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FILE No.003 右手

 陽無坂ヒナシザカ警部と氷御角ヒミカド警部補の間で視線が激しくぶつかり合い、物置オフィスの空気は凍り付くほど張り詰めている。


 磊田コイシダ嘱託職員は、張り詰めた空気を和らげようと勇気を振り絞り、物置オフィスの殺伐とした雰囲気を打ち破るべく行動を起こす。


「あ〜どうどうどう。ウェイトウェイト。2人ともやめなさいって。あぁ〜そうだそうだ!コレ食べる?ねぇ?ベビースター?コレって美味しいよね〜。どう?」


 そう言いながら、磊田嘱託職員はスーツのポケットに忍ばせていたベビースターラーメンを得意げに取り出し、2人を宥めようとした。


 しかし、氷御角警部補は嫌な顔をして、冷たく一言だけ告げる。


「あ!ボク、ソレ嫌いっす(嫌)。」


 その一言に、磊田嘱託職員は大きなショックを受け、思わず「え〜っ!!」と悲しげな声を上げた。その表情は、まさに“ムンクの『叫び』”そのものであった。 

 しかしこの時、奇跡が起こる。


「あ…。ワタシ好きなので、いただきます。」


 幸か不幸か、陽無坂警部がベビースターラーメンに興味を示した事で、一触即発の危機的状況は回避できた。


 ともあれ、ベビースターラーメンのお陰で冷静さを取り戻した陽無坂警部は、改めてフカシ係が音和代議士に近づいている理由を氷御角警部補に尋ねる。


 コレは部署長として当然、知っておくべき事だったからだ。 


 氷御角警部補は、少し面倒くさそうな表情を見せながらも、しぶしぶ語り始める…。


 音和オトワ金継カネツグという人物は、野党第一党『民和党』の政調会長を務める大物国会議員であり、その名は悪名高く、政界において一目置かれる存在であった。


 そんな彼は、本心を決して悟らせない事でも知られており、政界に蔓延する不正の総元締めと噂され、政治家の汚職が次々と明るみに出る中にあっても、彼が立件された事は1度たりともなかった。 


 そんな彼だからこそ、()()奇妙な噂が絶えず付き纏っていた。


 それは彼が“悪事に加担する妖幻アヤカシを飼っている“のでは?という噂である。


 フカシ係は、この噂の真偽を確かめるため、音和代議士の内偵調査を進めていた。


 しかしその最中、代議士とは別件で、息子の尊丸が連続髪切り事件の重要参考人として任意同行されてしまっていたのだ…。


「…で、その結果、息子は証拠不十分で即釈放されるし、音和の警戒心は一層強まるし、挙げ句の果てに髪切り事件は未だに被疑者も見つかんねぇ〜は、捜査は難航してるって言うし、お陰でコッチの内偵にも支障出まくりで、迷惑を掛けられっぱなしなんっすよね〜(笑)。」


 氷御角警部補は、陽無坂警部を見下すように嘲笑ったが、陽無坂警部はというと…。


「は?妖幻アヤカシを飼っている?何を言い出すのかと思えば…フッ(笑)。」


 その話に全く動じる事なく、寧ろ挑発するかのように鼻で笑っていた。


「あっ!今、鼻で笑いやがったな(怒)!?」


 氷御角警部補の怒りの声に、磊田嘱託職員は慌ててポケットからポッキーを取り出すと、その先端を彼女の鼻先でひらひらと揺らして見せた。


「氷御角君、どうどうどう。ウェイト、ウェイト。これ、な〜んだ?」 


 怒りに満ちていた氷御角警部補の顔も、ふわりと漂う甘いチョコレートの香りで、次第に緊張が緩んでいく気配を見せていた。


「はぁ〜っ♡ ポッキー?食べていいっすか?」


「いいよ。遠慮しないで、食べなさい。」


「いただき〜♡」 


 氷御角警部補は箱からポッキーを1本取り出すと、ブリッ子キャラ宛らに、先端から兎のように細かく齧り始める。


 その様子に安堵の表情を浮かべた磊田嘱託職員は、微笑みながら話を続けた。


「陽無坂係長。馬鹿げた事を言っていると思われるのは重々承知しています。しかし、我々の部署が追っているのは、物証が殆ど残らない…イヤ、残さないと言っても過言じゃない、妖幻アヤカシと呼ばれる存在です。だからこそ、通常の捜査では見つけらない証拠であっても、彼女達なら必ず見つけ出せると、私は信じていますよ。」


