No.38 素手×雷切
血戦場
俺は選択できる……目の前のこいつを殺すのか、生かすのか……
向かってくる松尚に合わせて、刀を振るおうとする翔は自らの中に迷いが生じている事に気が付いた。
人を殺す事への迷い。
それは殺し屋をしていた頃の翔では、絶対に生じる事の無いモノであった。
こいつを殺しても、意味はない……こいつはただ、天下無双になるために人を殺してきたんじゃない……墓標の周りに広がる彼岸花がその証拠だ。だから――――こいつを殺しても、意味はない……?
瞬間、翔は振るおうとしていた刀の刃を反対の方向へと向け、そのまま、松尚の腹に向けて振るった。
後方へと飛ばされる松尚は腹を押さえながら、地面に這い蹲り、翔を睨みつける。
「何故……峰で……打った……?」
苦しそうに言葉を紡ぐ松尚を見ながら、翔は地面に落ちた鞘に自らの刀の刀身を収めた。
「何でだろうな……自分でも分からない。妙に気持ちが落ち着いてて、お前は龍雅を殺そうとした奴なのに……そうか。俺は多分、お前に――――生きて償って欲しいんだ……」
決して見下すような眼差しでは無く、松尚の事を見た翔。松尚はゆっくりとその眼を閉じていった。
「お前は、人を殺した痛みを一生、背負いながら生きるんだ……」
そう……俺と同じように……
翔は松尚へと向けていた視線を上へと向けた。
その目線の先には蒼く、雲一つ無い空が広がっていた。
何だよ、この空……まるで――戦ってる俺が醜いみたいじゃないか……
「はは……そうだよ。醜いんだ……こんな戦い……だから――――早く終わらせないといけないんだ」
決心するように呟いた翔が、千里眼の発動を解いた時、翔は胸に激しい痛みを覚えた。
くそ……この痛み……何だ……
その痛みは段々と強くなっていき、翔は地面に膝を着き、最終的に四つん這いの姿勢にまで達した。そして、翔は胸の痛みの正体に気が付いた。
これが……代償なのか……?
千里眼を発動するのには自らの命を削る必要がある。それが、千里眼を発動するための代償であり、翔の父親である一宮堆我はその代償によって、死を迎えたと言っても過言ではなかった。
こんなにも苦しいものを……親父も、藍堕も……Doubtも……耐えてきたって言うのか……?
命を削られていく、今まで一度も味わった事のない痛みが襲う中、それでも翔は立ち上がろうとする。そして、膝を地面から離し、立ち上がった瞬間に翔は自らの腹に鈍い痛みを覚えた。
それは千里眼の代償によって命が削られていく痛みではなく、翔はゆっくりと自らの腹の方向へと、目を向けた。
腹からは――一本の刀の刀身が生えていた。
口から血を吐き出す翔は自らの後ろへと顔を向けた。そこには――
「峰打ちなんて、甘すぎる……やっぱり、僕が天下無双なんだよ!」
――翔が刀の峰で打って倒れていた松尚が雷切を握って立っていた。そして、そのまま松尚によって引き抜かれた刃。その貫かれていた腹からは大量の血が飛び出し、翔は地面に倒れこむ。
いてぇ……! 血が……止まらねぇ……死ぬ……嫌だ……死にたくない……
うつ伏せの状態から、腕の力だけで地面を這う翔は地面に転がった自らの刀に手をのばす。だが、その刀は松尚の足によって蹴られ、遠くへと転がってしまう。
「地を這いずる虫けらのようだな?」
立場の逆転したこの状況下で、口元を歪める松尚。翔は力を振り絞って、四つん這いの状態になり、膝を地面から離した。
左手で刺された右腹を押さえながら、自らの刀を手に取る翔。しかし、その刀を構える事は無く、尚もその足を松尚から遠ざけていく。
今の状態じゃ……俺は……こいつに殺される……
口から垂れる血を顎に付着させながら、ゆっくりと松尚から逃げていく。
「逃げろ逃げろ! どこまでも追いかけて、衰弱してきたところで、殺してやるよ!!」
完全に感情に呑まれている松尚はその口元をもっと歪め、刀に付いた翔の血を払う。
怖い……死ぬのが怖い……血が俺の身体から出て行くのが、死を物語っているようで――――怖い……
ゆっくりとしか歩けない翔が通ってきた道にはボタボタと紅い液体が斑点を刻んでいく。そして、地面にあった段差に躓いた翔はそのまま倒れた。
仰向けになる翔の目に広がるのは雲一つ無い空。その光景に端から入ってきたのは松尚の姿だった。
「終わりか?」
雷切の切っ先を翔の首へと向ける松尚。だが、翔は何も反応を見せなかった。
体が……動かない……もう、限界なのか……? 俺は……――――ここで死ぬのか……?
