FILE No.002 トクアン準備室フカシ係
「君…。本当に警察官なのか(疑)?」
陽無坂警部は、非常に保守的で厳格な思考の持ち主であった。
そのため奇抜な地雷系パンクファッションに身を包む、焰間哪由香という警部補が警察官であるという事実を受け入れる事が、とても困難だったのだ。
というより寧ろ、こんな奇抜な格好を許容する警察庁に対し、強い憤りと不信感を抱いていた。
「は〜い、そうどす。今年お入りやした新人どすえ。」
焰間警部補は、陽無坂警部に向かって軽いウインクをしながら舌をペロっと出し、不慣れな挙手敬礼をした瞬間、陽無坂警部の眉間には深いシワが刻まれていた。
「おい、無帽の時は挙手敬礼じゃないって習わなかったか?ソレにソノ服装…。君、本当に警察学校出てるのか?しかも、本年度入庁って…(怒)!?」
陽無坂警部は内心で呆れ返っていた。
〈コイツ1年目で警部補って事は…?!!こんな格好してキャリアなのかッ!?ったく誰なんだ!こんな女子採用したのはッ!!!〉
陽無坂警部は怒りを抑えきれず、先輩として焰間警部補に小姑のように説教を始める。
しかし焰間警部補は、その様子をどこ吹く風といった態度で受け流すと、悠然と自分の理論を語り始める。
「ええどすか?音和尊丸はんは、見た目こそ怪しおすけど、都内連続女性髪切り傷害事件の“妖疑者” やあらしまへんえ…。ところで、お主、名前、名前なんて言いはるん?」
陽無坂警部は腕を組み、眉をひそめて答えた。
「私は捜査一課第六強行犯捜査5係の陽無坂だ!…で、音和尊丸が被疑者じゃないとは、どういう根拠で言ってるんだ?」
〈お主って…そんな言葉、実際に初めて聞いたぞ。これって敬語なのか(汗)?〉
陽無坂警部は、焰間警部補の話に耳を傾けながらも、心の奥底では疑念を拭いきれずにいた。
その一方で焰間警部補は、穏やかな微笑みを浮かべながら話を続ける。
「陽無坂はん。一連の髪切り事件の“妖疑者”は、音和尊丸はんやおへんのどす。妖疑者は、音和尊丸はんに憑いてはる妖幻、髪切鬼の黒鋏なんどすえ。」
陽無坂警部は言葉を失いながらも、その不可解な説明に目が点となっていた。
--●髪切鬼 黒鋏●---------------------------------------------
口元は鳥の嘴のように尖り、手の指が全て鋏の刃のような形状をしている。全身が影のように黒一色で覆われている妖幻。
夜な夜な闇に紛れ、どこからともなく現れては女性の髪を気づかれぬまま元結から切り落とす。その結果、切られた髪は結ったままの状態で地面に落ちているという怪異を引き起こしていた。
この妖幻は女性のみを狙い続け、その姿を見た者は殆どいない。何故、女性の髪だけを切るのか、その理由も未だ解明されていない。
文献によれば、突然髪が切られるという怪異事件は日本国内だけでなく海外でも発生している。
しかし、それ等全てが黒鋏の仕業とは考えにくい。 似た性質を持つ妖幻は世界中に存在していると云われている。
この怪異は、闇に潜む恐怖と謎を人々に植え付けながら、今もなお語り継がれている。
[※妖文堂書院刊《妖幻大全輯 第七篇》より抜粋]
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焰間警部補は得意げな表情を浮かべ、黒鋏に関する情報が記された1枚の紙を、そっと陽無坂警部に手渡した。
ところが、陽無坂警部はその紙に一瞥をくれると、僅かに眉をひそめたまま無言でソレを丸め、遠くへ放り投げたのだった。
「あ〜ッ!!何するんどすか?!酷過ぎでござるどす〜ッ(悲)!!」
焰間警部補は悲しげに叫ぶ…。
〈ござる…?妙な口調の女子だな。まあ、それはともかく…。〉
