのです。私たちは賢者様に置いて行かれたのですよ」
賢者様を一途に信じていた従者はショックのあまり震え出しました。賢者様に見捨てられたこともそうですが、もう賢者様を頼れないことを心細く感じたのです。
「では、私たちはどうなるのですか?」
「分かりません。全てを知っている賢者様はもうこの世界のどこにもいないのです。私達のことは私達で決めなくてはなりません」
しかし賢者様がもういないと分かったら、人々は戦いを諦めてしまうでしょう。そして一度逆らった人々を王様が許すはずがありません。
2人は賢者様がもういないことは秘密にして、賢者様は病気だと嘘を吐きました。その代わり賢者様の指示に従って従者が人々を率いることになったと伝えたのです。
賢者様の指示ならば間違いはないと、人々は従者の指揮を受け入れました。しかし王様の兵隊は大変強く、あちこちで激しい戦いが起こりました。
草原で青年が倒れました。
「従者様、賢者様にお伝え下さい。あなたと共に戦えて光栄でしたと」
「死ぬことは怖くないのですか?」
「賢者様に導かれて死ぬのです。間違っているはずがありません」
青年は笑顔で死にました。従者は一人で泣きました。彼を慰めたのは奥様一人だけでした。
村で老人が倒れました。
「従者様、賢者様にお伝え下さい。あなたと共に戦えて幸せでしたと」
「死ぬことは怖くないのですか?」
「私の一生は後悔の連続でした。最後に賢者様と共に戦えたことで、もう心残りはありません」
老人は笑顔で死にました。従者は一人で泣きました。彼を慰めたのは奥様一人だけでした。
町で少年が倒れました。
「従者様、賢者様にお伝え下さい。あなたと共に戦えて幸せでしたと」
「死ぬことは怖くないのですか?」
「死ぬということはどういうことなのでしょう? まだ賢者様に教わっていません」
少年は笑顔で死にました。従者は一人で泣きました。彼を慰めたのは奥様一人だけでした。
こうしてたくさんの人が死にました。そして従者はたくさん泣きました。それでも人々は従者の指示に従い、決して諦めませんでした。だから従者も決して諦めることは出来ませんでした。
そしてとうとう従者は王様を追い詰めて剣を突き付けました。慌てた王様は従者に頼みました。
「人は間違いを犯すものだ。もう一度私にやり直すチャンスを与えて欲しい」
しかし従者は言いました。
「私も多くの間違いを犯し、そのせいで大勢の人が死にました。ですが私はやり直すことができません。死んだ人たちを蘇らせることは誰にも出来ないのです。
でも、それで良いのではないでしょうか? やり直せないからこそ真剣になれるのです。何度でもやり直せる人生を、真剣に生きることが出来るでしょうか? そして真剣に生きられない人生に、いったいどんな価値があるのでしょう」
戸惑う王様の首を、従者は迷うこと無く切り落としました。
王様が死んだことを聞いて人々は賢者様を讃えました。
「ありがとう。この国を救ったのはあなたですよ」
従者をねぎらったのは奥様一人だけでした。
ついに悪い王様から解放された人々はお祝いを始めました。国中がお祭り騒ぎです。しかし従者は旅立つことにしました。賢者様の言っていた海賊を追い払うためです。奥様は従者を引き止めました。
「あなたがいなくては国を治めることが出来ません。他の人に戦って貰いましょう」
しかし従者は首を振りました。
「私の人生は一度きりです。だから他人任せにして後悔したくはないのです」
奥様は従者を引き止めました。
「あなたは十分に頑張りました。ここで戦うのを止めても、誰もあなたを非難できないでしょう」
しかし従者は首を振りました。
「私は非難されたくないから戦っている訳ではありません」
奥様は従者を引き止めました。
「あなたがあんなに頑張ったのに、人々は賢者様を讃えました。誰も褒めてくれないのに、どうして戦うのですか?」
しかし従者は首を振りました。
「あなたが褒めて下さいました。私はそれが嬉しいのです。私はあなたのために戦いたい」
奥様は従者に縋り付きました。
「私のためと言うのなら、あなたまで私を一人にしないでください!」
従者は奥様を抱きしめました。
「私はあなたを一人にはしません。私の心はいつもあなたのお側にあります。
あなたと会えるのもこれが最後かもしれませんから、言わせてください。私はあなたを愛しています」
翌日従者は旅立つと、海からやって来る海賊たちを待ち構えました。海賊たちはそんなこととは知らずに従者の罠にかかり、さんざんにやられて逃げて行きました。賢者様に頼ること無く王様と戦いぬいた従者は、いつの間にか立派な戦士へと成長していたのです。しかし、彼はその戦いで死んでしまいました。
奥様は従者が死んだことは秘密にして、代わりにその亡骸を賢者様として葬りました。奥様が深く悲しむ姿を見て、人々は奥様がいかに賢者様を愛していたのだろうかと噂しました。そして人々はそんな奥様を新しい王様に選んだのです。奥様は立派な女王様になり、その国は平和になりました。
そして間もなく女王様は男の子をお産みになりました。女王様はその王子様を賢者様のお墓に連れて行っては何度もこう言い聞かせました。
「あなたのお父様はとても立派な方でした。あなたも一度しかない人生を大切にして生きなさい」
王子様はやがて立派な王様になり、人々はその王様と賢者様の名を称えながら長く平和に暮らしました。
表題の『賢者の忘れ物』とは、1~9999回目の世界の人々のことでもあり、一度きりの人生を最後まで諦めずに生き抜こうという意志そのものでもあります。
タイムリープ物のお話は基本的に大好物ですが、多世界理論的な考えで見ると残された人々はどうなるのかという疑問が常に残りました。主人公目線では皆幸せになってるかもしれませんが、平行世界に残された人々はどうなったのでしょう。複数の世界をメタな視点から眺めると、結局のところ不幸な世界を量産しながら自分の目の届く人々だけが幸せであれば良いという自己満足でしかないように思えます。女帝エカテリーナにとってのポチョムキン村です。
そこで主人公に見限られた世界が、(むしろ見限られたことによって)ハッピーエンドになるようなお話を作りたいと思ったのが最初のきっかけです。
もっともこの終わり方をハッピーエンドと看做すかどうかは、年代や家庭環境によって変わってくるかもしれませんが。