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第2話

「……おはよう正斗まさとくん、相変わらず朝が早いね」


 翌日早朝、二階から降りてくる俺に、新聞から顔を上げた広貴さんが朝の挨拶をしてくれた。


「おはようございます。広貴さんもいつもお早いですよね」


 朝起きるとダイニングに血の繋がらない家族がいる。この光景にももう随分と慣れてきた。


 かと言って違和感が完全になくなったかと問われれば、少しは迷ってしまうのだけれど。


「まあ僕は仕事だからね。交通機関の利用時間から逆算すれば早いのが当たり前。優以はまだ寝てる?」

「そうかと思います。深夜まで部屋でスマホのゲームしてたみたいですから」

「仕方ないなああの娘は……正斗くんの爪の垢を煎じて飲ませたいよ」


 広貴さんはテレビの朝のニュースに目をやり、アハハと空笑いを挟んだ。


「それよりまだ抵抗ある? 僕はもう随分と待ったと思うんだけど」


 遠回しに、しかし義理の父親になった人間がいずれ連れ子に要求するものを、ここで広貴さんは俺に突きつけてきた。


「いえ、俺は別に……呼び方を変えるなら、俺と優以くん二人とも揃ってからにしようって思ってるので」

「そうか、そうだよな。優以の方の準備がまだってことか」


 娘は思春期だしなぁ、と呻る。


「あ、ところで正斗くん、今朝の分の花丸プリンも冷蔵庫に入れといたから。どうぞ食べていってよ」


 断られて気まずくなったのが幸いし、広貴さんの方から本題に入ってくれた。

 この機を逃すまじと、俺は昨日の夜に考えたプランを実行する。


「広貴さん、いつも俺の好物を買ってきてくださって本当にありがとうございます」

「あ、その物言い水臭いなぁ。家族なんだし当然じゃないか」


 照れ笑いする広貴さんだが、この反応も想定通りだ。

 上機嫌になったところで、俺はさっそく切り込むことにした。


「実は俺、広貴さんにたってのお願いがあるんです。あの、変なこと言っちゃうんですけど……」



◇◇◇



「……やられた」


 風呂上がり、自室で涼んでいるところに妹がやってきた。


 夜遅くになると肌寒い季節。さすがにいつもの軽装ではない。とはいえ、Tシャツの上にジャージを羽織り、下は短パンといった出で立ちであるのだが。


「お兄、ズルっこくないかなああいうの」


 不正を糾弾する口ぶりだが、どの口がそれを言う。

 そもそもが俺の花丸プリンを勝手に食べている妹の方が問題だ。


「ズルっこいもなにも、容器に名前はちゃんと書いてあっただろ。これでもう優以くんに花丸プリンを盗み食いされる心配はなくなったわけだ」


 結論から言おう。この日ほぼ定刻通りに帰宅した俺は、花丸プリンの容器に自分の名前を書くことに成功した。


 その手法が妹のお気に召さなかったらしい。唇を尖らせる。


「……まさかパパに直談判するなんて思わなかった」

「花丸プリン分の小遣いをせびっただけだろ。というより、自分で買うからもう買ってこなくていいって言っただけだな」

「そんなの、私の分までなくなっちゃうじゃん」

「優以くんはあの辺りに詳しくないだろうけど、花丸甘味店なら学校の帰り道に寄れる。夜遅くまでやってるし、君の分も俺が買ってくるよ」


 その際はまあ、自分の分の花丸プリンには油性ペンで即座に名前を書いとくつもりだけど。


「そんなことより裏門登校で毎朝の風紀チェックを回避するのやめてくれないか。風紀委員として、肉親にそういうことされるのは看過できないんだが……おい、優以くん!」


 シームレスに忠告しようした俺から踵を返した妹は、とててっと猫のようにすばしこく部屋の外へと走ってゆく。

 

