第10話 KOを狙う?
夜行黒斗は“厄ネタ”と繋がっている。
そんな噂は『ファミリー』の中でも流れていた。
しかし、その事実は今まで一度も無く、逆に『鈴虫』に襲撃された事がある程に、被害者としての側面が強く認識されている。
そんな彼が『レッドアイ』を連れて来た。
この事実は『ファミリー』でも前々からの疑惑を証明する事になったのである。
「アレが『レッドアイ』か。体格的にはそこらのガキだな」
おとなしくなった桐生は座り込んで成り行きを見守る。
「クロトさん。本当ですか?」
羽島は再度確認する。
「アレは本当に『レッドアイ』で?」
「本当に『レッドアイ』だ。お前ら正面から裸眼でアイツの眼を見るなよ? 精神ぶっ壊されるぞ」
いつもの笑みを浮かべながらクロトは煙草を取り出し火をつける。
しかし、噂のような異常性は目の前の『レッドアイ』からは感じない。
「……噂が独り歩きしてただけか」
「ちげーぞ、羽島。今の『レッドアイ』は火が小さいだけだ。上限を振りきれたらオレ以外は全員再起不能になるぜ」
クロトは甘く見るな、と羽島に忠告する。
嘘は言わないクロトの言葉に羽島は、『レッドアイ』とはなるべく関わるべきではないと悟った。
「その内『鈴虫』とか連れてこないでくださいよ?」
「ハハ。『鈴虫』は無理だな。畑が違いすぎる。『松明』なら話は出来るかもな」
とんでもない事をさらっと言うクロトに羽島は考えるのを止めて目の前の試合へ視線を向ける。
審判はいない。
両陣営から代表者だけが前に出て戦う。
ただそれだけの為に空間が開けられている。
「君は若いな」
流暢な日本語だが『レッドアイ』を前にしても対戦者は焦る様子はない。
「合図は……」
「必要だね」
対戦者は半身になって左腕を前にする。
そして、とんとん、と軽く跳ねるスタイルは素人が見てもボクサーと解るモノだった。
構えはサウスポーのフリッカー。
『レッドアイ』は赤い眼で対戦者を見る。
「GO!」
『カラシコフ』側が開始の合図を響かせる。
対戦者は無駄のない、流れる様な動きで接近すると挨拶代わりのジャブを放つ。
「――ほう」
『レッドアイ』は首を傾けてジャブをかわしていた。
瞬きの間に拳が戻る。そして、次のジャブが放たれる。
「――」
それは無駄の多い動きだった。
『レッドアイ』の立ち回りは素人そのものであるが、拳は先を読まれているかの如く、かすりもしない。
そして、対戦者は少し間を取るように下がる。
「驚いた。君は素質の塊だね」
「……」
ゆらり、と『レッドアイ』が間を詰める。
それは対戦者の見せた華麗な接近とは真逆、まるで二人の距離が切り取られた様に錯覚する不可解な間合いの詰め方だった。
「?!」
いつの間にか手の届く距離。
『レッドアイ』の手は対戦者が逃げられないと悟っているかのように緩慢に延びていく。
“フラッシュ”
しかし、対戦者の持つ技が『レッドアイ』へ叩き込まれる。
風呂を上がったアカネは二階に上がる際に階段下の部屋の灯りがついているのを珍しく感じた。
「父さん?」
「アカネ? すまないな、光が漏れていたか?」
クオンは顔を覗かせる娘に声だけで返す。
そこは様々な資料を保管している小さな倉庫である。
中には小さなテレビとDVDデッキもあった。
「なに見てるの?」
クオンの視線は目の前のモニターに向けられ、流れる映像は次の対戦者であるアーロン・ウラノフの試合だった。
「ふむ、やはり難しいな」
何かを深く考えるクオンの口からポツリ、とそんな言葉が零れる。
「次の対戦者相手? サウスポーのフリッカーなんだ」
「アーロンは日本で試合をしていない。基本的には海外で仕上げていたようだ」
手に入れた試合の映像は海外にいる親戚から貰ったもの。
直近の試合映像ではクオンの気になるモノは映っていなかったのだ。
「特にこの高速ジャブ。これが映っているのはこの映像が最新でな」
映像は相手をKOする際に決め手となる技を映していた。
それは、相手がガードを下げた一瞬に放たれた五発のジャブ。
相手は反応する間もなく顔面に全てくらい、次には前のめり倒れた。
「通称“フラッシュ”。一呼吸の間に五発のジャブを放つ、アーロンの決め手となる技だ」
才能と果てしない努力の末に手に入れた速度であることは映像越しでも判る。
「なんとかなるの?」
「映像では目測が精一杯だ。それにこの映像は一年前のものであると加味して……後は本番で最新の情報に修正するしかないな」
映像を見ればアカネでもわかる。
“フラッシュ”を正面から攻略するのではなく、打たせない様に立ち回るのが最善だろう。
「KOを狙う?」
「そうだな。それも作戦の一つにしようか」
接近してきた『レッドアイ』に対してアーロンはカウンター気味に“フラッシュ”を放った。
一呼吸の間に敵が受けるジャブは七発。
それは今までかわされた事はない、アーロンの必勝となる技だった。
「――君は」
“フラッシュ”はまるで煙を打ったかのように『レッドアイ』をすり抜けていた。
「何者だ?」
