第1話
「……おい優以くん、また俺の花丸プリンを食べたろ」
規則正しくノックを2回。それは礼儀というよりもはや身に沁みた習慣だった。扉の向こうに妹がいることはわかっている。本来なら少し声を張るだけで済む用事だということも、俺にはわかっている。
それでもワンクッションおいたのは、リビングにいるのが血の繋がった妹ではなく、義妹だったからだ。日暮坂優以が妹になったのは3年前。ほんの2カ月早く生まれただけで、俺は彼女の兄という間柄に納まった。
血の繋がりのない他人と家族となることより、同学年の少女の兄になる不自然さに戸惑ったことは、今でも記憶に新しい。
やや待つと、扉を挟んで向こう側から挑発的な声が返ってくる。
「プリンなら食べたよ? だけどあれがお兄のだって証拠は?」
ギャルなのは口調だけじゃない。髪を淡い茶に染め、服装規定などガン無視。ブラウスの上ボタンを開いてタイは外し、スカートは常に下着が見えそうなほどに短い。風紀委員の兄として、心労の種でもある。
「証拠もなにも、広貴さんは帰りにいつも2個買ってきてくれてるだろ。俺と、優以くんの二人分だ。勝手に2個とも食べていい道理はない」
なおも扉の向こうで、俺は抗議の声を上げた。
「でもパパ、私に2個買ってきてくれてるのかも」
「そんなはずはない。ちゃんと娘と息子に1個ずつだ。それが自然だ」
「私ってばかわいい愛娘だし。溺愛パターン入ってたりして」
「シラを切ると思って今朝広貴さんに確認をとった。ちゃんと俺のだって言ってたぞ」
「……マジ? ワザワザ本人にたしかめたの?」
ありえんわー、と妹は言うが、人のものを当人に無許可で勝手に食べる方がよっぽどありえんだろう。
「ともかくもうやめてくれ。優以くんだって、アレが俺の毎朝の楽しみだって知っているだろう」
「朝練前の、ね。前々から思ってたけど、なんで夜中に食べないの? お兄が空手終えて帰ってくる前に、パパ帰ってきてるじゃん」
空手部主将として、俺は施錠のため最後まで武道館に居残る必要がある。仕事を終えた広貴さんが花丸甘味店に寄って帰宅するより、俺の帰りの方がいつも遅い。
「疲れた身体に甘味はたしかに至高だ。だが劇毒でもある。具体的に言うと眠くなって、勉強に身が入らん」
それに朝食べる花丸プリンは、今日一日を生き抜く活力を与えてくれるしな。
「ふーん、つらいね。ゆーとーせー」
「優以くんはもう少し勉強に身を入れたらどうだ。帰宅部なんだし、時間はたっぷりあるだろう」
「あ、そういうこと言う? 直帰組のこと帰宅部っていうの前々からギモンだったんだよね。私ゲームやりこみたいだけだよ?」
リビングには50型最新テレビとプロステがある。妹はいつものようにソファに寝そべって画面を凝視しながら俺に受け答えしてるんだろう。
「話し戻すけど、じゃあ名前書いとけば? プリンの容器に書いとけば、さすがの私だって食べないしさ」
一見道理が通った意見。えらく簡単に言ってくれるそれができるなら、俺はもうとっくにやっている。
「だったらリビングを占領するのをやめてくれ」
間取り的に、リビングとダイニングは隣合っている。そこを通らないと冷蔵庫のあるキッチンに辿り着けない。
「それはできない相談かな。だってここにしか据え置きゲームないし」
「じゃあ別の相談だ。家にいるときの服装をなんとかしてくれないか」
「私の服装? どんな? ドア閉めたままだし、お兄には見えてないでしょ」
ニヤニヤと口元にいやらしい笑みを湛えているのが、ドア越しにすらわかる。俺はそれを何度も見てしまった。見られた当人が知らないわけがない。
「上は薄手の大きなTシャツ1枚、下は下着以外なにも穿いてない状態」
「当たりだ。すごいね、お兄ってばエスパー?」
うわーすごいー、と棒読みで感動なしに妹は言う。
「事故で何度も見た、いや見せられた。数年前ですら目の毒だったのに、今もまだ同じ格好してるとか本当に信じがたいぞ……」
「見たい? 見ていいよ? そしたらプリンの容器に名前書きにこれるじゃん」
肩書きが人の人格を表すわけじゃない。だが俺は空手部主将にして風紀委員であることにプライドを感じる側の人間だった。なんなら質実剛健が己のモットーでもある。
家とはいえ、妹とはいえ、年頃の女子のあられのない姿を目にいれてなにも思わずにいられるわけがない。
「あのな、そんなことできるわけないだろ」
「お兄それ、事実上の敗北宣言だってわかってる?」
なおも愉快げに挑発してくる妹だったが、ただ白旗を上げる気はなかった。
「さっき言質はとったからな。俺の名前が書いてあれば優以くんはプリンを食べないって」
「へー、それで私に勝てるつもりなんだ。でもどうやんの? パパ帰ってきたら私のカッコとか関係なしにここ通って冷蔵庫にプリン入れにくるのに」
秘策ならちゃんとある。
ちょっと……いやかなりカッコ悪いけれども。
俺は妹に二三釘を刺すと、二階の自室に戻ることにした。
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