FILE No.007 破妖導師
昼間の喧騒が嘘のように消え去った20時過ぎ。
音和金継事務所の周囲は人影も車の音もなく、まるで、世界から切り離されたかのような深い静寂が辺りを支配していた。
だが、そんな静寂を破るように、突然、外から大きな声が響いてくる。
この不釣り合いな騒音は、近隣に迷惑をかける以外の何物でもない。
普堂秘書は内心の動揺を抑え、重い扉をほんの数センチだけ開けて外を覗く。
警戒と緊張がその顔には色濃く浮かんでいた。
「あの〜お静かに…。一体、どうしたのですか?」
扉の向こうには、2人の警部補が立っていた。
一人は、場違いなほど朗らかな笑顔を浮かべる焰間警部補。
もう一人は、氷のように無表情で普堂秘書を見つめる氷御角警部補であった。
「ども普堂はん。お忙しなかったどすか?エライ、すんませんなぁ〜(笑)。」
焰間警部補の声は扉越しでも尚、辺りに響き渡っている。
普堂秘書は、彼女に声量を抑えてもらう事は無理だと判断し、小さく溜息を吐く。その苦笑いには諦念が滲んでいた。
扉を大きく開けて2人を事務所の中へ招き入れると、2人は静まり返った室内を一瞥し、まず氷御角警部補が無表情のまま口を開く。
「あれ?普堂さん。お1人なんっすね?」
「えぇ。事務スタッフの皆さんには、暫く自宅待機という形で、休んでいただく事となりまして…。」
「へぇ〜そうなんどすか?ほな、お1人で何なさってましたん?」
その問いは朗らかな口調とは裏腹に、どこか尋問めいていた。
だが普堂秘書は、やましいことなど何もないと言わんばかりに率直に答える。
「そうですね…。まあ、簡潔に申しますと、先生がお戻りになられた時のための準備、でしょうか…。」
「えっ?でもそれ、お一人やとちょい大変んちゃいます?」
「いやいや。政治家の秘書ですからね…。やらないと逆に落ち着きませんね…。」
氷御角警部補は大きく頷いた。
「なるほど〜そりゃそうっすよね〜。音和代議士が不在中とはいえ、やっぱ秘書ってお忙しいんっすね。当に黒子って感じっすね。」
「黒子…?」
普堂秘書はその言葉を反芻し、微かに微笑んだ。
「ええ、そうですね。秘書にとって、黒子という表現は、何よりの褒め言葉かもしれません。」
普堂秘書は2人の方へ向き直ると、言葉を続けた。
「所で焰間さんに氷御角さん。今日はどうなさったのでしょうか?ワザワザ、このような場所にまでお越しになられたのは、ひょっとして、事件解決の糸口でも掴まれたましたか?」
この問いに、焰間警部補は少しだけ声を潜めて答えた。
「普堂はんの仰る通り、事件の謎は解けたんどすけど…。ココではちょい、お話できまへんので…。」
「えっ?それはまた、何故でしょう?」
氷御角警部補は、その疑問に淡々と答える。
「謎解きの方はコレから、ご家族、使用人の方々を含めた関係者皆さんの前で行うんっす。ですから、今から3時間後、普堂さんにも、音羽邸の書斎があった場所の直ぐ下の横庭の方へ来て欲しいんっすよ。」
「えっ?謎解き…ですか?」
普堂秘書は呆然とした。
「そんな、ミステリ小説じゃあるまいし…。しかも今から3時間後ですか…?」
2人の言葉は余りにも唐突で、現実味に欠けていた。
普堂秘書は思わず腕時計に視線を落としながらも、戸惑いの色を隠せなかった。
その様子を見た焰間警部補は、にこやかな笑みを浮かべ、軽く手を上げる。
「ほな、また後ほど、お目に掛かりまひょか。」
その言葉を最後に、焰間•氷御角両警部補は踵を返し、夜の闇へと静かに消えていった。
足音が次第に遠ざかり、事務所の前には再び深い静寂が訪れる。
普堂秘書は扉の前でしばらく立ち尽くした後、静かに息を吐き、静まり返った事務所の中へゆっくりと足を踏み入れた。
夜の空気はひんやりと冷たく、先ほどまでのやり取りがまるで夢だったかのように、ただ静けさだけが辺りを包み込んでいた ───
3時間後…。
普堂秘書が音和邸に到着した時、そこには不思議な静けさが広がっていた。
報道陣が残したケーブルや三脚の跡が、つい先ほどまで人の気配があった事を物語っている。
しかし今は、門前にも庭にも人影はなく、屋敷内にも警察の姿は一切見当たらない。
