Last number 破曲
「はぁはぁ……」
全ての体力を最大限に振り絞って、翔は両手を地面に着いて、DOLLと松尚の方へと目を向ける。その瞬間、松尚の胸がDOLLの右手によって貫かれ、大量の血を迸らせた。
あいつが……一瞬で……?
目の前で起きている光景に驚愕しながら、翔は反射的に刀を右手で握る。
「なんじゃ? 貴様はとっくに死んでいるものと思っておったが……まあ、良い。すぐに屍にしてやろうぞ」
翔の存在に気づいたDOLLは右手に大量の血を付着させたまま、翔の元へとゆっくりと近づいていく。それを見た翔は膝を着いて、血をダラダラと垂らしながら、それでも立ち上がろうとする。
腹を左手で押さえ、刀を杖のように地面に着き、立ち上がった翔は近づいてくるDOLLを凝視し、右手に持ったの切っ先を空に向ける。
その右手はDOLLを前にして、震えていた。
俺は……誰かの助けが無かったら、死んでた場面が何度もあった……今さっきのだってそうだ。こいつが松尚と殺り合ってなきゃ、死んでた……
刀の切っ先をDOLLへと向ける翔。
そして、俺は人を殺すだけで、人を生かした事の無い人間……だから――――唯だけでも、生かしたいんだ!
そう決意して、DOLLの方へと突っ走ろうとしたとき、DOLLと翔の間には一人の男性が立っており、翔の刀の刃を受け流しながら、その腹に右手を使って打撃を与えるのと同時に、DOLLには左手を勢い良く押し出し、DOLLを後方へと吹き飛ばした。
だ……誰だよ……こいつ……?
松尚によって貫かれた傷にその男の打撃が炸裂し、翔は倒れそうになる身体を必死に押し留め、刀の切っ先を地面に着けた。
すると、その瞬間、翔は自らの腹の痛みが消えている事に気が付き、すぐさまその視線を自らの腹の傷へと向ける。
傷が……塞がってる……!?
「どう、なってる……?」
急に自らの目の前に現れた男へともう一度、視線を向ける翔。すると、男も翔のその視線に気付いたのか、口を開いた。
「お取り込み中、すみませんでした。あなたに今、死なれては此方としても少し困るので、傷を失くして差し上げました」
「傷を失くす……?」
自分の身に起きた状況に翔は頭の中を混乱させる。だが、そんな翔は頭の中を整理させる余地も無く、目の前の出来事に釘付けとなった。
後方へと吹き飛ばしたはずのDOLLが男の目の前にまで迫り、男に向けて拳を振ったのだった。だがしかし、それをいとも簡単にその男は右手で防いだ。
「我を飛ばし、今度は我の攻撃を防ぐか……貴様は何者だ?」
「さあて、どうなんでしょう? それにしてもあなたは、Deicidaと同じなんですね」
その言葉の意味が分かっていないDOLLは首を傾げ、男を睨みつける。
DOLLによって睨みつけられる男は先程まで首相官邸にいた、自らを天使と名乗った男であった。そして、首相官邸から此処の距離を考えて、男が今の時点で此処にいるのは物理的に不可能。だが、男は現に此処に存在する事から、天使とは限らないものの、人間ではない事は確かであった。
「もう、血戦は終わりですよ。私がアダムの子に対して、釘を打っておきましたから」
「つまり、貴様は我と戦いたくは無いと言うつもりか? ハッ! 貴様にそのような事を我の意見無しで決定する権利など在ると思うてか? その頭はもう、腐敗が奥の底まで進んでおるらしいな」
その言葉を聞いて、「はぁー」と溜息を吐いてみせる男は、DOLLの拳を防いでいた右手に力を込めて、次の瞬間にはDOLLを地面へと叩きつけていた。
その過程の微動さえ翔には見えず、翔からすると、気付いたらDOLLが地面に叩きつけられていたのだった。
……何が、起きてる? この男も……人形なのか?
ただ、目の前で起きている事に驚愕するしかない翔が縋りついた答えがそれだった。
「貴様ァ!!」
未だ、右手の拳を男に握られているDOLLは使っていない左拳を握り締め、男に向けて振り上げた。しかし、その瞬間、DOLLの振るわれた左拳を避けた男は、男の首筋に打撃を与えてDOLLを気絶させてしまった。
「さて。私の仕事は済みましたし、帰るとしましょう」
「待てよ!」
翔は唯の古刀の切っ先を男へと向けながら、どこかへと行こうとする男の足を止めた。
「お前は、一体何者なんだ……? 人形か……?」
だけど、こいつは俺の腹の傷を殴っただけで治した……
恐る恐る尋ねる翔に対して、男はにこりと微笑んで答える。
「いえ。私は楽園の天使――ラファエルですよ」
楽園の……天使……!?
