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時そば殺人事件

作者: 長井カツヤ

 主人公の私は道警刑事部の刑事である。

 密室殺人事件の解決に挑む。

 

 


 5分で読める推理小説です。



 さてそろそろ昼飯にしようと思っていた時である。殺人との通報を受け、私は現場に駆り出される羽目になってしまった。


 事件となると食事は御預けだ。腹が減ろうが、女房が産気づこうが関係ない。悲しいかなこの仕事にタイムスケジュールはないのだ。

 私は読んでいた競馬新聞を引き出しにしまった。冷めかけのお茶をぐいと飲み干し、上着に袖を通して、仕事モードにスイッチを切り替えた。


 稚内から函館まで、道警刑事部の強行犯係を歩んで三十年にも及ぶキャリアを積み上げてきた私は、平穏と思うと事件が起きることを痛感している。私たちは人々の安全を守るため日々奮闘しているが、なかなか事件を未然に防ぐというわけにはいかず、犯人に翻弄されてばかりである。尽きることのない犯罪に憤りを覚えながら私は署を出て、車に乗り込んだ。九月に入り過ごしやすくなったとはいえ、車内の空気はむんとしていた。私は窓を開け車を発進させた。まもなく腹がぐうーと鳴った。事件は起きても腹は減るものだ。私の食いしん坊ぶりは健在で、せっかく遠出するんだから帰りには何か旨いものでも食べよう。そう固く決め現場へと急行した。

 空き地に車を停め、近くにいた巡査に聞き、屋敷の庭を横切って規制線をくぐり奥に向かうと、土蔵造りの立派な蔵の前に五人の刑事が立っていた。案の定初対面の男たちだ。この管内に転属してまだ三日目という私にとって、見慣れない顔ぶれだった。


「やあやあ、ご苦労さん」


 と挨拶するも、皆仏頂面で視線を向けるだけだった。ぶつぶつ不満を漏らし苛立っている。


「遅いな、ずいぶん手間取ってるな」


「ああ、もう十分も経つぞ」


 そう聞こえ、私はこの沈鬱な空気の原因を思いあぐねた。なにより皆の目は、私をすっかり置き去りにしている。仲間外れとは世知辛い。どうにかきっかけを作ろうと私はしたり顔にいった。


「そうか、ガイシャはこの蔵の中にいるんだな」


「ああ、そうだ。しかし内側から鍵がかかっている。中に入れないんだ」


 口髭を蓄えた、貫禄ある刑事がこたえた。


「扉の窓から中の様子を見てみろ」


 そう言って髭の刑事は顎をしゃくった。


 やっとコンタクトが取れた。先ずは一安心だ。

 観音開きの厚い樫の扉には、明かり取りの小窓がついている。その小窓から中を覗き、私は目を丸くした。コンクリートの土間には男性がうつ伏せで倒れ、腹の辺りを中心に血だまりが大きく広がっていた。こいつはむごい。なにか鋭い刃物でぶすりとやられたか。動かないところをみると、もう死んでいるのだろう。私は瞑目し手を合わせた。


 中から南京錠がかかっているのが見えた。当代珍しく古風な鍵で、土蔵の雰囲気にあっている。とはいえ本来これは外側にかけるべき錠前のはずだ。

 蔵の扉はこの一つだけである。従って殺人なら、犯人は蔵の中で被害者を刺殺し、煙のように姿を消したということになる。


 ──これは密室殺人ではないか!?

 

 五人の刑事たちの苦悩ぶりがやっと理解出来た。私も現場の状況を考えながら、トリックの手掛かりを得ようとあらゆる可能性を模索した。この謎が解けなければ犯人にたどり着くことはできないだろう。


「遅くなって、すみません」


 遠くから、長身の男性がやってくる。息せき切って、「店の納戸から探してきました」と手にはバールと長い棒を持っている。

 男性をよく見てピンときた。濃紺の作務衣姿で腰には前掛けをつけている。身体中白い粉をまぶしたようで、彼はきっとおもてにある蕎麦屋の主人に違いない。その長い棒は麺棒だろう。

 蔵の扉を道具を使って強引にこじ開けるようだ。私もその作業に手を貸した。どうにか扉を押し開けたが、時すでに遅く、残念ながら被害者のからだは冷たくなって心肺停止の状態であった。


