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ウィリアムとソフィア

 三日目。彼は再び店を訪ねた。

 最後に頼んだ材料は、『相手からの贈り物』。昨日、「そんなの無理ですよ」と青い顔をしながら店を出て行った彼は、嬉しさを隠しきれないほどの笑顔で店の扉を開いた。


「見てください、魔女様!彼女から、贈り物を貰えたんです!」


 そう言って彼が差し出したのは、普通のものより少し厚手の手袋だった。シンプルな黒の手袋で、手首のあたりに『W.G』と刺繍されている。きっとソフィアさんがウィリアムさんのイニシャルを刺繍したのだと、簡単に想像ができた。


「この間、いつも仕事に使っていた手袋に穴が空いてしまって捨てたんです。お恥ずかしい話、別のものにお金を使ってしまって、手袋は次の機会にと思っていたんですが…」


 そう言って、ウィリアムさんはテーブルの上に置かれた手袋を、愛のこもった眼差しで見つめる。涙さえ、滲んでいるように思えた。


「傷だらけの僕の手に気づいていたようで、手袋(これ)を…。でもね魔女様。これは、駄目ですね。これだけは薬の材料なんかに使えない」

「えぇ。私もそう思います」

「はは。全て諦めて、彼女を祝福しなさいと神は言っているのかもしれませんね」


 今度こそ、泣いてしまうんじゃないかと思った。

 雨にずぶ濡れになった猫のような心細い目で、手袋だけをじっと見つめている。それでも、手袋を手放す選択肢だけは彼にないように見えた。ただじっと、自分の中でいまだに燻っている火に、必死になって水をかけているみたいだ。

 私は彼に、どんな言葉をかけるべきだろう。この場では、慰めも、励ましも、正解であって不正解でもある気がした。ここで声をかけるのは、彼のためというより、私のためだ。共感をしてあげられない、友ですらない、そんな魔女の言葉がどれほど軽いものかを自覚しながら、優しい魔女のふりをするのだ。白々しい笑顔で、心にもない言葉をかける自分をそっと想像してみる。それは少し、嫌な感じだった。

 せめて温かい紅茶でも淹れてこよう。そう思ったところに、ノックもなしに扉が勢いよく開いた。私とウィリアムさんの視線が一気に集中する。扉のそばに立っていたのは、金髪の美しい女性だった。


「魔女様!ウィリアムから贈り物を貰えたわ!」





 一日目。ウィリアムが店を訪ねる一時間前。

 店には一人の女性が訪ねていた。彼女の名前はソフィア。良家の娘で、庭師の青年に恋をしているらしい。


「彼ったら、ひどいわ。子どもの頃、私と結婚するって言ってくれたくせに、その約束を忘れてしまうなんて。……父と母はずいぶん前に説得したの。あの人と結ばれたいって。私の家は貴族ではないし、両親も恋愛結婚だったから、意外と簡単に許してくれたわ。だけど肝心のあの人が、ぜんぜん振り向いてくれないの」


 彼女はわんわんと泣きながら、まるでうさぎのように目を赤くしていた。大皿のクッキーをすすめると、彼女は素直に手を伸ばして「美味しいわね」とやっと少し笑ってくれた。


「彼はいつも少し遅いの。私がいつも少し早いとも言えるわね。それでね、私はもう彼を待てないから、ちょっとした作戦を考えたのよ」

「作戦?」

「そう。家族や使用人に協力してもらって噂を流してもらったのよ。私が結婚するって。そしたらきっと、我慢ができなくなった彼は私に思いを伝えてくれると…‥思っていたの」


 彼女の言葉が終わりに向けて萎んでいく。それだけで、ことの顛末は何となく想像ができた気がした。暗い顔をした彼女はしばらく口を閉ざしていたけれど、やがて清々しい顔つきで顔を持ち上げた。


「私、あの人の本心が知りたいの。少しでも可能性があるなら、私、諦めたくないわ」


 かたい意思を込めて、彼女は力強くそう言った。不思議と応援したくなるような、愛されるような人柄だと思った。



「そうですね。それでしたら真実の薬をお作りしましょう。まずは……」

「待って」


 彼女の静止に、私はぴたりと言葉を止めた。

 ソフィアさんは真剣な顔つきで、薄いカーテンの向こう側を見ていた。つられて私も彼女の視線を辿ると、少し離れたところから、店に向かってくる人影が見えた。


「ウィリアムだわ!……ど、どうしましょう。彼もこの店に来るなんて!」

「お、落ち着いてください。私に考えがあります」


 そう言ってから、私は慌てて席を立って近くの棚まで小走りで駆け寄った。目当てのものは下から5番目、左から3番目の引き出しの中だ。私はその中から取り出した小瓶の栓を抜いて、手に取った粉を彼女に振りかけた。七色の粉がきらきらと光に反射しながら、やがて彼女の頭から爪先までをすっぽりと覆った。