陽無坂警部は、冷静に言葉を続けた。
「いいか!現時点では、音和尊丸が被疑者である物的証拠はないが、全ての事件発生時に、彼が現場にいた事は確認が取れている!コレを踏まえ、音和尊丸が事件に関与している可能性が、非常に高いと考えられる!!よって今後は、犯行の手口を明らかにするため、さらなる証拠と証言を徹底的に集め、真相を解明する!!そのため捜査の妨げとなる恐れがある部外者を、不用意に介入させないッ!!」
そう言うや否や、陽無坂警部は焰間警部補の襟元を掴むと…。
「出て行け〜ッ(激)!!!!」
焰間警部補を問答無用で、部屋の外へと放り出したのである。
締め出された焰間警部補の背後では、扉が勢いよく閉められ、重々しい金属音とともに鍵まで掛けられていた。
「ちょい陽無坂は〜ん。開けとくれやす〜(悲)。」
焰間警部補は必死に扉を叩き、陽無坂警部に応答を求めたのだが、陽無坂警部は沈黙を守り続け、ソレに応じる事は決してなかった。
だがその結果、陽無坂警部は2時間以上も部屋から出られない状況に追い込まれてしまったのだった───
○☆○☆○☆
落ち着いた雰囲気で整理整頓されているが、今は重苦しい空気が張り詰めた一室。ココは警視庁捜査第一課課長の執務室である。
ココには大きなデスクや本棚、来客用のソファがあり、机の上には家族の写真が飾られていた。
一課長は机に肘をつき、組んだ手越しに冷徹な視線を陽無坂正義警部へ向けている。
その視線を正面から受け止め、背筋を伸ばして立つ陽無坂警部の額には薄く汗が滲み、その眼差しには強い決意と覚悟が宿っていた。
「陽無坂、非常に残念だが、君には責任を取ってもらう。当然、異論はないな。」
一課長の冷たい声が響く中、陽無坂は悔しさを滲ませつつ、一言だけ返事をした。
「………はい。」
彼は音和代議士の子息•尊丸を物証もなく被疑者扱いした責任を問われ、左遷される事となった。
陽無坂警部の顔は引き攣り、心の内では悔しさと怒りが激しく渦巻いている。
しかし、彼は自らの信念を貫いた末、迎えたこの結末を静かに受け入れていた。
それが本当に正しかったのか?今となってはもう分からない…。
ただ、胸の奥深くに刻まれた痛みだけが、確かにソコに残っていた。
しかも、その異動先は───
陽無坂警部は、デスクにある私物を段ボール箱1つに纏め、ソレを両手で抱えながら堂々と警視庁捜査一課を後にした。
多くの部下から慕われているはずの彼だが、その場では誰一人として声を掛ける者はいなかった。
それでも陽無坂警部の毅然とした態度には、寂しさの影など微塵も感じられなかった。
段ボール箱を抱えたまま、彼は警視庁の建物を出て行く…。
・
・
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そして、すぐ隣に聳える中央合同庁舎第2号館の中へと足を踏み入れて行った。
そう、この建物の中には警察庁が入居していたのである。
陽無坂警部の新たな舞台は、ココから始まる…。
まず、エレベーターに乗り、警察庁のフロアへと向かったのだが───
簡素な間取りの庁舎内のはずが、彼は廊下を右へ左へと行き来し、道に迷っていた。
抱えたダンボール箱がジワジワと腕に重さを増していく中、ふと彼の頭に1つの考えを過ぎらせる。
〈左遷された場所だから、こんなにも見つからないのか…?〉
自嘲気味に漏れた溜息を飲み込むと、陽無坂警部は歩みを再び進めた。
新しい配属先は、どこかにあるはずだと信じて…。
無為とも思える時間が過ぎる中、陽無坂警部は冷静さを保とうと努めていたが、1時間が経過した今、その表情には次第に苛立ちが色濃く浮かび始めていた。