「そんな、父さん……いったい誰がこんなことを」


 蕎麦屋の男性はかすかにつぶやいた。こんなふうに遺体と対面しさぞかしショックだろう。


「お悔やみ申し上げます。ところで、店とこの蔵にはどういった関係が?」


 若い角刈りの刑事が尋ねた。慰めの言葉はやたら事務的に聞こえた。感傷的になったら刑事は務まらない。

 蕎麦屋の主人は顔を上げ、角刈りの刑事を見つめた。


「ここは収穫した蕎麦の保管庫として使っていました。と言っても、先代の父が店を創業した頃です。今はもうご覧の通りただの物置です。従業員はもちろんのこと、私ももう何年もこの蔵には来ていません」


「では、ここはお父様が使っていたということですか?」


「さあ、それはわかりません。しかし父だってもうここには用はないはずです」


 たいしたものだ。声を詰まらせることもなく、主人はしっかりとした言葉でこたえた。

 

 蔵の広さは約十坪ほどで、吹き抜けの天井は八メートルはあるだろう。その天井近くの高い位置には正面と裏に通風用の小さな窓がある。もう使われなくなった石うすや古い大きな冷蔵庫、食器棚にテーブルや椅子、その他の家財道具が無造作に詰め込まれている。薄暗い奥の方へいくほど、足の踏み場もなく荷物が散乱している。

 先代の主人は入口付近の比較的すっきりとしたスペースに遺体となって横たわっていた。


「おい、ちょっとこれを見てくれ」と、蔵を捜索していたマッチョな刑事が声をかけ、「ああ。おそらく、犯行に使われた凶器だな」と、同じく中を物色していたツルッパゲの刑事が答えた。

 それはべっとりと血のついたナイフだった。刃渡りは十五センチメートルはあろうか。アウトドアで活躍するシースナイフと呼ばれるものだ。刃幅も広く、こんなナイフで刺されたら絶望しかない。私は想像するだけで身震いした。

 ナイフは荷物の隙間に隠れていた。被害者がなせ殺されたのかは分からないが、無慈悲に命を奪ったナイフは、岩陰に潜む毒ヘビのように不気味だった。

 外で声がした。鑑識が到着したようだ。


「じゃあ詳しいことは鑑識に任せて、我々は一旦外に出よう」


 リーダー格らしい髭の刑事が言った。ひとまず蔵を退散することにして、列を作りぞろぞろと扉から出るなり、眼鏡をかけた刑事が二代目を呼び止めた。


「事件前の被害者の行動を訊きたいのですが宜しいですか?」


「はい、もちろんです。もう今日は営業をやめました。店の方へどうぞ、なんでも訊いて下さい。あっ、そうだ、ちょうどいい。昨日新蕎麦が取れたんです。せっかくですから、うちの蕎麦を食べてみて下さい」


 それを聞いて、私はよだれが止まらなかった。ついつい本音を漏らしてしまった。


「いいですなあ。じつはこの事件のせいでお昼はまだ食べていなかったんです。もうさっきから腹が鳴ってばかりで」


「おいっ! こんな時に君は。少しは言葉を慎めっ!」


 隣に居た髭が、唾を飛ばし怒鳴った。私はげんなりし、空気もピリついたが、蕎麦屋の主人が助け舟を出してくれた。


「いや、気にしないで下さい。それにその方が蕎麦職人を誇りにしていた父も喜びます。ここは是非、亡くなった父の供養だと思って皆さんで食べていってください。もちろんお代はきちんと貰いますから」


 と二代目は商魂たくましくニタリと笑い、我々刑事の顔を見回した。それから庭先の方で捜査の進捗を見守っていた従業員に向け大声でいった。


「おーい、ざるを大盛で七人前だ」


 北海道と言えば知る人ぞ知る蕎麦の名産地である。他の刑事たちも、「そうですか。まあそこまで言うなら仕方ありませんですな」と相好を崩し、まんざらでもない様子であった。私も蕎麦の味にはうるさい方である。事件の解明は、新蕎麦を堪能し、腹ごしらえを済ませてからでも遅くはないだろう。


 しかしそれにしても、今なにか引っ掛かるような気がしたぞ。


 うーん、はて? それは、いったいなんだろう──?

お分かりですよね。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読みやすい文章でワクワクしながら読み進めたのですが、何回読み直しても全然謎が解けず……自分の推理力のなさにがっくりです。 主人公は何に引っ掛かりを覚えたのでしょうか。 気になります! 長井さ…
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