FILE No.069 時効の余韻
朝陽がやわらかく差し込み、緑に囲まれた高台の高級住宅の屋根瓦が静かに照らされている。
ココは都内でも有数の高級住宅街、目黒区赤羽台。
落ち着いた街並みと豊かな自然が調和し、都心の喧騒は遠くに霞んでいる。
そんな静けさの中、入鹿家の重厚な石造りの門前に、二人の姿があった。
背筋をピンと伸ばし、鋭い眼差しで門を見上げる陽無坂警部と、どこか場違いなほど軽やかな足取りで、興味深げに周囲を見回す磊田嘱託職員である。
対照的な二人は、しばらく無言のまま、その威容を見上げ続けていた。
やがて、門扉越しに邸宅の全貌を捉えようと首を竦めた磊田嘱託職員が、感嘆とも呆れともつかぬ小声で呟く。
「いやはや、流石に立派な家ですなぁ〜。しかも、SECUMでしっかりと、セキュリティしてるって感じが全面に出てますからなぁ〜。」
家の周囲には、いくつも最新式の監視カメラが設置されているが、その様子にも陽無坂警部は微動だにせず、鋭い視線を門扉の奥へと向けていた。
「磊田さん。防犯意識の高い家ほど、実は表には見えない、何かを隠している事が多いものですよ。」
その声には、若いながらも冷静な観察眼と、キャリアらしい鋭い洞察力が滲んでいた。
二人の間に静かな空気が流れ、陽無坂警部はインターホンに指を掛け、静かに名乗る。
「警察庁不可視事案資料特命編纂係の陽無坂と申します。お話を伺いたい件がありまして、伺いました。どなたか、ご対応いただけませんでしょうか。」
暫くして玄関のドアが静かに開き、落ち着いた物腰の中年女性が姿を現した。清潔なエプロン姿から、家政婦である事が窺い知れた。
「ご用件は伺っております。どうぞお入りください。」
家政婦がそう言った直後、磊田嘱託職員が小声で陽無坂警部に囁く。
「いやぁ、こうもスムーズに時間をもらえるのも、天使警視正のコネが効いてるお陰げですなぁ〜。」
陽無坂警部も、小さく頷きながら返す。
「本当、感謝しないと…。」
二人は家政婦に案内され、石畳が続く広々とした玄関ホールへと足を踏み入れると、艶やかな床や整然と並んだ調度品が目を引き、どこか温かな雰囲気が漂っていた。
そんな玄関を抜けてさらに奥へ進み、家政婦に導かれるままリビングへと通されると、そこは陽光が惜しみなく降り注ぐ開放的な空間だった。
手入れの行き届いたアンティーク家具が静かに佇み、落ち着いた雰囲気の中に、この家に住む人の品格が感じられる。
その空間の一角、深い緑のベルベットのソファには、上品な身なりと落ち着いた物腰が印象的な女性が静かに座っていた。
彼女こそ、入鹿准教授の母•宗子である。
彼女は穏やかな微笑みを浮かべて二人を出迎えたが、その表情の奥には警察の訪問に対する微かな不安が滲んでいた。
「風彦の母です。本日は息子の事で、どのようなご用件でしょうか?」
陽無坂警部は淀みない動作で名刺を差し出し、磊田嘱託職員もソレに続く。
母親は名刺を受け取ると、膝の上で手を強く握りしめる。
どうやら警察の訪問が、心の奥に仕舞い込んだ記憶を呼び起こすようであった。
陽無坂警部は母親の表情を静かに見て取り、声のトーンを少し和らげて切り出す。
「実は今日、コチラに伺いましたのは、21年前の風彦さんの誘拐事件について、いくつか確認しなければならない事案が出てきましたので…。」
そう陽無坂警部が切り出すと、母親の表情は明らかに曇り、一瞬、訝しむような色が浮かんだ。
事件はとっくに時効を迎えているのに、今さら何を聞きたいのか?と問い掛けるような視線を送ってくるのだ。
「あぁ…あの事件の事ですか?私達家族にとっては、未だに癒えない傷になっています…。」
母親の声が僅かに震える。息子が無事に戻った事は唯一の救いなのだが、息子の心の傷が本当に癒えたのか?母親としては、今もソレが気がかりでならなかった。
陽無坂警部は、間を置かずに問い掛ける。
「その当時、風彦さんは7歳でしたよね。コレまで、何か事件の事で、気になる事はありませんでしたか?」