規制線だけが風に揺れ、微かにビニールの擦れる音が耳に残るのみだった。
普堂秘書は胸の奥に冷たいものが広がるのを感じながら、約束の場所である書斎の下に広がる横庭へと足を進めた。
ソコには既に音和夫人、息子の尊丸、そして家政婦や使用人たちが集められていた。
誰一人として全く動く気配がない。皆、まるで蝋人形のように、ただその場に立ち尽くしているだけであった。
「皆さん、もうお集まりでしたか…。それにしても、奥様、警察はどこへ?誰もいませんが、何かご存知ですか?」
声を掛けても、音和夫人は虚ろな瞳で遠くを見つめるだけで返事がない。
彼女の目は焦点が合わず、魂が抜けたかのように表情は凍りついていた。
「いや〜それにしても、まさか、本当に謎解きをするために集まる日が来るとは…。尊丸君、奥様は…?」
慌てて尊丸に問い掛けるも、彼もまた母親と同じく、まるで普堂秘書の声が届いていないかのように無反応だった。
普堂秘書は漸く、この場の空気が尋常でない事に気づく。
他の使用人達も呼吸の音さえ感じさせず、無意識のまま立ち尽くしているため、重苦しい沈黙がコノ場を支配していた。
「こ…これは…!?」
普堂秘書が、驚愕と混乱で頭が真っ白になったその時、深い闇の中から、まるで緞帳が上がるかのように、2つの影が近付いてきたのだ。
その2つの影は焰間•氷御角両警部補の影であった。
2人の顔には、コレから始まる『謎解き』への無邪気な期待が満ち溢れ、子供のように笑顔を浮かべ、颯爽と現れていた。
「普堂さん、こんな時間にワザワザすいませんっすね〜。」
氷御角警部補が軽やかに声を掛ける。
「ほな、お約束通り、今回の事件の謎解き、始めまひょか。」
焰間警部補もソレに続いた。
しかし、普堂秘書はというと…。
「いえ、そんな事よりも焰間さん!氷御角さん!ココにいる皆さんの様子が…!」
夫人や尊丸達が石のように固まって立ち尽くし、この場に漂う異様な空気が満ちている事を必死に訴えかけた。だが…。
「あ〜あ〜そんなんイケます、イケます。」
彼の切実な訴えは、あっけなく、そして冷淡に受け流されてしまう。
2人は普堂秘書の言葉など、まるで耳に入っていないかのように、全く気にする素振りすら見せなかった。
自分の訴えが、聞き入れられない普堂秘書は愕然とした。
しかも焰間警部補は既に、事件の概要を語り始めているのである。
「ええどすか?普堂はん。今回の音和はんの失踪事件は、ホンマは急に起こった、ある意味事故みたいな事件やったんどすえ。」
納得がいかない。止めなければ。そう思っても、その場の空気は、抗う事ができないほど重い圧力に支配されていた。
普堂秘書は何もできず、ただその流れに身を任せるしかなかった。
「ほな、まず音和金継ちゅう人物について、お話せなあきまへんなぁ。世間では汚職やら何やらで、疑いだらけの悪徳代議士や言われてますけど、実際はそれ所やおへん。ホンマに輪かけて悪どい、正真正銘の極悪人どしたわ。」
「ちょっと待って下さい、焰間さん。先生を侮辱するのは止めて下さい。これは完全な名誉毀損ですよ!ご家族がいる前でそんな…!」
普堂秘書は思わず、未だピクリとも動かない夫人と尊丸の方をチラリと見た。
だが当人達は、ただソコに突っ立っているだけのように、何の反応も示さないままであった。
「普堂はんて、実は昔、警察官やったんどすなぁ。しかも皇大卒。おまけに入学した時には、首席とれるほどお出来やったのに、わざわざノンキャリで警視庁に採用されはったんやろ。それに、あの皇大占星術同好会の立ち上げメンバーでもあったとか…。ホンマに多才なお方やわぁ。」
焰間警部補の言葉は、普堂秘書の過去を鋭く抉る。
「え…?えぇ。そうです。私の夢というよりも、私の亡き父の夢が警視庁捜査一課長になる事でしたからね。ご存知かとは思いますが、捜査一課長はノンキャリアでなければ就く事のできないポストです。それで敢えてノンキャリの道を選びました。占星術同好会のことまでご存知とは…。」
声が少し震える。何故、今、この話をするのか?普堂秘書はそう思った。
「へぇ〜そうなんっすね。で、奇しくも警察官時代に上司だったのが、元キャリア警察官だった音和金継で間違いないっすか?」