 そして彼女は白いうさぎに姿を変えた。

 ……よかった、と私はひっそりと胸を撫で下ろした。この薬はまだ試作品だったから、熊や狼になってもおかしくはなかったのだ。どうやら今日の私と彼女には幸運の女神がついているらしい。


「この薬の効果は一時間です。私が扉を開いたら、貴方は一目散にこの店を出てください。ちょうどいい具合に時間が過ぎたら、改めてこの店へ」


 足元のうさぎ──ソフィアさんは頭をこくこくと上下に振った。そして、コンコン、と控えめに扉がノックされる。私は落ち着き取り戻すためにコホンとひとつ咳払いをしてから、すっかり乱れてしまったローブをきっちりと整えた。


「こんにちは。魔女様はいらっしゃいますか?」


 私は「いま出ます」と答えてからドアノブに手をかけた。そして、扉を開いた瞬間、それは勢いよく足元から飛び出していった。





 ことの顛末を話し終えたあと、ウィリアムさんはポカンと口を開きながら呆然と、ソフィアさんは気まずい様子で俯いていた。私は「さて」と言って立ち上がり、それぞれの品物を棚の中から出してテーブルの上に並べた。


「では確認していきましょう。まずは相手が触れたもの。ウィリアムさんは、彼女が落としたバレッタを。ソフィアさんは、彼が捨てた手袋を持ってきました」


 そこで二人は目を丸くしてお互いを見つめあった。とくに驚いていたのはソフィアさんで、彼女は大切な落とし物を、彼が勝手に持ち出したことにムスッとした様子で、彼はとにかく平謝りを繰り返している。


「次に頼んだものは、“相手の好きなもの“。これはお互いに同じものを持って来ましたね。なんでも、お互いにとって思い出の花だそうで」


 そう言うと、拗ねた様子のソフィアさんはほんのりと頬を赤くして、そんな様子を見たウィリアムさんもまた耳を赤くしていた。私は笑って、次の品物を見せる。これが最後の品物だ。


「最後に頼んだものは“相手からの贈り物“。お二人とも青い顔をされて店を出ていきましたが、無事に持って来られたようでよかったです。ウィリアムさんは新品の手袋を、ソフィアさんは新しいバレッタを持って来ました」


 ウィリアムさんが新品の手袋を買えなかったのは、おそらくこのバレッタを買ったからだろう。それは良家のお嬢さんがつけるのに相応しい、とても丁寧な作りのものだった。けれどきっと、彼女にとってはどちらも大切なものであることに変わりはない。そうでなければ、こんなに愛しそうにバレッタを見つめるはずがないのだから。


「ではお二人に最後の確認をします。これらを使って、真実の薬を作りますか?」



 二人は静かに首を横に振った。私は何も言わなかった。





「ありがとうございました」

「本当にありがとう。貴方に頼まなかったら、きっとすれ違ったままだった」


 オレンジ色の光が緩やかに街を染めるころ、二人は店を出た。ソフィアさんの髪を飾るバレッタが、光を跳ねてきらりと輝く。睦まじく寄り添う二人は、まるで一つの芸術品のように美しかった。


「お二人なら、私がいなくても大丈夫だったと思います」

「それは、どうして?」

「実は、今まで頼んだものは薬の材料ではありません。お互いの溝を埋めるきっかけになれば、と思って集めてもらいました。最後は無茶を言いましたが、お二人とも、自分のことより相手を優先しましたね。……私が心配することなんて、何もありませんでした」


 私がそう言うと、二人はお互いを見合って、そして笑った。照れくさそうな笑顔だった。暫くして、彼らは再び私に向き合って「ありがとうございました」ともう一度言ってから、ゆっくりとした足取りで通りの向こう側へと歩いていった。次第に見えなくなっていく背中に、穏やかな気持ちと、しんみりとした気持ちが交互にやってくる。友人を見送る気持ちはこんな気持ちなんだろうか、そんなことを想像しながら私はドアプレートをひっくり返した。


 本日の営業も無事、おしまい。今日も一日、お疲れさまでした。

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