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バラの町

「君はまた、ややこしい依頼を引き受けたねぇ」


 クロエさんの手紙を読みながら、ノアは顔を顰めながら頬杖をついている。そんな彼から手紙をひったくり、私はもう一度その紙に目を通した。

 女性らしい、柔らかな文字だ。一つ一つの単語が丁寧に書かれていて、良家の娘が書くような、達筆な文字とはまた別の美しさがある。

 紙は、市場で売られているような普通の紙。上質なものではなく、表面はざらざらとして色も少し黄ばんでいる。いわゆる、庶民向けの紙と言っていい。

 そして、一番気になるのは……。


「その手紙、かすかに甘い香りがするね。……これは、バラかな?」


 ノアの言うとおりだった。

 この手紙からは、薔薇の甘い香りがふんわりと漂っている。意図的に香りを移したのか、それとも自然についた香りなのかは分からないけれど、この手紙が書かれた際に、身近にバラがあったことだけは確かなようだ。


「うん。いい香りだ。でも、どこかで嗅いだことがある気がするな」

「城の庭に植えてあったバラでしょうか。以前、庭を案内してもらった時にありましたよね」

「城のバラとは少し違う気がするんだよ。僕はこういうのには疎いから、ちょっと頼りないんだけどね。この香りは、……うーん。庭とはまた別の場所で覚えがある気がするんだよなぁ」


 そう言いながら、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませるノアを尻目に、私も手紙についたバラの香りを嗅いでみる。

 深みのある甘い香りだ。この依頼を引き受けた日から数日経ったために香りは薄まってはいるものの、ここまで香りが保つのは結構すごいことなんじゃないだろうか。それにノアがこの香りに覚えがあるというのも気になる。

 ……豊かなバラの香り。香りには高い持続力があって、ノアは覚えがあるものの、それは庭とはまた別の場所。


「もしかして、ノアが嗅いだことがあるのは香水じゃないですか?」

「香水?」

「はい。香りは上品で、しかも長持ちするとなれば香水にぴったりです。庭以外の場所で覚えがあるというのも、香水なら場所は限定されませんし」

「あぁ。言われてみればそうかもしれない」


 腑に落ちたような顔でノアが頷いた。


「あっ。香りに覚えがあるからと言って、変な誤解はしないでくれよ?僕はパーティ会場だとか、そういう社交的な場所で覚えがあると言いたかっただけで……」

「そんなことよりノア、これを見てください」

「……“そんなこと“」


 私は一度席を立って、本棚から一冊の本を取り出した。ぱらぱらと紙をめくり、お目当てのページを開いてテーブルの上に置く。ノアは不満そうな顔をしながらも本を覗き込み、それから


「ムーンライトローズ?」


 と呟いた。


「このバラは香りが強く、長持ちするため香水としてよく使われているそうです。王都から離れた『つきの町』で栽培されているらしく、その町にクロエさんがいる可能性は高いと思います」


 私の言葉にノアは納得しつつも、まだ彼の中では何か引っかかるようで「だけど、」と口を開いた。


「だけど、そのバラの香水を弟子が身につけていて、その香りが手紙に移っただけかもしれないよ」

「確かにそういうふうにも考えられますが、おそらくそれはないかと思います」

「どうして?」


 ノアが尋ねる。私はテーブルの上の手紙を、指先でとんとんと叩いた。


「手紙に使われている紙の質は、市場で売られているものと変わりません。ですがこのバラを使った香水は高級品で、庶民が手を出せるようなものではない。それなら手紙の差出人は、香水ではなくバラ自体が身近にあるのだと考えたほうが自然です」


 そういうと、ノアは「紙かぁ」と呟き、今度こそ納得してくれたようだった。


「その町へ行くんだろう?いつ行くんだい?」

「早いほうがいいので、明日には向かおうと思います。王都から離れているのでしばらく店は空けることにして」

「じゃあうちの馬車を使うといい。明日、近くの町までお使いを頼む用があるから、その馬車に君を乗せるように言っておくよ。それならその日の夕方には着けると思う」


 ノアの提案はとても有難いものだった。だけどそんなに甘えてしまっていいものか悩んでいると、それを察したノアはにこやかに微笑んだ。


「この店に君がいないと僕が淋しいんだよ。だからさ、早く帰ってきておくれ」


 冗談みたく言う彼に降参して、私も眉を下げて微笑んだ。

 ここで食い下がったところで、どうせ結局は無駄なことだと気付いたのだ。ノアは意外と強引なところがあるから、私がどう言ったって最後には彼がやりたいようになる、そんな気がする。


「分かりました。明日はよろしくお願いします」





 昨日の約束通り、朝早くに城の使用人と名乗る優しそうな中年の男性が馬車と共に店を訪ねてきた。私はお礼を言ってから馬車に乗り、そして長い道のりを馬車と共に揺られた。


 ノアの言うとおり、町の入り口に差し掛かった頃には西の空がゆっくりと赤く染まり始めていた。うとうとと船を漕いでいた私の鼻にふわりと甘い香りが広がって、私はハッと姿勢を正す。

 まず目に飛び込んできたのは赤やピンク、白といった色とりどりのバラの波。それから暫く馬車は走ってさらに町に入っていくと、整然としたバラ畑ともに、ところどころ小さな農家が見えてくる。家々の屋根にはツタが絡まり、庭先には美しいバラが咲き誇っている。

 馬車の車輪が石畳に触れる音が響いた。風に舞った花びらが私の目の前をひらりと飛んでいき、木造の建物が並ぶメインストリートに入ると、馬車はゆっくりと減速し、やがて止まった。


「宿をとってあります。今日はそこで泊まりましょう」


 何から何までノアのお世話になっていることに申し訳なくなりつつ、私は「はい。よろしくお願いします」と言葉を返した。

 ゴーン、ゴーンと、少し離れたところから教会の鐘の音が響いてくる。夜が近づく気配を肌で感じながら私はそろそろと馬車を降り、バラの香りに満たされる町へと足を下ろした。

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