母親は短く溜息を吐き、戸惑いの色を浮かべながら答えた。
「今も昔も、全くありません。風彦も、事件の事を全く何も話したがりませんから…。昔は夜中に魘される事がよくありましたけど、学問に打ち込むようになってからはソレもなくなり、心の傷も徐々に癒えていってるんだろうと思いますけどね…。」
「そうですか…。では、最近になって、風彦さんが誘拐事件の犯人について、何か仰ってませんでしたか?」
その言葉に、母親は一瞬、驚いたように目を見開いた。
何故、今さらそんな事を聞くのか?そんな疑念が、母親の表情の奥に滲んでいる。
「いいえ、何も…。コレまでも警察の方には、随分と協力しましたよね。でも結局、犯人は捕まらず仕舞いですしね。まぁ〜唯一の救いは、身代金を支払ったからでしょうけど、風彦が無事に帰って来たという、その一点だけですね。」
陽無坂警部が、苦虫を噛み潰した顔で軽く頷いた直後、母親の不満が口から溢れ出す。
「あの、先ほどから何なんですか?風彦の誘拐事件は、とっくに時効を迎えたはずでょう?」
母親の語気が思わず強くなる。もう終わったはずの事件を蒸し返されたくないという思いと、息子の安全を願う気持ちが、複雑に絡み合っているのだ。
「ご不安にさせてしまい、申し訳ありません。実は、過去の事件と現在の事案との間に、重大な繋がりがある可能性が浮上してまして…。現時点では事実確認の段階なんですが、ご協力いただけませんか?もし、何か思い当たる事がございましたら、どんな些細な事でも結構ですので、お教えいただけると大変助かります。」
陽無坂警部の熱意で、場の空気が少し和らいだのを見た磊田嘱託職員は、手帳を膝の上でそっと閉じると、質問役を引き継ぐ形で、母親に話し始める。
「あの〜奥さん。私からも1つ、宜しいでしょうか?」
磊田嘱託職員は少し身を乗り出し、穏やかな口調で母親に話し掛けた。
「念のために伺うんでが…。風彦さんの最近のご様子はどうですか?、何か変わった様子はありませんか?」
母親は少し困ったように、言葉を濁した。
「相変わらず、大学の研究の方に没頭しております。あの子は学問以外、本当に無頓着で…。」
磊田嘱託職員は、母親の様子を見て少しだけ間を置き、再び手帳を開くと控えめにメモを取った。
「それではココ数年、入鹿グループが買収した企業の事なんですが…。その中に、結コーポレーションという名の会社がありますよね?」
母親は軽く頷いた。
「ええ、グループ内の部門の1つとして、3年前に買収したと聞いております。私は経営に直接関わってませんけど、名目上、私も風彦も、その会社の役員に名を連ねております…。ソレが何か…?」
磊田嘱託職員は、手帳を見ながら口調を改める。
「実は、その会社の傘下にコンクルージョンという結婚相談所がありましてね、ソコの会員の中で3名、不審な死を遂げている事が分かったんです。ご存知でしたか?」
「いいえ…。」
「ソノ3人というのが、阿妻真一さん、柄元孝雄さん、古島良樹さんという方々です。面識はありますか?」
「ありませんけど…。」
磊田嘱託職員は、さらに声のトーンを落としながら続ける。
「その亡くなった3人なんですが…。3人とも、結婚して一年未満で、病死という形で処理されてたんですよ。」
「はぁ、そうなんですか…。ソレが何か…?」
「ソレで、その3人なんですが、結婚したのは偶然にも同じ女性でして…。名前を五斎小妖と言うんです。面識はありませんか?」
「はい、全くありませんけど…。」
磊田嘱託職員は、母親の反応を観察しながら、手帳に静かにメモを加えた。
陽無坂警部は、母親の僅かな表情の変化を見逃さず、柔らかな声で再び問い掛ける。
「奥さん、ご無理のない範囲で結構なんですが、ご家族やご親族の方々で、風彦さんの誘拐事件について、最近になって話題にしたり、何か気になる行動をとったなど、ありませんでしたか?」
