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――じゃあ、少し待ってて。
「はい」
自分の声が届いたと同時に通話が切れた。
通話が切れた途端にリナも冷静になった。
ここが分かるのか、とか。誰がきてくれるのか、とか。そもそも電話してたのは誰なのか、とか。
スマホの画面は相変わらず『圏外』。
着信があった時だけ電波が届くことなんてあるんだろうか、とか。
でも、すがるしかない。
リナはカバンにスマホを仕舞ってから、抱えるようにしてまた石に腰かけた。
気が緩んだのか眠い。
本当ならもう家に帰って晩御飯を食べて、シャワーを済ませて布団に入る時間だ。
見上げた空は、スコンと青い。雲一つない。
「なんなの、ここ、ほんとに……」
リナは目を閉じるとすっと眠ってしまった。
「おい。起きろ」
リナは肩をゆすぶられて目を覚ました。
「……うあ?」
「一人か?逃げてきたのか?」
「逃げて…?」
寝ぼけた声で、言われたことを繰り返したら、リナを起こした男は「そうか」と納得したようにうなずいた。
「移動するぞ」
「迎えに来てくれた人?」
リナはずいぶんと電話で通話した男と違った野性味のある男が自分を迎えに来たのだと、ぽかんとした。
長身でマントを羽織っているが、筋肉質なのがよくわかる。
黒髪に茶色の瞳。野生の黒豹みたいな男だった。
「いや、街に戻る途中に見つけたんだ。天使が騒いでる」
「天使?!」
「静かにしろ」
天使とは天使?あの天使?羽の生えたあの?
「お前、教会の子供か?」
「教会…の、子供じゃないです」
教会は関係ないし、そもそも子供じゃない。
「じゃあ、天使に捕まると面倒だ。逃げるぞ」
男は立ち上がると巨人なのかと思うくらい大きかった。
190センチくらいあるんじゃないだろうか。マントを脱いでリナを包むと縦抱っこにして腕の上に乗せ、猛スピードで走りだした。
「きゃう!」
「口閉じとけよ、舌噛むぞ」
先に教えてほしかったリナだった。
しかし、男の物だという馬に乗った時は、怖さのあまり男にびったりとくっついて震えることしかできなかった。
あまりにも大きいのだ、馬が。馬の上がこんなにも高く感じるなんて。想像以上だった。
「しっかりくっついて、口は閉じとけ」
再び男は忠告をしてくれたが、リナは大げさなくらいうんうん頷いてさらに男の胴体にぎゅうと抱き着いた。
男はリナの背中を思ったよりも優しく、トントンと叩いて合図すると馬を走らせた。
馬は山道も街道も猛スピードで走り抜けた。
お陰でリナは気を失う寸前だった。
「おい。チビ。しっかりしろよ」
男は力の抜けたリナを抱きしめたまま馬からひょいと降りると、厩に馬をつないで隣の建物に入っていった。
「おお。レオじゃねえか。……その子供は?」
ざわざわとした喧騒の中で、カウンターから声がかかる。
「また天使が騒いでた。連れ去られるところだった」
「どのあたりだ?」
「祭壇だ」
「ああ、また教会か……」
「とりあえず俺の部屋に連れていく。飯を用意してくれ。俺とチビの分」
「わかった」
レオと呼ばれた男はリナを抱いたまま、自分の部屋のある酒場の2階へと階段を上がる。
片手で器用に鍵を開けると、土足のまま部屋に入る。
意識を今にも手放しそうなリナをベッドにそっと寝かせて、靴を脱がせた。
解放感からか、リナはふにゃっと微笑んだように見えた。
レオはふっと笑ってリナの顔にかかる髪を避けてやる。リナのあどけない寝顔にレオの力も抜けた。
「疲れたんだろう?眠ってもいい」
「一緒、そばに……」
「わかった。そばにいるから安心しろ」
レオは手をつないでくれた。
大きくてあたたかな手。リナの小さな手を包み込む、安心できる手。
リナすうすうと安らかな寝息を立てた。
「あらやだ。珍しい。子守りが上手になったのね」
ノックの音に続いて勝手にドアを開けて入ってきたのは、この宿屋の看板娘のマリーナだ。
リナがレオの手を握っているのを見て、にこにこしている。
赤毛で緑の目。そばかすの浮いた頬が若く見えるがこれでも人妻だ。
1階の酒場はまだまだ親父がやってるが、宿屋の方は娘夫婦が取り仕切っている。
レオは自分が子供から遠巻きにされるのを自覚している。
眉間のしわか。三白眼気味の鋭い目つきか。でかい図体か。
「スープなら早いかと思って持ってきたんだけど、寝ちゃってたのね」
「ずいぶん疲れてたみたいだ」
「教会から脱走してきたのかしら?痩せてるし、心配だわ」
「いや、教会とは関係ないと言っていた」
明るいところで見ればはっきりと見えるリナの目の下のクマに、二人が悲壮な顔をする。
「スープとアンタの食事、テーブルに置いていくわ」
「すまない」
「いいのよ。困ったら教えて。女の方が話しやすいこともあるかもしれないし」
「助かる」
レオが短く礼を言うと、マリーナは部屋から出て行った。
レオは器用に片手はリナとつないだまま、コップの水を飲んだ。
いくら見ていても飽きることがないリナの顔を眺めながら、いつになく力が抜けていくのを感じた。