「!?」
過去を突きつけられ、額に薄らと汗が滲み、普堂秘書の顔色は悪くなる。
「上司といっても、私の直属の上司だった事は1度もありませんが…。ソレが何か?」
過去の音和代議士との関係を問われ、歯切れの悪い返答しかできない普堂秘書は、自分の心臓が激しく脈打つのを感じていた。
「ほな、普堂はんのお父はんやけど、現職のまま自分で命を絶たはったんやなぁ。まぁ〜公にはなってへんけど、どうも何や不祥事を起こさはったっちゅう事になってるみたいどすなぁ。ほんで、そん時ん上司やけど、音和金継はんで間違いあらへんのやろか(鋭)?」
鋭い追及を前に、普堂秘書は自分の口元が引き攣るのを感じていた。
「な…何が言いたいんでしょう…?」
「普堂さん、アンタほどの正義感あふれる人が、何で汚職まみれの悪徳代議士の秘書なんかやってんっすかねぇ〜。それもワザワザ、アンタとオヤジさんの夢を諦めてまで…。」
追いつめられ、逃げ場のない状況で、彼は懸命に言葉をひねり出す。
「あのですねぇ、音和先生は誤解されやすい方ではありますが、決して貴方方が言うような人間では…。」
その言葉と共に、氷御角警部補は鋭い目付きで、普堂秘書を真っ直ぐに指差した。
「そう、ソレ!!実は人間じゃ〜なかったんっすよねッ!!」
普段は白い革手袋を纏い、無為にぶら下がったまま決して動かない左手の人差し指が、今は鋭く突き刺すように普堂秘書を指し示している。
「…!!」
この光景に普堂秘書は、呼吸が止まったかのような衝撃を受けた。
「音和金継は、もう人間やあらしまへんでしたんや。まぁ〜正味な話、元は人間やったんどすけどなぁ。激しおすな競争社会の中で欲にまみれてしもて、本人も気ィつかんうちに人間やめてもうてたいうワケどす。」
信じられない。理解が追いつかない。普堂秘書は混乱した頭で反論した。
「な…何を仰ってるんです!そもそも今回の事件は、先生が行方不明になった事にあるのであって、先生自身が人間であろうとなかろうと、関係ないのではありませんか!?」
「そう!当にソコなんっすよね〜。やっぱ普堂さん、音和が人間じゃなかった事、ご存知だったんっすね。でも、そういう事でもないんっすけどね〜(笑)。」
氷御角警部補は、どこか含みのある言葉を口にしながら楽しげに微笑んでいた。
しかし、彼女のその目は全く笑っていない。
まるで普堂秘書の反応をじっと観察し、試しているかのようだった。
「な…何を仰ってるんでしょう?」
「あ〜気になります?気になって、何でか聞きたい?ねぇ〜♡」
突然、ブリっ子をする氷御角警部補だが、普堂秘書の混乱は、ソレを素直に受け止める余裕を与えなかった。
「聞きたいか?ではなく、言いたいから、の間違いなのでは?氷御角さん…。」
余りに素っ気ない普堂秘書の逆ギレ気味の反応に、氷御角警部補はやや機嫌を損ねる。
「まぁ〜普堂はんの言う通りどす。せやから、普堂はんにはちゃんと聞いてもらわなあきまへんので、順にウチが説明さしてもらいますえ。事の始まりは…。」
普堂秘書は、抗うことを諦めた。ただ、これから語られるであろう『事実』に耳を傾けるしかなかったからだ。
それでも彼の背後では、未だ夫人や尊丸達が、不気味なほど静かに立ち尽くしていた───
全ては、警察上層部の密命を受けて、音和金継が密かに裏金を生み出すため、澱に執着したことから始まった。
やがてその澱に強くこだわるうちに、音和金継は組織の闇の側面や関係者の弱みを握り、次第に自らも底なしの欲望に取り憑かれていく。
そして、その歪んだ欲望が極限に達した時、音和金継は常識では説明できない怪異と遭遇する事となった。
--●面怪● -----------------------------------------------------
それは黒い影のようで、取り憑く者と瓜二つの姿に化ける妖幻。
本来は、生霊またはドッペルゲンガーの類に分類され、人間の心が具現化した分身的な存在。
面怪自身には主体性が無く、自分の言葉で喋る事もない。ただ、金銭を貢ぐ以外のコミュニケーションを理解しておらず、金銭欲の権化と言える存在。