〈ったく!どこにあるんだ〜ッ(怒)!!〉
苛立ちを抑えきれない陽無坂警部は、ふと目に入った若い制服姿の女性警察官に、つい少し横柄な口調で声を掛けてしまう。
「おい、ちょっと君!!」
声を掛けられた女性警察官は、一瞬驚いた様子を見せたものの、清潔感のある佇まいを崩す事なく、澄んだ声で丁寧に応じた。
「えッ?あッ!はい?何でしょうか?」
彼女の落ち着いた対応に、陽無坂警部は少しだけ冷静さを取り戻した。
その女性警察官は、凛とした華やかさと高貴な気品を湛えた美女で、手には小さく【A】と記されたファイルを持っていた。
そんな彼女が、柔らかな微笑みを浮かべ、陽無坂警部の前に静かに立っている。
〈恐らく、警察庁上層部の秘書か何かだろうな…。〉
そう推察した陽無坂警部は、先ほど少し横柄な態度で声を掛けてしまった事を後悔すると、申し訳なさそうな表情で改めて丁寧に移動先の部署を尋ねたのだった。
すると彼女は少しはにかみながらも、自ら進んで道案内を申し出てくれたのである。
予想外の親切に感謝しつつも〈お偉いさんの用事は大丈夫なのか?〉と内心で疑問を抱えながら、陽無坂警部は彼女の後をついて行く事とした。
だが、迷子状態から解放された安堵感も束の間、彼女が案内する道筋は予想外の方向へと向かっていく…。
まずエレベーターで警察庁のフロアを抜け、そのまま1階へと下りると、大きな鉄の扉を開け、そこから地下への階段を進む。
階段を下りた後、長い廊下を進んで、さらに階段を下り、まだ廊下を進んで階段を下りる…。
2人は同じ作業を何度も繰り返しながら、徐々に地下深くへと進んで行った。
進んで行くにつれ陽無坂警部の胸には、次第に不安が募り始める。
〈一体、どこへ連れて行かれるのだろうか…?〉
ーー地下9階ーー
陽無坂警部は、戦時中の防空壕を思わせる古びた地下通路に辿り着き、不安と好奇心の入り混じった心境になっていた。
〈ココはもしや、各省庁へ極秘に繋がっているという、噂の地下通路ではないか?〉
そんな都市伝説を思い浮かべながらも、本当にこんな場所に部署が存在するのか?と半信半疑だった陽無坂警部は、勇気を振り絞って案内役の女性警察官に声を掛ける。
「あ…あの〜ちょっと君、本当にこんな地下に…?」
そう言い掛けた時、彼女の足がピタリと止まった。
「はい。ちょうど今着きましたよ。ココです。」
彼女が示した場所に目を向けた瞬間、陽無坂警部は驚きの余り口が開いたままとなった。
そこは、コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた、殺風景で無機質な空間であった。
中には古びた備品や器具が無造作に押し込まれ、片隅には事務机と椅子がわずか3セットだけ、申し訳程度に置かれていた。
「ココが、警察庁警備局公安課特殊事案犯罪対策準備室不可視事案資料特命編纂係ですよ。」
その言葉を聞いた瞬間、陽無坂警部は持っていたダンボール箱を落とし、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
この物置同然の空間が、彼の新しい職場だというのだから…。
最早この光景は、窓際という言葉では言い表せないほど侮辱的で、オフィスというよりも物置そのものであった。
そう、ソコには嫌がらせ意外の意図が、全く感じられなかったのである。
そんな陽無坂警部に、女性警察官は微笑みかけながら声を掛ける。
「コレから頑張ってくださいね、陽無坂新係長。」
「えッ?なぜ私の名前を…!?」
陽無坂警部は、動揺を隠せなかった。
単なる案内役だった女性警察官が、何故か自分の名前を知っていた事に驚いたのだ。
「…陽無坂正義警部ですね?」