「……このうらみはらさでおくべきか」


 去り際、キッと鋭い瞳で俺を睨むと、そんなおそろしいことを呟くのを聞いた。



 ――この発言の真意を知るのは数日後になる。



◇◇◇



 その朝、俺は冷蔵庫の前で愕然と凍りついていた。

 ない。どこにも。昨日たしかに名前を書いたはずの俺の花丸プリンが。


「おはよう。あれ、どうしたの? 昨日の帰りは花丸甘味店に寄らなかった?」

「え、ええまあ……遅くなってしまって……」


 不審に思って後ろから冷蔵庫の中を見る広貴さんに、しどろもどろになりつつ俺はそう言った。


 妹は必ず夜中にプリンを食べる。昨夜もプリンの容器を持って自室に戻る姿を見た。その後でもう一度食したのか。だが容器に名前ならちゃんと書いていたはず。となればこれは重大なルール違反ということになるが……どの道、詰問の必要があるな。


 帰宅すると、リビングには煌々と明かりが灯っている。

 俺はいつもの如くノックをしてから、妹に声をかけた。


「優以くん、少しいいか。話がある」


 ゲームを中断するには時間が必要だ。

 扉の向こうでやや待つと、必要手順を終えた妹の声がした。


「……お兄、お待たせ。話ってなに?」

「わかっているだろ。花丸プリンのことだ」


 腕を組み、泰然とした直立不動で俺は言った。

 扉越しに見えるはずもないだろうに、妹はこっちの様子を深読みした。


「なんか怖い感じだね。話すごい長くなりそ……よければ中に入ってどうぞ」

「いや、ここでいい。どうせ例の薄着しているんだろ」

「想像したんだ? なんかヤラシー。でも大丈夫だよ。今日は厚着だから」

「そのパターンでいつもの服装だったこと、たしか4回くらいあったよな」

「よく覚えてんね? まあやったけどさ。ハイデガーの優以ってやつ?」

「……それを言うならシュレーディンガーな」


 当然だが、兄妹漫才をしたいがために声をかけたわけじゃない。


「今朝方、冷蔵庫の中から俺のプリンが消えていた。優以くん、君が食べたのか」

「ううん、食べてないよ?」

「名前が書かれていたら食べないって前に君は言ったよな。あのプリンの所有権は俺にあった。それでなお食すというのは重大なルール違反だと思わないか」

「…………」


 沈黙。どういう意味の沈黙なのかは俺も計りかねたが。

 妹は憮然とした口調になって断固としてこう言った。


「食べてない。てか食べてません。お兄、私のこと疑ってる?」

「……正直、疑ってる」


 生来嘘が苦手だったので、俺は直球で返答した。


「あっきれた。そこは嘘でも疑ってないけど一応訊いとくみたいな態度取っといた方が得でしょ」

「性分だ」

「はいはいそうだよね……じゃあ私もバカ正直に。食べてないよ」


 朝の感じからいって、広貴さんの線もないだろう。となれば、なにも知らずに母さんが食べてしまった感じか……。


「先言っとくけど、パパでもすみれさんでもないからね。アレ……私が隠したの」

「隠したってそれ、どういうことだ?」

「お兄が悪い」


 いきなり俺のせいにされた。何故……。


「だってお兄が先にパパ抱きこんだんじゃん。私、どうやってお兄が自分のプリン守るのか楽しみにしてたのに。それはルール違反じゃないかもしれないけど、ルールの追加だよ。グレーゾーン」

