メスガキは分からせるまで
「ただいま」
フランツ・フェルディナンドは、アパートの一室に帰宅するや否や、一直線にある場所へ向かう。
自宅として借りているこの部屋は、計画都市である迷宮都市らしく華やかな装飾と快適なライフラインが整備された冒険者向け政策住宅である。
一人暮らしには十分すぎる専有面積であるが、彼女が向かうのはその最奥、ベランダだ。
軍支給の良質な衣類はすべて脱ぎ捨て、下着ひとつで外気に触れると、見晴らしの良い市街地風景と簡易的なベンチ、そして灰皿が彼女を出迎えてくれるのだ。
「はあ。この瞬間が一番落ち着くな」
何事にも縛られない自由気ままな生活。
それを夢見てこの都市を訪れたのは何年前だったか。
実際は経済的にも政治的にも縛られてばかりなのだが、この至福の時間だけは邪魔されたくない。
そのはずなのだが―――
「まったく。どうしてうちの姫様は面倒ごとを拾ってくるかねぇ」
面倒なことは全部投げ捨ててしまいたい。
本当は貴族の放浪息子なんてものには関わりたくない。
シャルロットはああ言うが、必要に迫られない危険は冒さないほうが賢明だ。
当の本人は、今ごろ抑えきれない劣情に身が悶えているに違いないが、一時の感情で人生ドロップアウトしてきた人間を多く見てきた。
「そういえば、あの先輩も捕まったっけ」
フランツとイブが新参者であった頃、冒険者としてのイロハを教えてくれた先輩。
恵まれた体格で面倒見が良く、当時の荒んだ自分にも優しくしてくれた彼女だが、数年前に強制淫行罪で冒険者資格を剥奪されてしまった。
聞くところによると、仲の良いギルド職員に手を出してしまったようだ。
しかし、無理やりは良くない。
たしかに三十路近い年齢ではあったが、三十歳処女は魔法使いに目覚めるという迷信にでも焦ったのだろうか。
なんにせよ、彼女は名誉も財産も特権も、一夜の過ちで全て失ってしまったのだ。
なんと恐ろしいことか。
「まあ、わたしの橋も既に危険か」
お姫様と突如舞い込んだ子犬。
ただの子犬なら歓迎だが、血統書付きの脱走犬は畏れ多すぎる。
そもそもよく考えれば、一介の中堅冒険者フランツが、令嬢シャルロットの身元引受人になっていること自体がおかしな話だ。
彼女の保全だけ考慮すれば、ほかに適役は大勢いる。
冒険者ランクが高いパーティに依頼を出せばよいのだ。
あのデュポン家なら大事な一人娘に金目をかけない理由がない。
それにもかかわらず、フランツがなぜ選ばれたのか。
理由は単純明快、彼女が軍人上がりだからだ。
軍部では邪険扱いされようが、経歴と実力は立派である。
ならず者上がりが多い冒険者界隈のなかで、信頼に足ると判断されるには十分だった。
それに迷宮の高深度まで探索するならともかく、世間体で冒険者稼業をさせる一人娘には、低深度を生業域とする中堅冒険者のほうが都合良いのである。
彼女が中堅として一定の知名度を得た後、お声は意外と早くかかった。
「ふう」
深く息を吐き出し、煙草を持つ指が熱くなるのを感じる。
フランツとて断れる選択肢があるのなら辞退したかった。
しかし、複雑な政治力学が渦巻く迷宮では、有力者に逆らうのは容易でないのだ。
それにシャルロットは僧侶として優秀だし、人格的にも優しい子だ。
冒険者稼業には支障なく、フランツとイブの安全を脅かす要素はないと判断した。
服従させる規律権力ではなく、あくまで自由意志を尊重する生権力的な親のやり口は気に入らないが、逆に恩を売る良い機会でもある。
長期的にはかなりのリターンが期待できる投資のはずだった。
だが、雲行きが少し怪しくなってきた。
煙草は黙々と燃え、フランツのくすんだ金髪に靄がかかる。
「嗚呼、ばあちゃんが言ってたっけな。世の中には、女を破滅させる悪い男がいるって」
ちょうど、一本目の煙草が燃え尽きた。
****
他方、シャルロット・デュポンは、胸の高鳴りが収まらなかった。
あまりにも事態が上手く進みすぎている。
心臓の鼓動が全身を駆け巡り、胃袋がキリキリと締め付けられるのを感じる。手汗が止まらず、このドギマギとした気恥ずかしさが非常にもどかしい。
こんな様子で大丈夫か。いまの自分、性欲丸出しで気持ち悪くないだろうか。いきなり自宅へ連れ込むなんて、やっぱり後から問題になってしまったら....。
さまざまな思いが彼女の頭を何重も駆け巡るが、されとて行動には反映されない。
なぜならば、彼女は思春期真っ盛りの女だからだ。
誰だって同じシチュエーションでは、私と同じなはず。
年頃の乙女が脳内ピンク一色に支配されてしまうのは、全世界共通ですから。
それにあんな可愛い天使が、何の警戒もなく自分の懐に入ってこようとするんです。
世界中どこを探しても、これ以上の誘惑に抗える乙女なんて存在しません。
そう自分を正当化するほどに、身体の髄から沸き立つ好奇心には勝てなかった。
「ここがお姉さんのおうちなんですか?」
そしてファムに呼びかけられ、ふと我に返った頃には、すでに自宅に到着してしまった。
基本的な建物構造は、ほかの冒険者政策住宅と変わらないが、一つだけ変わるものがある。
それが厳重なセキュリティだ。
