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横田さん

白黒の世界はやがて彩られる

作者: 江本紅

3月。卒業後にまた制服を着るとは思わなかった。


高校の入学式のときははち切れそうだったブレザーは何故か卒業式には少し肩が余ってしまった。購買会のおばさんの言うとおりに買ったはいいが、あの見た目がベテランなおばさんも私がやせることになるなど思ってもみなかったのだろうか。少し大きめなブレザーに袖を通し、鏡を見る。大丈夫。目は思っているほど腫れてはいないし、隈も化粧でごまかせている。化粧のせいか多少は顔色もよく見えている。


自分を呼ぶ声がする。時計を見るともう7時だ。頬を両手でパンと叩いて、部屋のドアを開けた。


「先生、今日亡くなったそう」


懇意にしていたピアノの先生が亡くなったことを聞いたのは卒業式から帰ってきたときだった。


つい3日前までメールでやり取りしていた。先月のレッスンでも元気そうだった。なのにどうして、というのが最初に思ったことだった。どうやら生徒には告げていなかったが、長年闘病生活を送っていたらしい。文面や表情からそれと悟られないように振舞っていたことに訃報を受けて初めて知った。


だから知った直後は悲しみよりもショックの方が大きかった。少し冷静になった後、来年受けることになっていたピアノの試験は受けることができるのかという疑問が浮かんだ。ピアノの試験というのは音大を受けるような人が受けるもので、私のような趣味でやっている人は普通受験しないものだった。だからもともと先生に勧められて受けることを決心した試験だった。長年お世話になってきた先生に合格した姿を見せてあげたいという原動力で準備をしてきた。だからなのか、訃報を受けてから一気にピアノに対する気力が抜けてしまった。まるで炭酸が抜けたサイダーのように。試験はあと2か月だというのに。自分はこういうものには心を動かされないと思っていたが、どうやら一般的な感情があるみたいだった。自分の頬に水滴がつたうのを感じた。


そのお別れ会が今日行われる。先生の教室の生徒さんだけが集まって花を添え、親族のみの葬儀は後日実施されるらしい。


私は一般的な喪服で行くものだと思っていたが、母が3月末まで高校生ならせっかくだから見せたことがない制服で行ったら、というのでそれを着ることにした。確かに今まで年賀状でしか制服姿を載せたことがなく、実物は見せたことがない。見せるといっても、もう故人になってしまっているわけで実際には見せたことにはならないが、母曰くそれは気持ちの問題だそうだ。


会場では集まった人たちは揃ってハンカチを目元にあわせ、口々に先生への思いを話していた。棺の前に置かれたテーブルにはこれまでの発表会のプログラムやアルバム、先生の元気だったころの写真、楽譜が飾られていた。後から聞いた話だが、自分の葬式はそんなに悲しいものにしないでほしいという生前の彼女の要望でこうなったらしい。会場に入った直後、母は私にハンカチを渡してきたが、断った。自然と涙が出てくることを想定していたからだろうが、ハンカチを使うことは何だか嫌だった。目を腫れさせて泣いているものもいたが、そうした人々を見ていると不思議と涙は出てこなくなった。


今年の発表会に出ていた人が大半集まっていた。みんな一様にまだ死を受け入れられていない表情で、特に発表会で最後に先生と連弾をしていた子は目も当てられないほど泣きじゃくっていた。

以前発表会でよく会っていた横田さんにも会った。私はあまり顔を覚えていないが、教室に通っていた彼女の息子さんが私と同年代だということもあり、発表会の出番がいつも近かったのを機に母と横田さんは仲良くなったらしい。彼女も他のみんなと同じようにハンカチを携えてアルバムを眺めていた。


私たちに気づくと、彼女は話しかけてくれた。


「雪ちゃん大きくなったのね。うちの子はもうピアノはやめちゃって。今は引っ越しの準備中なの。」


机に置いてあったアルバムをめくりながら、言う。横田さんの息子の写真が出てきた。まだペダルに足が届かず、補助ペダルに足を添えながら弾いていた。もう10年前くらいの写真だろう。横田君はどんな高校生に成長したのだろうか。小学生以来、彼とは会っていない。


