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第16話

 それは、さらに遡ること一週間前の出来事。


「……あのさ、私お兄と同じ大学目指すことにしたから」


 優以が俺の部屋を訪れたと思いきや、寝耳に水の一声をかけられた。


「でも前は服飾の専門に行くって」

「やめた。ノリで言ってただけだし」

「地方とはいえ国立狙いなんだぞ」

「ヘンサチっての上げればいいんでしょ。がんばって、500くらい」

「そんなにはいらないが……」


 大学入試に関して完全に無知なのが、さらに不安を煽ってくる。

 説得すべきか迷っているうち、優以はどんどん不機嫌になった。そして――。


「……勉強、教えてよ」


 困った風な、甘えた声で懇願してくる。

 妹きってのその頼みに、二つ返事で了承したくもなるが。


「生半可な覚悟じゃ無理ってことくらいわかってるんだよな」

「当然。私バカだし。勉強とかやったことないし。でも……」


 胸の前で両手の指を絡ませて、優以は恥ずかしそうに頬を染める。


「でもね、私としてはやっぱお兄といたいって思うわけよ」

「……優以」

「お兄が地元出るなら、私だって付いてきたい。同じ学校に通いたい。わがままだけど……」


 すう、はあ、と大きく深呼吸してから溜息をこぼす。


「今さらになるんだけどさ……ごめんね、あのときは」

「唐突にどうした?」


 殊勝な顔で謝られ、思わず問い返す。


「お兄が迎えにきてくれたときのコト」

「ああ」

「あのときさ、私お兄に告ったじゃん。思い返せば、あれは卑怯だった。だってお兄は兄として私を迎えにきてくれてたのに、私、そのせいで余計に困らせたよね?」


 なんと返答したものか、俺は数秒口を噤む。

 言葉を選んでいると理解した優以が、先だって話を続けた。


「帰り道もそう。私お兄に甘えて困らせてた」

「それは……」

「いいよフォローしなくて。みんなわかってるんだ。私が弱いってことくらい」


 優以は一瞬下を向き、それから思い切ったように声を出した。


「あれからさ、私も少し考えてみたんだ。それで思ったの。もし小さな頃の私がもう少しだけでも強かったら、お兄はあんな目に遭わずに済んだんじゃないかって……」


 それはまるで、自分の罪を告白するような口調で。


「あいつに腕折られて、ちゃんと元に戻るかもわかんなくて、何度も手術して……でも、それでもお兄は一言も泣きごとなんて言わなかった。言えば、それは私を責めることになるって、そう思っててくれたんでしょ?」


 念押しするよう訴えかける視線を誤魔化せず、俺はただ沈黙する。

 それが答えになってしまったのだろう。優以は、悲しそうな顔をした。


「私が、自棄にならなかったら。あいつの狙いに気づいてたら。あいつの手を振り払えていたら……きっとお兄は、あんな苦労をすることなんてなかった」

「……優以……」


 過去の自分を咎める姿が悲痛で、かけるべき言葉を見失ってしまう。

 優以は、それでも打ち明けないといけないと思ったのだろう。声を出す。


「私は、お兄に守られてばかり。求めてばかり」


 はあっと、自分自身に落胆するように――。


「お兄に背負わせてばかり」


 優以は、自分自身を苛む言葉を続ける。


「…………」


 否定、しなければならなかった。

 そんなことはないと告げる必要があった。


 けれど優以の言葉は真実そのものを言い当てていた。


 折れた腕が元に戻ったのは奇跡に等しい。担当の医師からは後遺症が残ると断言されていた。文字通り血の滲むリハビリの果て、日常生活に不便が出ない程度にまで回復できたのは、そうできなければ優以が気に病むと俺自身が固く信じ込んでいたからだ。


 今の優以は、俺に真実を求めている。

 だから嘘は吐けない。気休めも言えない。


 沈黙を続けていると、優以はしかし、ふっとその表情を緩めた。


「やっぱそうじゃんね……だから私、考え方変えることにした」


 言って、優以は俺に向かって薄笑みを湛え――。


「昔の日暮坂優以は弱かった。これはもう変えようのない事実。けどこれから先なら変えていける。だから私、がんばろうと思うんだ。今までずっと、お兄が私の荷物を持っていてくれた分、強くなって返していかなきゃって」