 しかし、それに対して陽無坂警部が厳しい声で反論する。


「磊田さん。証拠が残らない相手だからといって、感覚や勘だけで捜査を進めるワケにはいきません。警察とは事実と証拠に基づいて動く組織です。彼女達の力を信じる事自体は否定しませんが、それだけで捜査の方針を決めるのは危険です。そもそも、法的な根拠もなく被疑者を確保する事はできませんし、証拠が不十分なまま強引な手段を取る事も許されません。もしそんな事を認めてしまえば、警察の信頼も、法治国家としての土台も崩れてしまいます。どんなに難しい事件であったとしても、ワタシ達は必ず法に則って、捜査を進めなければならないのですから…。」


 あくまでも正論を述べる陽無坂警部に対し、磊田嘱託職員は穏やかな微笑みを浮かべて応じた。


「陽無坂係長の仰る事は、私も十分理解しています。ですが、音和代議士は非常に警戒心が強くて、そう簡単に尻尾を掴ませるような相手じゃありません。実際、警察や検察も、何故かいつも、彼の汚職の証拠を掴めずにいるんですからね。まあ、仮に掴んだとしても、彼は直ぐにその証拠を消してしまうんですけどね…。」


 磊田嘱託職員の言葉の端々に、諦めと苦笑が滲む中、陽無坂警部は深く息を吐くと、思わずわ口に手を当てながら答える。


「磊田さん。不可解な現象が起きたからといって、その都度、安易に妖幻アヤカシの仕業と断定するのは危険です。そんな根拠が不確かなモノを基準に、捜査を進めるべきではありません!」


 語気は抑えめだが、陽無坂警部の警察官としての矜持が滲む反論に、磊田嘱託職員は小さく頷いた。


「確かに、ソレは正論です。しかし陽無坂係長、もし本当に音和代議士の周辺に妖幻アヤカシが潜んでいるのだとしたらどうでしょう?例の事件で悔しい思いをされた貴方にとって、雪辱を果たす絶好の機会が、うちの部署にはあるとお思いになりませんか?」


 陽無坂警部は、思わず声を荒げる。


「いや、ちょっと、待って下さい磊田さん!ワタシは、この部署で貴方が1番、まともだと思っているんですよ!! 」


 思いがけない言葉に、磊田嘱託職員はふっと目を細めた。


「陽無坂係長、貴方の言葉には一点の曇りもありませんね。ですがね…それでも私は、焰間ホムラマ君や氷御角君の言葉や行動、その全てを信じますよ。ですから陽無坂係長。頭ごなしに否定するのではなく、まず部下を信じてみる事から始めませんか?幸い、うちは緩〜い部署ですし、そうする事で新しい可能性が見えてくるかもしれませんよ。」


 磊田嘱託職員の言葉には、穏やかな口調の奥に、決して揺らぐ事のない強さが感じられた。


 その声は古代の呪文のように静かに、それでいて確実に陽無坂警部の心の奥深くへと染み渡っていく。


 ココで語られる一言一言は、陽無坂警部がコレまで築いてきた常識を静かに揺るがし、抗いがたい説得力で彼に迫ってくるものだった。 


 しかし、陽無坂の胸中では未だ迷いと決意が激しく交錯し、答えを出すには至っていなかった…。


「まぁ〜かく言う私も、偉そうな事言える立場じゃないんだけどね。()()()()()全然見えない•聞こえない•感じないの凡人さんなんでね。しかも、彼女達が言ってる事は、殆どちんぷんかんぷんだし…。」


 磊田嘱託職員が肩をすくめながら語ると、陽無坂警部は疑問を投げかけた。


「では何故、磊田さんは、()()を信じられるんですか?」


 磊田嘱託職員は、苦笑いしながら答える。


「まぁ、ココに来た事で、信じないと説明のつかない“事実”ってヤツに何度も遭遇しちゃったんだよね。しかも、そういったものの前じゃ、私が37年掛けて培ってきた刑事スキルなんて、全く何の役にも立たなかったんだよね…。」


 老練で生粋の刑事であるはずの男の口から、非科学的な迷信を肯定する言葉が出た事に、陽無坂警部は驚きと戸惑いを隠せなかった。


 ピロロロロロロ!ピロロロロロロ!ピロロロロロロ!