不可解にも程がある。いままで反応した者は居ても、完全にかわした者などいなかった。
「一度は……誰もが……思い描く」
『レッドアイ』が地の底から響くような声で語る。
「全てが……止まって見える――」
その言葉を聞いてアーロンは思わず硬直した。
動きを止めたアーロンの肩を『レッドアイ』は掴む。
「!!」
刹那、アーロンは蛇のようにうねると、『レッドアイ』の背後に回り込み、その態勢を崩すと共に倒れ、首締めを極めた。
「おーおー、必死だねぇ」
『ファミリー』側が敗北の必至に焦る中、クロトだけが笑って見ていた。
「いいぞ! 落とせ!」
アシモフは勝利を確信する。しかし、周囲とは裏腹にアーロンには毛ほども余裕はなかった。
なんだ……
状況は自分が優勢。しかし、悪寒にも似た何かをが背を冷やす。
絞めている右腕を掴まれる感覚。そして――
グチ……パキッ……
静かにそんな音が響いた。
「ハハ。オレでもそいつに組技はやらない」
クロトは結果がわかっていたように笑う。
アーロンの右腕は『レッドアイ』に握り潰されたのだ。
右肘はプレス機にでも潰された様に一部が縮み、筋肉は圧力で皮膚を盛り上げて炸裂する。
「!!!!!??」
アーロンは反射的に技を解くと『レッドアイ』を押し退けて転がりながら距離を取る。
「な……くぅ……」
叫びはしなかったものの、痛みと出血で額には大量の汗が滲む。
アーロンは片膝立ちで右腕を抑えつつ、緩慢に立ち上がる『レッドアイ』を見上げた。
「まだ……負けを認めない……?」
『レッドアイ』はアシモフを見る。
敗北を認めるのは対戦者ではなく、代表者を決めた二人だけなのだ。
アシモフとクロト。この二人が敗者と勝者を決めない限り試合は終わらない。
「まだ……終わりではない……」
激痛と出血による意識の朦朧を気力で留まらせたアーロンは立ち上がった。
「ここまで来れたのは『カラシコフ』のおかげだ」
ロシアの貧困層で叶いもしない夢を描いていた。国も政府も誰もがそんな路傍の石など気にもかけない。
そんな中、生き別れの弟が現れて手を差し伸べた。
アーロン。後ろは俺が守る。だから俺たちの夢を――
「叶える為にここにいる!」
背後で弟が叫ぶ声が聞こえる。
まだだ、兄弟。まだ私には奥の手がある――
それはアーロンの技術の集大成。今まで試合では一度も使ったことの無い技――
「“シャイニング”」
半身から相手の瞬きに合わせて間を詰めることで間合いを計らせない。
接近の勢いをそのまま拳に乗せ、“フラッシュ”の分散する七発の拳を一発に集約する。
「――かは」
速度も威力も“フラッシュ”を上回る。KOを必定とするその技を練習以外では放った事はなかった。
「……立たない方がいい……」
対する『レッドアイ』はただ押していた。
アーロンの接近に合わせて自分も接近。
“シャイニング”をかわしつつ、その胸に掌を固定したのだ。
それは、アーロンが地面から伸びる鉄柱に自らぶつかったに等しい衝撃。
肋骨が折れ、繋がっていた意識は更なる激痛によって刈り取られる。
「――――」
済まない――
薄れ行く意識の中、何一つ恩を返せなかった弟へアーロンは謝罪し仰向けに倒れた。
「まだ……」
終わってはいない。コールは出ていないし、アーロンの左腕はまだ残っている。
『レッドアイ』はアーロンを確実に戦闘不能にするために左腕を掴む。
その時、
「負けを認める!」
アシモフが叫び、クロトが走る。
『レッドアイ』にコールは聞こえていない。ただ、己の身に振りかかる可能性のある悪を全て根絶やしに――
「よっ」
横からクロトの蹴りを頭に受けて『レッドアイ』は大きく仰け反った。
反射的に『レッドアイ』はクロトへ掴みかかる。しかし、その顎へクロトは肘を合わせると、脳を揺らして沈黙させた。
「聞いたな?」
クロトは『カラシコフ』側のカメラに向かって告げる。
『レッドアイ』は再起動しているかのように膝をついて項垂れる。
「オレらの勝ち。『カラシコフ』は一週間以内に撤収な」
「……ああ。約束は守る」
アシモフは兄の左腕を護ったクロトに対してそれ以上抗議をするつもりはなかった。
撤収作業の最中、クロトは『レッドアイ』の側で立ち上がるのを待っていた。
その様子に『ファミリー』と『カラシコフ』は腫れ物を扱うかのように距離を置いている。
羽島は『カラシコフ』が四季彩市から出ていく確約を大堂組へと伝え終えた。
「……」
「お前が言葉を失うなんてな、桐生」
アーロンと『レッドアイ』の試合。ソレを見た桐生は終わってからも無言だった。
「戦いじゃねぇな」
先の一戦で感じた感想がソレだ。
アーロンは戦いのつもりだったのだろうが、『レッドアイ』からすれば単純に掴んで押しただけ。
「“厄ネタ”に数えられるだけはある。関わりにはなりたくないな」
『レッドアイ』の持つ暴力は噂を遥かに越えていた。そして、ソレを容易く制圧するクロトの実力も『カラシコフ』に伝わっただろう。
「チッ。クソみてぇな夜だ」
今夜見たのは人間と人間の戦いではない。
人間と人間の姿をした怪物の一方的な蹂躙だった。




