表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/63

魔女の木

「魔女について教えてほしい」


 お互いに魔女の呪いについて調べましょう。

 そう言って昨日別れたはずのノア王子は、今日、再び私の店を訪ねていた。彼の声は本当にこの国の王子なのかと疑いたくなるほど誠実そうで、私はうっかりと簡単に工房への立ち入りを許してしまいそうになった。とはいえ、魔女が編みだすものは門外不出だとか、誰かに見られると鳥に姿を変えて山へ帰らなくてはいけないだとか、そんなルールはもちろんないので工房へ入れること自体に困ることはない。ただ何となく、誰かを招き入れるために整頓された心地いい部屋と、自分のためだけに作り上げた部屋とでは、誰かを招く行為の重みが違うように思えた。


 できるだけプラスの感情だけを表へ出すように心がけているつもりだったけれど、私の躊躇いは彼に筒抜けだったらしい。彼は手に持っていた小さな白い箱を、分かりやすく私の目の前に持ってきた。箱にはシンプルな文字で店の名前が印字されていて、心なし、ふんわりとした甘い香りが鼻先をくすぐる。中を見なくても、私は箱の中身に心当たりがあった。この店のケーキは女の子に大人気で、行列を見ない日はないと有名なのだ。

 にこりと人の良さそうな顔で微笑むわりには、一向に箱を渡してこないところを見るに、やっぱりこの人はいい性格をしていると思う。私が「どうぞ中へ。工房へ案内します」と言うと、彼はやっと私に箱を渡して、わざとらしく


「そういえば手土産を持ってきたんだ。食べてくれ」


 と言った。やっぱりこの人の依頼は断るべきだったのかもしれない。





 魔女だったおばあさんは、この工房で私に色々なことを教えてくれた。薬の調合はもちろん、材料の品質の見分け方、残念ながら素質はあまりなったけれど、呪いや占いについてもこの工房で教わった。すっかり色褪せてしまった木製の大きなテーブルの上には、陶器でできたすり鉢や、中身の入ったビーカーや試験管、調合に使うための材料が所狭しと並んでごった返している。本棚には植物や薬関係の本が主にラインナップされていて、これはほとんど私の趣味だ。一応、占いや呪いの本だったり、水晶だったり、藁人形だったり、そういうものもあるけれど、私は基本的に使わないので隅っこで山積みにしてしまっている。調合の材料を整理する棚は一番大きくて存在感があるけれど、いろんな材料の匂いが混じっているので換気は必須だ。

 あとは、至るところにある植物。床には大小様々な植木鉢が置いてあって、天井からも吊り下げられている。薬の材料にもなるし、何より魔女は緑に囲まれていると不思議と落ち着くのだ。


「この植物は?」


 ノア王子は一通り工房の様子を見渡したあと、窓辺に飾られている小さな植木鉢を指差した。植えられている…というより、一本の枝が挿さっているだけの植木鉢だ。その枝には数枚の葉が付いていて、どれもつやつやと美しく、水をあげたばかりでもないのに瑞々しい緑を保っている。


「魔女の木の枝です。一昨年亡くなったおばあさんが、ずっと昔に拾ってきたと言っていました」


 “魔女の木“と呼ばれる木がある。

 本当の名前は誰も知らないけれど、その木の緑は永遠に枯れることはなく、秋も冬も関係なく美しい緑を保っているので、魔女の瞳に喩えられて“魔女の木“と呼ばれるようになった。けれど不名誉なあだ名をつけられたわりに、この木は人々から親しまれて、愛されている。いつからあるのかは知らないけれど、この木は城の近くにある広場にどんと構えていて、暑い日は大きな陰で人々を守り、雨や雪の日には天気が良くなるまでの待合場として活躍し、人々の生活を見守った。

 そして何より枯れることのない緑。これはこの国の永遠の繁栄を表しているといわれている。そのために、この国では魔女の瞳を不吉な色と呼ぶ一方で、魔女の木の緑は祝福の色だという。だから子どもの頃の私は、この木が大嫌いだった。同じ色を持っているなら、嫌われ者同士のほうがまだよかった。そうしたら、私はきっと傷を舐め合う獣のように愛してあげられたはずだ。それなのに、この木はただそこに存在するだけで愛されて、私がほしいものを当然のように享受していた。自分でもおかしなことをいうと思うけれど、裏切られた気分だった。そして何よりも強く、憧れた。


「おばあさんは、この木を愛していました」


 今はいないおばあさん面影を、頭の中でそっとなぞった。

物心ついたときには、すでにこの植木鉢はこの窓辺に飾ってあって、おばあさんは朝と夕方に水やりをしていた。どんなに忙しくても水やりを忘れた日は1日もなく、そのまなざしの柔らかさが、私はとても好きだった。

 おばあさんがいなくなって、水やりは私の役目になった。水をやらなくたって、この緑は枯れない。だけど私がこの枝に水をやらなくなったら、なんとなく、おばあさんは悲しむんじゃないかと思った。そして私は、自分で思っているよりずっと単純な魔女だったことを思い知った。