 その時、物置オフィスに置かれた唯一の電話が鳴り響き、それに連動しているパトランプが煌々と点滅する。


「あ〜はいはい。フカシ係です。はい。そうですが…。えっ?!!」


 この光景に目を見開いて驚く陽無坂警部を尻目に、磊田嘱託職員はいつもの冷静な口調で電話に応じた。


 しかし、その声は次第に驚きと困惑を帯びていく…。


「どうしたんですか?磊田さん。」


「あの〜焰間君が音和代議士連行して来たって…。」


「な…(驚)!!?」


 陽無坂警部は予想外の展開に、大きく心を揺さぶられた。


 ―――――


 身なりは立派だが、どこか滑稽さを漂わせる小太りで太々しいハゲ眼鏡の男。彼こそが代議士•音和金継である。


 音和代議士は狭い物置オフィスのパイプ椅子に踏ん反り返り、憮然とした表情で座っていた。


「音和先生!このような場所に、ワザワザ足をお運びいただき、誠にありがとうございます。」


「挨拶はいい。それより何だねココは?応接セットすらないのかね!というか君!ココは物置だろ!?私を馬鹿にしているのかね!!?」


 来るなり文句ばかりの音和代議士への対応は、年長で空気を読む力にも長けた磊田嘱託職員が担当していた。

 一方、本来この場の責任者である陽無坂警部は、音和代議士との距離を保ちながら、部屋の隅で冷静に状況を見守る事に専念していた。


 そんな異様な空気に包まれたフカシ係の物置オフィスの外で、焰間•氷御角の両警部補は事務椅子に腰掛け、顔を突き合わせて小声で何やら話し込んでいた…。


「ちょっと、哪由香ナユカ。アンタ、連行ってどういう事?」


 氷御角警部補は、少し声を荒げ焰間警部補に詰め寄る。


「はぁ?連行?何それ?ウチ、そないな事、一言も言うてへんけど?」


 焰間警部補は眉をひそめ、肩を竦めた。


「じゃ〜さ、何アレ?何でココにアレが来てるワケ?」


 氷御角警部補が指差す先には、音和代議士が踏ん反り返っている。


「あぁ、それなぁ…。そらまあ、その…色々あったんよ。」


 焰間警部補は、視線を泳がせながら曖昧に答える。


「色々って何!?」


 氷御角警部補のツッコむ声は、さらに鋭くなるが…。 


「まぁ〜早い話、“飢䰦キヘイ“に襲われたんよね。」


 それでも、どこか他人事の焰間警部補であった。


--●飢䰦●-------------------------------------------------------


 妖幻アヤカシとしては最底辺に位置し、人間の子供ほどの大きさをした小鬼。

 灰色の肌と体毛に覆われ、その見た目からして邪悪な雰囲気を漂わせている。

 知能は低く、性格は自堕落で自己中心的。弱い者をいじめる事に喜びを感じるため、当に邪悪そのものと言える。

 基本的に単独で動く事は殆どなく、集団での活動を好む割には、仲間意識というモノは皆無で、互いを助け合うという概念すら持ち合わせていない。

 群れの中でも、個々が自分勝手に振る舞い、必要以上に他者を気に掛ける事もなく、力や知恵を持った上位妖幻アヤカシに使役される。

 単なる手駒として命じられるままに動き、時には汚れ仕事を任される事もある。

 この姿と性格ゆえ、人間から恐れられる存在であると同時に軽蔑される事も多く、邪悪でありながら、どこか滑稽さも感じさせている。

 [※妖文堂ヨウブンドウ書院刊《妖幻アヤカシ大全(シュウ 第三篇》より抜粋]