「ぐ、グレーゾーン……」


 ちょっとショックだ。俺は正攻法のつもりだったのに。


「そ。言い方が不服なら別のでもいいよ。不正、チート、新しい妹の期待へのとんだ裏切り」

「なんだかどんどん罪が盛られていってるような……」

「だから私もルールの追加ね。お兄のプリンはクーラーボックスに入れて、私が徒歩15分圏内の近所に隠しました。見つけたなら食べてよしってことで」


 近所? 範囲が広すぎるだろ。


「……不利すぎだ。ヒントとかないのか」

「お兄とは趣味も違うし、共通項とかあんまないから。いや、ひとつあるか」


 そう、ある。俺たち二人の間にたしかにひとつ。


「私ら、親のヒガイシャだからね。じゃあこれをヒントにしてみよっか。ちょうど隠し場所からは近いんだ。お兄もそれでいい?」

「不正とまで言われたら風紀委員としては黙っていられないな」

「お、やる気マンマンじゃん。でも難しいよ。本当にいいの?」


 念押ししてくるが、記憶力にならちょっとした自信がある。


「……男に二言はない」

「カッコイイじゃん。それじゃ設問ね。私とお兄が親に連れられて二度目に会った場所。その周辺にあるよ」

「わかった」


 踵を返して玄関へ。シューズを履いて外に出ると夜の暗闇に迎えられる。ひんやりとした空気が肌に纏わりつこうとする中を、俺は小走りで目的地に向かった。


 神社の境内へと繋がる石造りの階段。麓の鳥居の傍にそれはあった。特に隠されるでもなく、忘れ物のように平然と置かれている。


 電柱の灯りの下にまで運んでそれが家使いの一品と一致するか確認すると、俺は再び駆け足で自宅へと帰還した。


 ちょっとしたロードワークを終えた俺を、上下ジャージ姿に変わった妹が驚きでもって出迎えた。


「早っ! てかマジで持って帰ってきてんじゃん!」

「優以くんのヒントが手掛かりになったな……どうした? 珍しい表情だが」


 口の前で右手を開き、ビックリ顔のまま固まっている。


「あれはヒントじゃなくて設問。ヒントは、その後でいろいろ出してあげようと思ってたの」

「そ、そうなのか……それは悪いことをした、のか?」


 どうリアクションをとっていいやらわからない。


「全然? 悪くはないよ。ヒント1回につき、花丸プリンを4分の1個要求するつもりだったし。そしたらゲームとして面白くなるかなって」

「あまり人様の楽しみをゲームにしてもらいたくないんだが……」


 ヒント1回で俺の朝の楽しみが4分の1減ったのか。

 ならヒントをもらわないで正解だったな。


「記憶力いいって本当だね。さすがゆーとーせー。ガクランヒョウキってやつ?」

「それ言うなら博覧強記だな。微妙にニュアンスは違うが……」


 ちなみに学校の制服はブレザーだ。誰も聞いてない。


「エクストラステージ」

「えくすと……いきなりなんだ?」


 唐突に飛びでた文言を思わず繰り返すと、妹が指を立てて迫ってきた。


「一発回答で正解を導き出したお兄にさらなる大チャンスです。あの場所で、私たちが会うことになったその理由を答えよ」

「答えよって……強制? これ間違ったらどうなるんだ?」


 すると妹は持ち帰ってきたクーラーボックスを指差して――。


「戦利品は没収となります」

「ま、マジか……じゃあ答えない方向で」

「棄権は不正解とみなす」

「横暴だ!」

「制限時間は10秒。じゅーう、きゅーう、はーち……」


 言い合っている間にカウントダウンが始まってしまった。俺は急いで頭を悩ませると、古い記憶の奥底から、どうにか目当てのものを探り当てた。


「……俺が、カブトムシを捕まえたいって言ったから、だ」


 真顔になる妹。一瞬の静寂。

 パチパチという拍手の音が、それを割った。


「すごーい。大正解。お兄、よく覚えてたね」

「優以くんこそ……それより、これ正解したらなにがもらえるんだ?」


 不正解時のデメリットならさっき語られたが、正解時のメリットについては触れられていない。今さらだが……本当に今さらだが……。


「妹の気持ちがちょっとアガります」

「は? 優以くん?」

「私が上機嫌になるだけじゃ不満だっていうの」

「い、いやそんなことは……ではなく、それではメリットとデメリットの釣り合いがまったくとれてないって……優以くん!?」


 俺の話が終わらない間に、妹はくるりと反対を向いてすたすたと歩きだす。


 玄関前のため靴を履き替えないと追えない。「ちょっと」と焦って声をかけると、妹は立ち止まって逆を向いたままボソリと呟いた。


「……今日は命拾いしたね。けど、次は私が勝つから」

「次って? まさかまたこのゲームをやるつもりなのか?」


 嫌な予感に頭の中を埋め尽くされながら問う俺。

 首だけ捻って振り返る妹は、ニヤリと猫のような笑みでこの質問に答えた。


「ふふっ、また明日ね……お・に・い♪」


 まさかゲームに勝利したはずの俺が、ガクッとその場に崩れ落ちることになろうとは夢にも思っていなかった……。

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