そんな戸惑いの最中、背後から落ち着いた声が静かに響く。
振り返ると、白髪が混じった髪と鋭い眼差しを持つ、風格ある老刑事が立っていたのである。
陽無坂警部は、この老刑事が自分の前任者であり、今後は補佐役として支えてくれる人物だと瞬時に悟り、引き締まった表情でその老刑事に整然と頭を下げた。
「はい。只今着任致しました。陽無坂です。どうぞ宜しくお願いします。」
「あぁ〜あぁ〜。そんな堅苦しい挨拶なんて、やめてやめて。私はただの嘱託職員でしかないんだから。私、磊田主水佑といいます。」
「いえ、そんな事ありません。私まだまだ若輩者ですし、磊田さんには色々と教えていただければと…。」
「いやいや、私はココで、繋ぎとしての係長をやらされてただけだから。君みたいな若くて優秀な人材が来てくれて、本当にありがたいよ。」
磊田という嘱託職員は、一見すると厳格な刑事然とした雰囲気を纏っているが、話してみると腰が低く、どこか頼りなさげな好々爺であった。
「そんな事ありませんわよ!」
女性警察官が突然声を上げる。
「磊田さん。貴方は今でも立派な刑事魂を持ち続けている、優秀な警察官ですわ。」
女性警察官は、磊田嘱託職員に対して気遣いと敬意を込めた言葉を掛け、フォローするような対応を見せていた。
すると磊田嘱託職員は、女性警察官の顔を見るなり、慌てて背筋を伸ばし、衝撃的な発言をしたのだ。
「そ…そんな所にいらしたんですか!?気が付かず申し訳ありません!天使警視正〜ッ!!」
〈えっ?天使警視正…?どう見ても、20歳そこそこにしか見えないんだけど…。って事は、実は結構年齢いってるって事か…?だって警視正だもんなぁ…(汗)。〉
陽無坂警部が年齢不詳の美魔女に戸惑っていると、磊田嘱託職員が勢いよく声を張り上げる。
「陽無坂君!…あ、いや、陽無坂係長!コチラ、我々の直属の上司だよ!特殊事案犯罪対策準備室室長の天使照警視正だよ。さぁ〜この階級章が目に入らんか〜ッ!!!」
磊田嘱託職員は大げさな仕草で、天使警視正の制服の左胸に輝く階級章を指差していた。
陽無坂警部は、思わず驚きの声を漏らす。
「えッ?上司?室長…!!?」
〈ヤバッ!彼女がよりによって、私の直属の上司だったとは…(汗)!!?〉
慌てて姿勢を正す陽無坂警部は、必死に言葉を絞り出した。
「し…失礼しました!天使室長!!」
〈赴任したその足で、いきなりやらかしたか…(汗)!?〉
この時、陽無坂警部はスーツの下で、尋常でない冷や汗を流していた。
「いいえ。こんなに分かりにくくて、最果ての場所にしか、お部屋を確保できなかったのは、全て私の力不足ですわ。本当にごめんなさい(困)。」
「あ…。い…いえ。私は別に…(焦)。」
〈失敗した!ココへ来るまでの間、少し愚痴ってたからな…。〉
陽無坂警部が道すがらこぼしていた愚痴は、全て天使警視正の耳に入っており、彼女の“ごめんなさい“が本心からの謝罪なのか?それとも皮肉なのか?判別できなかった。
「不可視事案資料特命編纂係の業務内容にも、不満な点は多々あると思いますけど、期待していますからね。陽無坂係長(笑)。」
「あ…はい。ご期待に添えるよう尽力致します。」
天使警視正の微笑みは、かつて『天使の微笑み』と称され、瞬時に周囲の緊張を和らげる力があると言われていた。
しかし、この時の陽無坂警部には、その笑顔がただ重苦しい圧力としか感じられなかった。
「それでは私は、コレにて失礼いたしますけれど、磊田さん、少しお願いがありますの。」
「あ、何でしょ?不肖この磊田主水佑、天使警視正のご命令とあればなんなりと!」
「あの〜私をお部屋まで送っていただけますかしら?」
「あぁ〜はいはい。了解で〜す…。」
