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見返す女たち-間宮響子-

作者: 江渡由太郎 原案:J・みきんど
掲載日:2026/04/19

 その動画は、再生した瞬間から“見てはいけないもの”の気配を孕んでいた。


 ――ザザッ……ザ……。


 画面は荒れ、音声は割れ、しかし確かにそこに“誰かの息遣い”があった。


 「……見つけた」


 低く、湿った声だった。

 だが、それは小笠原隼の声ではなかった。



 間宮響子のもとを訪れたのは、大学生の青年だった。名を桐谷慎也という。

 彼はやつれ切っていた。目の下には濃い隈があり、眠っていないのが明らかだった。


 「……あいつ、帰ってきたんです」


 震える声で彼は言った。


 「でも、違うんです。あれは……もう、あいつじゃない」


 桐谷はスマートフォンを差し出した。

 そこには問題の動画が表示されていた。


 再生回数は、まだ数百。

 コメントはほとんどない。

 だが、それでも“見た者の数”は、確実に増えている。

 響子は再生ボタンを押した。



 画面は夜の廃墟――有名なラブホテルだった。

 崩れかけたネオン看板が風に揺れ、「LOVE」の文字が「LO」だけを点滅させている。

 カメラは手持ちで、不規則に揺れていた。


 「……ここ、マジでヤバいっすね」


 小笠原隼の声。

 だが、どこか遠い。まるで水の中から聞こえてくるようだった。

 廊下は長く、異様に長く、奥が暗闇に溶けている。

 壁紙は剥がれ、湿ったシミが人の顔のように広がっていた。


 そして――

 最初の“それ”は、画面の端にいた。

 女。

 白いワンピース。


 だが、顔が――

 眼だけが異様に大きく、横長で、黒く濁っている。


 ヤギの眼。

 横に裂けた瞳孔。

 それが、じっとこちらを見ていた。


 「……え?」


 小笠原の声が震えた。

 カメラが揺れる。


 もう一人。

 また一人。

 廊下の左右に、女たちが現れていた。


 同じ顔。

 同じ眼。

 同じ、無表情。


 「……やば……これ、やばいって……」


 小笠原は後ずさる。

 だが廊下は縮まらない。


 否――

 伸びている。

 後ろに下がっているはずなのに、距離が変わらない。


 女たちが、一歩、前に出る。

 ――カツン。

 硬い音。

 裸足のはずなのに、蹄の音だった。


 「……誰か、いるんすか? ちょっと、これ、冗談きついって……」


 返事はない。

 ただ、全員が同時に口を開いた。

 そして、笑った。

 音は、なかった。

 だが、笑っているのが分かった。

 喉が裂けるほど大きく口を開け、声のない笑いを浮かべていた。


 カメラが落ちる。

 画面が床を映す。

 埃と、黒い染み。

 その染みが、じわじわと広がっていく。

 液体だった。

 血ではない。

 もっと粘ついた、黒い液体。

 それが床を這い、小笠原の手に絡みついた。


 「……うわ……うわあああああ!!」


 叫び。

 だが、その声も途中で途切れる。

 画面が持ち上がる。

 そして――


 そこには、もう小笠原はいなかった。

 代わりに、女たちがカメラを囲んでいた。

 全員がこちらを見ている。

 その眼が、画面越しに“合った”。

 その瞬間。

 動画は終了した。



 「……これが、最後の配信じゃなかったんです」


 桐谷は言った。


 「そのあと、三日後に……新しい動画が上がったんです」


 響子は無言で次の動画を再生した。



 最初は暗闇だった。

 何も映っていない。

 だが、音がある。


 ――ズル……ズル……。


 何かを引きずる音。

 重いものを、湿った床の上で引きずっている。

 やがて、画面が明るくなる。


 そこは、あのラブホテルの一室だった。

 ベッド。

 崩れた天井。

 壁一面の鏡。


 そして、その鏡に映っていた。


 小笠原隼。


 だが――

 彼は、床に横たわっていた。

 いや、“置かれていた”。

 腕も脚も、あり得ない方向に曲がっている。

 顔は、笑っていた。


 口を裂けるほど開けて。


