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「なん……で?」
リナは呆然とした。
終電間近の電車に揺られ、最寄り駅について改札を通れば、そこは見知らぬ舗装もされていない 土がむき出しの道だった。
自分が降りる駅を間違えたのかと思った。
急いで後ろを振り返る。
「駅が……ない……」
自分が出てきたはずの駅がない。
背後は何もない道がずっと続いている。
しかも日差しが明るいのだ。
電車から降りた時刻はいつものように深夜近くだったはずだ。
リナの勤めるブラック企業の定時は17時だが、大体の人が残業続きで帰宅は日付が変わる頃なのだ。
今日もリナは猫なで声で甘えてくる同期の分の仕事を代わりに行ったので、いつものように腕時計は22時44分と表示されている。
でも、日差しがちかちかと疲れ目に刺さる。どう見ても太陽は真上だ。
リナは疲れた目をいたわろうと、目頭を少しつまんで目をぎゅっと閉じた。
(電車で居眠りして、夢見てる、と思いたいんだけど……)
再び目を開けても、日差しの強さは変わらない。
さっきまでは秋の夜風で少し肌寒いと思っていたはずなのに、今は夏の様に影が濃い。
リナは暑くてスーツのジャケットを脱ぎたかったが、どうにも心細い。
手に持っていたバッグをぎゅうっと胸元で抱きしめるように持ち直した。
木が生い茂った森のような場所に、リナのパンプスはどう考えても不釣り合いだ。
150センチ代の身長を誤魔化すように履いているこれも、リナには毎日武装しているようなものだったが、ここでは足を痛めつけるだけだ。
舗装されていない道がこんなにも歩きにくいなんて思ってなかった。
リナは日差しを避けるように木の下へと歩いて行って、スマホを取り出した。
とりあえず、地図アプリで自分の位置情報をみようと思ったが、スマホの右上には無情にも「圏外」の文字。
「圏外……」
泣きたくなった。
山奥でも使えるのがこのスマホキャリアの自慢ではなかったのか。
インドア派のリナには、遭難した時の対処方法も、アウトドアでの過ごし方さえ頭に入っていない。
スマホが使えない以上、救助隊やら警察に助けを求めることもできない。
深夜まで働いて(今は何故か昼間のようだけれど)、晩御飯もまだ食べてなくて(何ならお昼も食べそこなっている)、金曜日の解放感で何とか家に帰ろうとしていた自分に、なんという試練なのだ。
もう疲労困憊であったリナは、立っていることもできずに大きめの石に座り込んでため息をついた。
(あ!食べそこなったおにぎり!)
そうだ。お昼を食べそこなっていたのだ。カバンをごそごそしたら、ひしゃげて不格好になったコンビニおにぎりと、『これ一本で一日の野菜の~』とかかれたぬるいジュースが出てきた!
こんなにひしゃげたおにぎりが輝いて見えたことはない。
リナは急いで包装を剥いて、おにぎりにかぶりついた。
「ツナマヨ様……」
カロリーが染みる。
いつも食べているものを口にしたおかげか、今の状況がより異常に思えてくる。
誘拐?
いや、私は改札を確かに出た。自分の意志で。
迷子?
それが近いと思うけど、日付をまたいで明るくなるまで走っている電車なんて、いつも使ってる駅にはない。夜行列車が停まるような大きな駅ではないし、腕時計の日付も金曜日の深夜のままだ。
しかし、スマホが圏外である。
スマートウォッチも何らかの理由で故障している可能性もある。
おにぎりを食べ終わって、ジュースパックにストローをさして、じゅうっと吸い込んだ。
ぬるいが甘さが嬉しい。
一息ついたが、リナはほとほと困り切っていた。
移動したほうがいいのか、動かないほうがいいのかすら判断が付かない。
膝に乗せたカバンに頭を乗せて、ついつい目を閉じそうになった。
ピリリリリリリリリリリリ
びくっと体が揺れた。
カバンの中に突っ込んだ、圏外のはずのスマホから着信音が鳴っている。
アラームでもかけたままだったろうか。
リナは恐る恐るカバンを開いた。
画面の表示は「非通知設定」。
リナはいつもは非通知の着信はとらない。
そもそも非通知の着信は音が鳴らないように設定されているはずだ。
それでも、もしかしたら助けてもらえるかもしれない。
リナはその一心で、不審に思っていた感情を感情を抑え込んだ。
「もしもし!」
勢いよく画面をタップして話しかけた。
――やあ。リナだね。
スマホからは楽しそうな、若い男性の声がした。
「あの、あの。……誰ですか?」
リナは相手が自分の名前を知っていることに、背筋がぞくりとする。
――やだなぁ。僕のこと、ご両親から聞いてないのかな?
男は楽しそうな声でリナの両親のことを口にした。
「……両親は、私が小さい頃、亡くなりましたので」
――そっかぁ。それは残念だね。なら、僕のことを聞いてないのもしょうがない。
リナの両親が無くなっていることを聞いても、ちっとも残念そうに思っていないような声だ。
「あの、私いま遭難?してて――」
――わかってるよ。森の中にいるんだろう?
「そうなんです!助けてほしくて!」
――うん。もちろん迎えに行くよ。
「ありがとうございます!」
さわやかな声がリナを助けると言ってくれている。
相手の素性がなんだとか、どうして自分を知っているのかとか、圏外なのにかかってきた非通知の着信だったことが一瞬吹き飛んでしまった。
それだけリナは嬉しくて、不用心だったのだ。