 水やりの役目を引き継いで一週間ほど経った頃、私は私の中の変化に気付いた。朝、目が覚めて、おぼつかない頭でまず考えることが顔を洗いにいくことでも、着替えを済ませることでもなくて、あの小さな枝に水をやることだった。夕方、オレンジ色の光が部屋の中を満たす時間も、そう。いつの間にか、おばあさんが残した役目をこなすことが、おばあさんを失ってぐらついていた私の心を支える何かになったいた。そのことに気づいてからは、何だか無性にこの小さな枝が愛おしく感じて仕方がなかった。もしかすると、私を拾って育ててくれたおばあさんも、こんな気持ちだったのかもしれないと、最近ふと思う。


「魔女の木は、僕も好きだよ。嫌なことがあると時々見にいくんだ。なんとなく、慰めてもらえる気になる」

「王子なのに、嫌なことがあるんですか?」

「はは。王子だって、所詮はただの人だよ。王子という役目は、立派な服を着ているにすぎない。君だって、魔女という役目を着ているだけだ。お互い、簡単には脱げないけどね。…でも服に身を包めば包むほど、相手が自分と同じ感情のある存在なのだと忘れてしまうのは、どうしてだろうね。子どもの頃の方が、今よりずっと相手の中身を見ていた気がするよ」


 彼はじっと小さな枝を眺めていた。少し寂しそうな顔をしているように見えた。彼は今も何かに慰めてもらいたい気持ちなのかとしれないと思いつつ、私はそっと距離をとった。少なくとも今、その役割担うのは私ではないと思ったのだ。

 代わりに私は丸椅子を二つ用意して、テーブルのすぐ傍に置いた。あいにくこの工房には王子様を座らせるような立派な椅子はないので、これで勘弁していただきたい。ノア王子は私の動きに気づいたようで、不思議そうな顔で枝から私に視線を移した。


「今から薬を作るつもりなのですが、見て行きますか?」


 そう声をかけると、彼は穏やかな顔つきで「ぜひ」と答えた。


「何を作るんだい?」

「そうですね。喉の腫れを抑える薬、熱を下げる薬、頭痛や腹痛を鎮める薬…いろいろですね」

「…君は健康そうに見えていたけど、僕の勘違いだったようだ。もし依頼が負担なら、」


 そこまで言ったところで私が耐えきれずに笑ってしまったので、ノア王子は怒りを抑えるようにニコニコと笑顔を作りながら「一応、僕は君を心配したつもりだったんだけどね」と私を非難した。彼の怒りはもっともだ。慌てて謝ったところで、彼の機嫌は芳しくない。私は彼の治らない機嫌を気にしながら、言葉を繋いだ。


「これは店から依頼されたものなんです。魔女の薬は効果が高いし、私は良い魔女なので高い値で売ったりしません。おかげで重宝してもらっています」

「良い魔女を自称したことは置いておくとして、自分で売ったほうが儲かるんじゃないか?」


 その言葉に、すりこぎ棒を動かす手を瞬きの一瞬、止めてしまった。すぐに気づいて、いつもの調子で材料を潰していく。顔を強張らせたり、歪めたりしなかっただろうか。ちゃんといつもの調子をだせているだろうか。そんなことばかり考えていた。

 魔女の売った薬を、あなたは使えますか?

 もしそんなことを言ったら、この人は何で答えるんだろう。分かっている。彼に悪気はない。城にはお抱えの医者がいて、自分で薬を買うこともない彼では、どうやったって街の人々の暮らしには疎い。何よりも、私に出会うまで彼は魔女に会ったことはなかっただろうし、噂話ですらあまりに耳には入らなかったのだと思う。そうでなければ、この瞳をはじめて見たとき、何かしらの感情の揺れがあったはずなのだ。


「あくまでも生活のためなので、儲けようとは考えていません」


 これが精一杯の答えだった。彼の顔は見れなかったけれど、「なるほど」という返事が聞こえたので、私は少しホッとした。


「でも、あまりいい気分のする話ではないね」

「それは、どうして?」

「魔女は嫌われているだろう?それなのに、魔女が作る薬は必要とされる。僕も含めて、人間はつくづく自分勝手だなぁと思ったよ」


 今度は私が、なるほどと思う番だった。彼の言いたいことは理解できる。けれど、それだけでもなかった。


「魔女だって、自分勝手ですよ。人間が魔女を嫌うからなのか、自分たちの方が優れていると思っているのか、人間のことを好ましく思わない魔女は多いです。だけど、人間を相手に薬や占い、呪いを商売とする魔女も多い。人間も、魔女も、一人で生きられるくらい強ければいいけれど、簡単なことではないから」


 私は静かに笑った。決して自嘲じみた笑いではなく、海のうえを波に任せて揺られている時のような穏やかな心持ちだった。


「君も一人では生きられないから、この店を?」

「…さぁ、どうでしょう」


 私の答えに、彼は困ったように笑っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