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暫くして、磊田嘱託職員は少し疲れた様子で戻ってきた。
その口からは、思わず軽い愚痴がこぼれていた。
「あぁ〜参った参った。あの人、ココへは迷わず1人で来れるのに、自分の部屋には基本ひとりじゃ帰れないんだよね〜。」
愚痴とは裏腹に、磊田嘱託職員の顔には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
陽無坂警部は疲労の色を隠せないまま、静まり返った物置の中でひとり、ある疑問を抱いていた。
そして、その疑問を磊田嘱託職員にぶつけてみる。
「所で磊田さん。他の係官の姿が全く見えませんが、どういう事ですか?」
磊田嘱託職員は、少し言葉を詰まらせながら答えた。
「ああ、それね…。いや、職務放棄とか怠慢ってわけじゃないんだ。ただね…その…。」
陽無坂警部は、毅然とした態度で呼び掛ける。
「磊田さん!!」
陽無坂警部の厳しい口調に促され、磊田嘱託職員は慎重に言葉を選びながら重い口を開いた。
「まぁ…うちにはあと2人、とても優秀な係官がいるんだけど…少し変わった人達でね。でも、仕事に対する忠実さは間違いなく立派な警察官だよ。」
その曖昧な言い回しに若干の疑念を抱きつつも、磊田嘱託職員の目に偽りがない事を見て取った陽無坂警部は、それ以上問い詰めるのを控えたのだった。
「なるほど…。それで、その2人は今どこに?」
磊田嘱託職員は、途端に表情を引き締め、威厳ある声で反問しだした。
「陽無坂警部。彼女達の所在を明かす前に、確認させて欲しい。我々の部署の名称と、どんな業務を担っているかは、勿論知っているかね?」
話の核心に迫ると察した陽無坂警部は、臆する事なく聞いたままの情報を述べ始める。
「特殊事案犯罪対策準備室不可視事案資料特命編纂係、通称•トクアン準備室フカシ係。主な業務は、宇宙人や超能力者、幽霊など、荒唐無稽な訴えに対して電話で苦情を受け付け、適切に処理する事です。」
陽無坂警部がフカシ係の実態について率直に語ると、磊田嘱託職員は、いつものとぼけたキャラに戻ってこう言った。
「いや〜そうそう。表向きにはそうなんだけどね。実際、この仕事って、ほぼ私1人でやってるようなもんなんだよね〜。まあ、こんな年寄りを怒鳴りつけるクレーマーなんて滅多にいないし、私が"全力で捜査してます“って言うだけで、相手の怒りもある程度収まるし、あと適当にダラダラと煙に巻いとけばいいからね…。」
磊田嘱託職員の軽い口調に、陽無坂警部は眉をひそめた。
「しかし、それが表向きという事は、やはり本来の業務が存在するという事ですよね?もしや、化物や幽霊の類を退治する"拝み屋"だとでも言うつもりですか?」
その言葉に、磊田嘱託職員の目が一瞬泳いだが、直ぐにいつものニヤリとした笑み浮かべていた。
「えっ?何だ、知ってたの?」
「ええ。先日、妖幻なるモノがどうのこうのと言う者が現れましてね。その者がココの係官と名乗ってましたから…。」
「あぁ〜そうなんだ。それじゃあもう…。」
「あんな子供騙しの世迷言を、堂々と語る警察官に初めて遭遇しましたので、記憶には鮮明です。」
陽無坂警部の冷ややかな口調に、磊田嘱託職員は苦笑いするしかなかった。
「あ〜うむ〜。まぁ〜何と言うかねぇ…。」
普段のクレーム対応では、のらりくらりと煙に巻いてやり過ごす磊田嘱託職員だったが、若く現実主義的な上司にその手は全く通用せず、対応に手を焼いていたのだった。
「磊田係長。理解できない人には、どんなに説明したって無駄っすよ。」
物置内に突然、落ち着いた中性的な声が響き渡る。