母親は眉間に僅かににシワを寄せ、しばらく考え込む。
「特には思い当たりませんけど…。」
陽無坂警部がさらに問い掛ける。
「誘拐事件が時効を迎えた後、何か変わった事や、心に残る出来事はありませんでしたか?」
母親はハッとしたように顔を上げた。
「ああ、そういえば…。時効を迎えた直後、どこからともなく匿名の手紙が届きました。内容は確か…“真実はまだ終わっていない”とだけ書かれてて…。気味が悪かったので、すぐ警察に届けました…。」
陽無坂警部は少し驚いたように眉を上げる。
「時効後に、警察に届けられたのですか?」
「はい、少し不気味でしたので…。」
「因みにその手紙、どこの警察署に届けたんですか?」
「当時、担当だった目黒東署の多月さんの部下の方に渡しました。若い刑事さんで…名前までは覚えていません。」
「ありがとうございます。当時の記録を警察で調べてみます。」
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邸宅の静けさを背に、2人は石畳のアプローチを歩いた。
「やっぱり入鹿家には、何か隠してる感じはないですなぁ。寧ろ、事件に振り回されてるだけのような…。」
陽無坂警部は邸宅の重厚な門を背に、空を見上げながら呟く。
「“真実はまだ終わっていない”か…。この家族の過去の事件と、今起きている事案…。私はまだ、何か決定的な繋がりを見落としているような気がしてならない。」
磊田嘱託職員は手帳をパタンと閉じ、肩を竦めた。
「しかし、何も知らないってのも、逆に不自然ですねぇ…。まあ、その匿名の手紙も、警察に届けたのは時効後ですから、指紋や筆跡、郵送経路なんかは、ろくに調べてないでしょうから、手紙の現物が残っていてくれれば、今からでも十分調べ直せますからね。」
陽無坂警部は小さく頷いた。
「磊田さん、そっちの方、お願いできますか?ソレと念のため、手紙を受け取ったという若い刑事の事も、調べてください。」
「了解しました!」
磊田嘱託職員は少し嬉しそうに即答すると、二人で足早に物置へと戻っていった。
ーー不可視事案資料特命編纂係ーー
その頃、物置は静まり返っていた…。
片隅に置かれた古びた文机を挟み、焰間警部補はスマホをいじり、氷御角警部補は年季の入ったノートPCを開いている。
普段なら、陽無坂警部や磊田嘱託職員の賑やかな声が響いているこの場所も、今は二人だけ…。
人の気配が減った分、物置にはどこかのんびりとした空気が漂い、蛍光灯の明かりが静けさを強調するように、二人の顔に淡い影を落としていた。
「あんなぁ〜。ウチの子猫ちゃんが言うててんけどなぁ…。入鹿先生の誘拐事件、時効になってから、急に調べ始めた若い刑事がおるみたいやわ。」
焰間警部補がスマホの画面を指で弾き、イタズラっぽく微笑むと、氷御角警部補はノートPCの画面からちらりと焰間警部補を見やり、口元を緩めた。
「あぁ〜それな。ボクんトコの式鬼神も同じ情報持ってきた。目黒東警察署の八乙女って刑事の事っしょ?」
右手だけの超高速タイピングを続けながら、不敵な笑みを浮かべる氷御角警部補。
「ほな、何で時効になってから調べ出したんやと思う?」
「それってアレでしょ?その八乙女って刑事が、あの入鹿先生の幼馴染て同級生…って噂だけど、ど〜もホントっぽいよね。」
氷御角警部補の言葉に、焰間警部補は珍しく舌打ちした。
「ほなほな、何で時効過ぎてから、捜査し始めたんやろなぁ〜?知ってる?」
身を乗り出す焰間警部補に、氷御角警部補はタイピングの手を止め、顔を上げる。
「さぁ〜ねぇ。分かんね〜けど、まぁ〜幼馴染ってだけの理由じゃなぇ〜んじゃねぇ〜の?何かキッカケがあったんだろ〜けど…。」
「ほうか〜。清良でも分からへんかぁ〜?ほなウチが教えたるわ。」
「いや、別に…。自分で調べるし。」
すました顔で再びタイピングに戻る氷御角警部補だったが、焰間警部補がさらに得意げな顔を見せると、たまらずジト目で睨む。
