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仕事の合間は気が気じゃなかった。
集中できていたとしても、ふとミソのことばかり浮かんでくる。
今何してるかな。
ちゃんと家に居るのかな。
寂しい思いをさせていると思ってしまうから、ごめんねって言葉も浮かぶ。
私はいつの間にかこの現実をちゃんと受け入れていた。
今私が息をしているこの世界は本物で、ミソはしっかりと存在している。
人間ではないし、何かは分からないけど何でもいい。
結局、受け入れたと言うより、考えることに疲れたのだ。
いつもより長く感じた一日がやっと終わって、私は駆け足で家へと急いだ。
鍵を差し込む時が一番緊張する。
カチャンと鍵の開いた音がして、ほっと胸を撫で下ろす。
鍵はちゃんと閉まっていたから、ミソはどこにも行ってない。
…消えていなければ。
「ミソ、ただい…」
「サキちゃん!サキちゃん!!」
待ってましたと言わんばかりにミソが突進してきて、私に抱きついた。
これじゃあ猫というよりも犬みたいだって、少し可笑しくなる。
寂しかった、とだけ繰り返すミソを連れてリビングに入ると、ソファーの上に私のパジャマが無造作にペシャリと潰れていた。
寝室から私のパジャマを出してきて、その上に寝転がりながらテレビでも見ていたのだろうか。
聞いてみると"サキちゃんの匂いが一番するから"と何の気なしにミソは言う。
「ミソは犬みたいなことするね」
「犬は好きじゃない」
それ以外に他の部屋は朝と何の変わりもなかったから、一日中ここのソファーに居たのかな。
退屈だったろうなぁ…。
「ごめんね、ミソ」
「ううん。お仕事してるから、私のこと買ってもらえたんだし。大事なことなんだよね?」
例のカップ麺を指差してから、ミソは私にまた抱きつく。
一日中テレビを見ていれば、そんな話題もどこかでやっていたのかな。
「うん。そうだよ」
飼って、ではなく買って、という発音に、不思議な気持ちではあるけど。
私はミソを抱きしめ返して、子どもにするみたいに頭を撫でた。
あ、しまった、と思った時にはミソが目を見開いていて固まっていた。
「ごめん、ミソ」
「あ、ううん。嬉しい」
「嬉しい?」
「だって、私はサキちゃんのことが好きだもん」
ミソが言う"好き"の意味はそこまで特別なものではないだろうけど、そう言われたら私だって嬉しい。
目が細くなるのにつられて、私の目もなくなってしまうくらい線になる。
「ふふ。私もミソが好きだよ」
「ほんと?」
「本当」
「じゃあ、両想いなんだね!恋人?嬉しい!」
「えっ!?」
「嬉しい。叶った。やったぁー!」
「えっ、待っ…えっ?違うってば」
「違くない!」
ぴょんぴょん跳ねたミソは私にまた抱きついて、胸に顔を押し付けてくる。
尻尾がピンと伸びて、もっと触ってと言っているみたいだった。
「ミ、ミソ」
今のはそうゆう意味の好きではなくて、と説明したってきっとミソには伝わらないだろう。
しかも叶ったって言ったのは、何?
それに…ほんの微かに、すこーしだけ、ちょーっとだけでも惹かれていないのかと言われれば違う。
ただミソは、人間とは違うから。
「サキちゃん大好き!」
「ミソ…」
12月25日までというまだ信じられない期間限定の間、私はこの子に何をしてあげられるんだろう。
そしてこうして人間(?)になったミソの目的ってなんだろう。
夕飯を食べ、ソファでくつろいで、お風呂を沸かす。
「ミソって、お風呂入るの?」
「入りたい」
「うーん…まぁ、いいか。こっちきて」
今日は一緒にお風呂に入ってみる。
何の躊躇いもなく服を脱ぐミソは、早く早くと言って私の服も脱がせ始めた。
体つきに目を向けるまでもなく、ミソの体は人そのもの。
違いは頭の上の耳と、湯気の中で揺れている尻尾だけ。
慣れたと思ったけど何度も疑っては見てしまう。
「…サキちゃんは、私が人間じゃないと嫌?」
「あー…、そういうんじゃなくて」
体を洗い終わると、私は湯船へ、ミソは熱いからと言って湯船に浸かろうとはせず、バスタブの縁に腰をかけた。
少し俯き気味で、拗ねるように足先を擦り合わせている。
「あれ、気にしてる?ごめんって。でも不思議に思う気持ちも分かってよ」
「分からない」
ムスッとしたまま、ミソはお風呂から出ていった。
「もー…」
私だってどうしていいか分からないよ。
流されて考えられなくなってる時のほうが多いけど、いざちゃんと考えようとすると全てが疑問なんだもん。
「ミーソー、ごめんって。ほら、髪乾かしてあげるから」
お風呂から出て、部屋をひと回り。
ミソはキッチンに立って、私が買ってきたカップ麺を見つめていた。
相変わらずパッケージに黒猫の姿はない。
「どした?」
「……サキちゃん私ね、サキちゃんのことが好きなの。一目惚れしちゃったの。サキちゃんが私のこと選んでくれた時、優しく笑ってくれたんだよ。覚えてる?」
「……」
コンビニでの記憶を思い返してみる。
確かに黒猫のカップ麺を選んだ時、なんだか嬉しい気持ちにはなったけど。
それはただの食欲だったかもしれなくて。
私にとっては何でもない瞬間なのに。
「ミソ…」
「私、この人と喋りたいって、一緒にいたい、恋人になりたいって本当に強く思ったの。そしたらこうなってた。神様とかいるの分からないし、私だって不思議だよ。でも嬉しいの。どうでもよくなるくらい」
ミソはカップ麺を手に持つと、自分がいるはずの部分を指先でなぞって微笑んだ。
「……やっぱりいたかも神様。なんかいろいろ言ってきた気がする」
「あ、そ、そうなんだ…」
「でも今はね、ちゃんと人間になりたいよ。サキちゃんと一緒がいい」
「ミソ…」
両手で目を押さえて、涙を堪えてるみたいだった。
「感傷に浸ってるところ悪いけど、ミソ、私とミソは恋人ってやつではないから」
「なんで!?」
「なんでと言われても。そもそも私に最初から恋人がいたらどうしてたの」
「いないから、ここにいるんだよ」
「あー…なるほど」
なんだかそこだけは妙に納得してしまった。
それにしても、恋人になりたいとはずいぶん飛躍してるな。
一目惚れなんてしたことないから分からないけど。
世の中の一目惚れしちゃった勢は、みんなミソと同じことを咄嗟に思うんだろうか。




