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君の声  作者: うわの空
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「すみません。駅ってどっちに行けばいいんかなあ?」


 観光客らしい関西弁のおばさんたちに話しかけられ、俺は硬直した。短髪黒髪できっちりと制服を着こなしている俺は、確かに真面目な中学生に見えるだろう。が、イヤホンをつけている人間おれにわざわざ話しかけてくるとは思っていなかった。

 おばさん四人は妙に焦っている。声をかけてきた細身のおばさんは安物にしか見えないナイロン製の鞄を斜め掛けしていて、その鞄には某旅行会社のシールが張られていた。何かのツアー中で、集合時間でもあるのだろうか。


「僕、地元の人よね? おばさんたち、この駅に行きたいんやけどね……」


 斜め掛けした鞄から、くしゃくしゃになったマップを取り出しながらおばさんは言う。しかし、そんなマップ見せてもらわなくても、どの駅に向かおうとしているのかはすぐ分かった。だって、このあたりにある駅は私鉄の××駅のみなのだから。

 ただ、案内するのが難しい。ここから駅までは三つほど曲がり角がある。つまり、指をさすだけで案内できる道のりではないのだ。

 俺は小さくお辞儀をすると、速足でその場を去った。


「……なにあれ。嫌やわあ、最近の若い子って」


 おばさんの誰かが言った言葉が、風に乗って聞こえた。



 他人に話しかけられた、それだけでひどく疲れた気がする。下校中はただでさえ疲れているのに、これ以上疲れるなんて思いもしなかった。六月の湿った空気は、体力をさらに奪っていく。

 俺は××駅とは反対方向にしばらく進むと、立ち止まった。これなら、あのおばさんたちがよほど迷子にならない限りは再会しないだろう。ただ、俺の家からも遠ざかってしまったけれど。

 本来ならここで、はあ、と言いたいところだ。


「…………」


 案の定声が出なかったので、俺は大きく息を吐いた。



 一息ついてあたりを見回すと、懐かしい光景が広がっていた。枯れたような葉をつけた街路樹や、子供の絵が描かれた標識、飛び出し危険と書かれた舗装道路。――小学校の通学路だ。

 そういえば、学校を卒業してからここを通ることはなくなっていた。横断歩道の押ボタンは、俺の記憶よりも低い位置に設置されていたのだと知る。たった二年で、こんなにも変わるのか。

 思いついて、横断歩道の向かいに目を凝らした。子供を誘惑するために建てたとしか思えない駄菓子屋は、相変わらず繁盛しているようだ。


 ……今なら、あそこに行けるだろうか。


 そう考えて、軽く首を振った。無理だ。小学六年の俺も、中学二年になった俺もさして変わっていないのだから。

 俺は信号が青になるのを待ちながら、駄菓子屋の周囲を見回した。パン屋も、たこ焼き屋も潰れている。その代わりのように、鍼灸院や整骨院なんかが立ち並んでいた。

 何の面白みもない田舎の街並みだと思う。ただ、近くに有名な植物園があるせいで、さっきのおばさんたちのような観光客に出くわすことが多いのだ。

 信号が青に変わったので、とりあえず前に歩き出した。家からはますます遠ざかってしまうけれど、せっかくの機会だし散歩して帰ろうか、などと思いながら。

 そこで、彼女に出会った。


 彼女は、通行量の少ない道路沿いに植えられた街路樹の下で佇んでいた。青々とした銀杏いちょうの木は見ものでも何でもないし、待ち合わせの場所にしてはいまいちパッとしない。暑さにやられて、日陰で涼んでいるのだろうか。

 俺と同じ中学生くらいに見える彼女は、携帯をいじるでも音楽を聴くわけでもなく、ただただ木を見上げていた。そよ風のリズムに合わせて、銀杏の葉と彼女の白いシフォンブラウスが揺れる。純粋で清楚、けれどどこか陰のあるような顔をしている彼女に、シフォンブラウスはとてもよく似合っていた。彼女なら、淡い色のワンピースも似合うだろう。

 見たところ手荷物は持っていないので、観光客ではなさそうだ。だとすると、俺と同じ学区の子だろうか。

 彼女は俺の存在には気づかず、ぼんやりと銀杏を眺め続けている。肩にかかる程度の髪の毛を耳にかけて、ひたすら木に集中しているのだ。銀杏の木に鳥でもとまっているのかと目を凝らしたが、それらしいものは見当たらなかった。この銀杏の何が、そんなに珍しいのだろう。


「ああ、いたいた。本当にもう……!」


 俺の背後から女性の声が不意に声が聞こえて、どきりとした。一瞬、先ほどの観光客おばさんかと思ったからだ。

 けれど俺を追い抜いて行ったのは、見たことのない女性だった。首元のよれている色あせた黒のTシャツに、有名ブランドのジーンズという何ともちぐはぐな格好をしている。中年に差し掛かったくらいの、おばさんとも言えない年齢の女性は、銀杏の下にいる彼女のもとへと向かっていった。彼女は足音に気づいたのか、女性の方へとそっと目を向ける。

 Tシャツの女性はそれを認めると、すっと手を挙げた。両手の親指と人差し指で輪を作ると目の前にあて、それを回転させながら右方向へと動かす。

 それが『探す』という手話であることを、俺は知っていた。


『探した。何してるの、こんなところで』

『暑かったからちょっと涼んでただけ。なんでもない』


 彼女の返事も、手話だった。Tシャツの女性、もしくは彼女の耳が不自由であるらしい。おそらく彼女の方だろうな、と思う。女性の方はさっき、独り言を呟いてたし。

 女性は大げさなため息をつくと『早く家に帰ってきなさい』とだけ手話で伝え、その場を去って行った。その際「本当にあの子は何を考えてるんだか」と呟いたのは、恐らく俺にしか聞こえていなかっただろう。

 彼女はしばらく俯いていたが、やがて銀杏の木に向かって『また来るね』と手で示すと、女性が歩いたのとは反対方向に向かって歩いて行ってしまった。その時の彼女の、今にも消えてしまいそうな顔が印象的で、いまだにはっきりと覚えている。


 あの時の俺はまだ、彼女の秘密も知らなかったのに。



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