「まぁ〜そないな顔せんと、素直に聞いとき。時効直後、入鹿先生の実家に手紙が届いたんやて。」
「へえ〜手紙ねぇ…。で、その中身は?」
「そこまでは子猫ちゃんも知らへんかったわ。せやけど、その手紙が届いてから、八乙女刑事が急に動き出したんやて。」
氷御角警部補はPC画面を見ながら、焰間警部補をチラリと見やる。
「つまり、手紙がキッカケって事…?で、誰が送ったワケ?」
「ソレが分かれば、事件の真相に一歩近づけるやん。」
2人の間にしばし静寂が落ちると、蛍光灯の明かりの下、文机の上でスマホとノートPCの画面が淡く光っていた。
「清良、八乙女刑事に会いに行く気やろ?」
「哪由香は、どうすんの?ど〜せ、行く気まんまんっしょ。まぁ〜ボク1人で先行ってもイイんだけどね。ほら基本、情報は共有がボク等のルールだし?」
「せやけど、ウチも行くわ。」
焰間警部補はニヤリと笑い、氷御角警部補も小さく頷く…。
ーー警視庁•目黒東署ーー
窓の外では、ビルの隙間から夕日が柔らかく差し込み、署内の廊下を行き交う足音や電話のベルも、どこか遠くにぼんやりと響いていた。
一日の終わりを告げる静けさが、ゆっくりと署内全体に広がっていく中、八乙女巡査部長はデスクに積まれた報告書を静かに片付けている。
この時間帯の署内には、静かな緊張感と落ち着いた空気が同時に流れていた。
八乙女巡査部長はその空気に包まれながら、ふと胸の奥に残る違和感を思い出す。
かつて、幼馴染の入鹿風彦が誘拐された事件…この事件は彼にとって、時効を迎えても尚、心のどこかに引っ掛かり続ける、消えない棘のようなものであった。
「おい、八乙女。お前に客が来てるぞ。」
コーヒーを啜る同僚が、気軽に声を掛けてくる。その響きが、静かな空間に小さな波紋を広げる。
「客?」
「あぁ、公安の女2人組だとよ。」
「公安…?何で公安が…?」
冗談めかして返しながらも、八乙女巡査部長の胸には微かな緊張が走る。
公安が自分に何の用なのか?全く見当がつかないまま、同僚の「会議室3に通してある。行ってこいよ。」という言葉に背中を押された八乙女巡査部長は、書類を閉じると大きく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
足取りは自然と慎重になり、今まさに何か大きな流れに巻き込まれていく予感が、胸の奥で静かに膨らんでいく。
ー会議室3ー
ドアをノックして開けると、ソコには思った以上に若い、2人の女性が待っていた。
一人は黒髪のショートボブに鮮やかな赤いメッシュが入り、右目には片眼鏡、黒い革ジャンとショートパンツを颯爽と着こなし、柔らかな京言葉の混じる口調で名乗った。
「警察庁公安課所属の焰間どす。」
もう一人は、黒髪のセミロングに神秘的な青い瞳を持ち、和風の趣を感じさせる黒い服に身を包み、まるで彫像のように微動だにしない左手に白い革手袋を嵌め、ややヤサグレた口調で名乗る。
「同じく、氷御角っす。」
こんな服装の2人が警察手帳を取り出し、八乙女巡査部長に身分を示す。
その仕草に、八乙女巡査部長は自然と警戒心を強めながらも、じっと2人を見つめていた。
「警察庁…?あの〜警察庁の公安課が何故、目黒東署に?いや、自分に何のご用でしょうか…?」
彼の心の奥では、何かが静かに騒めいている。焰間警部補は微笑みながら、ゆっくりと説明を始めた。
「ウチ等の部署、ちょい変わった部署なんどす。公安課ん中でも、非公式に新設された特殊事案犯罪対策準備室っちゅうトコがあんねんけど、そん中の内部部署…不可視事案資料特命編纂係いうてな…。」
氷御角警部補が静かに補足する。
「まぁ〜早い話が、普通の刑事事件には全く関わんない不可視事案…つまり、表に出ないような特殊な事件だけを扱う部署だね。」
「は…はぁ…。不可視事案…?」
八乙女巡査部長は警戒を隠さず、疑いの眼で2人を見つめて息を呑む。
こんな部署が本当に存在するのか…?