心中でその単語を繰り返した翔の頭の中に浮かんだのは唯の姿であった。
「唯を……楽園への鍵を奪いに来たのか……!?」
「いえ。私はアダムの子が創り出した物以外には極力、触れてはいけない事になってますから。彼女を奪うなんて事をしようとは毛頭も思いませんよ。逆に私は彼女を利用してアダムの子が楽園へと来るのを阻止したい。だから、私はあなたを助けました。彼女を護って貰うためにね」
そう言って、男は足を動かし始め、翔の前から一瞬の内にその姿を消した。
何をすればいいのか分からない翔はそのまま、そこに立ち尽くしたまま、五分間弱、動かなかった。いや、翔は動けなかった。
目の前で起こった事がいつの間にか過ぎ去っていたような感覚に襲われ、ただ、さっきまでの映像を反復するしかなかった。
血戦は終わりなのか……? ……いや、まだ、終わってない……
刀を再度、握りなおした翔は足を一歩、前に出す。
人形の手から、俺でも助けられる人がまだ、残ってるかもしれない!
走り出す翔が生き残っている殺し屋がいないか探して八分。
翔はその光景を目の前にして、驚きと怒りを露にする。
「……どうして……なんでこんな事したんだ!!」
翔の目の前に存在する少女は十人ほどの死体を周りに散らばらせて立っており、その少女の肩にはPersonaの仮面が付いていた。
そう。彼女は人形の少女――吏夜であった。
「私が生きていくには……やっぱりこれしかないみたい……」
「天谷と約束したんだろ!? なのに、お前は!」
警視庁に進入した時に視た彼女の記憶を思い出しながら、翔は彼女に刀の切っ先を向ける。
「言葉だけじゃ……駄目だったみたい……」
にこりと笑ってみせる彼女の頬に流れ落ちる一粒の涙。
「私を憎んで……『私を殺したい』『復讐したい』って、また思って……? そうしたら……私も翔を殺せるから……」
「……復讐なんて、もうしたくない。そう思わせてくれたお前は……俺にとっての希望かもしれなかった」
翔のその言葉を聞いて、自らの首を傾げてみせる吏夜。そんな吏夜に翔は説明する。
「Doubtから言われたんだ……『人間と人形の違いは何なのか』って。そんな事分かりきってるって思ってた。人形は敵で、Personaの命令をきくだけ、そう思い込んでた。でも、お前は違った……天谷を助けてとまで言った……なのに、なんで!!」
「もう、何言ったって無駄だよ……」
ゆっくりと翔の方へと足を進め始める吏夜に対して、翔は千里眼を発動させ、彼女の動きを視た。
前にやりあった時は圧倒的にこいつの方が速かった……けど、今の俺は前とは違う!
瞬間、ゆっくりと翔へと近づいてきていた吏夜の足が勢い良く地面を蹴り上げ、翔に向けて拳を振り上げた。翔はその吏夜の動きを視ていたため、その拳を避け、自らの刀を吏夜に向けて振るう。
後方へと吹き飛ばされる吏夜は自らの斬られたであろう部分を見て、翔を睨みつけた。
「峰で……私を殺す気は無いんだ……」
尚も涙を流し続ける彼女は立ち上がり、化物の姿へと変貌しようとしたその時、Personaの声が鳴り響いた。
『人形は殺しを止め、撤退しろ。血戦は終わりだ。撤退しろ』
スピーカーから鳴り響くその声に何故か安堵したような表情をする吏夜は黙って翔に背を向けて立ち去ろうとする。
そんな彼女を止める事無く、翔はその場に立ち尽くした。
「血戦は……終わった……?」
まだ、終わってなんかない……天谷はまだ、あいつの手の中にあるんだ!