本来は高ランク冒険者層が住まう集合住宅であるが、心配性な父の親心で彼女の居住地となっている。
当初住み始めた頃は、せっかくの一人暮らしなのに郊外にある立地で不便だなとか、結局警備員がいるなんて堅苦しいなと内心思っていたものだが、こうして男の子を連れ帰る日には、少しばかり誇らしくなる。
「ふふ。じゃあ、何もないところだけどゆっくりしてくださいね」
シャルロットは自宅に彼を招き入れ、歓迎の紅茶を沸かすことにする。
ただ、そんなふうに内心の動揺を隠し、外面を繕うのが精いっぱいだった。
そもそもお持ち帰りには成功したものの、一体ここから何が始まろうというのか。
密室に、超絶可愛い美少年と処女二人。しかも、相手は15歳未満の未成年だ。
ここで手を出してしまったら、確実に事案である。
もっとも、異性経験に乏しい彼女には、一線を超える勇気なんて当然ないのだが。
そこで、もてなしのティータイムで一服しがてら、お互いの身の上話をすることにした。
ゆくゆくはお付き合いすることになるとしても、まずは相手のことを知るのが大事なのです。
これは冒険者稼業に就いてからお聞きしたのですが、えっちのとき、お互いのことをいかに深く理解しているかが気持ち良さに大きく関わるようなのです。
だから、まずはファムくんのことについてもっと知りたい。教えてくださいな。
そうやって目じりを落とし、優しい瞳にはまるでハートが映り込むような恍惚とした表情で、シャルロットは語り掛けるのであった。
****
俺たちはパーティメンバーとして、お互いのことを知ろうとした。
ファム・ファタールとして生きた十年間、そしてシャルロットお姉さんの令嬢としての堅苦しさや、冒険者稼業の自由と危険性。話す内容はいろいろだ。
簡単にだが、フランツさんやイブさんの経歴も聞いた。
もともとの軍服姿からして、大まかに予想はしていたのだが、なかなかにこの世界特有の生きづらさがあるようだ。
それから数時間は経過しただろうか。
途中で軽食を挟みつつ、部屋の案内を受けたり、家事ルールを決めたりと、忙しない一日が終わろうと日没を迎えたころだった。
さすがに語り疲れて、会話が途切れる局面に差し掛かった。
すると、二人無言の時間が流れるようになった。
だけど決して、その空気感が気まずい訳ではなかった。
たしかに綺麗なお姉さんの家に転がり込み、密室で二人っきりなのだから多少緊張はする。
しかし、お姉さんは俺に心を開いてくれているようだし、数時間もお喋りを重ねて、距離は縮まったように思えた。なにより彼女は快く迎え入れてくれているのだ。
そうであれば、余所余所しい態度は却って失礼に当たるだろう。
そんな思いから、先に口を開いたのは俺だった。
「あの、厚かましいのは承知なんですけど、一ついいですか」
「うん? ここはもうファムくんのおうちなんだから、好きに言っていいんだよ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて。久々にシャワー浴びても良いですか? 修道院では集団生活が基本でしたし、実はひとりでゆっくりお風呂に入れなくて」
「!? ああ、お姉さんのことは気にしないでいいから!入っておいで、ね? それがいいよ。ほら、絶対覗いたりなんかしないから信じて」
「そこまでテンパってると逆に怪しいですけどね」
という感じに、軽口が叩けるぐらいな関係にまでなったのだ。
お姉さんもお姉さんで、たぶん俺に気があるのだろう。
ちょっとあざとい振る舞いをすると、面白いぐらいに反応が分かりやすい。
それに自分で言うのもなんだが、正直鏡を見るたびにファム少年は美形だと思う。
この魅力を使えば、力ない子供でも迷宮都市でそれなりに生きていけそうだ。
但し、これはあくまで子供特有の可愛さであり、おそらく年齢を重ねると一般成人男性になっていくのだろう。だからこそ、特権は少年期に使えるだけ使って、将来の貯蓄を貯めねばなるまい。
「あ、先に言っておきますけど、ほんとに覗いちゃダメですからね」
「もう。分かってますよぉ」
冗談めかしてお姉さんに釘をさしておく。
ゆっくり身体を清めたいのは事実だし、自分の価値は高く見積もらねば。
安売りするほど俺の身体はありふれてないのだ
だけど、不思議とこの優越的な立場だからこそ、少し意地悪したくなる気持ちもある。
まさか男として女性を振り回す日が来るなんて考えもしなかったが。
メスガキならぬ、オスガキにでもなってみようかしら。
「―――だけどまあ、どうしてもっていうなら、考えてあげなくもないですよ」
「えっ...!? ちょッ、それってどういう意味なのさ??」
「さあ、僕は気まぐれなので。ふふ」
「~~~ッッ?!?」
こうして、ファム・ファタールの人生を歩むのも悪くなかった。
次第に俺は胡蝶になっていくのだろう。
だが、そんなふうに考えてシャワーを浴びていると、急にガタンと扉が開いた音がした。
シャンプーが目に入り、良く見えなかった。
しかし、振り返ると、何をとち狂ったのか、乙女が乱入してきたことだけは認識できた。
オスガキは、分からされるかもしれない恐怖に打ちひしがれた。