だが、目の前の2人の雰囲気からは、冗談やハッタリではない事がひしひしと伝わってくる。
「八乙女はん。お主が、入鹿先生の誘拐事件を時効過ぎてから、独自に調べてはった事、ウチ等は把握してますえ。」
焰間警部補の言葉に、八乙女巡査部長の心臓が小さく跳ねる。
〈何故、そんな事まで…。〉
「実はボク等、ココへ来る前に、多月元•巡査長に会ってきてんだよねぇ〜。」
「えっ?多月さんに…。」
「はいな。多月はん、言うてはりましたで。"八乙女なら、必ず事実に辿り着く”やろて…。」
その場に一瞬、静けさが落ちる。
氷御角警部補の視線が、ふと八乙女巡査部長の目を捉えた。
何気ない仕草のはずなのに、八乙女巡査部長は胸の奥を見透かされるような気がして、思わず息を詰める。
「だから、ボク等、わざわざアンタに、話を聞きに来てんだよねぇ〜。」
八乙女巡査部長は、しばし沈黙する。
時効成立後から3年、誘拐事件の真相を仕事の合間にコツコツと調べてきたが、どれだけ事実を積み重ねても、心の奥に残る違和感は消えなかった…。
「八乙女、この事件をお前に託す。お前なら、いつか必ず、この事件の"真相"に辿り着けるはずだ…。」
多月元•巡査長の言葉が、今も背中を押している。
だが、その『真相』が何なのか?自分でも分からない。
それでも、進まずにはいられなかった…。
「…それで、自分に何を?」
焰間警部補は目を細め、柔らかく微笑む。
「不可視の真相、ウチ等と一緒に暴きまへん?」
会議室の静寂にその言葉が落ちると、八乙女巡査部長はゆっくりと頷いていた。
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中央合同庁舎第2号館のガラス扉を静かにくぐり抜け、天使警視正はリムジンの後部座席へと身を滑り込ませた。
夕暮れが、霧乃関のビル群に淡い影を落としている。
今日もまた、机上に積み上げられた案件と、終わる事のない会議の応酬を粛々とこなしたが、天使警視正の表情には疲れの色は見えていない。
ただ静かな眼差しで、都心の景色を眺めていた。
リムジンがゆっくりと合同庁舎の敷地を出て、帝居通りへと滑り出す。
窓越しに見えるのは、警視庁本庁舎。
その前で、ひとりの女性が庁舎警備の警察官に軽く会釈しながら歩いていく姿が目に留まった。
〈アレは…五斎小妖。いや、今は古島小妖か。〉
天使警視正は僅かに眉を上げる。
今日の取り調べが終わったとはいえ、コレで全てが終わったワケではない。
明日も、明後日も、同じような日々が続くのだろう。
それでも、小妖の歩みは淡々としていて、無駄な力みも焦りも見せない。ただ静かに、それでいて迷いのない足取りであった。
リムジンが信号で緩やかに減速する。
天使は無意識に窓を少し下げ、夕風を頬に受けた。
そのとなる時、小妖がふとコチラを振り返り、ふたりの視線が一瞬だけ交錯する。
天使警視正には、小妖がほんの少し会釈したように見えた。
彼女もまた、口元にごく僅かな笑みを浮かべる。
それは、言葉を交わさずとも互いの存在を認め合う、静かな挨拶だったのかもしれない。
信号が青に変わり、リムジンは再びゆっくりと動き出す。天使警視正は窓を閉じ、背もたれに身を預けた。
都心の喧騒の中、ほんのひと時、心に柔らかな余韻が残る。
信号が青に変わり、リムジンは再びゆっくりと動き出す。
天使警視正は窓を閉じ、背もたれに身を預けた。
都心の喧騒の中、ほんのひと時、心に柔らかな余韻が残る。
やがて、車内に静かな電子音が鳴り響く。
天使警視正が手元のスマホを確認すると、焰間警部補からのRINEが入っていた。
内容はとても簡潔であったが、その一文が天使警視正の胸に重くのしかかる。
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入鹿先生の誘拐事件に、動きありどす
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天使警視正は短く息を吐くと、再び窓の外に目を向けた。
夕暮れの街がゆっくりと遠ざかる…。
重責と共に生活日常の僅かな隙間に、ほんの一瞬の視線の交差は、今も心の中に静かに響いくのだった…。