その声に陽無坂警部が振り返ると、全身黒コーデのフードを被った人物が、足早に物置の中に入ってきた。
「あ!ちょっと氷御角君…。」
そう呼ばれた人物は、定められた席に音もなく着くと、肩から滑り落ちるニュースペーパーバッグを静かに机の上に置き、慣れた手つきで右手のみを使い、バックの中からスマホ、使い込まれたノートPC、そして捜査資料と思しき分厚い資料の束を取り出していた。
だが、その最中も、左手は力なく垂れ下がったまま、全く動く事はなかった。
「こちら、今日からウチの係長になる…。」
磊田嘱託職員がその人物を陽無坂警部に紹介すると、無言のままフードが外され、露わになった顔は、声色から想像されるモノとは異なり、20代前半と見受けられる若く美しい女性であった。
フードからは、艶やかなセミロングの黒髪が流れ落ち、見る者を惹きつける深く青の瞳には、神秘的な輝きと鋭い意志が宿っていた。
服装は和の要素を取り入れつつも、独自のスタイルを貫き、ゆったりとしたフード付きの上着に、動きやすいワイドパンツ、シンプルなインナーシャツを合わせていた。
左手に白い革手袋をしっかりと嵌め、まるで特別な理由があるかのように、その手は微動だにしていない。
それ以外の装いは黒一色で統一されており、地雷系パンクファッションの尖った美学を体現する姿が、周囲に異質な空気を漂わせていた。
彼女の名は氷御角清良。フカシ係の係官であり、新人キャリア警察官として警部補の階級に就いていた。
淡々とデスクワークの準備を進める氷御角警部補だが、そんな無表情な様子を、磊田嘱託職員はやや気まずそうに見つめていると…。
手を後ろに組みながら彼女の机に近づく陽無坂警部は、やや威圧的に名乗った。
「今日から、この部署の係長を務める陽無坂正義だ。」
しかし、氷御角警部補はその威圧に全く動じる事もなく、棒読みでダルそうな挙手敬礼をしながら答えた。
「あぁ〜ども、乙カツカレーっす。氷御角清良っす。ヨロシクっす。」
磊田嘱託職員は、その態度を見て大慌てで注意したが、陽無坂警部は彼女の態度よりも、まず無帽で挙手敬礼した事を指摘する。
「君もか。無帽の時は挙手敬礼するな。警察官として常識だぞ。」
「はいっす。ど〜も、さぁ〜せんっした〜。」
氷御角警部補は一応謝罪の言葉を口にしたものの、その態度からは謝罪と反省の意図は、全く感じられなかった。
陽無坂警部は初日からの摩擦を避けるべく、溜息を吐きながら話題を変え、磊田嘱託職員にもう1人の係官について尋ねる。
「そう言えばもう1人、赤いメッシュが入ったショートボブの係官がいるはずですが、彼女は今どこですか?」
磊田嘱託職員は、そのまま氷御角警部補に確認すると、彼女は軽い口調で答えた。
「哪由香っすか?今は音和代議士の方に張り付いてるっすよ。」
陽無坂警部はその返答に驚き、机に手をついて身を乗り出し、氷御角警部補に詰め寄った。
「な…何故、音和代議士に…(驚)!?」
氷御角警部補は冷静な態度で返しつつ、意味深な言葉を口にする。
「冷静じゃ〜いられない感じみたいっすけど、邪魔しないで欲しいんっすよね。でないと、素人さんは憑き殺されるっすよ。」
陽無坂警部はその言葉に激しく怒りを露わにし、それに対しては氷御角警部補も、一歩も引かずに応じたのだった。
2人は机を挟み、火花を散らさんばかりの勢いで鋭く睨み合っていた。
―――――
焰間警部補はその頃、国会議事堂前で張り込みをしていた。
チュッパチャプスを舐めながら周囲の様子を窺っていると、通り掛かった警察官に声を掛けられる。
「君、こんな所で何してるの?身分証見せてくれる?」
「………(汗)。」
焰間警部補は職質され、言葉に詰まっていた…。