魔女の伝説
「では私は別の仕事がありますので、ここで。3日後の朝、またこの宿で待ち合わせをしましょう」
ありがとうございました、とお礼を言ってから、私たちは別れた。それから「さて、」と気合いを入れ直し、私はバラの町──あらため、『つきの町』で調査を始めることにした。
とはいえ、私は少し楽観していた。この町の人口はだいたい1,500人ほど。世帯でいえば400前後ほどだろうか。一つ一つの家を訪ねるのは途方に暮れるけれど、弟子の名前は把握しているのだ。クロエという名前が偽名でなければ、運が良ければ早くに見つかるかもしれない。そうでなくても、町の名簿さえあればこの依頼はすぐに達成されるし、彼女が魔女であることを隠していないのであればもっと早い。
私はとりあえず宿の店主に声をかけて、「クロエという女性を知りませんか」と尋ねた。知らなければ名簿がありそうな、たとえば村長の家なんかを教えてもらおうと考えていた。
「どこのクロエさんかしら」
この言葉を聞くまでは。
「どこの?ええっと、実は知り合いの知り合いでして、あまり詳しくはないんです。クロエさんという方が何人かいるんでしょうか?でしたら家を教えてもらえれば……」
私の言葉を聞くやいなや、店主は表情を曇らせた。
やっぱり家を教えてほしいというのはマズかっただろうか。それも、魔女だもの。警戒されたって仕方がない。少しずつ魔女への信用が上がってきているとはいえ、知らないうちに胡座をかいてしまっているのかもしれない、と私が反省していると、店主は申し訳なさそうに眉を下げながらその表情のワケを話してくれた。
「この町には“クロエさん“がたくさんいるのよ」
「たくさん?それは、どのくらい……?」
「さぁね。数えたことはないけど、とにかくたくさん。私の亡くなったおばあさんもクロエだったし、子どもの頃よく遊んでいた友達にも2、3人いたわ。最近生まれた近所の赤ちゃんもクロエちゃんね」
私は気が遠くなるような思いがした。名簿を見るどころではない。彼女の言葉が正しいのなら、1日や2日かけた程度では到底、レイチェルさんの弟子の“クロエさん“には辿り着けない。
「どうしてそんなにクロエさんが……?」
聞いたところでどうしようもない。そんなことは分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
「この町のことを知らないんじゃ驚くのも無理はないね。これはね、この町の伝説に由来するんだよ」
「伝説?」
「そう、伝説。この町と、一人の少女と、──魔女の伝説」
◯
むかしむかし。この町には人と、そして精霊が共に暮らしていました。精霊は土地を豊かにし、人々はお礼に町で採れた野菜や果物を渡し、二つの種族は仲良く暮らしていたのです。
しかし時代は少しずつ変わっていきました。
人々の中には、「魔法も、神秘も、奇跡も、この世には存在しない」と言う人が出てきたのです。そんな人が増えるにつれて、町で暮らしていた精霊たちは、一人、また一人と姿を消していきました。
領主は焦りました。いつの間にか、この町はすっかり精霊に頼り切ってしまっていたのです。
領主は精霊に懇願しました。
「もう少し、もう少しだけこの町にいておくれ。この町が、人々だけで暮らせるようになるまで、もう少し」
けれど精霊は首を縦に振りません。少しずつ、少しずつ息絶えようとしていく町を、領主は見ていられませんでした。
気がつけば、精霊は鳥籠のなかにいました。
「すまない。私は町を守らなくてはいけないのだ。時がくれば必ず解放すると約束するから、どうか許しておくれ」
領主の涙を見て、鳥籠のなかの精霊は彼を責めることはできません。けれど鳥籠の外の精霊は違います。彼を許すことはありませんでした。
しばらく経ったある日、精霊たちは鳥籠から仲間を救い出し、この土地を呪い、そして町から去っていきました。
呪われた土地は痩せ細り、かつての緑は見る影もありません。領主は病に倒れこの世を去りましたが、彼には一人娘がいました。娘は自ら生贄になることを望みました。
「この命ひとつで父の罪が晴れ、精霊の許しがもらえるのであれば、他には何も望みません」
町の人々は少女を止めました。町を守ろうとした領主を、誰が責めることなどできるでしょう。けれど少女の意思は固く、誰の言うことも聞きません。町の人々はついに、少女を止めることを諦めました。
するとそこへ一人の魔女が町を訪れました。魔女は街の様子を見てまわってから、足元に落ちていた枝を拾い、何やら地面に書き始めました。大きな丸を描いたかと思うと、その中にミミズのような文字を書いて、その次は星を描いてみたり。最後に地面に両手をつくと、途端にあたりは光に覆われて、やがて光は消えました。
すると、どうでしょう。枯れていた木が緑に輝き、カラカラだった地面はふかふかの土に、川は再び流れを取り戻しました。
人々は喜び、少女は涙を流しながら感謝を伝えました。こうして町には平和が戻り、今の豊かな街が出来上がったのです。
◯
「この時、魔女に命を救われた少女の名前こそ“クロエ“よ。おかげでこの名前の女性は、“魔女に守られている“証しとされて、この町ではクロエと名付ける親が多いの」
店主はそう言って話を締めくくった。
そういう理由があるのなら仕方がない。地道に探すしかないようだ。
「ちなみに、魔女の“クロエさん“はこの町にいらっしゃいますか?」
「魔女のクロエ?……ふふ。もしいたら、伝説にあやかってこの町では人気者になれそうね。だけど、ごめんなさい。聞いたこともないわ。少なくとも私はね」
つまりクロエさんは正体を隠しているのだろう。目立つことが苦手な私からすると、その気持ちがよく分かるような気がした。
「そうですか。ところで今の伝説は、この町で実際にあったことなのでしょうか」
「さぁ。この町の人なら誰でも知ってる伝説だけど、誰も真実かどうかなんて気にしてないと思うわ。気になるなら教会に行ってみたらどうかしら。神父さんなら詳しいことを知ってるかも」
教会かぁ、と私は少し躊躇した。
魔女を中に入れてくれる教会なんてあるんだろうか。そう考えつつも、その伝説が気になるのも事実だった。
今日は教会に着いてきてくれるノアはいない。私の代わりに神父様に話を聞いてくれる誰かはいないのだ。……不安だ。とても怖い。罵倒されるのは嫌だ。拒絶されるのは恐ろしい。だけど依頼を受けると決めたのは私で、それを達成したいと思っているのも私。それなら、私は行かなくてはいけない。恐怖のために足を止めるなんて、そんなの魔女らしくない。
「ありがとうございます。教会に行ってこようと思います」
そう言って私は宿を出た。扉を開く時、背中に「行ってらっしゃい」と声がかかる。何でもない気持ちでかけられた言葉に、今はただ救われるような思いがした。




