エピローグ
この世界を愛する者は、生きていたいと感じるのか。それとも愛しているからこそ、死を選ぶのか。究極の選択を私たちは生きているからこそ問われているのかも知れない。
駅のホーム内は、相変わらず騒がしい日々だ。女子高生の笑い声は、どの通行人よりも響き渡り、その光景こそが日常となるように他の通行人は見向きもしない。こんな光景を目の当たりにする中で、いつも私は思ってしまう。皆、人生を急ぎすぎてはいないだろうかと。人生百年時代と言われるこの時代に、こんなにも急いで満員電車に乗るなんて。いつも決まった通学路や通勤経路を、時間を急ぐようにただ通っている私たち。ただただ通り過ぎて行くなんて案外、いやむしろ、勿体無いのかも知れない。同じような風景であっても、今日という日と全く同じ日なんてもう来ないのに、明日も通るからと先延ばしにしている私たち。日々を当たり前だと勘違いしている。風を感じ、音に触れ、空気に触り、匂いを嗅いで、肌で痛感し、全細胞で受け止める。なんて神秘的なのだろう。いきものというのは本来そのようなものではないか。この世の中は、便利なものを必要としている。時に、不便なものも必要ではないか。そう私は感じている。人は元から、固定概念を持っているから変化を嫌う。だからこそ本来の本質にたどりつけない。この私も然り。こんな考え方だから人生の楽しみ方を忘れてしまう。人には様々な考え方があって、生き方がある。頭の中では理解しているつもりだけど、実際に珍しい人に出会うと非常識だと感じてしまうのは、どうしてなのだろうか。人生は難しい、でも一度きりだから感動がある。というのは、美学かもしれない。綺麗事でしかないかもしれない。でも私は、そう信じて生きてみることにする。―ムクゲ―
太陽が照りつけ、目をつむってしまうほど外に出ていなかったのに、冷蔵庫の中が空っぽで仕方なく、一人アパートを出る。
私は、お一人様が好きな二回生で大学では心理学を専攻している。私の名前は、塔堂 聖菜。恋人とも長続きはあまりせず、別れたと思ったらまた付き合いの繰り返し。特に夢中になるような趣味もなく、黙々とアルバイトと学業の両立に毎日を捧げる日々の繰り返しだったのだけど、最近唯一といっても過言ではない趣味のようなものを見つけた。それは、人間観察だ。基本的にインドアで、大学とアルバイトがない日はほとんど家で過ごし、二日休みがあれば、一日は友人や恋人と過ごしても良いが、残りの一日は何が何でも家に籠もるというルーティンをこなす私を唯一外に出してくれるものだ。
人の動きというのは本当に面白い。皆、早歩きや小走りで目的地にたどり着こうと足を動かしていたはずなのに、一五時を知らせる、駅のからくり時計が始まると、興味を抱くように足を次々と止め出す。からくりが始まる前の静けさのある時計の方がいつもの私たちの体内時計の役に立っているのに。人は変化を嫌うのに、新しいものに興味を示す。矛盾しているのに納得してしまう。なぜだろう。人って案外、面白いいきものなのかもしれない。大学で心理学を学んではいるが、今まで特に人に興味を持ったこともなく、滑り止めで受かったから心理学を学んでいるだけだった。でも、最近は少し興味を持った。様々な人がこの世の中にいることは理解しているつもりだ。でも、一度きりの人生の中で全人類や生き物と触れるなんてできない。だから、そこが少しだけ面白いと思った。これからの話は、こんな私の少し前の話だ。
小説の書き方も知らない人間が作った駄作なので、暖かい目でよろしくお願いします。構成もグダグダで読みにくいと思います。
投稿初の処女作ですね。今日も皆さまにとって素敵な日でありますように。