--------------------------------------------------------------------


「はぁ?飢䰦?あの小鬼の!?」


 驚きと困惑が入り混じった表情で、氷御角警部補が問い返す。


「せや。まぁ〜早い話、飢䰦に襲われとったんよね。」


 再び同じセリフを繰り返す焰間警部補の顔には、微妙な苦笑いが浮かんでいる。


「ちょっと待ち。何で今そこ2回言う!?」


 氷御角警部補は肩を竦め、呆れたように溜息を吐くと、その吐息が静かな地下通路に小さく響いていた。


「本当にココなのかね?私の警護を担当してくれる部署というのは!?」


 音和代議士は、まるで世界が自分を中心に回っていると信じ込んでいる人物であった。


 ゆえに、その態度は「自分は特別だから配慮しろ!」と言わんばかりであり、その嫌味な雰囲気を醸し出す事に関しては天才的であった。


 そんな絵に描いたように嫌なヤツである音和代議士は、机を叩きながら怒りを露わにしていた。


「あの〜音和先生。その〜警護と言いますと…。」


「おい!何度、同じ事を言わせるんだね!昨今の警察内部で、こんなにも縦割り行政の弊害が出ているとは、正直し思いもよらなかったぞッ!!」


 しかし、そんな嫌なヤツに対し、冷静に対応する磊田嘱託職員は、日々、理不尽なクレーム処理をこなしているだけあって、陽無坂警部には到底真似できない匠の技を披露する。


「はい。全くもって、音和先生の仰る通りでございます。ですが先生、我々下っ端では、ソレを今すぐどうこうする事もできない事案でございますので、申し訳ございませんが、今一度、ご用件の方からお伺いしても宜しいでしょうか?」


 イラついた音和代議士は、磊田嘱託職員の巧みな言葉遣いと、低姿勢な対応によって冷静さを取り戻し、秘書に顎で指示を出した。


「はい先生。わたくし、音和先生の秘書を務めております。普堂フドウと申します。」


 偉そうな音和代議士に代わり、説明役を担う秘書は、フカシ係の面々1人1人に礼儀正しく名刺を配った。


 この秘書は、一見すると物腰が非常に柔らかいのだが、背が高く体格もいいため、秘書と言うよりボディーガードに近い印象を受けた。


「先生は本日午後より、地元支援者との懇親会がごさいまして、都内を車で移動中だったのですが、よもやあのような…化物に襲われるとは…。」


「化物…ですか?」

 磊田嘱託職員は、困惑しながら問い返した。  


「はい。信じられないでしょうが、化物でした。」


 秘書の声は震えていたものの、その目は真剣で、嘘をつく気配は微塵も感じられなかった。


「んで、思わず?」    


 氷御角警部補は焰間警部補に向かって、肩を竦めながら尋ねると…。


「うん。まぁ〜見かねて祓魔フツマしたってん(笑)。」

 焰間警部補は苦笑いを浮かべた。


「でもそれって、音和アイツが飼ってる()()が、戯れてきただけなんじゃねぇ〜の?」


 氷御角警部補は、かなり怪しんだ顔を見せるが…。


「さぁ〜どうやろ?まぁ〜ちょい是見コレミヨがしな襲われ方やなぁ〜とも思ったんやけど、普通に祓魔したった方が近づき易いかなぁ〜思て。まぁ〜しゃあないかなぁ〜的な流れで、祓魔したったんよねぇ〜。ウシシシシッ(笑)。」


 焰間警部補は少し自慢げに頷いた。


「なるほど…。」


 氷御角警部補は焰間警部補から事の顛末を聞き終えると、まるでパズルのピースがカチリと嵌まるように、点と点が線で繋がっていく感覚を覚えた。


「で、先生〜。うちの焰間がお助けしたんっすけど、やっぱり素性の知れなねぇ〜小娘より、まずは警視庁•警備部を頼った方が安心だったんってワケっすか〜?」


 そう言いながら、氷御角警部補は事務椅子のキャスターを滑らせ、売れっ子キャバ嬢が客に寄り添うように、音和代議士の隣へとすっと移動し、会話に割り込んだ。


「う…うむ。まぁ〜そうだが…。そんなモノは、当然の事だろう!お…おい!普堂!!」


 音和代議士は、不意に距離を詰める氷御角警部補に驚き、戸惑いの色を隠しきれなかった。


 そんな様子を見た氷御角警部補は、中年オヤジが照れているだけと勝手に決め付け、その口元には不適な笑みを浮かべている。


「はい、確かにその通りです。しかし、警備部に相談した際、先生の訴えを軽んじるような対応を取られました。その上、警視庁内をたらい回しにされた挙句、“この事案は警察庁の担当部署に任せるべきだ“と告げられてしまいまして…。まるで責任を押し付けるかのような態度でした。」


