第3話「血薔薇の囁き」
霧に包まれた街道を、エリザベータはひとり歩いていた。
夜明け前の薄闇の中、石畳に映る彼女の影は長く、そしてどこまでも孤独だった。
数百年前の村の惨劇から、時は流れた。
疫病も飢饉も、戦火も――すべてを生き抜き、彼女は今なお不死として存在する。
しかし、その重みは日に日に深くなるばかりだった。
「……誰も救えない……」
吐息が霧に溶ける。
救いたいと願えば願うほど、手の届く者は悲劇に沈む。
それが、アザゼルとの契約の代償――不死の呪いの本質だった。
街外れの教会跡にたどり着くと、そこには一人の少年が倒れていた。
瘦せ細った体、病に侵された顔――しかし、瞳には強い意志が宿っていた。
「……助けて……」
微かに漏れる声に、エリザベータの胸は痛む。
手を差し伸べると、彼女の血が静かに光を帯び、少年の傷を癒す。
その瞬間、少年は微笑み、かすかな感謝を口にする。
「……ありがとう……」
だが、喜びは長くは続かない。
夜が明け、日差しが差し込む頃、少年の顔に異変が起こる。
体は徐々に硬直し、瞳は空を見つめたまま微かに笑みを浮かべる――その死は不可避だった。
「……やはり……」
膝をつくエリザベータの肩を、冷たい風が撫でた。
遠くで、羽ばたく黒い影。
「契約者よ……喜ぶのは早い」
アザゼルの声は、いつも通り冷酷に響く。
涙を堪え、彼女は薔薇園の方角を見やる。
赤い花びらは夜露に濡れ、彼女の影を静かに映していた。
「……愛する者を救えなくても……私は立ち向かう」
その声には揺るぎない決意が宿る。
暗い夜に、彼女の瞳だけが光を放つ。
血のように赤く、そして永遠に凛とした輝き。
誰も救われず、誰も報われない悲劇の中で、
ただひとつ、少女は孤独に抗い続ける――血薔薇のように美しく、しかし残酷な運命に。
そのとき、背後から影が迫った。
「次はお前だ、エリザベータ」
冷たい刃の音。
振り返ると、宗教裁判の生き残り、復讐に燃える異端審問官が立っていた。
「……逃げない」
少女は薔薇の力を掌に集め、赤い光を放つ。
吸血による力の代償を覚悟しながらも、彼女は立ち向かう。
血と薔薇の香りが夜風に溶け、永遠の戦いの序章が再び幕を開けた。