◇
某ファーストフード店 地下
「なーんちゃってねぇ?」
大きく目を見開く表情を一変させ、にやりと笑みを浮かべてみせるDoubtを見て、今度はPersonaが仮面の内で目を大きく見開いた。
それはDoubtの手に握られているものが原因だった。
『何故……いつの間にお前は“それ”を持っている……?』
Doubtの手に握られていたのは液体の入った一つの注射器であった。その注射器の針を自らの腕に突き刺し、液体を注入したDoubtは笑みを浮かべてその注射器を地面に放り投げた。
「さて……僕の眼は何でしょうかねぇ? 仮面の神様ぁ……」
『まさか……!? 千里眼でもう、この未来を視ていたというのか? だから――“ウイルスのワクチンを俺が持っている”と知って、戦闘中にそれを盗った……』
「フフフ……まだ、死ねないんだよねぇ? 君の野望を打ち砕くまではさぁ」
刀の切っ先をPersonaの方へと向けるDoubt。だが、その瞬間、携帯電話の着信音が地下空間に鳴り響いた。
その携帯電話の持ち主であるPersonaはDoubtを警戒しながら、通話開始ボタン――オフフックボタンを押した。
『もしもし……』
『総理大臣の笹川だ』
その名前を聞いた途端にPersonaはすぐさま、Doubtを睨みつけた。
「僕じゃないよぉ?」
その言葉を聞いたPersonaは尚もDoubtを疑いながらも、言葉を発する。
『……何の用だ……?』
『血戦をやめろ……天谷大貴はもう、捕まっているんだろう?』
『――ッ!?』
Personaはその目を大きく見開かせた。
『何を言っているのか分からないな……』
『惚けるつもりなのだろうが、此方はもう、証拠を掴んでいる。大人しく、血戦をやめ、直ちにそこから撤退しろ!』
こいつ……こいつがこんな事を言ってくる筈がない。誰かに指示されて俺に電話をしてきた……?
『……分かった』
そう言った瞬間に電話を切ったPersonaはDoubtに向けて言葉を発する。
『お前だろ……?』
「いいやぁ。君にとって、僕よりもっと重要な人物が内閣総理大臣に情報を提供しちゃったんだよぉ」
訝しげな表情でDoubt見たPersonaは次の瞬間にその血相を変えた。
『まさか――――!?』
「その『まさか』だよぉ?」
にやりと笑みを浮かべるDoubtは内閣総理大臣に情報を提供した人物の正体を告げる。
「情報を提供した奴は――――君が最も危険視している“楽園の使者”だよぉ? やっと、動き始めたねぇ? 僕を殺したり、血戦なんて事をしたりしてる場合じゃないんじゃないのぉ?」
考え込むように沈黙するPersona。その様子を見て、Doubtは自らが有利だと思った。
考えれば考えるほど……君は選択を誤るタイプだぁ……
◇
首相官邸
「これで……いいのか……?」
椅子に座って、電話の受話器を置いた総理大臣は目の前に存在する男に尋ねかけた。
「はい。上出来ですよ。首相」
その尋ね掛けに対して、にこりと微笑んで答えた男は次の瞬間にはその表情を真剣なものへと変えた。
「それで、そのような訝しげな表情を浮かべて……私に何を尋ねたいのですか?」
尋ねられた総理大臣は自らの疑問を尋ねるか尋ねないかで思案し、最終的に彼は尋ねる方を選択するのだった。
「君は……一体誰なんだ……? 誰にも見つかる事無く、セキュリティーも全てすり抜け、首相官邸に入ってきた人物なんて……人間技じゃない……」
ごくりと唾を呑みこんで緊張のあまり額に汗を滲ませた。
「そう。私は人間じゃない……ただの――天使だよ」
その瞬間に総理大臣は驚きを通り越して、唖然とした。
天使……だと……?