 過去を否定するのではなく、認めて前に向かって進む。


 優以の導き出した結論は、きっと今までの彼女では到達できないもので。

 それを聞いた俺の胸に、じんわりと優しい温かさが広がってゆく。


「隣にいたいなら、荷物一緒に持たなきゃ」


 その一言が、どうしようもなく俺の胸を打つ。


 ヤバい。目頭が熱い。少し泣きそうになっている。俺は上を向いて涙を抑えると、早口になって誤魔化した。


「あー……さっきの勉強のことだけどな、遅れを取り戻すのは本当につらいぞ」

「覚悟ならできてるよ。私、がんばるから」

「二つ条件がある。守り通せるなら俺も本気で君に教えよう」

「任せて!!」


 大きな瞳にやる気の光を爛々と漲らせた優以に、こうして俺は条件を突きつけたのだったが――。


 それがまさかこのような結果を呼び込むことになろうとは、そのときの俺は毛ほども思っていなかった。


 時間は再び現在に舞い戻る。

 優以の背後で椅子に座っている制服のポケットの中で、スマホが再びバイブレーションした。


「……出たら?」


 今度の反応は俺よりも優以の方が早かった。

 机に向かったまま首を捻ると、ジト目になって俺に言う。


「あ……ああ」


 反射的に頷き、ポケットから取り出したスマホの画面と相対する。

 人差し指で通話ボタンを押しかけて……俺は動きを止めた。


「ちょっと! なんでそこで固まるんだよ!」

「い、いやそれは……」

「言葉も濁すな。なに、お兄ってばやっぱ合コンの誘い受けてんの?」

「それは違う! 誓って違うからな!」


 またしても必死に抗弁する俺であったが、さすがにこれは優以にも通じてくれたらしい。


「あーもーわかったって。お兄ってば顔で嘘吐けないもんね。でも何度も切っちゃうのはさすがに可哀想だし、ここで話しづらいなら外で出てあげてよ」

「お、お言葉に甘える……」


 そそくさと優以の部屋を出た俺は、廊下で通話ボタンを押した。


「……もしもし」

「やっと通じたか。先刻は電話を即切りとは、ひどいことをする」

「中島、もうかけてこないでくれと前に頼んだはずだ」


 先制攻撃で釘を刺すものの、中島は悪い感じに笑い飛ばす。


「ククク、こいつはなかなかに手厳しい。けどなお義兄さん、多少の反対程度で燃え上がる俺は止まったりしない」

「誰がお義兄さんだ。俺は君の係累になった覚えはないぞ」


 それはぐうの音も出ない正論だったはずだ。

 だが中島は、不敵な口調を変えずに続けた。


「なるほど義兄こそが前門の虎。となれば後門の狼はさしずめご両親といったところであろうな」

「君はさっきからなにを言っているんだ……?」


 やたらポエミィな中島に思わずストレートに突っ込む。だがこれしきで正気に返るくらいなら、昨日から10度も俺に電話をかけてきていない。


「クク、障害が大きければ大きいほど恋の焔は燃え上がらずにおれぬものよ。今の俺の気分はそう、まさしくハムレット」

「ロミオな。同じシェイクスピアでもハムレットは親の仇に復讐する方な」


 中島はロミオとジュリエットのロミオに自分をなぞらえたいらしい。一応。

 間違いを指摘されて少し気恥ずかしかったのだろう、声のトーンを落として中島はボソリと。


「……あのぅ、単刀直入に結果とか訊いてみていいだろうか」

「断ったらまたかけてくるんだよな」

「それは当然。マイスイートエンジェルゆいたんと俺とのデスティニーは誰にも引き裂けないゆえ」


 誰だよマイスイートエンジェルゆいたんって。

 というか、そもそもまだ結ばれとらんだろうが……。


「前に聞いた君の言い分はたしかこうだったよな。去年、同じクラスにいた妹がことあるごとに君をチラ見してきたと。きっと自分に気があるに違いないから俺の口から本人にたしかめてみてほしいと」

「うむ……それで結果は?」


 中島がスマホ越しに前のめりになっているのがわかる。

 少し可哀想だが、俺は事実をありのまま述べることにした。


「君の存在を覚えてないそうだ」

「は? な、なにっ……?」

「残念だが、妹になんらかの好感を与えていると思ったのは君の勘違いだったということになるな」

「ば、バカなっ……!?」


 次の瞬間カタンと音がして、ショックのあまり中島がスマホを取り落としたらしいことがわかった。


「おい中島? 大丈夫か?」

「あ、ああ、大丈夫……いや、大丈夫じゃない。どうしよう。ネズミーランドの年間フリーパス2枚とお揃いのペアリング、貯めてたバイト代全部はたいたのに……」


 ちょっと待て。さすがにそれは勇み足にも程がある……。


「気をしっかり持て。まだ換金の道はある。いくらか目減りするだろうが、そこは男らしく諦めるしかない」

「あ、ああ……そうだな、ありがとうおにいさ……まさとくん」

「だあもう! だから俺なんか介さず本人に直接当たれって言ったんだ!!」


 この後、俺は不意の失恋に泣きべそをかいた中島をひたすら励まし、そのせいでメンタルを消耗しきって再び優以の部屋へと帰還した……。

中島アアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!

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