第11話「男子高校生の他愛もない会話」
それからというもの、
僕は毎日、放課後になると部室へ足を運ぶようになった。
うちの高校では、放課後は班ごとに分かれて掃除をする決まりになっていて、僕の担当は少し時間のかかる場所だ。
だからたいてい、先に部室に着いているのは先輩の方だった。
扉を開けると、先輩はギターを弾いていたり、スマホをいじっていたりする。
「お疲れ様です」と声をかければ、
先輩はいつものようにのんびりとした口調で、
「おう、後輩くん。お疲れー」と返してくれる。
この同好会は、“妄想を現実化させる”というコンセプトだけど、
実際には、特にこれといった活動はしていない。
僕と先輩が並んで座って、30分ほど他愛もない話をするだけだ。
「昨日、藍歌ちゃんが使ってるシャンプー買ってみたんだけどさ、
めっちゃ藍歌ちゃんの匂いがするんだよ」
「へー、よかったじゃないですか」
「うん。これで実質、藍歌ちゃんと同棲してるようなもんだからね」
藍歌ちゃんというのは、先輩が推している地下アイドルの名前だ。
先輩は彼女に貢ぐために、ほぼ毎日バイトをしている。
そのせいで、活動時間も自然と短めになっているらしい。
本当にこの同好会は、他愛もない話をするだけの場所だ。
だけど、不思議とそれが心地よかった。
先輩と過ごす短い時間が、いつの間にか僕の日課になっていた。
そして今日も、
僕は階段を登って、4階の第3音楽室へ向かう。
「お疲れ様です」
「おう、後輩くん。お疲れー」
先輩はイヤホンをつけて、スマホの画面を見ている。
僕は、何気なく尋ねてみた。
「先輩。それ、何見てるんですか?」
「昨日、藍歌ちゃんがやってたカラオケ配信のアーカイブ。
バイトでリアタイできなかったんだよね」
「そうなんですね。でも、アーカイブ残してくれてるなんて、藍歌ちゃん優しいですね」
「ほんとそれ。
バイトから帰って、生配信に気付いたときは絶望だった。
でも、アーカイブ残ってて救われたよ。
……もうほんと、“推生残”って感じ」
アーカイブを見つめながら、先輩は聞いたことのない言葉を口にした。
思わず聞き返す。
「すいせいざん?」
「そう。
“推”しが“生”配信のアーカイブを“残”してくれてて嬉しい気持ち。
と書いて、“推生残”」
「なんですか、そのオリジナルの造語は」
先輩のこういう冗談めいた言葉遊びは、
どこか説得力があって、妙に刺さる。
「ていうか、後輩くんは推しとかいないの?」
「うーん、リアルの人では特にいないですね。アニメキャラならいるんですけど」
「へー。どんなキャラが好きなの?」
「“某ネイル屋の娘たち”ってアニメ知ってますか?」
「あー、知ってる知ってる。2年くらい前にやってたよね?
ネイル屋の姉妹が一緒に働いてるやつ」
「そう、それです。
そのアニメの主人公、中学2年生の妹・結愛ちゃんが好きでした。
当時、同い年だったので、なんか親近感が湧いて」
「わかる。結愛ちゃん可愛かったよね。俺も好きだった」
先輩が嬉しそうに頷いた。
こんなマイナーなアニメで通じ合えることが、ちょっとした奇跡のように思えて、心が弾んだ。
「でも……同い年だったキャラの年齢を、いつの間にか追い越しちゃったときって、ちょっと寂しくなりません?」
「あるある。こっちが年を取っただけなのに、なんか少し置いて行かれたような感覚になるよね」
「ですよね……これはもう、“推年寂”ですね」
「すいねんせき?」
「はい。
“推”しのアニメキャラの“年”齢を追い越してしまったときに、ふと訪れる“寂”しさ。
と書いて、“推年寂”です」
僕は先輩の真似をして、造語を口にした。
すると先輩は、どこか誇らしげに微笑んだ。
「後輩くん、早速“三郎イズム”の影響受けてるじゃん」
「あはは、そうですね」
ふたりで笑い合いながら、何気ない時間が静かに過ぎていく。
そして、先輩がゆっくりと席を立った。
「後輩くん、そろそろ帰ろっか」
「ですね」
先輩はいつも、駅まで一緒に歩いてくれる。
そして駅前で分かれて、それぞれの帰路につく。
学校から駅までの数十メートルも、僕たちは他愛もない会話を続けていた。
「“某ネイル屋の娘たち”の2期、やってくれないですかねー」
「やってほしいよねー。俺もずっと待ってるんだけどさ、評判イマイチだったし、たぶん無理だよね」
「惜しいですよね。オリジナリティもあって面白かったのに」
「だよねー」
「たまにありますよね、そういうの。面白さと評価が合ってない作品」
「うん、悲しくなるよね。
たぶんさ、世の中の人って、“面白さ”の本質に気付けない人が多いんだよ。
面白さを正確に把握できる能力、“絶対面感”を持ってないんだ」
またしても、先輩は新しい造語を生み出した。
「あはは、先輩の言う通りですね」
そんな話をしているうちに、いつの間にか駅に着いていた。
「じゃあねー、また明日」
「はい、お疲れ様です」
先輩は手をひらひらと振って、そのまま自分の帰り道の方へと歩いていく。
その背中が見えなくなるまで目で追ってから、僕も改札をくぐった。
明日も、きっと今日と同じように、
不思議で、他愛もない日が待っている気がした。