 普堂秘書は、冷静な口調ながら、怒りを滲ませ状況を説明した。


「で、うちの焰間にココまで連れられて来られたって事っすよね?」  


 氷御角警部補が、軽く肩を竦めながら言葉を引き取ると、音和代議士は小さく頷いた。


「うむ。そうだ。ココがその…。」

 言い淀む音和代議士に代わり、普堂秘書が続ける。


「コチラが、その…。化物関連を取り扱う部署で宜しいのでしょうか?このような、人に信じてもらえない超常現象、我々と致しましては非常に苦慮しておりまして…。」


 焰間警部補は少し憮然とした表情を浮かべ、事務椅子のキャスターを滑らせて、氷御角警部補の反対側へと移動し、音和代議士の横に並ぶ。


「せやから、最初から言いましたやろ?ウチがその、妖幻アヤカシ関連の警察官どすって!」


 その瞬間、氷御角警部補と焰間警部補の2人に、両側からガッチリと挟まれる形となった音和代議士は…。


「おい君達!この私に、纏わり付くんじゃない!!」


 まるで針で刺された風船のように、パイプ椅子に座ったまま勢いよく立ち上がると、2人の間から逃げ出し普堂秘書の背後に身を隠してしまった。


 その姿は、普段の権威を振りかざす代議士のイメージとはまるで異なっていた。


 焰間警部補は思わず、肩を竦め小声で呟く。


「何どすの?このオッさん。」


 一方、氷御角警部補は右手で顎を撫でながら、満足げに笑みを浮かべていた。


「いやぁ〜先生もなかなか、可愛げあるじゃないっすかぁ。」


 そんな中、普堂秘書は深い溜息を吐きながら、その場の空気を取り繕おうと口を開く。


「それでは…本題に戻らせていただきます。この件につきまして、具体的な調査依頼内容をご説明させていただきます…。」


 物置オフィスには不思議な静寂が漂い、誰もが息を潜めて黙り込んでいた。


 これから一連の事案に関する正式な依頼が始まるという緊張感が場を支配していたのだ。


 しかし、その張り詰めた空気は突如として破られる事となる。それは…。


「お断り致します!!!」


 それまで腕を組み、沈黙を守っていた陽無坂警部が、突然声を荒げたのだ。


 その発言は場の流れを完全に無視しており、誰もが目を丸くして彼を見つめていた。


「はぁ?!ちょっとアンタ!ボク等の仕事取んないでくれる!?」


「せやせや!横暴や!パワハラや!民主主義に反しますえ!」


 そんな2人の反応など意に介さず、陽無坂警部はさらに声を張り上げる。


「パワハラがどうしたッ!問題にするんならしてみろッ!それでココより閑職に回せるものなら、やってみるがいい(暴)!!」


 物置オフィスの片隅で、ひっそりと存在感を消していたはずの陽無坂警部が、まるで暴走機関車のように喚き散らしていた。


 その様子は異様でありながらも、どこか滑稽でもあった。


「うわぁ〜何なんこの人?飛ばされて頭おかしなりはった?」


「イヤ、違うんじゃね。ココ来た時には、もうこんな感じのキャラに仕上がってたけど…?」


「さよか…。ほな、あの一件で色々あったんやわ。捜一おる頃は、冷静沈着な切れ者キャラやったんに…。」


「切れ者?キレキャラじゃなくて?」


「うん。」


「じゃ〜アレだ!敷かれたレールから外れたエリートが、色々と捻じ曲がるヤツ…。ねぇ係長?」 


「氷御角君、私はもう係長じゃないから。今は係長補佐。彼が、その係長だから…。」


 陽無坂警部の声の熱量とは裏腹に、 3人の会話はどこか冷めており、それが温度差となって、場の混乱を際立たせていた。


「いいですか!我々の任務は、化け物や宇宙人といった荒唐無稽な話を喚き散らす者達を煙に巻く事です!そのため、音和先生のご要望にはお応えできませんので、どうぞお引き取りください!先生ほど豊富な資金をお持ちの方なら、用心棒や霊能者などをご自分で雇われた方が、より安全かと存じますので、そちらを強くお勧め致します!!!」 


 陽無坂警部は、抑えきれない焦燥感と正義感を込めて言い放つ。その表情には、普段の冷静さとは異なる熱が宿っていた。


「ふっふっふっ。確かに、君の言い分は合理的だね。確か…陽無坂君とか言ったかね?」


 音和代議士は薄笑いを浮かべながら立ち上がり、鋭い目で陽無坂警部を値踏みするように見つめた。


「その節は、うちの尊丸が大変お世話になったね。しかし君、まさかあの一件で、こんな所に移動させられたのかね?君のように優秀な警察官を、こんな所に押し込めて置くとは…。やはり今の警察組織には、色々と問題があるようだな。おい、普堂!」