欲望が極限で高まると、やがて本人に取って代わろうとする。
その場合、本人は面怪に取り込まれてしまい、面怪がオリジナルとしてこの世に残る事となり、本人はこの世から消え、分身が残ると云われている。
[※妖文堂書院刊《妖幻大全輯第二篇》より抜粋]
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音和金継は面怪に取って代わられ、人間としての枷から解き放たれた。
欲望の赴くまま、より一層深く不正に手を染める【面怪音和】は、警察上層部で『影総監』と囁かれるほど、絶対的な権力を手中に収めていった。
だが、この暗部に光を当てようとした者もいた。他ならぬ、普堂秘書の父親であった。
彼は面怪音和の不正を告発しようと試みた。
しかし、用心深い面怪音和はその動きを瞬時に察知し、普堂秘書の父親が集めた決定的な証拠を全て揉み消したばかりか、ソレを逆手にとって、彼自身の不正の証拠として巧妙にでっち上げたのである。
そして、事実を完全に葬り去るため、彼の命を『自殺』という名の処刑によって奪っていた。
そんな普堂仁が父親の『罪』と『自殺』の報せに接したのは、まだ彼が交番勤務の新人警察官だった頃である。
未熟な彼にとって、それは到底受け入れがたいほど衝撃的な現実であった。
だからこそ、父親の無実を証明するため、彼は仕事の合間を縫って密かに捜査を始めた。
しかし、頼るべき証拠は何一つ見つからないまま、無情にも月日だけが流れ、事件から既に十年以上が経過し、彼の心には焦燥だけが募っていった。
一方、面怪音和は警察の権力さえも霞むほど、より大きな獲物を求めていた。
面怪音和はは華麗に政界へと転身し、日を追うごとにその影響力を増大させ、誰も逆らえないほど強大な存在へと成長していった。
その頃、警視庁警備部警護課(SP)警護第4係政党要人警護班班長[警部]に昇進していた普堂仁は、面怪音和の警護を担当する事となる…。
十数年という時を経て、彼は憎むべき敵と、思いがけない形で再会を果たす。
近くで接するうち、普堂仁は面怪音和の本質が、以前にも増して巨大で真っ黒な“何か”に変わっている事を肌で感じ取った。
父親を陥れたのは、やはりこの男だと確信するが、決定的な証拠はどうしてもつかめない…。
父親の無念を晴らし、この巨悪の闇を暴くには、より深くその懐に入り込むしかない
そう覚悟を決めた普堂仁は、以前から面怪音和を深く尊敬していたかのように振る舞い、相手の警戒心を徐々に解いていく作戦に出た。
その周到な策略は見事に功を奏し、彼はついに面怪音和の秘書という、最も信頼される立場を手に入れたのだった。しかし…。
普堂秘書が目の当たりにした『事実』は、彼の予想を遥かに超えていた。
面怪音和は、直接不正を指示する事は決してなかった。
しかし、その“欲望”や曖昧な示唆に、周囲は自ら進んで忖度し、不正はあたかも自然発生的に広がっていったのだった。
そして、その中心には、いつしか秘書である普堂仁自身の主導もあった。
皮肉にも、巨悪を暴こうとしていたはずの自分が、気付けば汚職の片棒を担ぎ、犯罪者となっていたのである。
そんな折、奇妙な出来事が起こる。
SNSの片隅にある弾劾擬似裁判サイトにて、汚職議員•音和金継に対して“死刑“の判決が書き込まれたのだ。
罪状は『数々の悪事を揉み消した罪』、執行内容は『この世から存在ごとdeleteする』というモノで、逮捕されない巨悪への皮肉として投稿されたはずだった。
しかし、実際に内容が酷似する事件が起き、その結果、このサイトの書き込みは、不気味な符合として世間の注目を集める事となる。
この書き込みの本来の意味は、音和代議士が罪を犯しても捕まらない事への風刺に過ぎず、失踪事件とは全く関係がないのだが、書き込みと事件現場の状況が奇妙なほど一致していたため、この2つは関連付けられ語られるようになった。
この投稿を行ったのは、皇大生•金須清美であり、彼女は今回の失踪事件における妖疑者と少なからぬ接点があり、その正体を知る唯一の人物であった。
何故、彼女がそのような書き込みをしたのか?
