暗殺
城内は、はっきりとざわつき始めていた。
白と緑の鉄騎が窓の外に立っている。
それだけで十分だった。
騎士、工房の人間、近衛、使用人――
誰もが「王家の色」をまとった新型を前に、言葉を失っている。
ハイドは何も言えない。
ただ、窓の向こうを見ている。
イーリスが横に立つ。
「判断は未確定」
「了解しました。保留ですね」
あまりにもあっさりした声だった。
さっきまで見せていた、感情をなぞるような口調はもうない。
初期状態の、抑揚の少ない音声に戻っている。
イーリスは一歩、ハイドに近づく。
「私は質問を撤回します」
「決断が必要になった時、再度お伺いします」
それだけ言って、もう鉄騎の方を見ない。
周囲の視線が二人に集中しているのが、はっきり分かる。
だがイーリスは意に介さず、自然にハイドの隣に立ち続けた。
まるで
――そこが自分の定位置であるかのように。
その後、誰かが声をかけようとしたが、
近衛騎士が一歩前に出ただけで、全て止まった。
王の隣の部屋。
王家の鉄騎。
そして、その横に立つ「人ではない存在」。
この場で軽々しく触れていい話題ではないと、
全員が理解してしまったのだ。
⸻
夜。
ハイドの部屋。
白を基調とした、簡素だが過剰に安全な部屋。
扉は閉じられ、外には常に二名の近衛。
窓は厚い強化ガラスで、外からは入れない。
その部屋の中に、イーリスもいる。
椅子に座るでもなく、壁にもたれるでもなく、
ハイドから数歩の位置に立ったまま動かない。
「……出ないのか?」
ハイドがそう言うと、
イーリスは即座に首を横に振った。
「必要性がありません」
「現在、あなたの安全確率が最も高い位置はここです」
「俺が寝る間も?」
「はい」
一切の躊躇もない。
ハイドはベッドに腰掛け、ため息をつく。
炭鉱での生活とは、あまりにも違いすぎる。
イーリスは、その様子をじっと見ている。
「不快であれば、視線を外します」
「……いや、いい」
ハイド自身、理由は分からない。
ただ、部屋に一人になるよりは、
この無機質な存在がいる方が、落ち着く気がした。
イーリスは小さく、ほんのわずかに首を傾ける。
「了解しました」
それきり、沈黙。
だがその沈黙は、
重くもなく、空虚でもない。
白い城の夜の中で、
ハイドとイーリスは、
誰にも踏み込めない距離で、同じ部屋に存在していた。
————————————
朝の光は、炭鉱よりもずっと残酷だった。
ハイドは目を覚ました瞬間、目を細めた。
白い天井。
窓から差し込む光が、布の影を床に落としている。
炭鉱では、朝は音で始まった。
鉄を叩く音、怒鳴り声、鞭の空気を裂く音。
だがここでは、何も聞こえない。
「……朝?」
自分の声が、妙に遠く感じた。
体を起こすと、部屋の隅に人影があった。
立ったまま、微動だにせず、こちらを見ている。
イーリスだ。
「おはようございます、ハイド」
抑揚の少ない声。
昨夜と同じ位置、同じ姿勢。
「……おはよう」
それ以上、言葉が出なかった。
何かあったのか、なかったのか。
聞いていいのか、分からない。
その時、廊下の方が騒がしくなった。
足音。
複数人。
鎧が擦れる音と、抑えた声。
ハイドは反射的に肩をすくめた。
炭鉱で、監督官が来る時と同じ感覚だ。
扉の外で、誰かが叫んだ。
「――なんだ、これは……!」
別の声が続く。
「生きてるぞ! 縛られてる!」
「誰がやった!?」
騒ぎは一気に広がった。
足音が増え、城が目を覚ます音がする。
ハイドはベッドから立ち上がり、扉に近づいた。
開けようとして、ためらう。
イーリスが一歩前に出た。
「外に出ないでください」
即座だった。
命令ではないが、拒否できない調子。
「……何が、あった?」
イーリスは一瞬だけ沈黙し、
その後、いつもの無機質な声で答えた。
「城内で、不審者が発見されました」
「……不審者?」
その言葉が、うまく理解できなかった。
炭鉱では、不審者などいない。
いるのは、働く者と、殴る者だけだ。
廊下の向こうで、金属が引きずられる音がした。
誰かが柱に近づき、
縛られた何かを確認している。
「……刺客だ」
低い声が聞こえた。
「刃を持っていた。夜中に侵入したらしい」
「誰が捕まえた?」
その問いに、少しの沈黙。
「……分からん。
だが、これは人間のやり方じゃない」
ハイドの喉が、ひくりと鳴った。
刺客。
刃。
夜中。
昨夜、自分は眠っていた。
夢も見ず、目も覚まさず。
「……俺、何も……」
呟いた言葉は、誰にも届かない。
イーリスは、ハイドの横に立ったまま動かない。
「あなたは、睡眠状態でした」
淡々とした報告。
「危険は、あなたに到達していません」
ハイドはイーリスを見上げた。
「……じゃあ、誰が……」
その先を、言えなかった。
城の空気が変わった。
足音が一斉に止まり、
代わりに、ゆっくりとした歩調が近づく。
女王だ。
扉越しでも分かる。
周囲が一段静かになる。
「状況を」
短い言葉。
「柱に縛られた男が一名。
武装あり。
殺害の痕跡はなし」
「縛り方は?」
「……軍人のものではありません。
しかし、素人でもない」
女王は少し考え、
そして、ハイドの部屋の扉を見た。
「……起きているのね」
イーリスが一歩前に出る。
「はい。
ハイドは無事です」
その言い方に、女王の眉がわずかに動いた。
「あなたが?」
「はい」
それ以上の説明はない。
だが、女王は理解したようだった。
「……そう」
女王は廊下の柱へと視線を戻す。
朝の光の中で、
縛られた暗殺者は、無様な姿を晒しているだろう。
「処刑はしない」
女王の声が、はっきりと響く。
「誰が、誰を殺そうとしたのか。
それを、全員に分からせる」
城はざわめいた。
ハイドは、扉の内側で、ただ立ち尽くしていた。
自分は何もしていない。
だが、自分の周りで、何かが確実に変わっている。
守られた、という感覚すら、まだない。
ただ――
「……外の世界は、危ないんだな」
ぽつりと漏れた言葉に、
イーリスは一瞬だけ、視線をハイドに向けた。
「はい」
短く、しかし確かに。
朝の城は、もう静かではなかった。