 だが、眼が――

 ヤギの眼になっていた。


 横に裂けた瞳孔。

 黒く濁った光。


 そして、その背後に。

 無数の女たち。

 ぎっしりと。

 鏡の中にだけ、存在している。

 現実の部屋にはいない。

 だが、鏡の中では、彼女たちは確かに動いていた。


 ゆっくりと。

 小笠原の体に手を伸ばし。

 その口に、指を入れ。


 さらに裂いた。

 音はない。

 だが、裂けている。

 確実に。


 そして。


 画面が、ゆっくりとこちらに近づいた。

 誰がカメラを持っているのかは分からない。


 だが、近づいてくる。

 小笠原の顔が、画面いっぱいになる。

 そして、彼が――

 こちらを見た。


 「……見つけた」


 それが、最初に聞いた声だった。



 動画はそこで終わった。

 だが、再生バーはまだ残っている。

 終わっていない。

 数秒の“空白”。

 その間、画面は真っ黒だった。


 だが。

 最後の一瞬。

 ほんの一コマだけ、映った。


 それは――

 視聴者の部屋だった。

 見ている“こちら側”の空間。


 暗い部屋。

 スマートフォンを持つ手。

 そして、その背後に――

 立っている女。

 ヤギの眼。

 無音の笑顔。



 「……見てしまったんですね」


 響子は静かに言った。

 桐谷は頷いた。


 「俺だけじゃない……コメント欄、全部消えてるんですけど……一瞬だけ見えたんです。“いる”“後ろにいる”“逃げろ”って……」


 響子は目を閉じた。


 そして、ゆっくりと首を振った。


 「逃げられません」


 「……え?」


 「もう、繋がってしまっています」


 桐谷の呼吸が止まる。


 「どういう……」


 そのときだった。

 部屋の鏡が、わずかに軋んだ。

 キィ……。


 桐谷が振り向く。

 そこに映っていたのは――

 自分と、響子。

 そして、その間に。


 “もう一人”。

 白いワンピースの女。

 ヤギの眼。

 無音の笑顔。


 「……あ」


 桐谷の喉から、空気の抜けるような音が漏れた。

 鏡の中の女が、ゆっくりと手を伸ばす。

 現実の桐谷の肩に、その手は――

 触れていない。


 だが。

 同時に。

 桐谷の肩が、沈んだ。

 まるで、重いものに押さえつけられたように。


 「……始まりましたね」


 響子は、そう言った。

 その声には、わずかな緊張があった。


 だが。

 恐怖は、なかった。

 まるで――

 “もう何度も見てきたもの”のように。


 「これは、場所ではありません。人でもありません」


 鏡の中の女たちが、増えていく。

 一人、また一人。

 桐谷の背後に、現実にも影が滲み出す。


 「“視線”です」


 響子は静かに続けた。


 「見た者に、見返すもの」


 女たちが、一斉に口を開いた。

 無音の笑い。

 だが、その瞬間。

 桐谷の口も、同じ形に裂けた。


 「――――ッ!!」


 声にならない悲鳴。

 血が溢れる。

 だが、止まらない。

 止まらないまま、笑っている。

 響子は目を逸らさなかった。

 ただ、見ていた。

 最後まで。




 数日後。

 新しい動画がアップロードされた。


 タイトルはない。

 サムネイルもない。

 再生すると、すぐに映像が始まる。


 そこには、間宮響子がいた。

 静かにこちらを見ている。

 だが、その眼が――

 わずかに横に裂けている。


 「……あなたも、見ましたね」


 優しい声だった。

 だが、その背後に。

 無数の女たち。

 鏡の中だけではない。

 もう、現実にもいる。

 画面の向こうから、こちらを見ている。


 「大丈夫です」


 響子は微笑んだ。

 その口が、ゆっくりと裂けていく。


 「すぐに、慣れますから」


 ――ザザッ。

 動画は終わらない。

 画面は暗くならない。

 ただ、そこに“いる”。

 こちらを見ている。


 ずっと。

 ずっと。

 ずっと。



 ――(完)――

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