当初は単なる遊び半分であり、身元特定を恐れて誰でも使える大学のPCから投稿しただけだった。
だが今、金須は大学を休学し、ある新興宗教に深く傾倒している。
そして皮肉にも、その教団が音和代議士失踪事件に関与しているという、おぞましい真実を知ってしまったのだ。
そのため彼女は、危険を承知で、その事実を外部に伝えようとしていたのである。
そもそも、教団の関与を示す証拠とは何か?
それは教団の極一部の有能な信徒にのみ与えられるという秘薬【魔醒薬】である。
この禁断の薬物が、今回の「妖疑者」には投与されていたのである。
魔醒薬は、投与された人間を妖幻へと変異させる禁断の薬物であり、変異に失敗すれば肉体は崩壊し、凄惨な死を迎える劇薬でもあった。。
何故この秘薬が、教団外部の人間である妖疑者に投与されたのか?
その一点こそが、今回の事件が単なる失踪ではなく、突発的かつ異常なモノであることを示している。
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あの日、面怪音和は車での移動中、日常的な怪異である飢䰦に戯れ付かれた。
普段であれば特に気に留める事もない些細な怪異であったが、この日に限っては状況が異なっていた。
その理由は、飢䰦の存在を認識できる焰間警部補が、その現場を監視していた事で、面怪音和は咄嗟に怪異に襲われたフリをして、その場をやり過ごす必要に迫られたのだ。
この事で警察の直接的な介入はなかったものの、監視の事実を知った面怪音和は、妖幻対策として身辺を固めざるを得なくなり、事件当夜、自由に動けない事への苛立ちを普堂秘書にぶつけていた。
その頃、面怪音和の関心は既に、黒鋏に取り憑かれた実の息子、尊丸へと移っており、普堂秘書の事は最早、用済みと考え始めていた。
尊丸を仲間に引き込む事を画策する面怪音和にとって、単なる人間である普堂秘書は、最早用済みと言ってもいい存在となっていた。
そこで事件当夜、面怪音和はペン型注射器を用いて、魔醒薬を普堂秘書に投与していたのである。
古道具の処理か、妖幻としての側近を得るために…。
しかしこの時、普堂秘書の身体には何の異変も起こらなかった。
薬が粗悪品だったのだと早合点した面怪音和は、思わず「お前の父親に投与した時は、即座に死んだ。」と口走ってしまった。
この言葉をキッカケに、普堂秘書は父の死の真相に気づき、怒りが爆発。その瞬間、妖幻への覚醒が始まったのである。
すなわち、投与された魔醒薬によって、古の大妖幻• 大高頭四郎木村丸へ至ったのである。
木村丸と化した普堂秘書は、口が裂けるように大きく開け、一噛みで書斎ごと面怪音和を喰らい尽くしていた。
その後、一度は何事もなかったかのように人間の姿へ戻ると、無意識のまま自宅へ帰宅したのだった。
その時刻は午後10時。屋敷の住人全員が雷鳴のような音を耳にした時刻である。
この“雷鳴のような音“は、普堂秘書が木村丸として面怪音和を喰らった際に発生したものであった…。
この顛末を虹の轍会の教団施設で耳にした金須清美は、音和代議士失踪事件が自ら書き込んだ内容と酷似している事、そして虹の轍会が危険なカルト教団である事に気づく。
彼女はSOSの意味も込め、あえてチャットで氷御角警部補と接触し、真実を明かそうと決意し、コレが後に事件解明への端緒となっていた…。
「… と、いうのが事件の真相やろか。まぁ〜虹の轍の会と金須清美はんの件は、まだ裏取ってまへんけど、当たらずとも遠からずやと思いますけどなぁ。どないどす?普堂はん、なんぞ反論おすやろか?」
「ふっふっふっ。ハッハッハッハ。何を長々と言うのかと思えば、馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。そんな中二病丸出しのつくり話の何が謎解きですか?これ以上、こんなつくり話に付き合ってられません!私は忙しいので、これで失礼させてもらいま………!!?」