◇
2011年11月26日
その後の収拾をしたのは自衛隊で、Personaは何もする事無く、そのままの地位に居座り続けた。しかし、Personaの天谷大貴を捕まえる為に行った、自衛隊投入と血戦は人々のPersonaに対する不審を掻き立てた。
そして、血戦によって殺し屋の九割がその命を落とし、政府はBystanderの解散を決定し、政府は殺し屋を利用していたという事実をもみ消したという事になる。
殺し屋に依頼できなくなった政治家の不満は増幅し、殺し屋を使って行ってきた事を反省しようとはしない。
殺し屋とBystanderの事を知らなかった無知な総理大臣はその事実を知って、頭を抱えた。
翔は血戦を終えた後、自らの事務所へと戻り、準備をしてからすぐさま、唯の入院している八草病院へと赴いた。
唯の病室へと足を踏み入れ、ベッドで寝ている唯の様子を見て、安堵の息を吐く翔。しかし、次の瞬間にはその顔を引き締めて、刀の入った細長い袋を持って、ベッドの横にある椅子へと腰を掛けた。
どっからでも、掛かって来い。何が何でも、唯は奪わせない!
◇
警視庁 地下
『くそぉおお!!』
机を自らの手で殴りつけるPersonaの仮面の内のその表情は完全に怒りのみが支配していた。
『楽園の使者め……総理大臣にいらない事を吹き込みやがって……!! 計画が狂ったじゃないか!!』
今度は自らの頭を両手で抱え始めるPersonaだったが、何かを考えるようにその姿勢のまま、動かない。そして、何かを思いついたように頭を抱える両手を離し、顔を上げた。
『そうだ……もう、“あいつ”に絶望を与えてもいい頃だ。それに総理は今の地位から引き摺り下ろさなければならないしな……』
そう言って、歩き出すPersonaが向かった場所は大貴が捕らえられている牢獄であった。
Personaの仮面を見た瞬間に立ち上がった大貴はPersonaを睨みつける。
「血でも取りに来たのか……!」
『そう。かっかするな。俺はお前と対話しに来ただけだ。
電気の通った何本もの鉄の棒で区切られた、大貴のいるその空間の外でPersonaは椅子に腰を掛けてみせる。
「お前と話す事なんて……一言もねえ」
『あっそ。なら、何も言い残す事は無いって事でいいんだな?』
再度、両足に体重を掛けるように立ち上がるPersonaは自らの懐から、ある黒いものを取り出して、大貴へと向けた。
「……俺はもう、用無しって事かよ……」
一丁の銃の銃口を向けられる大貴に対して、Personaは何も答える事無く、ただ、一言だけ言って、その銃の引き金を引いた。
『これからが――破曲だ』
甲高い銃声と共に射出された銃弾は大貴の心臓に命中し、大貴は牢獄の中で倒れこんだ。打たれた部分からは大量の血が地面に流れ出ていった。
◇
2011年11月27日
今の時刻は一九時前。多くの会社員が帰路へとついている時間帯の今、人々はビルに備え付けられた大型のディスプレイに視線を集めていた。何故なら、一九時からPersonaによる一連の事についての記者会見が行われるからであった。
そして、七時になるのと同時にCMからPersonaがフラッシュを浴びながら、マイクを目の前にして座っている姿が映し出される。
『天谷大貴を捕まえる為に行った一連の事について、説明します。まず、一連の事を行ったのは私の判断ではないと言う事をお伝えせねばなりません』
「それでは誰によって、されたんでしょうか?」
記者の中の一人が声を上げ、他の記者らはPersonaの回答を待つ。
『総理大臣です。彼は天谷大貴に関するある重要な事を知って、彼をK事件の犯人として逮捕、指名手配犯にしたんですよ』
ざわつき始める記者会見の会場の中、Personaは仮面の内でにやりと口元を歪めながら告げていく。
『その重要な事とは、天谷大貴の血が殺人ウイルス――Deicidaという事なんです。総理はその殺人ウイルスを利用しようとしていたんですよ』
Personaの突拍子も無い発言に記者会見の会場だけでなく、その記者会見を見ていた人々もざわつき、一様に首を傾げさせる。
「それは一体、どういう事なんでしょうか?」
『そのまんまの意味ですよ。天谷大貴は殺人ウイルスで総理大臣はその殺人ウイルスを利用しようとしていた。天谷大貴が殺人ウイルスだと信用できないなら、記者の人たちだけに映像をお見せしましょうか?』
そう言って、横にいた人物に指示を出して、記者会見の会場の壁をスクリーンにして映像を映し出す。しかし、その映像はテレビで記者会見を見ている人々には見れなかった。
記者会見会場に来ていた人々はその映像を見て、トイレへと駆け込む者を現れる。その様子を見ながら、Personaは嘲笑った。
これがお前らの目の前で起こる事になるんだ……楽しみだろう……?
『総理はこの殺人ウイルスを使って、世界をウイルスパニックに落とそうとしていたんですよ!』