 音和代議士は嫌味ったらしく陽無坂警部を挑発し、普堂秘書を伴って物置オフィスからそそくさと出て行った。


 その背中には、権力者特有の余裕と侮蔑が滲んでいた。


「あ〜っ!先生!出口まで案内致します!」


 磊田嘱託職員は慌てて2人の後を追ったのだが、その行動は決して親切心によるものではなかった。


 フカシ係へと続く道は迷路のように複雑なため、戻ってこられると厄介だと考えたからである。


「あんなに騒いでたのに…。」 


「何や、あっさり帰りはったな。」 


「そりゃ〜そうだろう。恐らくヤツは、コチラの様子を伺うために来ただけだからな…。」


「へぇ〜よう分かりますなぁ〜。」


「分かるわけない。勘だ!」


 この時、物置オフィスに残された3人は、何故か初見とは思えないほど小気味良い会話のキャチボールを繰り広げていた。


「うわぁ!出たよ!刑事の勘ってヤツ。韶和ショウワか!イヤ、平世ヘイセイ初期か!?」


「そんな事より警部はん。何で勝手に断るんどす?」


「だよね〜。折角、懐に潜り込めそうだったのに〜っ!」


 陽無坂警部はふと真顔になり、唐突に2人に問い掛ける。


「所で君達。この世で1番警戒しなければならない、厄介で恐ろしいモノは何か分かるか?」

  

 焰間•氷御角の両警部補は、顔を見合わせ自信満々に声をぴったりと重ねて答えた。


「そりゃあ〜やっぱ、妖幻アヤカシ!!」


 その答えを聞いた陽無坂警部は、少し残念そうな表情を浮かべる。


「そうか…。ワタシは権力を手にした人間が、断然厄介だと思っているがな…。」


 2人の警部補は、その答えに納得がいかず、あれこれと反論したが、陽無坂警部はそれ以上、何も語る事はなかった。


 ○☆○☆○☆


 それから音和代議士は、まるで札束で防壁を築くかの如く、即座にボディーガードと霊能者を雇い入れ、自分の身辺を24時間体制で鉄壁に固めたという。だが…。


 ピロロロロロロ!ピロロロロロロ!ピロロロロロロ!


 フカシ係の電話が鳴り、パトランプが点滅して周囲を赤く照らす。


 磊田嘱託職員は慌てる事なく、いつも通りゆっくりと受話器を取り上げる。


「はいはい。フカシ係です。はい?あぁ〜あの音和代議士の秘書の…?」


「どないしたんどす?係長?」


「焰間君、補佐ね。係長補佐。それでね、音和代議士の秘書の普堂さんが、今、2階の受付にいらしてるんだって…。」


「えっ?何で来てんっすか?ボディーガードに霊能者、しこたま雇ったんでしょう?ってか、そいつ等じゃダメだったから、ボク等に再度、依頼っすかね(悦)!」


忍々ニンニン(悦)!」


 2人が思わず嬉しそうにしていると、陽無坂警部は淡々と告げる。


「焰間、氷御角。資料の編纂に取り掛からないのであれば、君達2人で普堂秘書を迎えに行って差し上げろ。」


 その言葉を聞いた瞬間、2人の警部補はバネが弾けるような勢いで、地下通路を駆け出して行った。


 ーーーーー


 普堂秘書は、中央合同庁舎第2号館の正面玄関の受付前で立ち尽くしていた。


 突然の来訪だったため、一時通行証が発行されておらず、受付の警備員が担当部署に連絡し、フカシ係の2人が呼び出されたのだ。


「普堂さん。どうしたんっすか?」

「何かあったんどすか?」


 2人がそう声を掛けると、普堂秘書の顔は青ざめ、手が小刻みに震えていた。


「………あの、何と申しあげるべきなのか。」


 普堂秘書は声を詰まらせ、やっとの思いで言葉を絞り出した。


「先生が…いなくなったんです。と言うより、正確には…右手だけを残して…。」


 2人の声が、思わず裏返った。


「えっ(汗)?」

「み…右手だけ(汗)?」


 悪徳代議士として知られる音和金継。その身に起きたのは、常識では説明できない奇怪な事件だった…。

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