ページをめくると、私の写真が出てきた。私も彼と同じように補助ペダルを用いて演奏していた。私は横田さんの子とは違ってそんなに良い生徒ではなかった。小さい頃は練習をさぼって譜読みをしていないことはしょっちゅうだったし、レッスンでは雑談ばかりして鍵盤にも触れないことさえあった。よく他の生徒との楽譜の進捗状況を比べられ、私が一番遅れているのを伝えられることはよくあることだった。大きくなってからはさすがにこのようなことはなかったが、忙しさを理由にレッスンの回数は無理を言って週一から月一に変更した。練習は真面目に行うものの、その2時間のレッスンは先生との触れ合いの場といった意味も含まれていたと思う。愚痴もさんざんに聞いてもらったし、両親にも言えない内緒の事も何故か先生に相談していた。先生はいつも困り顔と笑い顔が混ざったような面立ちで聞いてくれていた。小学生の頃には大きかった先生の背丈は中学生になるころには日を追うごとに何だか小さくなっていくような気がしていた。


そんな私に何か目標となるものがあるといいから、という意味でピアノのグレード試験を受ける機会を与えてくれた。受かるたびに、飛び切りの笑顔で喜んでくれた。そして、次第にグレードが上がるころにはいつも「大丈夫」とこちらに安心感を与えてくれるような言葉をくれた。


今思うと、小さくなっていったのは病のせいだったのかもしれないし、励ましの言葉は適当に言っていただけの事かも入れない。でもどちらにしても先生の指導に甘え、練習を生半可な気持ちでやっていた自分が不甲斐なく感じる。自分のピアノに対する熱量など、先生がいなくなるまで考えたこともなかった。本当に甘えていたんだと思う。


横田さんは見る?と言ってアルバムを渡してくれた。そこにはまだピアノのペダルに足がつかないほど小さな女の子が椅子に座っていた。その子は鍵盤しか見えていないようで、手を目いっぱい広げて真剣な表情で写真に収められていた。私だ。自分の弾いている姿なんて見たことがなかった。こんなにもピアノと向き合いながら弾いていたのか。


「まだピアノ弾いてるの?」


「・・・。はい、少し」


この写真の少女のようにピアノの事だけしか考えていないみたいな表情はできないけど。真面目にピアノだけ考えているわけではないけど。私の微妙な回答に彼女は少し口角を上げただけだった。


「じゃあ今この教室でピアノを続けているのは雪ちゃんだけなのね。先生も長年通ってくれる生徒さんができてうれしかったでしょうね。」


その後、教室のみんなで次の会場に行く先生の棺を玄関まで見送り、お別れの会はお開きになった。黒一色の大群が棺の周りを固めていく。先生がこれを見たらまた困り顔で笑うのだろうか。大丈夫、そんなに気にしなくてもできるよ、とみんなを慰めてくれるのだろうか。


横田さんは私たちにこれから用事があるから、といって軽く会釈をしてから颯爽とその場を立ち去って行った。


帰ってから、ピアノの鍵盤蓋を開けた。埃が積もっていたのか、開けた瞬間に細かい粒子が舞った。先生の訃報とともに、触れていないことに気づく。こんなにも大好きな先生を失くして、鍵盤にも触れることができなかったなんて、ほんとうにどうかしている。


鍵盤に指を置く。


体重をかける。


ド。


音が鳴った。


こんな簡単なことでただの白黒の物体は声をあげた。


ド。


ド。


ド。


だんだんと力を強くしていく。


ほら、こんな一音だけでも、自分の感情を表現できる。


先生は、戻ってこない。でも、鍵盤に向かうことで、灰色の世界はいかようにも彩ることができる。


椅子を引いて座った。そして、譜面台にファイルをのせ、課題曲のページを開いた。

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