余裕の表情で立ち去ろうとした普堂秘書だったが、両足が地面にパタリと貼り付き、まるで見えない力に拘束されたかのように一歩も動けなくなっていたのだ。
「どうかしたっすか?普堂さん。」
「あ…いや、足が…!」
「もしかして、貼り付いて動かないんっすか?だったら〜それ、何よりの証拠です〜♡」
「はぁ?何を言って…?」
「実はボク、この場所にちょっとした罠を仕掛けてたんっすよ〜。」
「わ…罠!?」
「その罠、妖幻を拘束するために用いるモンで、咒法陣の一種なんっすけどね。ただの人間相手には全く反応しないんっすよね〜。」
氷御角警部補の冷たい視線が、普堂秘書に突き刺さる。
「はぁ!?馬鹿な!何の冗談ですか?私が妖幻!?」
「普堂はん。お主まだ、自覚無いみたいどすなぁ〜。せやけど、手加減しまへんえ。」
焰間警部補は、革ジャンの袖口から左右の手に3本ずつ棒手裏剣を取り出し、腕を顔の前で交差させて、勢いよく投げつけた。
「…!!」
棒手裏剣は全て普堂秘書の身体に命中したが、その瞬間、彼の身体は大きく膨れ上がり、手裏剣は刺さる事なく弾き飛ばしていた。
「あ〜あ〜あ〜。正体現しはったわ。」
「やっぱデカッ!ていうかデカ過ぎじゃね!こりゃ〜あんな咒法陣じゃ〜もたないねぇ〜。」
普堂秘書には、最早人間の面影など全くなく、猫のような大きな目で、焰間•氷御角両警部補を睨みつけると、鰐のように尖った口が4つに裂けて威嚇してきた。
「グワォ〜ッ!!!」
全身を赤い体毛に覆われた、通称•木村丸普堂は、体長5m近い巨体となると、雄叫びを上げながら咒法陣を力ずくで打ち破った。
するとその勢いのまま、無反応で傍らに立ち尽くしているだけの音和邸の住人達に、八つ当たり気味に鋭い爪で襲いかかる。
ズバーンッ!!!
だがその瞬間、僅かな爆発が起き、木村丸普堂の身体にダメージを与えていた。
「こんな祓魔現場に、一般人、危険に晒してまで呼ぶワケねぇ〜だろ!しかも、そんだけカカシのように立ってんのに、何で怪しんだりしねぇのかねぇ!」
住人達は、氷御角警部補が霊符でつくった形代をベースとした罠であった。
「グォ〜ッ!ボォマウェ〜ラァ〜!ナニボォノォ〜!!」
木村丸普堂は焼け焦げ、苦しみながらも呻いた。
「あれ…?何者って言いはった?ご存知ちゃいますの?ウチ等は『破妖導師』にして、妖疑者の祓魔を特別に認可された日本初の特殊警察官どすえ。」
「それが警察庁警備局公安課特殊事案犯罪対策準備室不可視事案資料特命編纂係、通称•トクアン準備室フカシ係の真の御勤なんっだよねぇ〜。普堂さん!!」
「グワォオオオ〜ッ!!!」
木村丸普堂は咆哮して焰間•氷御角両警部補を威嚇したが、2人は澄ました表情のまま、微動だにしなかった。
「今、この広大な音和邸の周囲は全て、ボクが張った結界内っすよ。だから、何人たりとも出入り不可能!逃げれねぇ〜から覚悟するっすよ!普堂さん(笑)!!」
氷御角警部補は、白い革手袋を嵌めた左手を静かに持ち上げ、袖口に隠していた特殊三段式警棒を滑らかに引き抜いた。
右手首をひねると、警棒の黒光りする先端が勢いよく伸び、真っ直ぐ木村丸普堂の胸元を指し示した。
その時…。
「おい!お前等!一体何日、無断で勝手な捜査をしてるんだ(怒)!!」
氷御角警部補がポーズを決めた矢先、聞き覚えのある怒鳴り声が、結界内に響き渡った。
「えっ?何で?ちょい清良、あの人、何で結界内に入ってもうてるん?」
「はぁ…?何でって…。そりゃ〜ボクの方が聞きたいわッ!」
妖幻を祓魔しようとしている結界内に、何故か普通の人間である陽無坂警部がすんなり入りと込み、祓魔現場には新たな混乱が巻き起こっていた…。