「ちょっと、待て! 意味が分からない……」
頭を両手で抱える総理大臣の内心に構わず、天使と名乗る男は告げる。
「意味は分かると思いますが? 私が天使で、あなたが人間。ただ、それだけの意味です。『天使の証拠に天使の羽を生やしてみろ』なんていう無茶ぶりはやめてくださいね」
黙りこくる総理大臣に対して、天使はにやりと笑みを浮かべて、もう一つの事実を突きつける。
「私は楽園から逃げて、地球と言う楽園を創り出した人物を追っています。それは今、警視庁長官を演じている人物なんです」
その事実を聞いた瞬間に総理大臣は一瞬だけ、自らの顔を上げた。だが、すぐに俯けた。
「もう……何を信じていいのか分からない……ウイルス、天使、地球を創り出した人物……それを話して、君は俺に何をさせたいんだ……」
「何をさせたいと言うわけでもなく、ただ、知っていて貰いたいのです。あなたたち人間が最高の種族ではない、と」
天使は自らの口元をにやりと歪めてみせた。
「さて、私は少し用事がありますから、お話はまた今度と行きましょうか、首相?」
◇
血戦場
「なんだ、貴様ら? 殺し屋同士で仲間割れか?」
松尚は翔へと向けていた刀の切っ先を目の前に存在する人形――DOLLに向けた。
「人形か……?」
「そう。我は人形。今日は貴様ら殺し屋を駆逐するために駆り出された」
にやりと笑みを浮かべてみせるDOLLを松尚は睨みつけながら、その場を動かない。
誰……だ……?
翔は真上を見るが、視界にDOLLの姿は入らない。それに加え、視界が霞んで来ていた。
くそ……まだ、気絶するわけにはいかないんだ……!!
精神力で視界を保つ翔だったが、やはりDOLLの姿は映らなかった。
「では、その使命を全うするとしようか?」
そう言った瞬間にDOLLは一瞬の内に松尚との間合いを詰め、自らの右腕を松尚へと振るおうとした。しかし、松尚はその右腕が自らの体に貫く前に、右手に握った雷切を以って、斬り落とす。
右腕が地面に落ちた瞬間に二人は間合いを取るために後方へと下がった。そして、DOLLは血が噴き出す自らの腕と斬り落とされた腕を順に眺め、最後に松尚へとその目を向けた。
「貴様、なかなかじゃな……じゃが、これでは足りぬぞ」
自分の腕が斬られたのにも拘らず、DOLLは笑う。
「我を殺すにはまだ足りぬ。我を愉しませるのにはまだ足りぬぞ、貴様!!」
瞬間、男の右腕から骨ができ、血管ができ、肉ができ、皮ができて、元通りの右腕になった。そして、DOLLはまた、松尚との間合いを詰めるべく、構え、地面を勢いよく蹴りだした。
さっきと同様に右手を振り上げるDOLLに対して、松尚も同じ対応をする。だが、DOLLはその後、左腕も松尚に向けて振るい、その左腕も斬り落とした松尚であったが、右足の回し蹴りを食らわされ、右側に吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられる松尚は危うく、手放しそうになった雷切を再度握りなおして、体勢を立て直そうと膝を着いた。
だがしかし、前を向いた松尚の前には既にDOLLの姿が一メートル以内にまで迫ってきており、雷切を振るおうとするが、もう既に遅かった。
元通りに戻っている右手で雷切の刀身を握り、左手で松尚の腹を貫いた。
大量の血を口から吐き出す松尚の顔を見て、失望したようにDOLLは告げる。
「なんじゃ。やはり暇つぶしにもならなかったか?」
腹を貫いた左腕を抜き、右手に握った雷切の刀身をDOLLが放すのと同時に松尚は地面に倒れこんだ。
松尚に背を向けるDOLLに対して、松尚は四つん這いの状態になりながら言葉を紡ぐ。
「待て……」
「まだ、立つ気力があるのか? 褒めて遣わすぞ」
その声に振り向いたDOLLはにやりと笑みを浮かべる。そんなDOLLの顔を睨みつけながら、立ち上がる松尚は雷切を両手で握る。
「おれ、が……俺が……俺が天下無双なんだよ!!」
腹から血をダラダラと流しながら、叫び散らした松尚はDOLLに向かって、突っ込んだ。
「怒り狂うとは……愚かな」
DOLLは雷切を向けて走ってくる松尚の命を一瞬にして散らせた。